TopText番犬が行く!

07 小さな願い、闇に浮かぶ。



「……ここは本当に治安が悪いんだな」

 最後の一人である男を叩き伏せ、千里は感心したような呆れたような心持ちで呟いた。それを聞く相手は、小太刀の血を拭っている布貴しかいない。
 千里の呟きを聞いた布貴も、困った様子で首を傾げていた。

「いえ、ここらはもっと治安がよかったはずなんですけど……」
「そうなのか?」
「都に近ければ近いほど、こういった賊は減少する傾向にあります。役人を刺激してお縄を頂戴してしまっては元も子もありませんから」
「……ものすごく現実的な判断だ」

 知り合ったばかりの女・布貴とともに摘伽の都を目指して二日目。行程はある程度順調にこなされていると千里は考えている。
 布貴は二日歩けば到着すると言っていたが、まだそれらしきものは見えてこない。布貴が千里の怪我を気遣って歩くペースを落としている事がその理由に挙げられるだろう。
 そして、もう一つ。
 千里たちが撃退した男は、最初の一組を除いても、これで三組目だった。布貴は鎖鎌や小太刀を駆使し、千里は一振りのぼろ刀を振り回し、そんな男たちをなぎ倒してきた。
 千里が振るう刀は、もちろん本来は千里の持ち物ではない。最初の一組を撃退する際に咄嗟に拾い上げ武器とした刀、つまり元々はならず者の持ち物だ。
 患者服から着替えた千里に、布貴がその刀を差し出してきた。「それは自分のものではない」と千里は言った。「わかっています」と布貴は答えた。そうしてこう続けた。「しかしあなたは丸腰です、これから先何があるかわからないのだから武器はあったほうがいい」、と。
 返す言葉もなく、刀を受け取り今に至る。
 もう日が暮れかかっていた。これ以上大きく進むのはかえって危険だという布貴の言により、二人は近場にあった休憩所に身を寄せた。二人以外に人はおらず、貸切状態だ。
 布貴と旅を始めて二日が経った。この時間をともにした事によって布貴についてわかった事は、旅慣れている事と、戦い慣れているという事だった。
 近辺の雨風を防げそうな休憩所の所在は全て頭の中にあるらしく、布貴は迷う事なく千里を案内してくれた。簡単な罠を作り、それで捕らえたうさぎを捌き、火をおこして調理するところまで一人でやってしまう。千里ができた事と言えば、近くを流れる川から水を汲んでくる程度の事だった。
 すっかり寝る準備を済ませたところで、布貴は自分の武器を取り出し、手入れを始めた。すでに見慣れてしまった鎖鎌と小太刀、さらに懐から取り出した短刀を並べる布貴の姿を、千里はじっと眺めた。それに気づいた布貴が千里に視線を向けて首を傾げる。

「どうしました? 熱心に眺めて」
「……慣れたもんだと思って。ああいう事、多いのか?」
「襲われる事ですか?」
「いや、人を殺す事」

 千里の言葉に、きょとんとした表情を見せる布貴。千里はその様子を観察し、彼女にとってその行為がとても当たり前の事なのだという事を、なんとなくではあるが感じ取った。

「そういえば、千里は今日もずっと鞘をしたままでしたね」

 布貴の視線が千里の横へと向けられる。布貴から渡された、元はならず者の男が持っていた刀。最初に千里が拾った際には抜き身のままだったが、そのまま持ち歩くのは危ないと布貴が鞘まで回収してくれていた。千里は刀をきっちりと鞘に収め、紐を使ってがっちり固定し、鞘が抜けないようにしていた。
 戦う時も、ずっとそのままだった。

「……俺の世界じゃ、人殺しほど罪深い事はないからな」
「そうですか……そんなに違うものなんですね」

 どこかしみじみとした雰囲気を持って、布貴が呟くように言った。

「もちろん、こちらでも殺人は褒められた事ではありませんし、都でそんな事をすれば役人に捕まるのが普通です。場合によっては処刑される事もあります。ですが、ああいった者たちについては死んだとしても自業自得なんです。殺す気で掛かってこられたなら、襲われたほうが死に物狂いで抵抗するのは必然。こちらとしても自分の命がかかっていますから、殺さずに済ませる事はとても難しい。それに、下手に情けをかけた結果、逆恨みされて再び襲われてもたまりませんから……」
「殺してしまうのが最善手って事か……理屈ではわかるんだけどな」

