TopText姫とナイトとウィザードと 番外編
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商戦護衛任務



 太陽の季節特有のさんさんとした日照りが続く中、彼女は一枚の紙切れを睨みつけるように眺めながら歩いた。
 シンディ・モンテール、十九歳。花の季節に魔術師試験を突破したばかりの新米魔術師だ。彼女は王城前広場にある魔術師ギルド本部から、師匠と二人で暮らす自宅への道を辿っていた。彼女が覗き込んでいるのは依頼書だ。これには、彼女に割り振られた仕事の内容が記載されている。
 ギルドから連絡が来たのは昨日。ギルド経由で依頼を受ける場合、ギルドから指定された時間に本部へ出向き、依頼の説明を受け、受諾するという一連の行為が必要になる。また、依頼が完了した暁にはやはり本部へ依頼主とともに出向き、窓口で依頼完了の報告を行う。完了報告を怠れば、せっかくの報酬を逃してしまうことになる。依頼主と同行するのは、互いに虚偽の報告をしないようにするためだ。
 これまでのシンディの仕事と言えば、人探しやペット探しの類ばかり。魔術師になって季節が二つほど過ぎたところだが、シンディはすでにそういった仕事に飽き飽きしていた。もちろん、駆けだしの自分に大きな仕事ができるなどと驕っているわけではない。しかし、探し物の依頼を何件もたてつづけにこなせば、溜息の一つや二つが落っこちるのは仕方のないことだろう。
 そんなところに舞い込んだのは、王都と海上都市《フォロン》を往復する商船の護衛任務だった。
 フォロンはリオールから船で半日ほどかかる距離に浮かぶ島に形成された都市で、海に囲まれているだけあり、主な商業価値は漁業による収穫。また、貝殻などを利用した細工にも秀でており、そういった装飾品の類は王都の女性にも人気がある。しかし、この二つの都市を繋ぐ橋など存在せず、やりとりはすべて船を利用することで行われる。海の上。逃げ場はない。これを狙う賊が出没しなければ、それは奇跡と言っていいだろう。シンディへの依頼は、そういった商船の荷物と船員を守ることだ。
 シンディの心は小さな不安と大きな期待に踊った。ようやく魔術師らしい仕事ができる、と。しかし、今まで探し物ばかりしていた自分にこの依頼が遂行できるのか、と。それが顔に出ていたのだろう。説明役のギルド職員が、笑顔で言った。大丈夫、ひとりではないから、と。
 シンディに渡された紙切れには、こう書かれていた。

 担当者:リデル・ホワイト/シンディ・モンテール


 * * *


「あらあら、それはまた……」

 シンディの前で、彼女の師であるミランダ・モンテールは愉快気にゆったりと笑った。年はそろそろ四十に届く頃だだが、そうと感じさせない。それは彼女が外向きに気を使っているからだ。さりげない化粧と装飾品。貴族が好むような華美さは見られないが、その控え目な印象が彼女によく似合い、また彼女本来の良さも引き立てている。
 ミランダは二人掛け用のソファに腰掛け、シンディはそんなミランダにお茶を入れた。ソーサーとカップを師の前に置きながら、シンディは問いかける。

「リデル・ホワイトって、あれよね。王族顧問魔術師のウォーレン・ホワイトの弟子っていう、最年少魔術師の」
「そう、その子よ」

 ミランダは答えながらカップを手に持ち、終わるとほんのり湯気の沸き立つカップに口をつけた。

「実際、腕前はどんなものなの? 子供なんでしょ? 本当に私より魔術師として優秀なの?」

 矢継ぎ早の質問に、師は記憶をたどるようなしぐさを見せた。それから笑った。

「そうねえ、去年十二歳だったのだから、今は十三かしら。けど、見事なものよ。機転も効くし。もし直接対決なんてしたら、勝てる気はしないわねえ」

 穏やかで柔らかな響きを持つ声が告げる内容に、シンディは顔をしかめてしまう。
 現役魔術師、また魔術師を目指す者で知らない者はないだろう名前。リデル・ホワイトといえば、一年ほど前に弱冠十二歳という異例の若さで魔術師の資格を得た少年のことだ。現在は十三歳のはずなので、シンディより六つも年下、しかし魔術師としては一年先輩ということになる。それがシンディには信じられなかった。師匠の目を疑う気などないつもりだが、それほど若くして魔術師になれる人間がいるなど、夢物語のように思えるのだ。実際、シンディは十六歳の時から三度試験を受け、三度目にようやく合格できたのだ。それを、十二歳の子供が一発合格。まるで現実味のない話としか思えない。

「リデルと一緒なら、まあ大事にはならないでしょう。がんばりなさい、シンディ」
「はい、お師匠」
「お茶のおかわりいいかしら」
「はい、お師匠」

 ポットを持ち上げて師匠のティーカップに二杯目のお茶を注ぐ。彼女はそれを美味しそうに飲んでから、付け足した。

「それと、お土産よろしくね」
「はい、お師匠」

 噂の最年少魔術師の存在は気にかかるが、それはとにかく、フォロンまで出向く機会などそうそうない。フォロン産の装飾品は王都でも人気が高く、ここでは現地より高値で取引されている。つまり現地まで赴けば、いくらか安い料金で手に入るのだ。
 師匠に似合いそうな細工物を購入してお土産にして。ついでに自分用にも何か一つくらい購入しよう。
 シンディはまだ一度も足を踏み入れた事のない海上都市に思いをはせた。



 * * *



 三日後、シンディはギルドに持たされた依頼書を携えて港へと向かった。そこで、関係者らしき人物に用件を告げると、依頼主のもとへと案内してくれた。
 依頼主である男はシンディを確認すると、また一人の男を呼び寄せ、彼が船長であると紹介してきた。依頼主は運搬業組合の責任者ということになっているが、組合はあくまで取りまとめ役でしかなく、組合の責任者が運搬に同行することはほぼないという話だ。そもそも、船は一日に何隻も行き来している。そのすべてに同行するのであれば、責任者が十人いても足りないだろう。つまり、一泊二日になる予定のこの船旅、実質の責任者は船長だということになる。

