TopText番犬が行く!

12 戦闘狂、二人。



 一夜明けてみれば、布貴の布団はすでに畳まれていた。室内のどこにも彼女の姿はない。寝過ごしたつもりはないのに、と気落ちしていると控え目に襖が開けたられた。そこから、一人の女性が室内を覗く。様子を見に来たらしい彼女は驚いたような様子を見せた。白い着物に赤い袴。現代日本でもよく見る、所謂巫女装束だ。そういえばここは神社だったのだという事をようやく思い出す。
 女性は襖を完全に開け放ち、にこりと微笑んだ。

「お早うございます」
「……おはようございます」
「朝食の用意が出来ていますよ。お食べになりますか?」
「あ、はい、お願いします」

 随分と丁寧な対応をされ、内心戸惑いながらも頷く。女性は穏やかな笑みで「身支度が整いましたら声をおかけください」と言って静かに襖を閉めた。
 一瞬何の事かと考えたが、すぐに寝巻き用の浴衣を纏っている事を思い出した。昨夜の悪戦苦闘が思い出され、苦い気持ちになる。
 大きなため息をついてから、また渋々、悪戦苦闘しながら布貴が貸してくれている着物を纏う。浴衣以上に悪戦苦闘したが、なんとか形にはなった。部屋の片隅に置かれていた姿見で自身の姿を確認する。布貴の着付けに比べれば不恰好だが、これはどうしようもない。
 ぼさぼさの髪の毛は手櫛で軽く整えて、こんなものかと勝手に納得する。
 襖を開けると、一歩引いたところに先ほどの女性が立っていた。

「お待たせしました」
「いいえ。……少々よろしいでしょうか?」

 女性はそう言って再び千里を部屋の中へと押しこむと、不恰好だった着物を手早く整え、千里の髪の毛をちゃんと櫛を使って丁寧に梳かした。どうやら千里の様相は彼女のお気に召さなかったらしい。
 軽く気持ちが落ち込んだ千里になど気付かず、作業を終えた女性は満足そうに微笑んで頷いた。

「それでは、ご案内致します」

 女性に先導され、板張りの廊下を音と共に歩いて行く。やがて、一室の襖を開けられ中へと促された。丸机が一つあり、その奥では慧斗が朗らかに笑った。

「お早うさん。なかなか早起きだな」

 到底それに同意を示す事はできなかった。慧斗の前の丸机には二人分と思しき食事が並べられている。朝食の用意がすでに済まされているという事は、この家の者はみなとっくに起きていた事になる。
 憮然とした表情になってしまったのだろう。慧斗がそれを受けて肩を竦めた。

「そんな顔しなさんなって。ほれ、外見てみろ」

 窓に嵌めこまれていた障子により外の様子が見えなかったが、慧斗がそれを躊躇いなく開けた事で疑惑は納得に変わった。外はほんのり薄明るい程度で、本格的な朝を拝むまではもう少し時間がかかりそうだ。千里が考えている以上に、今は早い時間らしい。

「俺も他の連中も、日々の日課ってもんがあるから、普通の町人よりも朝が早いんだ。まだ動き出してない家だってあるはずだからな。別にお前さんが寝坊したわけじゃねぇよ」
「そうなんですか……」
「ああ。布貴は特に早かったけどな。今日は神経過敏になってて余計早く目が覚めちまったんだろうよ」

 布貴の予定は、城に出向いて姉と面会する事だ。それは、日が昇るより早く目が覚めてしまうほど緊張する事なのだろうかと、千里は内心小首を傾げた。場所がどうあれ、相手が姉である事に変わりはないだろうに。
 しかし、これはあくまで千里の感覚だ。天宮界の常識は天離界の常識ではない。逆もまたしかり。何か千里にはわからないものが間に横たわっているのかもしれない。

「ほれ、そんなところで立ってないで座れよ。飯にしよう」
「は、はい」

 促され、用意されていた座布団の上に正座する。次には食事を食べるように促され、流されるままにもくもくと朝食を始めた。
 なんとなく、昨日から未消化になっている色々な事が胸のあたりで渦巻いている。ちらりと、話しかけても大丈夫かどうか考えて、千里は思い切った。