 前髪をぐしゃりと掴み、千里はため息を落とす。
 それがこの世界の常識的な考えであり、違う世界からやってきた千里のほうが異端である事は理解している。理性は納得している。しかし感情から頷けない。
 千里にとって、殺人はこれ以上ないほどの悪行だ。ひめの件で叩きのめした不良たちも、あちこちの骨折はあったものの、命を奪うまでには至らなかった。人を殺す。それは良識的な人間であるための最後の砦のような気が、千里にはするのだ。
 もっとも千里自身は、ひめに絡んだ不良を血みどろのぼっこぼこにしてしまった自分をはたして良識的な人間といえるのかどうか、まるで自信がないのだが。
 それに、昨日今日で、人が殺される光景を目にする事に慣れてしまった。自分でする気にはなれないが、布貴がする分には「まあしかたがない」と思えるようになってしまったのだ。ニュースなどで見る度、とてつもなく嫌悪した行為だというのに。
 突然色々と通常の理解範囲を軽く飛び越えるような事態が発生し、千里の神経はどこか麻痺してしまったのかもしれない。
 ……千里や布貴に向けられた男どもの眼があまりにも下卑ていて気持ち悪かったせいも多分にあるかもしれないが。
 難しい顔をする千里に、布貴は柔らかく苦笑した。

「こちらの常識全てに考えを合わせる必要はありません。あなたは旅人。偶然常識の違う世界に迷い込んだだけの存在。できうる範囲で合わせたらいいのです。ただ、こういう事が続けば、あなたもいずれ人を殺す事があるかもしれません。その時は、自分を責めない事です。あなたを襲う相手はあなたを殺すつもりで襲っている。その相手を殺しても、あなたは自分の身を守っただけの事。一番してはいけない事は、殺す事を躊躇した結果、自らを死なせてしまう事です」
「……ああ」

 千里は鞘に収まっている刀をぎゅうっと握りしめた。
 死ぬわけにはいかない。千里は今、ひめを探し出し、取り戻すために存在する。そして、これからも守り続けるために生きる。たとえどんな罪を犯そうと、ひめを守るために、千里は死ぬわけにはいかないのだ。
 真剣な瞳で諭した布貴を見る。少女と呼べるほど幼くはない。千里より確実に年長であろう彼女は、自らの身を危険にさらしてまで、旅をしている。

「……布貴は、なんで旅を?」

 踏み込むまい、と最初は思っていた。しかし、知りたいと思い始めていた。ただ一人で旅を続け、人を殺してまで旅を続け、彼女が何をしようとしているのか。
 話したくなければ、彼女なら適当にはぐらかすだろうと予想した。そして彼女は、嫌悪一つ見せず、簡潔に語った。

「探し物をしているんです。私の生家で管理していた品なのですが……百年以上前に発生した争闘の折りに、姿を消してしまったのです。手掛かりが一つもないため、旅をして情報を集めているのですが、なかなか……」
「そっか……。俺の用事が片づいて、余裕があるようだったら、手伝うぞ。たくさん助けてもらってるからな」

 半分くらいは本気の本気でそう言った。布貴はきょとんとした後、緩く微笑んだ。

「ありがとうございます。期待はしません」
「……そこは社交辞令でも『期待してる』って言うところじゃないか……?」
「それでしたら、『余裕があったら』という一言は余計でしたね」
「うぐっ……」
「正直なんですね、千里は」

 布貴は楽しそうにくすくすと笑った。千里は黙り込むしかなかった。
 やがて、笑いを収めた布貴が、まるで千里の姉にでもなったかのように優しく言う。

「今日は昨日に比べてずいぶん進みましたから、疲れたでしょう。もう寝てください」
「布貴こそ。見張りは俺がしてるから、今日は先に寝ろよ」

 この世界での旅は、基本的に一人で行うものではない。今千里たちがいるような休憩所と呼ばれるような場所では、雨風や野生の動物は防げても襲いかかる人間までは防げない。戸は木造、大の男が数人で体当たりをすれば数分で破られるだろう。野宿なら尚更危険は増す。ゆえに、誰か一人を見張りに立てるのが常識となる。
 昨日は布貴のすすめで千里が先に眠り、布貴が見張りをしてくれた。その後、布貴に起こされ見張りを交代。時計など持っていないので、どれくらいの時間が経過したのかはわからないが、夜を半分にした割には短いように体感した。その前など、怪我で意識を失っていた千里を一晩看ていてくれたわけだから、寝ていないはずだ。今日は布貴を休ませてやろう、と考えた千里だったが、