「二日間、よろしく頼むぜ」
「はい、よろしくお願いします」

 船長は海の男らしくがっちりした体形で、強面にひげを生やした男だった。左頬に斬られたような傷跡もある。しかし、にいっと笑み崩された表情にはひょうきんさが見え、恐怖の類を覚える事はなかった。とはいえ、小さな子供は初対面では泣き出してしまうレベルではないかとは、心の奥でひそかに思った。
 船長に先導され、これから護衛する船へと案内される。船の大きさは、小型、中型、大型に分類するならば中型と言うことになるだろう。大型なら護衛用魔術師二人では足りないはずだ。すれ違う船員と軽い挨拶を交わし、この船旅の間使用させてもらう部屋を教えてもらう。夜間の航行はないのでほとんど必要ないはずなのだが、念のためあったほうがいいだろう、ということだ。小さいが、個室だった。鍵もかけられる。魔術師全員にそうなのか、それともシンディが女性ゆえの気遣いなのかはわからない。

「あの、もう一人は……」
「リデルか? あいつはまだ……」
「船長ー、リデル来ましたぜー!」
「……噂をすればってやつだな。顔合わせといくか」

 踵を返した船長のあとを追いかけ、尋ねる。

「その、リデル・ホワイトとは親しいのですか?」
「あん?」

 船長は軽く振りかえって、難しい顔をした。

「……難しい質問だな。あいつは親しみやすい性格ってわけでもねえし。いや、別に仲が悪いってわけじゃねえんだ。一年前にもあいつには世話になったからな。が、プライベートでの交流はねえ。ま、よくある『仕事上の付き合い』ってやつだ」
「……もしかして、今回のご依頼、一人はリデル・ホワイトで指名を?」
「ああ。あいつほど腕のいい魔術師は、なかなか巡り合えないもんでな。おまけに、まだ一年ちょいなもんだからベテランに比べりゃ依頼料が安い! これで指名しない理由はねえだろ」

 答えを聞いて、眉間が狭まった。相手は自分より一年先に魔術師になった。そのことは理解しているつもりだ。しかし、それがまだ十三歳の子供であるという事実が、シンディの中に劣等感のようなものをむくむくと育て上げていく。魔術師試験の合格者平均年齢は二十歳。シンディだって平均より若くして魔術師になったというのに、優越感らしきものがちっとも感じられない。シンディにはそれがものすごくつまらないのだ。
 再び船の外に出ると、船長が大きく手を振った。

「おう、リデル! 悪いな遅くなって!」
「いえ。お久しぶりです」

 シンディは目を丸くした。
 少し長めの髪の毛はさらさらとした淡いブラウン。見えているのかいないのか不思議なほど細い目。背はシンディより低く、輪郭も成熟しきっていない。まるっきり子供だ。「十三歳の男の子」だという事前情報がなければ、女の子だと間違えてしまったかもしれない。
 これが、リデル・ホワイト。
 魔術師に体格は関係ないが、このとてもつもなく弱そうで頼りなさそうな子供が噂の天才魔術師だと言う。なんともまったく現実味のない話だ。

「シンディ・モンテールさんですか?」
「あ、え、ええ」
「初めまして、リデル・ホワイトです。これから二日、よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ」

 そして、随分と子供らしくない礼儀の正しさだ、と思った。



 * * *



 船はいくらも経たず出港した。シンディは甲板に出て、遠ざかる陸地と面積を増やしていく海面を眺めた。
 船に乗るのは初めてだ。まるで子供のように目を輝かせていた。
 どこまで続いているのだろう。陸地から眼をそらし、ひたすらに海面ばかりが広がる世界を見て思う。どこまでも果てがないように見えるこの海は、故郷まで続いているのか、と。
 シンディはリオールの生まれではない。もっと南方の、もっと貧しい町で生まれた。近所の子供と一緒になって遊びまわったり、時々両親の仕事を手伝ったりしながら、そこそこ平和に暮らしていた。それがある日、賊の類に襲われたことをきっかけに終わった。魔力が暴走したのだ。それまで魔術に触れることもなかったシンディには、その時何が起こったのかわからなかった。ただ、町を半壊させたのが自分であるという自覚と、家族や友人を含む周囲からの恐怖の視線だけがあった。そのまま町にいることなどできず、偶然賊討伐の依頼を受けて町へやってきたミランダに引き取られることになったのだ。それ以降、故郷の土は一度として踏んでいない。
 しかしそういえば、と随分薄れてきた記憶を掘り返して思う。あの町から海は見えなかった。ミランダに連れられ、王都を案内してもらったときに初めて遭遇したのだ。最初は未知の物へ恐怖を感じたものがだ、今ではそれが近くに存在する事が当たり前に感じている。ミランダに引き取られてから十年近い時間が経った。慣れるには十分すぎる時間だ。

「シンディさん」
「っ!」

 呼ばれ、驚きとともに振り返ると、そこには水筒とタオルを差し出しているリデルが突っ立っていた。無表情だ。しかし、その頭にはタオルの被っているという、少々奇妙な光景だった。

「船長さんからです。なるべくマメに水分を補給するように、と。あと、なるべく日陰に移動した方がいいと思います。そのままでは太陽熱で倒れてしまいます」
「そ、そうね……ありがとう」
「いえ、お礼は船長さんに」

 太陽熱というのは、一種の病気であると認識されている。今のような暑い季節には、何の対策もなしに太陽の下で活動を続けて倒れてしまうという小事件が続出する。人間は一定以上体温が上がると倒れるようにできているらしい。空から降り注ぐ太陽の熱が体にたまり、体温を上昇させ、人体に悪影響を及ぼすのだと考えられている。その対策は、活動の際には意識して日陰で休憩を取る事と、水分をしっかり摂る事。日陰に入る事が難しいのであれば、帽子を被るのも効果的だ。
 今、リデルがタオルを頭の上に載せているのは、帽子代わりといったところなのだろう。
 シンディが水筒とタオルを受け取ると、リデルもそのままシンディの隣に立った。日陰に移動した方がいいとか言ったくせに、どういうつもりなのか。しかも何も言わない。シンディはどうしたものかと思いながら、とりあえず自ら話を振ってみる事にした。

