第5話 それから
02 未来への決意
解散の号令がかかり、いつもなら部室で雑談しながらのんびり着替えるのだが、今日は城井を待たせているので俺はひとりぱぱっと着替えを済ます。
かばんを担ぎ、部室のドアを開ける。
「そんじゃ、俺城井と話して帰るから、お前ら先、……」
言葉が中途半端になった。くん、と上着の裾を引っ張られる。遠慮がちに。犯人は御端だ。
御端の、ちょっと珍しい自己主張に、俺はちゃんと向き直って尋ねる。
「どした? 御端」
「あ、あの、あのっ……か、帰り……!」
「ああ、だから先帰って、」
「ダメ!」
至近距離で大声を出され、思わずのけぞる。他の連中も、着替えの手を止めて、驚いた様子で俺たちを見守っていた。
「い、一緒に、帰る、んだ! みんな、一緒に! ひとりは、ダメ、だ!」
必死に言い募る。縋るように取られた服の裾を見る。
俺は真嶋ほど御端に対する理解力はねーから、御端の真意まではわからない。けれど、御端がなにをしたいのかくらいは、わかる。
「……わかった。じゃ、チャリ置き場ででも待っててくれ」
「っ、う、うん!」
こくこくと何度も繰り返し頷く御端に、一回でいいだろ、と苦笑して、改めて部室を出た。
* * *
城井は、グラウンドの横を通る道の脇に設置されているベンチに腰掛けていた。俺は無言でその隣に腰を下ろす。
「私、井澄くんに、謝らなきゃならないことがあるの」
城井は唐突にそう切り出した。
横顔を見る。城井はこっちを見ようとしないが、その顔は申し訳なさそうに見えた。
「御端くんが見つかったの、私のせいなの」
「……はぁ? お前、なんかしたのか?」
「逆。なにもしなかった。それが原因なんだよ」
城井の言っていることがよくわからず、俺は余計な口を挿まないで次の発言を待つだけにした。
「御端くんには封印をかけてあったの、覚えてる?」
「……忘れるわけねーだろ」
その解除込みでな!
あの後、みんな気を遣ってくれているのかその話には触れないでくれているが、忘れられるものじゃない。御端の封印を解除するために、俺は御端と、キスをしてしまったのだ。
御端はさ、こっそり「ありがとう」って言ってくれたけどさ。俺、あれが初めてだったんだぞ。御端だって初めてだって言ってたぞ。
……そりゃ、まあ、吐き気がするほど嫌だったわけじゃないけど。むしろ気持ちよ……いやいやいや、なに血迷ってんだ俺、正気になれ俺!
「……その封印ね。あの時点で、ていうかとっくに、《姫》の気配がわかっちゃうくらいに綻んでたんだよ、実は」
「ああ……そういや、《ナイト》たちに反応してどうとか言ってたな」
「うん。重ねがけでもしておけば、御端くんは今も、なにも知らないままでいられたかもしれない」
そういうこと、か。
俺はため息を隠さなかった。改めて城井の横顔を観察する。それはものすごく後悔している顔だ。そして、神妙に俺からの裁きを待っている顔だ。
「……あのさ、城井。それ、なんでしなかったんだ? 重ねがけってやつ」
「え……?」
「気づいてたのにそうしなったってことは、なんか理由があんだろ。なんだよ。言えよ」
「それは……えっと……」
城井は、ここに来て言いにくそうにした。
「その、どうにか黒幕のしっぽくらい、つかめないかなぁ、なんて思って……」
「引きずり出す、じゃなくて?」
「うん……その、なんていうか……ここまでの経緯から相手がすごく慎重なやつだってのはわかってたから。自分にどんなリスクがあるかもわからないことはしないだろうと思って……。でも、その……相手の正体についての手掛かりがゼロだったじゃない。それじゃ、次の対策練れないなぁって……」
「ほー」
「……その、《ウィザード》と《ナイト》が揃ってるなら、《ゴル・ウルフ》以外の魔獣が送り込まれてもなんとかなるかなって思ってね……」
