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第2話 リデルとカイル
04 謝罪



 * * *


 私には感情があり、私の行動には感情が大きく関係している。それは私に限らず、人間であればごくごく当たり前の事実であるのだが、時折この感情の存在に憂鬱になる。この憂鬱ですら感情であるのだから、どうしたって人間は感情を切り離して生きていけないものなのだと思わざるをえないのだが。
 感情というものは時として暴走し、その結果は多くの場合後悔が標準でついてくるのだ。感情の暴走というものはつまり冷静さを欠いた状態であり、時間の経過につれて感情の波は低く穏やかになり、冷静さを取り戻す。そこで考えるのだ。「なぜあんなことをしてしまったのか」と。
 それがまさに、今の私の状態だった。
 一日置いて前日のことを振り返ってみると、自分のことだというのにわけがわからなくて頭を抱えたくなった。
 どう考えても、昨日のカイルさんの言葉はそこまで神経に触れるものでも、心を揺さぶられるものではなかったはずだ。少なくとも、以前までの私はそうだったし、今の私もそう考えている。面と向かって家族のことを聞かれた経験は実のところないのだが、同情するような視線は頻繁に向けられていたし、それについては大して気にすることもなかったのだ。
 父はいた。母もいた。二人はなんらかの理由で私を捨てた。捨てられた私は先生に拾われた。先生に出逢ってのからの時間は、幸せ以外の言葉では表現できない。何度考えても結論はそこにたどり着く。
 だと言うのに、どういうわけか昨日はカイルさんの言葉が神経に触れ、心が揺さぶられた。それがなぜなのか、何度考えてもわからない。
 ため息をついて、ベンチの背に体重を預けて空を見上げる。心が晴れるような快晴……とはいかなかった。今日はあいにくの曇り。重たそうな雲が空の色を隠しており、そのうち雨が降りそうな匂いがしてきた。
 雨に降られる前に帰りましょうか。
 公園の隅、ベンチから立ち上がって自宅を目指す。
 室内にこもって本でも読んでいるかお菓子を作っているかのどちらかが基本的な空き時間の過ごし方なのだが、こもってばかりは体に悪いと言う先生に連れられて散歩に出ることを繰り返すうちに、一人でも特に予定のない日はこうして散歩に出かけることが習慣づいていた。
 今日に関して言えば、自宅で一人考え込んでいてもなにも浮かんでこないので出てきたのだが、これもあまり効果がなかったようだ。後悔で気が重い。
 商店街通りの前を通った頃には、案の定ぽつりぽつりと雨が降り出し、行き交う人々の足が更に忙しなくなる。
 なんてことのない、雨の降り始め。
 すれ違ったある親子の姿も、やりとりも、なんてことのないものだった。

「ママ、ママ! パパ喜んでくれるかな!」
「ええ、きっとね。さ、早くおうちに帰りましょう」
「うん!」

 一人の少女と、一人の女性、つまり母親の二人連れだった。
 なんとなく振り返ってみれば、母親と少女は仲良く手を繋いでいた。少女にも母親にも笑顔が浮かんでいた。きっと父親になにかプレゼントでも購入したのだろう、とぼんやり考えた後に、自分の中に生まれたしこりに気がついた。
 言葉にすれば、それは「うらやましい」だった。


 * * *


 カイルさんが再び姿を見せたのは、なんとも言いがたい雰囲気で別れてから三日目のことだった。
 時は昼過ぎ。場所は我が家の玄関先。ひどく申し訳なさそうな顔をして立ち尽くすカイルさんに、私はどうしたものかと立ち尽くして考えた。彼がここにいる意味も、その表情の理由も私には見えてこない。そうなると、私にできるのは彼の次のアクションを待つことだけだった。
 ……むしろその顔をしなければならないのは先日とげとげしく彼を帰した私のほうなのではないでしょうか。
 とにかく動きようがなくてじっと待っていると、カイルさんが重たそうに口を開いた。

「……悪かった」
「はい?」

 謝罪の意味が、理由がわからず、反射的に聞き返していた。カイルさんは俯いたまま、視線を横に逃がす。

「家族、のこと……団長に、聞いた。俺、なにも知らなくて……」
「……ああ」

 納得しかけて、すぐにそれを打ち消した。
 謝らなければならないのは私のほうなのだ。
 二日前にすれ違った仲が良さそうな母娘の姿に、私は疑いようもなく羨望を抱いた。少し前まではそんなことを考えもしなかったのだが、確かにあの日、私はすれ違った母娘に対してうらやましいと思ったのだ。
 実の両親に捨てられてから独り立ちするまでの間、傍にはずっと先生がいた。独り立ちしてすぐは、環境の変化に慣れるので精一杯、その後は先生に追いつこうと急いたり迷ったりと、気持ちに余裕がなかった。シルヴィア姫と出逢ってからは、姫としょっちゅうお茶をしていたので気づかなかった。
 姫がいらっしゃならなくなったことで時間に余裕ができ、姫が与えてくださった心の余裕が表面化した。隙ができた、とも言えるかもしれない。
 実の両親に捨てられたことを恨みはしていないというのは嘘ではない。先生と出逢えたことを幸運だと思っている。
 けれどやはり、捨てられたことによる寂しさはしっかり根付いていたのだ。私が奥深くにしまいこんでいただけで。
 カイルさんのご家族に逢ったことはないが、カイルさんの話を聞くだけでも仲が良さそうに思えた。父親がいて、母親がいて、頼ったり頼られたりすることが自然で、当たり前のつながり。家族という関係性。私は捨てられ、それを失った。それを当たり前に持っている目の前の男がうらやましくて、そんな男から無遠慮に家族のことを聞かれたものだからつい言葉にとげがはえてしまったのだ。
 ……もしかすると、これまではあえて考えないようにしていただけなのかもしれない。
 私はもしかしたら、先生と魔術以外のことに興味を抱かないようにすることで、自分を守ってきたのかもしれない。
 それは、とても卑怯な臆病者の心理だ
 その真相がどうであれ、あの日のカイルさんへの態度は完全な八つ当たりでしかないことに違いはない。彼に非はないのだ。私の身の上話が周知になっているのは城壁の内側で生活している者たちの間での話であって、これまで街の中で過ごしていたカイルさんが知らないのも無理はない。彼には一片の悪意もなかった。あったのはちょっとした純粋な好奇心だけだったのだ。