「えっと、リデル……でいいかしら」
「はい」
「リデルは海は初めて……じゃ、ないわよね。前にもこの船の護衛したんだし」
「はい」
「…………」
「…………」
「……わ、私は初めてなのよ。港から眺めた事はあったけど、船に乗ったのなんて生まれて初めて」
「そうですか」
「…………」
「…………」

 長い沈黙が生まれた。言葉ない二人の間に、船が波を掻きわける音と海鳥の鳴き声が入り込む。

「……私はあそこで待機していますので、何かありましたら声を掛けてください」

 リデルは静かにそれだけ言ってしまうと、シンディの返事も待たずにすたすたと日陰に移動していった。船内へとつながる扉の前の空間には屋根が作りつけられており、木製のベンチまである。リデルはすとんとそこに腰をおろし、もうシンディには目もくれなかった。
 シンディはまたしばらくどうしたものかと考えて、そこからそそそと静かに移動した。船首に向かい、互いの視界外になったことで、ようやく息を大きく吐き出す。
 リデルと同じ空間にいると思うと、あまりに息苦しかった。
 魔術師になる人間というのは、半分以上が愛想をどこかに置き忘れてきたような性格だと聞いた事がある。特殊技能者、というよりは学者肌で、思考が内向きになりがち。おまけに自分の領域に収まって出てきたがらない傾向があるらしい。事実、一度王城に召抱えられた者は、もう滅多なことでは街へ降りてこないらしい。城にこもって何をしているのか、ミランダもはっきり知っているわけではないのだが、大方魔術がらみの研究に没頭しているのだろうという事だ。
 つまるところ、コミュニケーション能力に乏しいのだ。
 自らも魔術師となった以上、そういった人物との接触はある程度覚悟していた。こういった護衛任務ともなれば、魔術師も数人でグループを組まされて仕事にあたるからだ。
 だがやはり覚悟が足りなかったのだろう。まさかそんなタイプの魔術師と二人きりで仕事をする羽目になるとは思っていなかった。
 おまけに、相手がリデル・ホワイト。十二歳というあり得ない若さで魔術師試験という難関を突破し、またその技量たるや師であるミランダすら認めるところだという、そんな子供と。
 五十歩譲ってシンディが勝手に抱いている劣等感は置いておくにしても、あの愛想のなさは悲劇レベルだ。おそらく現在十三歳。そんな、人生これからというべき若者が、これほどまでにコミュニケーション能力を欠いているのは大問題ではないかと思う。人として。

「……この二日、ちゃんとやってけるのかしら、私」
「おうおう、どうした? くっれー顔しちまって」
「っ、船長さん……」

 ため息混じりなシンディの呟きに反応を返したのは、通りすがりの船長だった。
 彼はその強面にひょうきんな笑みを貼り付けて、シンディからひと一人分以上の隙間をあけた位置で立ち止まった。

「不安事かい?」
「いやー……あはははは……」

 乾いた笑いを声に出した後、シンディはぽつりと答えた。

「どうやったらリデルとうまくやれるかなあ、と」

 船長はきょとんとした。そして首を傾げた。

「なんか問題あったのかい?」
「……会話が成り立たないんです」
「ははあ、なるほどな」

 だが、と船長は豪快に笑った。

「口開けば嫌味ばっか出てくる野郎よかよっぽどマシだろ」

 まるで過去にそういう人物と会ったことがあるような口ぶりだが、その向こうにあるだろう彼の記憶まではシンディには覗けない。
 もちろん、彼の言うことはその通りとしか言えない。そんな相手と一緒に仕事することになっていれば、この時点でとっくにブチギレていただろう。会話が続かない。沈黙が息苦しい。ただそれだけだから、シンディはこうして困っているだけなのだ。

「船長さんはリデルと会話できるんですか?」
「そりゃまあ、仕事があるしな」
「……私も仕事なんですけど」
「あー、いやいや……つか、どんな話したんだ? どうせお前さんから話振ったんだろ?」
「そうですけど……別に変なこと言ってませんよ。海は初めてとか、そんな話です」
「ははあ……なるほどな」

 船長は、今度はおかしそうに笑った。

「そりゃあいつ、困っただろうよ」
「え?」
「あいつはそういう、一般的な普通の会話っつーか……日常会話? ってのが苦手みてーなんだわ。仕事関係の話だったらいくらでも話すんだがな」
「な、なんですかその特殊性質!?」

 思わず音量を上げた。仕事の話は普通にできるのに、日常的な会話はできない。そんな人種にはこれまで遭遇したことがない。

「魔術の勉強ばっかやってて、人馴れしてねーんだろ。あと、そうだな……」

 船長が真顔でシンディを見下ろし、こう続けた。

「女にも免疫がなさそうだ」

 相手は子供だろうが、とシンディは肩を落とした。



 * * *



 拍子抜けなことに、シンディを乗せた船は何事もなく海路を行き、日が暮れるより早く目的地に辿り着いた。
 海上都市フォロン。海の真ん中にぽつりと浮かぶ島の上に形成された都市。島の中心には大きな山が一つだけ、頭を突き出している。その姿を遠目に見るとまるでとんがり帽子みたいだということから、海上都市と呼ばれるまではトンガリ島などという名で呼ばれていた。
 その港に船が固定されると、船長から上陸の許可が出された。荷物を置く程度にしか使用しなかった部屋から置きっぱなしの荷物を持ち出し、船員の案内に従って船を降りる。
 リデルはすでに上陸していて、見知らぬ男と言葉を交わしていた。男は二人連れだ。活気ある港の中、双方の声は聞こ取れない。しかし、リデルの口はかなりスムーズに動いている。何の話をしているのだろうと思って立ち尽くしていると、ふいに彼がシンディを見た。

「シンディさん」

 呼ばれたようなので、そちらへと足をすすめる。リデルのすぐ傍まで近づくと、彼は先ほどまで言葉を交わしていた男にシンディを紹介した。続いて、シンディに男たちを紹介する。
 男たちはフォロンに暮らす魔術師らしい。船が港に留まっている間は、フォロンのギルドから依頼を受けた魔術師とフォロン騎士団が警護を担当するという。だからリデルは彼らに挨拶をしていたのだ。道中何もなかっったのだから引き継ぎというほどの情報もないだろうが、一時的に交代するのだから挨拶くらいはするのが当然だろう。
 シンディも彼らと握手を交わす。それを待って、リデルから「行きましょう」と声がかかった。
 小さな背中に先導されて、港から街の中へと入る。リオールほどの人口はないはずなのに、リオール以上の活気を感じられる雰囲気を物珍しく思いながら眺めつつ、リデルに問いかける。

