10 すれ違う、一人と一人。
奈津は少しだけ自由な時間をもらい、町に来ていた。
こういう時に一緒に働く仲間たちからあれやこれやと買い物を頼まれるのはよくある事だ。注文の大抵は菓子などの嗜好品。稀に雑貨、日用品などもある。
それらの余分な用事を全て済ませてから、目抜き通りからはずれた小路にある、福満という名の小さな団子屋でお気に入りの団子をいつもより多めに購入した。
簡素な包装のそれを大事に抱えて移動する。その顔には抑え切れないとばかりに楽しげな様子がにじみ出ていた。
「ひめ様、きっと喜んでくださるよね」
ひめ、という変わった名を持つ、奈津よりも少しばかり年上らしき少女は、現在奈津が世話を任されている客人だ。
どこから来たのか、などの詳しい事情は知らない。奈津は働き始めたばかりの下っ端なので、そんな事を主人に尋ねる事さえ失礼に当たる。そもそも、奈津は主人と言葉を交わす機会すらほとんどないに等しいのだ。
わかっているのは「ひめ」という名前、容姿、そして性格の一面。
これほど可愛らしい少女が存在していいのかと思うほど可愛らしく、どこかの姫君だとしてもおかしくないように思える。しかし、どうやらそれはなさそうだ。彼女は「ひめ様」と呼ばれる事が不服そうなのだ。「そんな風に呼ばれた事なんてない」とも言っていた。姫君であれば生まれた時からそういった呼ばれ方をしているはずだから、慣れていないわけがない。
彼女は相当涙腺が弱いらしく、気が付くと泣いている。放っておくといつでもいつまでも泣いているのかもしれない。可愛らしいひめの涙を見たくない、それよりもっと可憐な笑顔を見せてほしい。ひめと会った最初から、奈津はそう願い続けている。
奈津はひめに出会えて良かったと思っている。ひめと出会ってまだ一週間程度だが、ひめと過ごす時間はとても楽しい。特に何をするわけでもないのだが、一緒にいるだけで幸せな気持ちになれる。ひめに会いに行くのが楽しみで、ついつい早起きしてしまったりもするのだ。
職場は規律に厳しいところだ。特別不満があるわけではないが、息苦しさがまとわりついて消えない。もちろん、ひめと出会った今でもそれは同じだ。
しかし、楽しい。
今までの下っ端仕事と違って、人と接して言葉を交わす事ができているかもしれない。それもきっとある。だが、それだけではないと、奈津は思う。
ひめは優しい。
初めて会った日、奈津はとてつもなく緊張していた。今まで雑用ばかりで、客人の世話を任された事など一度もなかったのだ。緊張しまくった奈津は、膳を倒してしまうという失態を犯した。
それで慌ててしまった事もまたよくなかった。慌てて散らばったものをひろい集め、新しく用意し直そうと部屋を出ようとしたところで、足をもつれさせて転倒してしまったのだ。再び散らばってしまった光景を見て思わず涙ぐんでいたところに、声がかけられた。
――だ、大丈夫?
それは優しい声だった。あたたかな声だった。二度続いた失敗に、掛けられる言葉は叱責のものであると思っていたのだから、その衝撃は凄まじかった。
呆然と振り返れば、整った容姿の少女が、奈津が着た事もないような華麗な着物を重そうに引きずり、歩み寄ってきていた。
その様子をまた呆然と見ていれば、少女は奈津が散らかしてしまった後を片付け始めた。本来ならばその手を急いで止めなければならなかったのだが、奈津は予想外の事態の連続にどう対応していいかわからなくなってしまっていた。
しかし、はっきりとわかった。目の前の少女は、とてもあたたかい人なのだ、と。
声や言葉だけでなく、存在自体が優しく、あたたかい。こんな存在があるものなのかという疑問は、目の前の明確な存在が打ち消してしまった。
ひめの世話を任された事を、望外の幸いであると思った。
さすがに「なっちゃん」と呼ばれた時には困ってしまったが。
実の両親にすらそんな風に呼ばれた事などなく、気恥ずかしさからやめてほしいと頼んだ。すると、彼女は「様づけをやめてくれたら考える」などと言い出す始末。そんな事はできないと返事をすれば、「じゃあやっぱりなっちゃんだ」と楽しげにするのだ。
困ってしまうが、それすら愛しいと思える。