「いえ、気にしないでください。……その、私も、言いすぎたような気がします、し……というか、ええと……こちらこそ、すみませんでした」

 そう答えれば、彼はあからさまに安堵して、次いで不満そうに私を見た。その視線からでは彼の意図を汲み取ることができず、なにが言いたいのかと思っているうちに、彼の口が開く。

「つか、あんたも悪いんだからな! 言いたいことはあんならちゃんと言えよ! じゃ、なくて……言ってくださいよ!」

 やはりどう考えても、丁寧な敬語を剥ぎ取ったこちらの態度のほうが彼の本来の姿だ。
 どうやらカイルさんは、感情が大きく揺れると素が出るらしい。律儀に言い直してまで私に敬語を使おうとする彼に嘆息する。

「いちいち言い直すくらいなら、敬語は取っ払ってしまったらどうですか?」

 聞いていて鬱陶しいので。とは、さすがに言わなかったけれど。
 ようやく思っていたことを言ってやれば、カイルはぽかんとして、それからにっと笑った。

「そうそう、そうやっていろいろ言ってくれよ」

 それはまるで、いたずら好きな子どものような顔だった。その顔にさえ、なんだかもやもやしたものが溜まっていく。
 意識して、言葉が無機質になり過ぎないように注意して、言葉をつむぐ。

「……用はそれだけですか?」
「おう! 休憩時間に飛び出して来ちまったから、もう帰るな!」

 来た時とは打って変わって元気に背中を向けて走っていく様には、呆れさえ感じる。
 なんですかあの単純な生き物は。
 まあいい。彼が単純だろうが複雑だろうが私には関係のないことです。そう切り替えてドアを閉めようとした時、

「また夜に来るからー!」
「……は?」

 突然大きな声で宣言されて、動きを止まった。
 ……なんで?


 * * *


 夜になってから、宣言通り再び訪れたカイルさんは、玄関先で私に葉っぱの詰まった瓶を一つ差し出した。見慣れたものだった。茶葉の瓶だ。

「お茶……?」
「そ! 団長からな。いいお茶が手に入ったから届けてくれって言われてたんだ」
「ああ……」

 納得して、カイルさんから瓶を受け取る。
 そういえば、姫が頻繁に遊びに来ていた頃に、ハンスさんに「いいお茶があったらわけてほしい」と頼んでいたんでしたっけ。
 私はあまりお茶にこだわりがないし、ハンスさん自身もお茶に詳しわけではないのだが、彼の奥方はお茶にこだわっていると聞いていたので、彼に頼んでみたのだ。
 カイルさんの本日二度目の来訪はこれを私に届けるためらしい、のだが。

「……あの、カイルさん……一度で済ませられなかったんですか?」

 これだけの用件だったなら、昼か夜のどちらか一回で済ませられたはずだ。城壁の向こうからここまで二度もやってくるのはかなりの手間だろうに。
 聞いてみれば、カイルさんは照れくさそうに後頭部をかいた。

「いや、俺も最初は一緒に済ますつもりだったんだけどさ。昼前にリデルのこと聞いて、そしたらなんか、訓練に集中できなくなっちまってさ。遊んでんじゃねえって団長たちにむちゃくちゃ怒られちまって。これはもう、とっとと頭下げに行かないと、って思って、昼休憩ん時に抜け出してきたんだ。でも、それ宿舎に置いてたから取りに行く暇なくて。ま、おかげであの後の訓練はちゃんと集中してきたぜ」
「……はあ」

 いつの間にか呼び捨てにされていた。まあいいですけど。
 私の生返事を聞き、カイルさんが不満そうな表情に切り替える。

「あ、それ。その『はあ』って返事やめにしろよ。言いたいことあったら言う!」
「……じゃあ言いますけど。単純なんですね」
「あー、それよく言われる」

 へへ、とどうしてか楽しそうにカイルさんが笑う。

「あ、あと、俺のことはカイルって呼び捨てにしてくれよ! 『カイルさん』って呼ばれるの、実は違和感ありすぎて鳥肌たっちまうんだ」
「そこまでですか……。まあ、べつにいいですけど」

 カイルさん……カイルが悪いひとでないことくらい、人付き合いの経験が少ない私にだってわかる。
 わかっている。
 心からの笑顔、心からの感謝。いつもならくすぐったくて、少し居心地が悪いと思っても、息苦しいほど胸が詰まったりすることはない。なのにカイルのそれは、もやもやとしたものが一緒についてくる。重いものが溜まっていく。
 なぜカイルだけ?
 考えても答えは出なかった。答えを導くために必要な情報が欠けているとしか思えない。最初から欠けているものだから、なにが足りないのかもわからない。完全に手詰まりだ。



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