「ねえ、ちょっと、どこ行くの?」
「ギルドのフォロン支部です」
「ギルド? なんで?」
「移動を伴う護衛任務では、ギルドから宿が提供されるんです。どこの宿かは、現地のギルドで尋ねることになっています」
「へえ……」

 説明的な口調を聞いて、ああそうかと思い至る。今の彼は、シンディの教育を任されているのだ。それは彼のほうが一年先輩なのだから当たり前のことだし、任務に関わることでこれまでシンディが知らずにいたことを教えてもらえるのはありがたい。フォロンの地図は一応持っているが、シンディは地図を読むのが苦手なので、案内してもらえることも助かる。しかし、教えてくれる相手がいくつも年下であるという事実は、どうしても面白くはなかった。
 フォロンのギルドは、当然のことながらリオールにある本部よりも規模が小さかった。そこで職員から宿を紹介してもらい、すぐまたギルドを出る。

「明日、出港までは基本的に自由行動ということになりますが、単独行動は控えてください」
「なんで?」
「シンディさんは、フォロンは初めてでしょう。大通りはともかく、小路はリオール以上に入り組んでいますから、危険です」

 反論の余地はなかった。ただでさえ地図が読めないシンディには、黙りこむ以外の選択肢はなかった。
 ただ先導するリデルについていく。やはり無言だ。シンディはため息をつく。この調子で明日リオールに帰り着くまでもつのか。主に自分の精神面が少々心配になった。
 シンディもミランダも、口数が少ない方ではない。変わり者が多く一般的に付き合いづらいとされる魔術師の中で、ミランダは社交的な魔術師として有名だった。その弟子であるシンディも、どちらかといえば社交的なほうだと自覚している。それはつまり、リデルのような典型的な内向的魔術師とは相性が悪い、ということだ。
 歩くにつれ、フォロンの商店街へと入り込んだ。天上から照りつける太陽に負けないくらいの笑顔と張りのある声で溢れる目抜き通りを、人にぶつからないように歩いて行く。
 ふいに、一つの店に意識を惹かれ、足を止めた。前を歩くリデルは気付かずに進む。シンディは慌ててその後を追いかけた。

「リ、リデル!」
「はい?」
「あの……い、急ぐ?」
「いえ、別に急いではいませんが」
「じゃあさ、ちょっとお店寄りたいんだけど……ダメ?」
「……いえ、大丈夫です」

 いくつも年下の男の子におねだり。何も知らない通りすがりからしてみると、かなり不思議な光景だったことだろう。いっそダメな姉としっかり者の弟だと想像していてくれ、とシンディは軽く祈った。
 リデルの同意を得て、少し戻って先ほど見つけた店の商品を物色する。
 そこはいわゆる装飾品店だった。キラキラと輝く石を加工したものを売っている。宝石ではない。海中で花を咲かせるラプリスという植物が生み出す石だ。フォロン周辺に密集地帯があるため、ラプリスの石を使った装飾品はここの名産品となっている。とは言え、収穫量はそれほど多くないらしく、王都ではなかなか手に入れにくいものだ。
 ラプリスの石には偏りはあれど様々な色がある。値段はよくある色ほど安く、珍しい色ほど高くなる。一番多いのは海と同じ青色だ。濃淡差でも値段は変わるが、とにかく青系の色は多い。
 その中に、紫色の物が混じっていた。たっぷり十秒ほどそれを眺め、そうっと手にとる。シンプルな銀細工でペンダントにしてあった。トップ部分を丁寧につまみ、光にかざす。展示されている時にはとても濃い色に見えたのに、そうすると中身が透けるようにやわらかい色へと印象を変えた。

「とても綺麗な色でしょう。そこまで綺麗な紫色のラプリス、滅多に取れないんですよ」

 店員の女性が営業用の顔を貼り付けて言った。ちらりと値段を確認すれば、やはり高い。予算から足が出るほどだ。いや、買えないわけではない。自分が少し我慢すれば、予算内に収まる。
 躊躇は三秒だった。

「あの、これください!」
「はーい、ありがとうございまーす」

 衝動買い、と言えるのかもしれない。しかし、どれほど熟考しようと、シンディはこのペンダントを購入しただろう。
 ミランダは紫色がとても好きで、またとても似合う女性だ。会計を済ませ、今包んでもらっている紫色のラプリスを見た瞬間、これだと思った。これしかないと思ったのだ。
 本当は、自分用にも一つ欲しかったのだけれど。ちらりと、並べられている石を見る。青系統からはずれ、黄系統へ。透けるようなオレンジ色の石に、わずかに心惹かれた。だが、師匠優先だ。あの色ほど師匠に似合うラプリスはきっとこの世に存在しない。今を逃せば、もう手に入らないかもしれない。対して、自分が惹かれるオレンジ色にはさほどの希少価値はない。もちろん数多の青色に比べれば数は少ないが、いずれどこかで手に入るだろうと思える。
 包装された土産を受け取り、シンディは満たされた心地になった。
 その横から、リデルが声をかける。