「大丈夫、千里が先に寝てください。慣れない旅で、自覚している以上に疲れが蓄積しているはずです。私は心配入りませんよ。過去にはもっと無茶をした旅もありましたから」

 すべてを見通しているようにそう言われてしまえば、言い返す言葉も出てこなかった。
 千里は悔しさを歯で噛み砕きながら、仕方なく寝る体勢に入った。それから五分もしないうちに、千里はうつらうつらと眠りの世界に誘われた。布貴の言った通り、自分で思っている以上に疲れているようだ。生理的な欲求には抗う事はできず、千里の意識はそのまま沈んでいった。



 × × ×



 千里が眠った事を確認して、布貴は武器を手に取った。小太刀を腰に差し、鎖鎌を握って立ち上がった。
 音を立てないように戸まで歩き、外へ出る。すると、それを待っていたかのように、茂る草木の向こうから薄汚い男が二人、姿を見せた。
 つい先ほど、千里が気絶させた男たちだ。その眼は月明かりだけでもはっきりわかるほど、憎しみでぎらぎらとした光を放っている。

「てめえが、兄貴たちをっ……!」

 聞き飽きた恨み言が、一人の男の口から放たれる。布貴は表情を変える事なく、それを聞き流した。
 ならず者とて人間。信頼関係もあれば愛情を向け合う相手もいる。しかし、布貴はそれを知らない。知った事ではない。
 気にしていては、生き残れないのだ。

「うあああああっ!!」

 気持ちを声と刀に託し、男が二人、布貴に襲いかかる。布貴は躊躇なく鎖鎌を一人へと投げつけ、もう一人へと小太刀を手に駆ける。
 軽やかな身のこなしで男の一振りをかわし、脇腹を斬りつける。その間に、もう一人の男は鎖に動きを封じられ、そのまま鎌の先端で喉を貫かれていた。

「ぐ、おお、ぐあ……!?」

 驚愕が混ざった苦悶の声。まだ戦える、と立ち上がろうとした男は膝を折り、恐ろしいものを見る目つきで布貴を見た。布貴はその視線にちらりと振り向くだけで、喉を壊された男へと歩み寄り、その心臓を突き刺し、命を奪う。
 それを見せつけられた男は悔しさからか悲しみからか涙を流しながらも、倒れて動けなかった。脇腹の傷は深くない。しかし、それは確実に男の命を奪う傷であった。

「私は非力な女ですからね」

 布貴が刃についた血を払うように武器を小太刀を振る。

「だからこそ、生き残るための努力は惜しみませんよ」

 布貴は小太刀の刃に、毒を塗っていた。即効性とまではいかないが、それでも相当短い時間のうちに全身の自由を奪い、死に誘うものだ。
 女は男に比べて腕力に劣る。ならばそれを工夫で補えばいいのだ。
 襲われながらも誰も殺さない千里の事を、布貴は甘いと思う。生かせばこうして追ってくる。再び命を脅かす。その危険を考えれば、彼らの命は遭遇した時点で断つべきだった。
 だが、千里から話を聞き、ある程度の事は納得できた。
 千里はこれまで、真に死の危険に晒された事がない。相手を殺さなければ生き残れない、そんな状況に陥った事がないのだ。どうやら千里が特殊なのではなく、《天離界》という世界そのものがそういったものらしい。布貴からしてみれば千里の存在は特殊。しかし千里からしてみれば布貴を含むこの《天宮界》こそが特殊なのだ。
 空を見上げる。地を照らす月明かりは、ただ静かで、優しく、そして冷たい。布貴の体温まで奪っていくようだ。
 天離界は、天宮界に比べて平和な世界なのだろう。それが少し、羨ましい。
 視線を自分の足元へと向ける。動かなくなった人間が二つ。布貴はまた、生き延びた。
 死ぬわけにはいかない。布貴にはお役目がある。布貴を守るために死んだ者もいる。だから布貴は、誰を殺そうと、生き残らなければならない。せめて課せられた仕事を達成するまでは。
 布貴は小太刀をしまい、鎖鎌を回収し、二つの死体を移動させた。千里に見つからないように。
 千里を甘いと思う。まだ覚悟が足りないとも思う。だが、今はまだそれでいいような気もする。殺さずに生きていけるのなら、きっとそのほうがいいのだ。
 布貴だって、殺したくて殺したわけではないのだから。