えらく評価が高いな、《ウィザード》も《ナイト》も。そういや、《ウィザード》は天才魔術師なんだったっけか。うーん、記憶なんて別に見れなくてもいいんだけど、なんかこういう部分はやっぱりちょっと不便だな。
「言いたいことはわかる。まあ、あのタイミングでああなっちまったのは運が悪かったな」
「……うん」
「でも、それはしょーがねーだろ。未来なんてわかるわけじゃねーんだしさ」
俺の言葉に、城井は驚いて、とうとう俺を振り向いた。
「つか、城井は長期戦覚悟だっただろ。それがどうしていきなりそんなこと考えたんだ?」
「……それは、そのー……」
城井は再び言葉を濁す。まあ、理由なんてわかりきってっけど。
「当ててやろうか。俺が一緒に戦うようになったからだろ」
「…………えぇっと……」
「気が大きくなったとかじゃなくて、見回りに付き合う俺の負担を減らしたかったんだろ」
「……うぅ。井澄くんは理解能力高すぎて困るよ。助かるけど」
「どっちだよ」
矛盾した発言に軽く笑う。
まったく、実に城井らしい理由だ。とはいえ、つまり根本の原因は俺にあったという点が、ちょっと苦い。
「なあ、城井。俺ら一緒に戦ってたんだ。相棒だろ?」
「……うん」
「だからさ、一人で抱え込むなよ。勝手に決めるな。どうせロクな方向に転がらねーんだ。これからはさ、御端もいるし、野球部の連中なら話が通じるだろ。誰かにちゃんと相談して、そんで決めろよな」
「……井澄くん……」
「わかったな? この話はこれで終わり! お前も、もう気にすんな」
「……うん!」
城井は、満面の笑顔だった。ひどく嬉しそうだ。なにがそんなに嬉しいのかはよくわからないけど、まあ、嬉しいならいいか。
「あと、御端にちゃんと謝っとけよ」
「あ、それはもう済んでるの」
「……へ?」
「御端くん、施設までお見舞い来てくれて。その時にちゃんと話したから」
「……あっそ」
思わず相槌がそっけなくなる。
御端が。あの御端が、ひとりで、見舞い?
たぶん、相手が城井だからひとりで行ったんだと思うんだけど。なんか御端がひとりで見舞いに行くっていうのがすごく珍しい行動に思えた。ひとりで、ってあたりが。
……って、ちょっと待て。
「お前、俺がメール送ったら『来るな』って返してきたじゃねーか!」
「でも御端くん来ちゃったんだもん。来ちゃったもんはしょーがないじゃん。私、まだそんなに動けなかったしさ」
……御端、お前意外とアクティブで恐いもの知らずだったんだな……。それとも相手が城井だからか?
「その時に御端くんとも話したんだけどさ……まあ、これで終わり、めでたしめでたし、ってことには、ならないと思うの」
「……だろうなー」
それには深く同意する。《ウィザード》たちが《こっち》に来たのは十一年ほど前だと、前に城井が言っていた。十一年だぜ、十一年。小学一年生だった子供が高校生になっちまうような年月だぞ。それだけの長い時間、相手は《姫》を探し続けるだけの執念の持ち主だ。一度くらい《道》が閉じたからって諦めてくれるようなやつじゃないだろうな。
「でも、特定の世界に《道》を繋ぐのは、たぶんそんなに簡単なことじゃないはずなの」
「そうなのか?」
「異世界間を繋ぐ《道》って、存在自体がものすごく不安定なんだよ。《ウィザード》のときは、《あっち》から逃げられればどこでもいいって思ってたからすぐに繋がったけど、相手は《こっち》に繋げられなきゃ意味がないからね。同じ手順を踏んでも、前回と同じ世界に繋がるとは限らない。特に今回は、《姫》の力で完全に《道》を閉じたから、《道》の残骸を再利用するっていうこともできないだろうし」
「……よくわかんねーけど……。もしかして、だいぶ時間稼げるのか?」
「たぶんね。もっとも、運よく……私たちにとっては運悪く、さくっと繋がる可能性もあるから、あんまり油断はできないけど」