「……そちらでよかったのですか?」
「へ? なにが?」
「いえ……その……」

 リデルの視線が、先ほどまでシンディがちらちら見ていたオレンジ色のラプリスに向けられる。なかなかいい観察眼をしているらしい。

「ああ、いいのいいの。お師匠優先!」
「……そうですか」

 リデルはそれ以上深入りはせず、再び宿に向けて歩き出した。

「リデル、この後は?」
「一度宿に行ってから周辺をご案内します」
「……どうも」

 なんだか護衛任務というよりもただの研修ついでに観光という感じだなあ、と思い始めたが、言葉にはしなかった。



 * * *



 結局その後、リデルの宣言通りフォロンの中を案内された。リデルの教科書通りとしか言えないガイド付きだ。まさにそういった資料を丸暗記したのではないかというほどの情報量が垂れ流しにされ、魔術師という枠を飛び越え、まったく別の意味で戦慄した。
 日が暮れる少し前には、道行く人に聞いた美味しいと評判の食堂で夕飯を取った。海に囲まれた都市だけあって、肉よりも魚を使った料理が圧倒的に多い。そして確かに美味しかった。
 夕食の際に、何人かの地元人に声をかけられた。リデルの知り合い、というかリデルを知っている人たちだった。一年前にもリデルはこうしてフォロンに来ていたのだから、リデルを覚えている人がいることは何もおかしくはない。
 ちらりと話を聞くと、どうも海賊が上陸してきて暴れていたのをリデルが魔術で撃退したらしい。十二歳の子供が、魔術で一撃だったというのだから、現場を見ていた人の記憶にはさぞ強く焼き付いていることだろう。
 宿へと戻り、それぞれの部屋にでシャワーを浴びて就寝。どちらも一人部屋、隣同士だった。
 その一日のことを思い出し、なんだかなあという気分でベッドに潜り込んだ。隣からの物音はほとんど聞こえなかった。
 朝は妙に早くに目が覚めた。薄っすら朝日が窓から差し込み、リオールとは少し違う鳥の鳴き声が聞こえた。海鳥の声もよく聞こえた。ベッドから抜けだして窓を開けると、心地良い風に潮の香りが乗せられてきた。フォロンなんだなあ、と感慨深くなった。
 隣の部屋からはやはり音が聞こえない。時間もまだ早い。
 昨日はずっとリデルと一緒に行動していて気が休まらなかったので、今のうちに少し気分転換でもしておこうと身支度を整えて宿を出て――――

「……なぁんで私ってばこんなことになってるのかしらね……」

 縄でぐるぐる縛られてどこかの部屋の片隅に放り込まれた状態で、シンディは遠い目をして呟いた。見張りらしき男がじろりとシンディを睨みつけてくるので、反射的に肩が跳ねる。
 体を小さくするように意識して、考える。
 とにかく、任務一日目である昨日は何事もない、平和そのものだった。護衛任務という仕事の真っ最中であるということを忘れそうなくらいだった。
 ところが今日、リデルが起きてくる前にちょっとだけ朝の静かなフォロンを散策しようと宿に出て、道に迷わないようにそれなりに慎重に歩いていたところ。
 背後から突然口元を押さえられ、何かしらの薬をかがされて意識を失ってしまった。
 そして気が付くとこの状態。
 正直なところ、シンディには何が起こったのか、どうしてこうなっているのかさっぱりだった。
 シンディを見張っている男は、武器を所持している。シンディに見せつけるように、ナイフを弄んでいる。さらに腰にも剣が一振り。
 とにかく魔術を使ってどうにか抜けだそうと考えたが、一瞬でやめた。どういうわけか、魔力のコントロールがいつもに比べて不安定に感じたのだ。無理をすれば暴走し、どんな被害が出るかわからない。
 もしも、故郷のようになってしまったら……。記憶に焼き付いて消えない、過去の惨状。それを思い出せば、止める以外の選択肢はシンディにはなかった。
 捕まってからどれくらいの時間が経ったのだろうか。船の出港には間に合うだろうか。なぜ、自分はこんな目にあっているのだろうか。
 考えていると泣きたくなってきて、次第に視界が滲んでいく。

 ――見つけました。

 ふいに、そんな声が聞こえた気がした。
 そして。

「――《ザキ・クレスタ》!!」

 その声とともに、すぐ横の壁がとてつもない衝撃を受け、震え、崩れた。
 からからとこぼれるように落ちる破片の向こうから、太陽の光と、

「ご無事ですか、シンディさん」

 昨日と少しも変わらぬ、杖を携えたリデルが入り込んできた。

「っ、て、めえ!! 卑怯な真似っ、」
「《アーク》」

 リデルが見張りの男を指で指し示し、唱えると同時に男の顔を水が包み込んだ。驚いた男の口からごぽりと空気が限定的な水中へと飛び出す。

「正攻法でないことは認めますが、人質を取るような卑怯な方に卑怯者呼ばわりされる筋合いはありませんね」

 男はなんとか水を払おうとするが、手を伸ばしてもするりと水の中に入り込んでしまうだけで効果がない。
 どうしようもなく藻掻くしかない男から視線を外し、リデルはシンディの後ろにしゃがみ込んだ。
 呆然としている間に縄が解かれ、立たされる。

「行きましょう」
「え、あ、ああ、うん……?」

 先程開けられた壁の穴へと促され、そのまま通り抜ける。外へ出ても現在地がどこかのか定かにはならなかったが、少なくとも昨日リデルに案内された場所ではなかった。振り返れば、古びた屋敷の姿があった。
 リデルは外に出てくる前に一度振り返り、男の顔を水から解放する。男の意識はすでにないらしく、床に倒れ伏していた。死んではいない、と思いたいところが、確認する術は今のシンディにはない。
 リデルが先を走り、シンディもそれに続く。足の長さの違いから、シンディが全速力で走ればすぐにリデルを追い越すことになるだろうが、シンディにはどうすれば知っている道に出るかもわからないのでリデルの少し後ろの位置を保った。
 ざわざわと、人の声が徐々に増えていく。シンディが宿を出た時には眠っていた街は、もうとっくに起きて活動を始めていたようだ。
 リデルの速度が徐々に緩まり、やがて足が完全に止る。背中を丸め、荒く呼吸を繰り返す。

「ちょ、ちょっと、大丈夫……?」
「だ、だいじょうぶ、ですっ……こ、こんなに力いっぱい走ったのは、久しぶりなもので……っ、はぁ! もっとちゃんと、運動しないと、駄目ですね……」

 顔を覗き込めば、汗だくだ。もちろん、シンディも汗をかいている。なにせ今は太陽の季節。真昼間に比べれば朝は涼しいが、それでもすでに外を歩くだけで汗が流れ出しそうな気温だ。