 × × ×



 千里が気がつくと、そこは白い光りに溢れた世界だった。現実的に考えるとあり得ない世界に放り出された千里は、冷めた心地で目の前の少女を見た。

「……お前か」
『ははは、そんな嫌そうな顔をするでない。いじめたくなるだろうが』
「冗談には付き合わないぞ」
『八割本気じゃ』
「減らせ」

 浴衣を纏う少女は「どうするかのう」と愉快気に笑うばかりだ。千里は疲労のこもったため息を吐き出すしかない。
 そんな千里に、少女は意地の悪そうな笑みを崩さぬままに言う。

『摘伽での道程は順調のようじゃのう』
「……都ってところに向かってる。ひめはそこにいるか?」
『うむ。薄っすらとじゃが気配が感じられる。間違いないじゃろう。だが、どうも結界の類が働いておるようでな、やはり詳細な位置まではわからぬ。すまんな』
「……無事だろうな?」

 一番の懸念事項を尋ねると、さすがに少女も真剣な表情に変わった。

『……それもわからぬ』

 思わず眉間に皺を刻む。少女は動じない。

『手口からして何やらよらかぬ事を企てていそうではあるが……しかし死んではおるまい。気配は生きているからこそ存在するのじゃ』

 そこまで言って、少女はため息を吐いた。ひどく大人びた仕草に見えた。 

『どうも摘伽へ近付くほどに嫌な気配が濃くなる。あやかしの類か、それとも人間の手によるものかはわからぬが、あまり良い予感はせぬのう……』
「それに、ひめが関わってるのか?」
『それもわからぬ』
「オイ」
『仕方あるまい。ある程度推測するにしてもそのための材料がなければなんともならぬ。今は材料不足じゃ』

 少女は肩を竦め、千里もそれ以上は何も言わなかった。
 確かに、現状としてわからない事が多すぎる。この少女の発言にしても、気配だとなんだのと、千里の理解からは遠く離れた世界が根拠になっているように思える。
 そしてまた、ひめを連れ去った何かも、千里の理解が及ばぬ現象を引き連れていた。
 ひめを想う。多少の怪我は仕方がない。とにかく、どうか無事でいてほしい。

『……千里よ』

 少女が重く口を開いた。改めて少女を見る。深い黄金色の瞳に、強く惹きつけられる。

『この先、汝の力では太刀打ちできん事態が発生するやもしれん。その時にはワシを呼べ。必ずや汝の力となろう。ワシの名は……』



 × × ×



 ぱちり、と唐突に覚醒した。視界に映るのは木製の天井だけ。聴覚は梢の囁きを絶え間なく拾ってくる。
 むくりと体を起こし、そこが布貴によって導かれ、一夜を明かすために入った休憩所である事を確認し、大きなため息を吐いた。
 先程まで見ていた夢の内容を反芻し、首を傾げた。
 結局のところ、あの少女は何者なのだろうか。名前を教えてもらったような気もするが、どうにも思い出す事ができない。
 ふいに木の戸が音を立てて開いた。咄嗟に刀を手にして身構えるが、そこから現れたのは布貴だった。

「どうしました? まださほど時間は経っていませんよ」
「いや……なんかふっと目が覚めて。布貴は?」
「ちょっとした気分転換、でしょうか。気持ちの良い夜風でしたよ。月も綺麗ですし」
「へぇ……」
「もう少し寝ていて大丈夫ですよ。夜はまだ長いですから」
「……ああ」

 促され、千里は再度床に転がる。
 布貴の右手に鎖鎌が握られている事が気がかりだったが、千里は再び眠りの世界に足を突っ込んだ。
 今度は夢も見なかった。



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