そんなひめは、奈津たちと同じく菓子の類が好きらしい。先日、仕事仲間が町で買ってきてくれた団子を、泣いているひめの慰めになればと差し出した。ひめはそれをとても美味しそうに、幸せそうに食べていたのだ。
それが先ほど購入した団子。特別安いものでもないので普段はあまり量を買わないのだが、今回は奮発してしまった。ひめの喜んだ顔が見たい。その一心だ。
仕事仲間たちに頼まれたものは、届けてもらうよう店に頼んである。だが、即日で届けてもらう事はできない。いつ頃、これだけの物が届くという情報を、玄関を預かる者に伝えておく必要があるため、届け日の指定は早くて次の日と決められている。
この団子だけは、はやくひめのところに届けたいと思ったため、奈津は自分の手で運ぶ事にしたのだ。
ひめの笑顔を想像していたところで、すれ違った相手にぶつかってしまった。
「あ、すみませ、」
ぶつかった相手は、奈津の謝罪を聞く事なく走り抜けて行った。ぽかんとその背中を見送って、気づく。
手が軽い。
視線を落とすが、そこにあるべきもの――団子と財布がない。
奈津は素早く振り返り、そのままかけ出した。途中で道行く人々にぶつかるが、かまっている暇などない。
いくら都の外より安全とはいえ、警戒心がなさすぎた。己の不注意を悔やみ、懸命に先ほどぶつかり走り去った男の背中を追う。しかし、まだ十五に届かない奈津の足では、すでに成人しているだろう男に追いつけない。
「誰か、そいつ捕まえて! 盗人だ!」
走りながら叫んだ。道行く人の視線が奈津に向かうが、奈津はひたすら盗人を追う。ちらりと盗人の男が奈津を振り返った。
その瞬間だった。
「のわ!?」
盗人は素っ頓狂な声を上げ、足が宙に浮いた。前進する勢いを殺しきれず、盗人はそのまま前のめりになり、顔面から倒れてしまう。盗人が手にしていた団子と財布は宙を舞い、そのまま地面に激突した。
「ぐ、くそ……うお!?」
悪態をつきながら立ち上がろうとした盗人の背中に人が乗った。そして、その首筋にあてるように鞘をしたままの刀を突き立てる。
「あ、ありがとうございますっ」
「いや……」
盗人の上に乗り上げた人物が奈津を振り向く。盗人の足を止めるという荒っぽい行為により男だと思い込んでいたが、現実として奈津の目の前にいるのは奈津より少しばかり年上に見える少女だった。
髪は短く切られていて、特に手入れがされているようには見えない。着物も、一般的に女性が身につけるような袖や裾が長いものではなく、動きやすさを重視したものだった。しかし、その顔は整っている。ひめのような柔らかさに似た可愛らしさは見受けられないが、代わりに刃のような鋭さのある麗しさだ。
ひめほどではないだろうが、もっと女らしい格好をすれば、そこらの男どもが放っておかないだろう。
「こいつで間違いないか?」
「はい! って、ああー!?」
男と、その上に乗り上げた女の向こうに転がる奈津の荷物。団子を包んでいた紙が破れ、中に詰まっていた団子が転がりだし、道の上に散らばっていた。
奈津の脳内に浮かぶひめの笑顔にひびが入り、がらがらと音を立てて崩れていく。
無事な団子は購入した分の半分以下。今回、奈津はそうとう奮発して買い物をしたのだ。これ以上は出せないため、買い直す事もできない。
また、数本は無事だが、それでも地面に一度投げ出された団子をひめに差し出す事には抵抗がある。
さらには、出したお金が無駄になった、という衝撃も強い。
耐え切れず、奈津はその場に崩れ落ち、ぼろぼろと悔しいのか悲しいのか自分でもよくわからない涙を流した。
「あー……すまん。その、荷物までは気が回らなかった」
「い、いいえ……そいつ、捕まえてくださって、ありがとうございます」
申し訳なさそうに謝罪した相手に八つ当たりしなかった事が、奈津にとって小さな誇りに思えた。
やがて騒ぎを聞きつけて役人が駆けつけ、盗みを働いた男は彼らに引き渡した。スリや引ったくりといった小犯罪は、この町中では珍しくもない。奈津と女は簡単に事情を聞かれ、その場で解放された。
役人と話をするという緊張感から解放された安堵と、せっかくのひめへの土産が台無しになってしまったゆえの消沈から、奈津は長い溜息を吐いた。