「それよりも……ご無事で、よかったです」

 リデルは苦しそうにしていながらも、硬かった表情をほんの少し緩めた。

「あ、ああ……うん、何がなんだかさっぱりわかんないんだけど、未だに」

 苦笑すると、ふっと彼はまた表情を引き締めた。

「……すみません、私のせいみたいです」
「え?」
「その……去年、私が追い払った人たちの仲間らしく……貴女を人質にして、報復するつもりだったようです」
「……え、あれ海賊?」
「ええ。ご丁寧に、手紙に署名がありまして……」
「……放っておいていいの?」
「よくはないですけど、とにかくシンディさんを奪還することが先決だと思いましたので」
「あ、そうよ! なんで私のいる場所わかったの!?」
「一日一緒にいれば、魔力の判別は可能です」

 つまり、シンディの魔力を一番強く感じる場所を探し当てたということだ。
 ふと考える。同じことがシンディにも可能だろうか。もちろん師であるミランダであれば、問題なく探し当てることができるだろう。けれど、たった一日一緒に行動しただけの相手の魔力を辿ることは、できないかもしれない。
 ぐっと落ち込みかけて、いやいやと思い直す。魔力の判別能力にも個人差がある。もともと、シンディはそういった細かいことがそれほど得意ではないと自覚しているのだ。たまたまリデルが得意であるというだけで、今更落ち込むべき事柄ではない。と、言い聞かせるしかなかった。

「ひとまずギルドへ行きましょう。彼らの討伐は私たちの仕事ではありませんし、どのみち二人で飛び込むのは無茶です。荷物も、勝手かとは思いましたがすでにギルドに預けてありますので」
「あ、うん……ありがと……」

 思い直しても、ため息の一つくらいは落ちる。落としながら、頑張れ、負けるなと自分を励ますため、右手の中指にある指輪を撫でようとし、
 ――そして気付いた。

「……あ!?」
「っ、どうしました?」
「杖が……」
「杖……? あ、指輪ですか……」
「う、うん……うそ、なんで……!?」

 魔術師は、魔術を行使する際に杖を用いる。それは魔力の増幅、コントロールのためだ。杖が、というよりも、杖に含まれた魔鉱石がその役割を担うのだが。
 今はそんなことはどうでもいい。
 杖は基本的に大きい。いちいち持ち歩くには不便な代物だ。だから魔術師の大部分はそれを身につける何かへと一時的に形を変える。そこにいるリデルについても、先程から手にしている杖をシンディは初めて見たのだ。彼も例に漏れず、その杖を常に身に着けていられるような何かへと変形させていたのだろう。
 シンディは指輪にしていた。その指輪が、今はない。
 先ほど、自力で脱出しようとした時に感じた不安定さは、このせいだったのだ。しかしなぜ、いったいどこにやってしまったのか。シンディは呆然としながらもそこに思考を向かわせた。

「……もしや、とられた……?」

 ぽつりと、リデルがそうこぼした。シンディもはっとなって顔を上げた。
 浮かび上がるのは、シンディを捉えた海賊たち。シンディの杖は、一見すればただの指輪だ。彼らがそうと勘違いし、奪っていってもおかしくはない。
 さっと顔から血の気が引く。

「わ、私取り返してくる!」
「ちょ!? ま、待ってくださいシンディさん!」

 来た道を戻ろうとすると、すぐさまリデルに手を取られた。

「放して! 取り返さなきゃ、あれがないと、私……!」
「わかっています! 杖がなければ魔術師としての仕事は遂行できない! 魔術師としては死活問題ですが、だからこそ今、魔術がほとんど使えないでしょう!」
「っ……」

 そうだ、取り戻すとは言っても、今のシンディは肝心の魔術が使えない。いや、使えることは使えるだろう。暴走さえ恐れなければ。しかしそれこそ、シンディにとって一番恐るべき結果でもある。
 リデルは正しい。今のシンディでは、あの場に戻ったところで返り討ちにあうのがせいぜいだ。わかっている。理解している。
 けれど、止まらない。心が、爆発しそうになる。

「……かって、ない」
「シンディさん……?」
「わかってない! そんなことどうでもいいのよ!」

 捕まっている時には流れなかった涙が流れる。
 あまりに自分が不甲斐なくて、悔しくて。
 リデルを振り返り、叫ぶように吐露する。

「あれはお師匠がくれたのよ! お師匠の杖、試験に合格したらお祝いにくださいって言ってて……本当にくれたものなの!」

 あの時、彼女は言った。本当にこれでいいの、と。せっかくの門出なのだから新しいものを用意するのに、と。
 けれど、シンディは頑なな程に彼女のお古を自分にと望んだ。使い古されて、いくつもの傷を負っている杖だったが、シンディはそれを望んだ。
 ちょうどその頃、ミランダは杖の新調を予定していた。だからシンディは今回の試験の前に、合格したらその杖が欲しいと告げたのだ。シンディにとって、魔術師の杖はミランダの杖、つまりその使い古された杖だった。それが目の前からなくなってしまうのが悲しかった。
 大事にする。ボロボロになっても、たとえ欠片になってしまっても、ずっと大事にするから、と。矛盾するようなことを主張して。ミランダは苦笑して。
 けれど、試験に合格して杖を渡された時には、とても誇らしげな顔をしてくれた。
 もちろん、このやりとりは二人の基本属性が一致していたからこそ成り立ったものだが。

「あれは……あれはお師匠の歴史なの、私にとってはお師匠の分身みたいなものなの! それを、海賊なんかに……!!」

 リデルは黙って聞いていた。手は放されないまま、彼は感情のままに泣くシンディを見ていた。通行人たちがなんだなんだと二人に視線を向けていく。

「……すみません」
「……ううん、こっちこそ、ごめん」

 リデルは少し気まずそうに言って、視線を少し落とした。シンディも吐き出すだけ吐き出したら少し頭が冷えて、自分がとてつもなく馬鹿なことを言っているというバツの悪さから視線を逸らした。しかもこんな往来で大泣きだ。十九歳にもなって、恥ずかしいにも程がある。
 ぐしぐしと手の甲で涙を拭っていると、

「少しだけ時間をください」
「……へ?」

 リデルはそう言い、それきり黙り込んだ。もちろん、シンディの手は掴んだままだ。
 時間をください。確かにそう言った。そしてその当人が全ての動きを止めた。
 どうしたのかと立ち尽くして待つことどれくらいだっただろうか。少しの冷静さを取り戻せば、周囲の視線が気になってくる。大泣きした十九の女と、その女の手をとりじっと動かない十三の少年。この奇妙な構図を彼らはどのように解釈しているだろうか。
 悶々と考えていると、ふいに背後から声が聞こえてきた。