「つまりわかんねーってことじゃねーかよ」
「そういうこと。だから井澄くん、御端くんから目を離さないでね」
城井は、にっこりと笑顔を浮かべて俺を見る。そして、立て続けに言う。
「進学するなら御端くんと同じところにしてね。大学なら、できれば学科とかも同じだとベストだけど、そこまで贅沢は言わないから」
「……待て待て待て! 俺の将来計画を勝手に決めるなよ! そんなん言うならお前が行けばいいだろ!」
「無理、私高校卒業したら就職する予定だもん」
「……あっそ」
まずい、それはすごい納得の理由だ。
城井は孤児だ。今は養護施設で暮らしていて、バイトをして稼いだ金のうちいくらかを施設に入れている。奨学金を利用すれば大学に入れないこともないだろうし、城井は絶対頭いいはずだから不可能じゃないと思うけど、それはやっぱりあんまり現実的じゃないだろう。さすがに高校を卒業したら施設も出るだろうし。そうなると、城井は自分の生活費を全額自分で稼ぐ必要性が出てくる。バイトで稼ぐ程度じゃ……難しいんだろうな、やっぱ。
……となると、俺はどうしても御端と同じ進路を歩かなければならないのだろうか。
「あ、もういっそ一緒に暮らすか」
「は?」
「三人で。同居。ルームシェアってやつ。あー、それいいかも。ちょっと楽しそうだし。家賃とか、一人よりルームシェアしたほうが割安だし。あ、もちろん高校卒業してからの話だからね!」
「……言われなくてもわかるけど。じゃなくて! なんっでそうなるんだよ! お前自分の性別考えろ!」
「あ、私ひとり女ってこと気にしてるの? 大丈夫、私は気にしないから!」
「気にしろ! なんか間違いが起こったらどうすんだよ!」
「……井澄くんとなんかあったら微妙かなぁ。でも御端くんとなら別に、」
「ちょっと黙れお前!!」
大きな声でその先を押し留めさせれば、城井は不満そうな顔をした。
「なにさー、いいじゃん別に。私、御端くん好きだもん」
あっさり言い切りやがったこいつ……!
わなわなと体が震える。なんでかは、自分でもよくわからない。
「……お前、《ウィザード》の記憶あんだろっ……その辺どうなんだよ!」
そうだ、《ウィザード》と《姫》がどうにかなるのは、城井的にアリなのか? それとも、記憶があってもそういう考え方はしていないのだろうか。
「え? 《ウィザード》も別に悪い気はしないんじゃない?」
「……は?」
「あー、そっかそっか。井澄くん、記憶ないんだもんね。それじゃわかんないか」
城井は一人で納得したように頷いて、それから俺に向けて、言いやがった。
「《ナイト》ってね、《ウィザード》にとっては恋敵でもあったんだよ」
「……はい?」
こいがたき? だと?
唖然とする俺に、にっと城井が笑った。いつもの、非常に性格悪そうな顔だ。
「性別が逆転しちゃったのは、なにも《姫》だけじゃないんだよね」
「っ、てことは、お前!?」
「《ウィザード》にとって《姫》って正真正銘初恋だからねー。まあそれは《ナイト》もだろうけど。《姫》のベクトルは完全に《ナイト》に向いてたもんだから《ウィザード》は手も足も出せなかったけど。私の場合は可能性あるかな。私は女で、御端くんは男の子だし。御端くんと井澄くんは男の子同士だから、井澄くん、ライバルにはならなさそうだもんね」
「ばっ、……!?」
……………………ま、
「ん?」
「なん、でも、ねぇっ……!」
待て。
ちょっと待て、俺! 今、今なに言いかけた!?
頭の中をよぎったセリフが脳内で何度もリピートされ、赤くなればいいのか、青くなればいいのか、わからなくなった。
「……まあ冗談なんだけどね」
「どれが!?」
「御端くんラブのあたり」
そこかよ! そこからかよ! 本気にしただろバカヤロー!