「えーっと……あのさ」
「ん? ああ……ごめんなさい、付き合わせてしまって。本当にありがとうございました」
「いや、それはいいんだけどな。これ、ちょっと見てくれ」
奈津を助けた女は、持っていた巾着の口を開けて奈津に向ける。促されるまま中を覗き込めば、視界に入るのはいくらかの貨幣。
これがどうかしたのか、と奈津が問い返す前に、彼女が再び口を開いた。
「あの団子がいくらくらいするのかわからないんだが……これで買い直せるか?」
「へ……?」
呆気に取られて顔を上げると、相手は心配そうな、しかし真剣な眼で奈津を見ていた。
「どうなんだ?」
「あ、ああ……そう、ですね。少しくらいなら」
「そうか。まあ弁償には足りないだろうが……それでもいいか?」
「いえ、あの……なんていうか、あなたのせいではないんですけど……」
「いいや、少なくとも半分は俺のせいだ。俺があれを拾っていれば、問題なかっただろう。だから、足りなくてもいいなら、弁償させてほしい」
この女性は、自らの事を「俺」と表現するらしい。女としてあるまじき姿なのだ。しかし妙に様になっているため、奈津は注意できなかった。それに、その後の発言のほうが、奈津にとっては大きな衝撃だった。
いらない、と言っても彼女は退かないだろう。彼女の瞳の中に、ひめと同じ頑固さが奈津には見えるようだった。
だからせめて、こう言った。
「……半分じゃありません。あの男のせいでもあり、私のせいでもあるから」
彼女はきょとんとして、それから少しだけ笑ってみせた。
「じゃあ、三分の一だな」
× × ×
奈津は助けてくれた女性――千里を団子屋まで案内した。
「本当にありがとうございます、千里様」
「千里でいい」
「え、でも……」
奈津はそれなりに礼儀に関する教育を受けている。千里は高い身分の人間ではないかもしれないが、奈津を助けてくれた、いわば恩人である。そういった相手に敬意を払うのは当然の事だと思うのだが、千里は困ったように笑うばかりだ。
「『様』なんて、付けて呼ばれた事ないから落ち着かないんだ。頼む。言葉遣いもそんな丁寧でなくていいし」
「……わかったよ、千里」
恩人を困らせるのは本意ではない。ひめ相手のように立場上の問題があるわけでもないので、奈津は彼女の頼みを聞き入れる事にした。
千里を伴い、先程後にしたばかりの団子屋の前にやって来る。店の主人が、奈津の姿を見つけて奇妙そうに顔をしかめた。
「どうした? さっき買ったばっかだろうが。もう食っちまったか?」
「そんなんじゃないですよ!」
店主にからかわれてしまったが、引ったくりにあった事を話すと、怒りから難しい顔をした。当然、その怒りは奈津から団子と財布を奪おうとした男に向けられている。この男、わざわざこんな小路に店を構えるような気難しい性質ではあるが、不正などの曲がった事は何よりも嫌いなのだ。
店主は団子の代金をおまけしてくれた。
「いい人だな。顔は厳ついけど」
「うん、いい人だよ。顔はちょっと怖いけど」
「聞こえてんぞ、ガキども」
奈津と千里は笑った。店の主人は気恥ずかしそうに舌打ちした。
「ほらよ」
「え……? あの、俺は注文してないですけど……」
「いいから食え」
店主が押し付けるように差し出してきた団子に、千里は戸惑っているようだった。それでも押し付けられ、受け取りはするが、困惑顔は消えない。不器用な店主に奈津は苦笑し、千里に耳打ちする。
「ご褒美だって。千里は引ったくりを捕まえたから」
「……って、別にそんなの大した事じゃ……」
「良い事に程度なんて関係ないよ。千里は良い事をしたんだから、ご褒美はもらって当然なの!」
「……うーむ……」
「ほらほら、食べてみてよ。ここのお団子、すっごく美味しいんだから」
千里はしばらく悩んでいたようだが、もう受け取ってしまったしな、と呟いてから団子にかぶりついた。
もぐもぐと口を動かしてしばらく、喉を上下させた彼女は、驚いた様子で手元の団子を眺めた。
「……確かに美味いな」
「でしょう! お団子屋さんはいっぱいあるけど、ここ以上に美味しいお団子屋さんはないと思の、私!」