「いたぞ!」
「あそこだ!」

 野太い男の声が二つ。はっと振り返ると、数人の男が剣を抜いた状態で真っ直ぐにシンディたちを目指してくる。気付いた通行人たちがいくつもの悲鳴を生む。それがどんどん近付いて来る。
 あれは、海賊だ。

「っ、リデル、あいつら……!」
「シンディさん」

 焦るシンディとは対照的に、凛と落ち着きを払った少年の声。
 リデルはシンディの手を放し、代わりにすうっとその手のひらをシンディに向けてかざした。
 そこから、光がすうっと円を描き、その内側に複雑な記述を羅列していく。

「魔術師が杖なしで魔術を使わない主な理由は、魔力の暴走を防ぐため、魔術の影響を術者が受けないため。その効果を魔術で完全に再現することは不可能と言われていますが……短時間であれば、可能性はあります」
「…………」
「ですが、これは即席の魔術です。どのような反作用があるかはわかりません。どの程度効果が出るかも。それでもよければ……」
「いいわ」

 迷っている暇はなかった。
 そして願ってもないことだった。

「大事なものを取り戻すためだもの、そのくらいの危険は目をつぶるわよ!」
「……では」

 リデルの魔力が描いた魔術陣が、リデルの手を離れ、すうっとシンディの中へ入り込む。途端、体中から力が溢れるような、不思議な感覚がシンディの中に満ちた。

「魔術師リデル、覚悟ぉ!!」

 襲いかかる海賊を振り返り、指で示す。
 集中する。
 安定している。
 不安感が、どこにもない。

「――《ザキ・アーク》!!」

 生み出した水が細く、矢のようにするどい軌跡を描き、襲撃者たちの身を貫いた。



 * * *



「へえ、それでお前さん、無事に杖を取り戻したのかい」
「はい、このとおりです!」

 海上、船の甲板。船内へと続く出入口前の屋根の下。シンディは愉快そうな顔をして笑う強面の船長に、指輪から杖の姿に戻ったそれを抱きしめ、精一杯の笑みを浮かべた。しかし引き攣っていることは隠せない。

「で、結局リデルの即席魔術の効果の程は?」
「威力は凄まじかったですよ、もしかしたら杖を使うより安定してるかも。でも……」
「ん?」
「ちょっと疲れました……」
「疲れた?」
「えーっと、どうもですね、コントロール制御と自身への防御は自分の魔力を割り振っていて……だから普通に魔術を使うよりずっと魔力を必要としているみたいなんです。そうよね、リデル」
「…………」
「ちょっと、リデル?」

 二度ほど、隣に座るリデルに呼びかけてみた。しかし返答がない。何かを考えているようだ。
 シンディはリデルの耳を引っ張り、そこに顔を近付けた。

「リ、デ、ルってば!!」
「わ!?」

 驚いたリデルは一瞬体を跳ねさせ、被害にあった耳を抑えた。

「もう、さっきから呼んでるんだから、返事くらいしなさい!」
「す、すみません……考え事を……」
「みたいね。何考えてたのよ」
「いえ、さっきの魔術なんですが……」

 さっきの魔術、とはもちろんシンディに掛けた件の即席魔術のことだろう。

「応用したら、一般の方にも使えないかな、と」
「……はい?」
「シンディさんみたいに潜在魔力がある方はあれでいいんですけど……でももうちょっと負担を減らしたほうがいいですよね。あまり魔力のない方であれば、運動能力を引き上げるとか……そうすれば、なにかしら危機的状況に陥っていた場合でも、一般の方も自分の身くらいはひとまず守れるようになるでしょうし……」
「……それが、考え事?」
「はい」
「……魔術ならまだしも、運動能力とか、できるの?」
「そこはこれから色々実験してみます」

 リデルは始終真顔だった。本気だった。
 即席であんな魔術を創りだすこと自体、シンディには驚愕の出来事だった。そこから更にこのような発想にたどり着くその能力には、もう頭が下がるばかりである。

「……リデルが天才って言われるの、なんかわかった気がするわ」

 呟くと、リデルは少々不満そうな顔をした。天才少年魔術師様は、どうやら天才と呼ばれることは不本意のようだ。十二歳という脅威の若さで難関試験を突破したくせに。
 ふいに、ドォンという鈍い音が鳴り響き、船がぐらぐらと左右に揺れた。シンディとリデルはとっさにベンチを掴み、船長も壁に取り付けてある手すりに捕まる。
 ばたばたと、船尾から船員が走ってきた。顔色はよくない。

「せ、船長! 海賊です!」
「ああ!?」
「今のは大砲でしょうか?」
「はいッス!」

 船長、リデル、シンディの順に船尾へと向かう。そして、フォロンの方面から追いかけてきているらしい船を確認した。

「あの船……あの人達ですね」
「しぶっといわねえ……」
「いきなり大砲たぁなぁ……おい、あれどうにかできっか?」
「どうですか、シンディさん。できますか?」
「あったりまえよ! 体もちょっと回復したからね!」

 シンディは前に出て、杖を構えた。その数歩後ろで、船長とリデルが言葉を交わす。

「なんだ、お前は見てるだけか?」
「フォロンのギルドに連絡はしますよ」
「じゃなくて……あの子一人に任せちまっていいのかい?」
「大丈夫ですよ。フォロンで海賊とやりあった時に気づいたんですが……」

 シンディは目視で狙いを定める。
 標的は、海賊の船。

「――《トゥルメン・アーク》!!」

 その声に呼応して、巨大な水球が船尾の鼻先に浮かび上がり、次にとてつもない速度で海賊船めがけ突進し、そのまま正面衝突を果たした。
 古語で、トゥルメンは大砲を、アークは水を意味する。直訳すれば水大砲。大砲には大砲、である。
 そのたった一撃で海賊船は大破。野太い悲鳴が広い海原へと散った。