……なんか激しく疲れた。
「御端くんのことはほんと好きなんだけどね。別に恋人になりたいとか思ったことないし」
「そーかよ……」
「それに、好きな人別にいるし」
「……え!?」
「そんなに驚かなくても」
「あ、いや、悪い……」
けど、やっぱりなんつーか、意外だ。城井は御端を守ることばっか考えてるっぽい感じだったから、恋とか、そんなん考えてる余裕なんてない、とか思ってるもんだと思ってた。
とはいえ、これはいいことだ。今まで御端や俺のことでいっぱいいっぱいになってた城井には、この先、過去の悲しい事件すら飲み込めちまうくらいいっぱいいっぱい、幸せになってほしい。
「……誰? 俺の知ってるやつか? なんだったら協力するけど」
「お気遣いなく。てか、井澄くんは知らないと思う。御端くんなら知ってるかも」
御端が? 御端の知り合い? 俺が知らなくて御端の知り合いってことは、この学校のやつじゃねーよな。御端の中学時代……は、それこそこいつと接点ねーし。あ、施設のやつか?
「……まあ、実際に会ったことはないんだけどね。私も、御端くんも」
「……へ?」
……情報を整理しよう。
城井には好きなやつがいる。俺は知らないやつらしい。けど御端は知っている可能性があるらしい。ただし城井も御端も面識はないらしい。
……あの、弾き出せる答えは一つあるんだけど、さ……。
「……城井サン、それってまさか……」
「我ながら不毛なのはわかってんだけどねー」
からっとした笑顔で、遠回しに予想を肯定された。
つまり……城井の好きなやつは、《ウィザード》の記憶に刻まれている誰か、ということになる。
……マジでか!?
「お前、もうちょっと自分が幸せになれそうな道選べよ!」
「しょーがないじゃん、好きなんだもん!」
「だからっていくらなんでもっ、……っと」
上着のポケットに突っ込んであった携帯電話がブーブーと鳴った。短時間でバイブは途切れたので、メールを受信したようだ。
誰だ、と思いながら二つ折りのそれをぱくんと開いて確認する。
差出人、真嶋。
件名、なし。
内容、『はらへったー』。
……漢字使えあの馬鹿。
「なに?」
「真嶋。腹減ったからはやく来いってよ」
「あれ、もしかしてみんな待たせてるの? 引き止めてごめんね」
お互いベンチから立ち上がる。
「じゃ、また明日」
「なに言ってんだ」
「へ?」
手を振って、真っ直ぐ正門へ向かおうとする城井のその手をがしっと捕まえる。なぜそんなことを言われるのか、なぜこんなことをするのか、城井はまったくわかっていないらしく、戸惑った様子で俺を見上げてくる。
ったく、こいつはほんとに……。
ため息をついて、城井の手をぐい、と引っ張る。
「お前も一緒に帰るんだよ!」
すたすたと足を進める。城井からは抵抗も言葉もない。
ちらりと後ろを振り返って、視界に映ったのは、今までに見たことがないほどのすごい間抜け面で。
それは一秒後、たまらなく幸せそうな表情へと変わる。
城井はなにも言わない。俺もなにも言わない。
けど、掴んだ手首から、城井の喜びが俺まで伝わってくるようだ。
ずんずん歩き、チャリ置き場が見えてくる。そこに溜まっている、見慣れた野球部員の顔ぶれ。その中のひとり、御端が真っ先に俺たちの存在に気がつき、嬉しそうな顔を見せた。
唐突に甦る、さっき城井に向かって口走りそうになったセリフ。心臓がどくどく暴れる。
――馬鹿言うな、誰が渡すか!
……いやいやいや、まずいだろ、まずいよな、まずいってば、俺! ほんとこれはさすがにないって!
内心冷や汗で海ができそうなくらいだったが、にこにこと俺たちを待ち構える御端の姿に、一時的にだけどそういうのがどうでもよくなった。
野球部のやつらの中に御端がいる。笑ってる。失いたくないと願った日常がそこにある。そこには俺もいて。これからは、ずっとひとりだった城井の姿も加わる。それは御端の望みであり、俺の望みだ。
それでだけで、もう充分じゃないか、と思えた。
城井が言ったとおり、これで終わりなんかじゃない。俺たちはただ繋がっていた《道》を閉じただけで、根本的な問題解決には至ってない。いつかまた、戦う時が来るんだろう。
だから、刻み込む。忘れないように。いつか来るだろうその時に、守りたい大事なものを見失わないように。
陰のない笑顔と、小さな手を。
(道はもうとっくに決めていた。だから後は、走り抜くだけだ)
【完】