「この都の事は知らないが……俺の幼馴染がこういうの好きでな。付き合いでよく食ったが、これほど美味いと思った事はないぞ」
笑顔での賛辞に、自分の事でもないのに奈津は満足気に胸を張った。何故だか自分の事のように嬉しく、また誇らしかったのだ。
「当然! 今、私がお世話させていただいている方も気に入ってくださってるんだよ!」
「……お世話?」
「うん! ちょっと変わってるというか……浮世離れしてらっしゃるんだけどね。すごーく可愛らしい方なんだよ! お優しいし!」
「あ、ああ……いや、そっちじゃなくて。奈津は、働いてるのか?」
「うん。当然じゃない」
「……そうか。当然なのか」
千里が何やら難しい顔をしたが、奈津にはその理由がなんなのかわからなかった。
店のほうから嘆息の音が聞こえ、続いて店主が低い声で言う。
「おい、お前、お城の事情もらしていいのかよ」
「はぅあ!?」
「城?」
店主に指摘され、自分の失態に気づく奈津。そんな奈津を見て首を傾げていた千里は、街の奥にある高台を振り仰いだ。
「城って、あれか?」
「ううぅ……」
「こんの、迂闊者が。お城に客人がいるなんざ、今初めて聞いたぞ」
「へえ。そういう話って流れないもんなのか?」
「いや、そうでもないんだがな。今回はまったく聞こえてきてねえ。それはつまり、お城側が公表するつもりのねえお客人だって事だろう。どんな事情があるかは俺みてえな下々の者にはわかりゃしねえが。お城が隠してる事を奉公人がべらべら喋っちまったら問題だろうが。首切られても文句言えねえぞ」
「あうぅぅ……お、おじさん! この事は内密に! お願いします!」
「わぁってるよ。俺だって、お得意様の首が切られるなんつー寝覚めの悪いもんは見たくねえからな」
真剣味を帯びた声音に、ぞわりと背筋が冷える。思わず自分の首に手をやった。頭から冷水でも被ったように全身から血の気が引いていきそうになるが、そこにぽん、とあたたかな手が乗せられた。きょとんとしていると、随分慣れた手付きで柔らかく頭をなでてきた。ふわり、とどこかに飛びかけた体温が戻ってくる感覚。
すぐ横から、千里の声が聞こえた。
「……とりあえず、奈津はもうちょっと気をつけろ、という事だな」
「……千里もだよ」
幸い、店の周辺にある人の姿は自分、千里、店主の三人だけだ。店主は誰にも言わないと言っているし、あとは千里が黙っていてくれれば、奈津自身が今後気をつける事でこの失態はなかったも同然になる。
「わかったわかった、お城にお客様が来てるって事を、広めなきゃいいんだな」
「頼むよ!」
「はいはい」
「『はい』は一回なんだよ!」
「お前は俺の母親か!? ……そう心配すんなって。この町に知り合いなんざ、お前とそこのおじさん、後は連れくらいだ。お前こそ、もううっかりそういう話しないように気を引き締めたほうがいいぞ」
「わ、わかってるよ……。せ、千里こそ、その言葉遣いどうにかしたほうがいいと思うよ! そんなんじゃ男の人に嫌われちゃうよ!」
「っ、げっほ!?」
頭を撫でる手付きは優しいのに、言葉は揶揄でもしているように聞こえた。それに少し反感を覚え、せめてもの意趣返しにと女らしくない千里の態度を指摘すると、千里は派手に咳き込んだ。
涙目になっている。思い当たる節でもあるのかもしれない。
しかし、その涙すら千里の整った顔立ちを崩す事はできていない。ひめもまた、笑顔ほどではないが泣き顔も愛らしいものだ。見目麗しい人間というのは得な存在だ。
「お、お前、なぁ……っ」
咳が収まり、次いで苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる千里に、奈津はにんまりと表情を崩した。
「ちゃんときれいな着物着て、髪も伸ばして、言葉遣いも直して。そんでちょーっと化粧でもすれば、そこらの男なんていちころだよ!」
「やめてくれ! 気持ち悪い!」
本気で嫌がっているその様子が妙におかしく思えて、奈津は先ほどの恐怖心を忘れ、遠慮なしに声を上げて笑ってしまったのだった。
ふと、店主がじっと千里を見つめている事に気付いた。なんだろう、と奈津は千里とともに視線で問い返す。
