TopText姫とナイトとウィザードと

第3話 疑問連鎖
02 不安の種



「……それよりさ、リデル! お菓子作ったらまた持ってきてよ」
「お茶を出していただけるなら考えます」
「……明るくなったっていうか、お茶目になったよね。いいよ、ばあやたちも一緒に、お茶にしよう!」
「あ……」

 その時ちょうど、視界に映ったものに声をあげる。姫の背後に立ったそれは、人間だった。年配の女性だ。孫がいてもおかしくない年だろう女性は、間違いなく城で働いている者だろう。第三者がいる前でいつもどおりに受け答えをしていいのかと悩み、口を閉ざす。

「リデル?」
「光栄でございますね、姫様」
「っ、げ!? ばあや!?」

 女性は姫に声をかけ、姫はその声に驚いて振り返った。姫が「ばあや」と呼ぶのは、姫を育てたという乳母おひとりだ。ということは、この方が、その。姫が今のように育ったのはこの方のおかげかと思うと、自然と強い感謝の念が浮かんでくる。
 当の乳母は厳しい目つきで姫を見ていた。しかしそこに蔑みの色は一切ない。

「『げ』ではありません! お勉強の時間だというのにお部屋にいらっしゃらないので、探し回りましたよ!」
「あ、あはははは~……」

 乾いた笑い声だけで姫が答える。勉強の時間が迫ってきていることは気がついていたのでしょうね……。乳母の方もそのことに気がついたのだろう、形のいい眉がぴくりと跳ねる。お叱りを受けているのは自分ではないと頭で理解はしているが、体は勝手に反応し、姫と一緒にびくりと小さく震えた。

「明日からは、お勉強が終わるまで、無用な外出を禁止にしましょうか、姫様」
「っ、ごめん、ごめんなさい! 明日はちゃんと時間前にお部屋に戻ります!」
「……はあ、まったく」

 乳母である女性はため息をついて、改めて私をまっすぐ見据えた。姫に向けられていた怒気は収まっていた。なんとなく入っていたらしい肩の力が少しだけ抜け落ちる。

「魔術師のリデル・ホワイト様、でございますね。わたくし、シルヴィア姫様の乳母を務めさせていただいているローザ・スミスと申します」
「あ、はい。……はじめまして……ですよね?」
「ええ。お会いするのは初めてです。けれど、姫様からいろいろお話を伺っているせいか、初めてという気がしませんわね」
「私もです。姫から聞かせていただいたお話の半分は、あなたのことでしたから」
「あら」

 私とローザさんは、二人して姫に視線を向ける。姫は恥ずかしそうに明後日の方向へ顔をそらしていらした。それははたして、私にローザさんの話を多くしていたことを本人に知られたことが恥ずかしいのか、ローザさんに私の話を多くしていたことを私に知られたことが恥ずかしいのか。
 両方、でしょうかね。
 そういえば、私の話をしているということは、ローザさんは姫が度々私の元を訪れていたことを知っているということでしょうか。姫がそうと言われなくても気づかれていそうな……。だとして、なぜ私に対して苦言が出てこないのでしょう。
 小さな疑問にとらわれている間に、姫がじりじりと窓から離れる。

「わ、私勉強しなきゃ! じゃあまたね、リデル! ばあや、私先行くね!」
「あ、こら姫様! レディが廊下を走ってはなりません! リデル様、それでは失礼します!」

 おてんば娘とそれに悪戦苦闘する母親の図、ですね。
 傍から見ていれば微笑ましい光景だが、走る姫を追いかけなければならないローザさんからしてみればそれどころではないだろう。
 私にとって先生が育ての父なら、ローザさんは姫にとって間違いなく育ての母ということになるだろう。だと言うのに、二人の姿はまるで本当の親子のように思えた。
 私は、普段は出さないような大きな声を出した。