「……あの、慧斗、さん?」
「おう、なんだ?」
「城に、布貴のお姉さんがいるっていうのは……」
「ああ……あいつの姉貴――名を美貴というんだがな――国主様に見初められ、側室へと上がった。二年ほど前の事だ」

 側室。つまり、この国で一番偉い人物の妻、という事だ。それを聞けば、布貴が緊張する理由もわからなくもないと思えた。姉とはいえ側室が相手となると、やはりこれまでと空気は変わってくるのかもしれない。また、二人きりで会えるという保証もない。
 昨日、布貴と慧斗が千里を止めた理由にも深く納得が行った。

「じゃあ、布貴はお姉さんと二年も会ってなかったんですか?」
「いや……五年ぶりくらいじゃないか?」

 さすがに千里はぎょっとした。家族が五年間一度も顔も合わせない。その事実は千里の中にある常識から大きく逸脱している。
 千里の母方の祖父母は遠方の暮らしで、盆か正月のどちらかは必ず彼らの元を訪れるようにしている。母が亡くなった今でもだ。家族とは、血縁とはそういうものなのではないかという認識が千里の中にはある。事情があって一年、二年会えない事はあるかもしれないが、五年間一度も顔を合わせないというのは、信じ難かった。
 言葉には出さなかったが、表情に出ていたのだろう。慧斗は困ったような苦笑を浮かべた。

「布貴にはお役目ってのがあってな」
「あ、実家で管理していたものを探すっていうやつですか」
「聞いてたか。そうだ。これは天から布貴に任された役目なもんでな」
「天……?」
「あいつが探してるのは家宝ってやつでな……。行方が知れなくなってからもう百年以上の時間が経つ。特別な品なもんだから、選ばれた奴でねえと触れる事さえできないのさ」
「へ、へえ……」

 布貴が探しているものとは、一体何なのだろうか。基本的に千里は不思議な代物や現象に興味はないのだが、それに知人が関わっているとなると話は別になってくる。興味を惹かれたが、それを聞いていいのか躊躇っているうちに、慧斗は話を続けていく。

「それを素晴らしい事だと囃し立てる奴も多かったし、同情しても誰もあいつの代わりにゃなれん。あいつは幼少の頃から厳しい修行を課せられ、ろくろく遊ぶ暇もなかった。能力が安定したと思われた十二の年で、初めて旅に出た。さすがにそん時は、旅に慣れた者が同行してたがな。それも十四までだ。以降、あいつは一人であっちこっち旅しては、探し続けてるってわけだ」
「そんな……若い女一人で?」

 千里もほんの数日だが、この世界を歩いて実感している。この国の治安は良くない。少なくとも、女が一人で安全に旅ができるような状態ではない。千里に多少武道の心得があり、布貴が旅慣れているからこそ何事もなくこの都まで辿りつ着けたのだ。
 そう、布貴は旅に慣れている。人を斬る事にも躊躇いがない。最初はそれに少しの恐怖を感じ、次には不思議に思った。そして今、その事実が少し寂しいものである事に気が付いた。
 布貴はおそらく千里よりいくらか年上だ。しかし、女だ。おまけに一人での旅を始めたのは十四の時だという。今の千里より若い。子供のようなものだ。もっと周囲に守られても良かったのではないかと思う。

「お前さんの言いたい事はわかるし、鳴上のお偉いさんたちだってさすがに同行者をつけるよう言ってたんだ。それをはねつけたのは布貴のほうさ」
「なんだってそんな危険な事……」
「さてさて。……ある程度予想はつくがね」

 慧斗が少しばかり寂しげに微笑んだ。彼の言う予想がどういったものなのかが少し気になったが、「箸が止まってんぞ」と食事を促されて、なんとなく聞き辛くなってしまった。
 食卓に並んだ食器をすべて空にしたところで、慧斗が少しばかり身を乗り出してきた。顔には愉しげな笑みが刻まれている。 

「ところで、千里。お前さん、武術の嗜みがあるんじゃないか? 動きがそこらの一般人とは違うように見受けられるんだが」
「あ、まあ……一応、剣道を……」
「けんどう?」
「あ、こっちにはないのか。うーん……剣術、に似てるもの、かな」