「……あんた、この街にほとんど知り合いがいないっつったな。流れ者か?」
「ながれ……?」
「……旅の者かって事だ」
「ああ。まあそんなとこです」
「一人でか?」
「いや、二人です」
「……女は何かと狙われやすい。気をつけろ」
「ど、どうも……」
都の者ではないだろう、という事は奈津もなんとなく予想できていた。千里ほど見目が良く、だというのにそれに頓着しないようなその格好では多少なりとも噂になるだろう。妙な格好をした美人がいる、と。奈津はさほど噂に敏感ではないが、職場の同僚の中には呆れるほど敏感に噂話を集めてくる者もいる。そして奈津たちに聞かせるのだ。千里のような人物の噂は聞いた事がないので、おそらくここ数日で都に入ったのだろうと思われる。
「千里、旅してるの? なんでまた?」
「ちょっと人を探しててな。俺の幼馴染みなんだが……わけのわからんものに連れ去られてから、行方がわからなくて」
わけのわからないもの、という表現に顔を顰める。
「それって、まさかあやかし……?」
「……それはわからないんだが。とにかく、その幼馴染みがこの辺にいるって情報があるから、来てみたんだ」
千里は少し驚いたような顔を見せてから、大通りの方向へと真っ直ぐな視線を向けた。
「……見つかるといいね、その人」
「見つける」
短い言葉に、千里の強い意志を感じられた。
なんとなく、いいなあ、と奈津は溶けるような溜息をついた。こんな風に、誰かに真剣に探してもらえるなんて、なんだかとてもうらやましい。愛されている、という感じがする。奈津が連れ去られたとなれば、家族はきっと探してくれるだろうが、血が繋がっていない相手をこうして探してくるような人物に心当たりはない。
千里の幼馴染みは幸せだ。
「おじさん、この団子、この金で買えるだけください」
「あいよ」
千里は、店主が奈津用の団子の代金をおまけしてくれたおかげで少し余っていたお金を店主に出した。その行動に、奈津は我が事のような喜びを感じる。
「気に入った?」
「まあな。せっかく美味い団子だから、連れにもと思って」
「あ、お連れさんいるんだっけ。別行動?」
「ああ」
「もしかして、いいひとかい?」
「ああ、いいやつだな。あいつのおかげで随分助かってる」
「えーっと、そういう意味じゃ……」
「え?」
「……や、やっぱ、何でもない!」
少し考えて、千里に説明するのはやめておこうと思った。わざとかとも思ったが、この様子では本当に理解していない。それに、自分が言い出した事ではあるが千里に男がいるというのは、少々考えづらい。旅の連れが男だとしても、きっと色っぽい間柄ではないのだろうなと、簡単にわかってしまう。
「ありがとな、奈津」
「ふぇ?」
「お前のおかげで美味い団子にありつけた。ここらの事は何にもわからないから、すごく助かった」
「い、いやいや! それを言うなら私のほうこそ! 引ったくり捕まえてもらったし、お団子弁償してもらっちゃったし!」
「そっか。じゃあ、お互い様だな」
「うん! っと……」
鐘が鳴った。夕の七つを知らせる時の鐘だ。空はまだ明るいが、直に橙色へと染められていくだろう。自由時間は暮れの六つまでだが、用事はすべて済んでいるし、あまりのんびりしていてはひめのためにと買った――実際に奈津が買った分ではなく、千里が弁償してくれたものだが――団子が乾いて美味しくなくなってしまう。
「私、もう帰るね。道わかる?」
「大丈夫だ」
「じゃあね!」
「ああ」
手を振って、千里と別れる。今度はもう誰にも取られないよう、団子と財布にできる限り気を配りながら歩く。
途中、ふと気付いて足を止めた。
「幼馴染みさんの名前、聞くの忘れちゃったなあ」
聞いていれば何か協力ができたかもしれないのに、と思った。しかし、奈津は基本的に城の内部で生活しているので、そこでの情報しか得られない。そうそう頻繁に町に出られるわけでもなく、また千里がいつまで都にいるかもわからない。
偶然すれ違っただけ。もう会う事もないかもしれない。
千里の顔を思い出して、少しだけ寂しいような気持ちを抱えながら、奈津は再び歩き出した。