「……シンディさんって、大技が得意なんですよ。逆に繊細なコントロールを必要とする魔術はあまり得意ではないようで」
「……疲れてるってのにこの威力たあ……全快したらどうなんだ、いったい」

 顔だけ少し振り返ると、リデルは肩を竦めているだけだった。杖を指輪へと変え、体ごと振り返る。

「終わったわよ」
「お疲れ様です。ギルドへは先程連絡を飛ばしました」

 上空を見ると、輝くような蝶々の姿が、ひらりひらりと優雅に舞い飛んでいた。きっとあれはリデルが連絡用に飛ばした使い魔なのだろう、とシンディは確認もせずに納得する。

「ま、あんだけ派手にやりゃあ、この旅路じゃもう襲ってくる奴はいねえだろ。二人共休憩してていいぞ」
「私は甲板に残ります。シンディさんはお疲れでしょうから、ゆっくり休んでください」
「お前も休めばいいのに」
「仕事ですから」

 リデルは頑なに首を横に振った。船長は肩を竦め、せめてシンディだけは休むように言う。シンディとしては仕事を途中放棄するようであまり嬉しくはなかったが、疲れているのは事実だ。仕方がないので二人の言葉に甘えることにした。
 船長に部屋まで送ってもらっている道中、不思議に思っていた事がぽろりと口からこぼれる。

「リデルってば、なんで私を助けてくれたのかしら。杖をすぐさま取り返したいなんて、私の個人的なわがままだったのに」

 先程の態度からも、リデルが仕事に真摯に取り組んでいることは読み取れた。だからこそ、仕事とまったく関係のないシンディの気持ちを汲んでくれたことが不思議でならなかった。
 ほとんどひとりごとだったのだが、船長は少し考え、シンディに聞く。

「その杖、個人的に大事なものなのかい?」
「はい。お師匠のお古なんです」
「ははあ……なるほどな」

 船長は納得したらしく、気持ちよさそうに笑った。

「あいつも自分の師匠大好きだからな、そりゃなんか思うところもあったろうよ」
「リデルも?」
「師匠っつーよりも、親代わりらしいがな。だからこそ、思い入れも強いんじゃねえか?」

 目を丸くして、少し納得した。
 その関係は少しだけ、自分とミランダに近いのかもしれないと、そっと思ったのだ。

「ともあれ、お疲れさん、シンディ」

 改めて声をかけられ、きょとんとする。気が付くともうシンディに貸し与えられている個室の前に来ていた。
 慌てて頭を下げる。

「あ、はい! ていうかすみません……私事で疲れてしまって……」
「いいって、いいって。多分お前さん、どっちにしろ疲れてたろうからな」
「え?」

 再度きょとんとして、船長を見上げた。
 船長はにっと笑い――――。



 * * *



 その後は何事もなくリオールの港へと辿り着いた。その連絡を受け、シンディは荷物を持って甲板へと出て、ベンチに座っていたリデルを見下ろした。

「審査、だったんですって?」
「……船長さんですか」

 リデルは小さく笑った。
 部屋の前で、船長が説明してくれた。毎年この季節あたりには、新米魔術師の中間審査が行われるのだと。水か風が基本属性、つまり一番得意とする属性である者は貿易船、火か地が基本属性の者は陸路を行く商隊の護衛任務に同行。そして先輩魔術師から試験が課されるのだと。もちろん、課される側の新米魔術師は何も知らない。今回のシンディのように。
 この審査日程には個人差があり、特定条件をクリアすることでギルドが予定を組む。ギルド経由の依頼を規定数問題なくこなせたら、など。しかしその詳細はギルドの職員以外には知らされていないようだ。先輩魔術師も、ギルドからそういう依頼が来て、それを受けるだけなのだという。
 そうして審査を担当した先輩魔術師がその実力を認めれば、こうした商船や商隊の護衛任務など、任される依頼の幅が広くなる、という仕組みになっているようだ。

「本当は、朝から出港までの時間を使ってちょっとやるつもりだったんですが、思わぬ事態が発生したので……」
「仕切り直し?」
「いいえ、終了です」

 その言葉に、きょとんとした。

「貴女の実力は十分わかりました、シンディさん。貴女なら、護衛系の任務でも問題なくこなせると思います。船長さんも、貴女なら大丈夫だと思ったからこそ、審査のことを話されたのでしょう」
「え……えと……い、いいの? ちゃんとした試験、してない気がするけど」
「試験よりも大変だったと思いますよ」

 それは確かにそうだったかもしれない。思わぬ形で海賊とやりあうことになってしまったのだ。普通、試験で本物の賊を利用することはないだろう。

「本当は、探しものをしてもらうつもりだったんです。あちこちにトラップを仕掛けて」
「……それもそれで大変そうね」

 けれど、何を探させるつもりだったのだろうか。
 ふと考えた目の前に、小さな包みが差し出された。差し出しているのは幼い少年の手だ。

「差し上げます」
「へ……?」
「探し物として使う予定だったんですが、必要なくなってしまったので」
「あ、ど、どうも……」

 受け取って、首を傾げた。どこかで見たことのある包装紙だ、と思ったのはほんの一瞬のことだった。
 シンディがミランダにと購入したラプリスの石。それと同じ包装。
 思わず、確認一つ取らずにその包装を広げた。

「っ……これ……」

 取り出して、持ち上げた。
 シンディがわずかに心惹かれた、オレンジ色のラプリス。
 ベンチから立ち上がったリデルを見る。リデルは困ったように微笑んだ。

「遠慮はなしですよ。私が持っていても仕方のないものですから」

 つまり、最初からシンディに渡すつもりだったのだ。
 シンディがこの色に惹かれていることに気づいていて。

「さあ、降りましょう。日が暮れる前にギルドに行かなくては……」
「リデル」
「は、……!?」

 ちゅ、と小さな音がした。それはリデルの頬から。シンディの唇から。
 そうっとリデルから離れる。リデルはぽかんとして、何が起こったかわかっていない様子で自分の左頬に手を添えた。

「お礼、ね」

 笑って、自分の唇に指を添える。
 リデルはようやく事態を理解したのか、ぶわっとその幼い顔を真っ赤に染めた。
 その反応があまりに歳相応で、可愛らしく思えて、シンディは思わず笑ってしまった。



END.
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