 一瞬怪訝な顔をした慧斗は、すぐさま得心したような笑みを浮かべた。

「……なぁる。そうか、ひめちゃんが天離界出身だってんなら、それを探しに来たお前さんも天離界出身ってわけだな。天離界の武術ってのは初めて触れる。楽しめそうだ」
「え?」
「じっとしてんのは暇だろう。手合わせしようぜ」

 爛々とした光を宿す瞳を見て、千里は確信した。目の前の男は戦闘狂である、と。



 × × ×



 外に出ると、新鮮な空気と太陽の光が全身を包み込んだ。こんな爽やかな朝はそうそう体験できない、と千里は胸いっぱいに風を吸い込む。

「得物は何がいい? 武光も木刀もあるぞ。真剣でも構わんし」
「いや……じゃあ木刀で」
「ほいよ」

 屋敷の脇にある倉庫から木刀を二本取り出し、一本が千里に渡された。手入れはきっちりされているようで、傷んでいる様子は見受けられない。
 慧斗に連れられて、屋敷の庭と呼ぶべき場所へと案内された。愕然とするほど広々としたその場は目で楽しむためのものではなく、こうして手合わせをしたり、武術の訓練をするために手入れされているもののように見える。脇に植えられている木の太い幹には、刀で斬りつけたような傷跡が残っていた。

「まずはかるーく行こうか。好きに打ち込んで来てくれて構わんぞ」
「え、えぇっと……」

 千里は戸惑うしかなかった。こうした手合わせをするのは実に久しぶりの事だからだ。小学生の頃、父とした手合わせは遥か遠い日の事のように感じられる。その父との手合わせにしても、剣道のルールに則ったものだった。図らずも喧嘩に慣れてしまった昨今では、千里は常に相手の出方を窺い、それに対応する形で戦ってきた。布貴と旅をしていた短期間の戦闘も同様で、向こうが斬りかかってくるからそれを受け止め、反撃してきた。それが千里の闘い方だ。そこに突然、「打ち込んで来い」と言われれば、戸惑うほかない。

「なんだ、来ないのか?」
「……いえ、行きます」

 とはいえ、誘われてそれに乗らないのは何となく失礼な事に感じられた。
 千里は溜息をつき、すっと姿勢を正して木刀を正面に構えた。剣道の基本の構えだ。対して、慧斗はまともな構えなど取っていない。片手で木刀を持ち、こちらを見据えている。それだけで、不思議と威圧感があるのだ。どこにどう打ち込んでも止められる。そう確信できた。
 これが言葉通りの真剣勝負であれば千里とて何か策を講じただろう。しかし、これは木刀対木刀の手合わせだ。《天離界》の武道に興味があるようだったので、とりあえずは剣道の型をなぞる事にする。
 踏み出す。父に教え込まれた剣道での足運び、得物を横に振り、まず胴を狙う。慧斗の胴に肉薄した木刀は、その直前で相手の木刀に遮られた。利き手とは逆を狙ったのに、そうとは思えない反応だった。木刀を払い除けられる寸前に千里は一歩引き、瞬時に体勢を立て直して慧斗の手を狙う。それも簡単に狙いを外され、木刀で受け止められる。
 慧斗は戦い慣れている。咄嗟の判断、そして反射神経。布貴も相当なものだと思っていたが、彼はその上を軽々と歩いているようだ。
 最初は胴、小手、面を打ち込んで剣道の披露は終わりにしようと思ったが、千里はその予定を変更する事にした。それはふとした思いつきだったが、彼ならばきっと対応できるだろうという確信を持った。
 小手を軽く払われた千里は跳ねるように下がり、再度慧斗に迫りながらなるべく自然に構えを変えた。木刀を引き、視線はまっすぐ慧斗の顔。の、下。
 木刀を突き出す。慧斗の顔に小さな驚愕が生まれる。
 そして、木刀が激しくぶつかり合う甲高い音が空間を揺らし、少しの静寂の後、空虚な音とともに一本の木刀が地面に転がった。
 慧斗の右手にはしっかり木刀が握りこまれており、千里の手には腕まで伝わるような痺れが残った。