「次はもっと多めにお持ちしますね!」

 走っていく姫とローザさんが驚いた顔でこちらを振り返る。なにを、とは言わなかったが、それでも姫にはわかったのだろう。遠目にも、姫が顔を輝かせたのがわかる。

「リデル大好きー!」
「……知っています」

 最後の一言はきっと、姫までは届かなかっただろう。小さく口を動かしてこぼしたものだったから。
 姫は確かに私を好いてくれている。けれど、それは私が姫を慕うようなものではなくて、友人に対する純粋な好意だ。それと知っているから、理解できているから、それがほんの少し切ない。
 私はまた走っていく姫とそれを追いかけていくローザさんに手を振って。
 ふと、気がついた。
 もしかして、姫には護衛がついていないのではないでしょうか。
 通常、王族は一人につき最低二人は護衛をつけている。王族と言うだけで、身の危険は数え切れないほどあるのだ。私は姫の兄君にも姉君にもお会いしたことがあるが、彼らの傍には必ず、剣を携えた者が一人と魔術師らしき者が一人が無言で控えていた。
 当時、私には彼らがそうして控えている意味がわからず、側にいた先生に「彼らはなんのためにいるのですか」と尋ねた。先生は、「護衛のためですよ」と教えてくれたのだ。
 王族は、基本として単独行動というものはとらない。護衛は、私室までは入ってこなくても、部屋の前で必ず見張り番を行う。当然、一日中張り付いているわけには行かないから、何人かで交代して務めているだろう。たとえ城内であろうと、移動すれば彼らは黙ってついてくるものだという。
 私が、「王族に自由はないのですか」と問えば、先生は難しそうに笑って、「そうしなければ安心して暮らしていけないのですよ」と答えた。
 いくら城の警備を強くしていても、王族を快く思わない者が放った刺客がどこかしらの穴を見つけて潜り込んでこないとは言い切れない。すべてが完全、などというものは存在しないのだ。
 けれども、間違いなく王族のはずのシルヴィア姫はここにはかならず一人でいて、少し前までは頻繁に王城、どころかその敷地から抜け出して繁華街の片隅に存在する私の家までいらっしゃっていた。それについてきている者の姿はなかったし、抜け出した姫を探して回るのは通常の騎士のようだった。そもそも、護衛が存在するのであれば姫の脱走をそう簡単に許すはずがない。
 シルヴィア姫には、護衛がいない。
 ……これは、どういうことでしょうか。
 魔術が一つも使えないとはいえ、彼女は間違いなく王族の一人だ。だというのに、この扱いの差はなんなのか。
 むしろ、魔術が扱えないからこそ、ほかの誰よりも護衛が必要なはずなのに。
 釈然としない。気味の悪いなにかが、胸の中におちてきた。
 からからとのどが渇く。
 この感覚はなんなのでしょうか……。


 * * *


「リデル?」
「っ、……あ、はい。なんでしょう、先生」

 かちゃん、とカップとソーサーがぶつかって細く高い悲鳴を上げた。
 依頼された薬草を先生の仕事部屋まで届けに来て、その場で誘われるままに先生とお茶をしていたのだが、すっかり思考が沈んでしまっていたようだ。
 いくら慣れ親しんだ相手とはいえ、失礼なことをしてしまいました……。

「なにか気になることがあるのですか?」
「え……」
「リデルはなにか気になることができると、そのことばかり考えますからね、昔から」
「……すみません」
「かまいませんよ。集中力があるのはよいことです。もしよければ、今度はなにがリデルの興味をひいたのか、教えてくれますか?」

 先生はいつも、私が煮詰まっていると、それを見透かしたようにこうして話を促してくれる。そして、私の疑問に、先生は答えてくれる。昔からそうだったから、それが当たり前のように思っていた。
 カップをソーサーと一緒にテーブルに置き、両手を膝の上に載せる。

「……シルヴィア姫のことなのですが……」
「シルヴィア姫?」

 かちゃん、と今度は先生のカップとソーサーが音を立てた。先生の声が、一段低くなったようにも聞こえた。
 どきり、と胸が鳴った。それは決して心地のいいものではなく、嫌に緊張する類のものだった。

「……先生?」
「……リデルは、シルヴィア姫と交流がありましたか……?」
「え、あ、はい。以前、ひと探しの依頼にいらっしゃって……結局その依頼は引き受けられなかったのですけど、それ以来時折話を……」
「…………」
「あの、先生……?」

 黙って俯いてしまった先生に呼びかける。先生に拾われて長い年月が経ったが、こんな雰囲気も、反応も、初めてのことだった。
 やがて先生は、私を見ないまま、言った。

「……シルヴィア姫との交流は、控えたほうがいいと思いますよ」



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