「……最後のはちょっと怖かったぞ」
「危険な技ですから。でも、慧斗さんなら対応できると思いました」
「お褒めいただきどーも。しかし、なんだな……剣道ってのは武術とはちょっとばかし違う感じだな」

 子供のような不満そうな表情をする慧斗に、千里は小さく笑った。

「前身は剣術の打ち込み稽古ってやつらしいですけど、そこから独自に発展したものです。動ける範囲とか、反則とかやっちゃいけない事が決まってて……そういうの、俺達はルールっていうんですけどね。それに沿って試合が行われるんです。試合時間も決まってますし。だいたい三本勝負で、一本の判定は審判がします。反則を一試合中二回すると、それで相手の一本になる、なんて罰もありますね」
「そりゃもう武術じゃねーな。実戦には使えそうにない」
「ええ、一般的に武術とは言いませんね。武道って言います。基本的に教育用ですよ。本来は怪我しないように防具を着込んで打ち合うんです。俺たちの世界では、剣で命のやりとりをするなんて事はもうないに等しいから」
「随分平和な世界なんだな」
「特に俺が住んでる国は。治安の悪い国なら、人が死ぬなんて日常茶飯事ってところもあるらしいですし」
「そういう国だと武術は生きてんのか?」
「……多分、ないと思いますよ。あれはただの暴力です」
「……寂しいねえ。俺はこういうのでガチンコすんのが好きなんだけど」

 やっぱり、と千里は乾いた笑いをこぼした。慧斗は地面に落ちた千里の木刀を拾い、それを投げ渡す。

「天離界ってのは随分つまらんところなんだな」
「つまらんって……」

 武術の有無で面白いかつまらないかを判断されても困るのだが、と苦笑したところ。



 風が斬り裂かれた。



 耳元で甲高い衝突音が突き刺さるように反響する。すぐそこに迫る木刀の腹。それを防ぐ自身の木刀。
 眼前には慧斗。悪人が浮かべるような、見ている側が冷や汗を流しかねない笑みを浮かべている。

「いーい反射だ。敵ってわけでもねえ相手に唐突に打ち込まれて反応できる奴は、うちでも多くねえ。布貴と旅したんだろ? 若い女二人、下種な連中にとっては格好の獲物だからな。で、一応確認だ。お前さん、戦いは全部布貴に任せたのか?」
「んなわけっ……ないだろっ」
「だよなあ」

 にんまりと、相手の警戒心が失せるような笑顔に変わる。しかし、込められる力は変わらない。拮抗し、互いの木刀がガチガチとぶつかり合う音を立てる。

「あんな遊びみてえなもんだけで実戦ができるとは思えん。この反応もだ。平和な暮らししてた割にゃあ、戦慣れしてんね、お前さん」
「喧嘩ふっかけられる事が多かったもんでねっ……それだって、あんたからしてみりゃ遊びもいいとこだろうけど!」
「遊びは遊びでも、《本気の遊び》は別だ。どうだい? 試しに俺と《喧嘩》、してみねえか?」

 普段なら、千里は即座にその申し出を断っただろう。理由がない。千里は別に喧嘩が好きなわけではない。あんなものは痛くてうるさいだけだ。あんなものを進んでやる奴の気が知れない。ひめを守るためでなければ、絶対に足を踏み入れなかった領分だ。
 そう思っていた。
 今までは。

「……いいねえ、いい顔だ」
「変態くさい」
「ひっでえなあ」

 ほんの少しだけ、慧斗が力を抜いた。それを見逃さず、千里は慧斗の木刀を跳ねのける。直後には、二人の間には仕切り直したのための間合いが出来上がっていた。

「なんとなくよお、空気でわかっちまうんだよな。ああ、こいつは俺に似てる、って」
「…………」
「って、無視かこら。あー、まあいいか。ほんじゃあ……いっちょ遊ぼうぜ!」

 混じりけのない純真な気迫を正面から受けた千里の胸に灯るのは。
 純然な高揚感だった。



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