TopText姫とナイトとウィザードと ~ナイトの章~

第1話 黒い獣と謎の少女
02 非日常



「まだ七時かー」
「つ、つまんない、ね」

 真嶋が携帯電話で時間を確認してつまらなそうな声を上げ、御端も真嶋よりは控えめな声量でそれに乗る。その後に、俺も小さく「だな」と続けた。
 なんつーか、力が余ってる感じだ。長いことそんな余裕は感じていなかったもんだから、余計に違和感が強い。
 我が北上里高校野球部の顧問である小林先生、通称コバセンは、野球のプレイ経験はない。
まったくの素人。だから、俺たちの練習メニューを組み上げるのは、水木監督の仕事だ。監督は女なんだけど、野球大好きで……いろいろとすごくってだな。北上里高校の卒業生で、コバセンの元教え子、かつて存在した旧野球部の部員でもあったらしい。で、詳しくはわからないが、コバセンと一緒になって野球部復興を実行したわけだ。
 監督が組む練習メニューは、結構鬼だった。朝練の開始は電車通学の部員が始発電車で学校にたどり着く頃に。放課後の練習は下手をすると解散が八時半を過ぎるという、恐ろしいスケジュールをこの夏に組んだのだ。中学時代じゃありえなかったハードさ。さすがに毎日じゃなかったけどな。毎週木曜日はミーティングのみで終わるように設定されて、それは今も継続中だ。休息日、ということだ。
 そんな感じで、部活にとっぷり浸かっていた少し前までの生活を考えると、夜の七時、正確には七時十五分にこうしてコンビニの前に立っていることがたまらなく不思議に思える。そして、あのスパルタメニューに慣れてきていた身としては、少々物足りなさを感じてしまう。あんだけきつかったのになー。最初の頃なんて、寝ないで家に帰るのがやっとだったってのに。人間は順応する生き物なんだってつくづく思う。
 今日の解散は六時五十分ぐらいだった。
 秋季大会の地区予選準々決勝で惜しくも敗退という結果になり、その時点で今年の大会日程が終了している。その後は練習試合をいくつかこなし、徐々に体作りをメインに据えた練習メニューにシフトしていき、今じゃすっかりシーズンオフ仕様だ。
 けど、終了時刻がこうまで早くなっているのは、そのせいだけじゃない。

「アレさ、結局どうなったんだろうな。犯人とかわかったんかな」
「昨日の今日でそこまで進展ある可能性はすっげー低いと思うぞ」
「それもそっか……」

 真嶋の問いに対する俺の回答は、我ながらため息が出るような内容だった。
 真嶋が言う「アレ」っていうのは、昨日のトップニュースである猟奇殺人事件のことだ。もっとも、俺らがそのニュースを知ったのは今日の午前中だったんだけど。
 繰り返すが、それは昨日のトップニュースだった。ローカルチャンネルのニュース番組も新聞も、この話題で持ちきりになっている。……らしい。ニュース番組も新聞も滅多に見ない俺は、今朝の朝食の席でおふくろにその話を持ち出されて、「ふぅん」と簡潔な……簡潔すぎる感想を抱いた。……もう感想ですらねーなこれ。
 新聞もニュースも確認していないが、おふくろが言うには、最寄駅である北上里駅より西方向三駅ほど向こうの地域で、死体が発見されたらしい。それだけならよくある……なんて、あまり言いたくはないけど、あっちでもこっちでも報道されているような殺人事件とあまり変わらないだろう。もちろん小さな扱いはできないだろうが、こう言っちゃなんだけど、自分に直接関係ないことなら冷めた目で見れるやつの多いこの時代、ただどっかの誰かが殺されたってだけなら、あっちでもこっちでも話題にのぼるようなことじゃない。
 この事件がトップニュースと言ってしまえるほど取り沙汰されている理由は、発見された死体の状態だ。
 とは言っても、その詳細な情報は、実は知らなかったりする。なんせ朝飯を食ってる最中のことだったもんで、おふくろはその辺りの情報を濁していたからな。
 けど、学校じゃ誰も彼もが遠慮なくその話を繰り広げ、その内容は遠慮なく俺の耳にも入ってきた。まあ、どこまで信憑性を評価できるかはわからないけどな。頭がなかっただの、腕がなかっただのと、この辺りは証言がまちまちだったが、クラスメートたちが口にした情報の中で上半身と下半身が別物になっていたという部分だけは一致していた。これがまた、刃物や機器で切断されたのではく、力任せに引きちぎったような状態だとか。
 どんなだよ、と思って想像しかけて、吐き気が胃の奥から這い上がりかけてきたので大人しく中断した。その傍らで神経がど図太い真嶋が「なんかすげーなー」なんて呟いてて、御端があんまり理解してない様子で首を傾げていた。この瞬間、二人のことが心底うらやましくなったのは余談だ。
 まあ、こいつらが余裕をもって構えていられたのも、放課後の練習が開始するまでだったけどな。コバセンと監督から、放課後の練習をしばらく早めに切り上げると宣言された途端、真嶋と御端は顔色を変えたのだ。
 最寄り駅より三駅分離れているとはいえ、現場が市内だってことに違いはない。犯人の正体も目的もわかってない状態で、遅くまで生徒を学校に拘束することは躊躇われたのだろう。他の運動部も早々に活動を切り上げていたから、学校側からお達しがあった可能性も高い。妥当な決定だ。
 ……まあ、ギリギリ七時前解散で効果があるのかは、正直よくわかんねーけどな。だって、もう真っ暗だし。しかも部活後の寄り道は俺らにとってデフォルトだし。
 とにかくだ。この猟奇殺人事件がどっかのポイントで一段落してくれない限り、俺たちの練習時間は通常より短い状態の維持を余儀なくされる。だから、真嶋が解決したかどうかを気にかけるのは当然だし、俺だってとっとと解決してほしい。練習のことを差し引いても、猟奇殺人事件なんてのは、その響きだけで気味が悪い。
 とはいえ、死体が発見されたのは昨日の昼前のこと。今朝の時点ではまだ被害者の身元も確認できていなかったのだ。解決は遠いだろう。
 自然にため息がこぼれる。だからと言って、ここで俺たちがこんな話をしていたところで、解決には結びつかない。気分を切り替えるため空を見上げるが、残念ながら星や月は見えない。余計に気が重くなった気がしなくもないが、だからと言ってどうすることもできない。首の角度を元に戻して、真嶋と御端を見る。

「ま、俺らがぐだぐだ言ってたってしょーがねーよ。練習時間が減るのは微妙だけど、相当ひどい状態だったみてーだしな。しかも場所は市内。となれば、学校側が運動部の活動時間短くするのも当然の判断だろ」
「そーだけどさー……」

 いまだ不満そうな真嶋の向こうで、あんまんを食い終わったらしい御端が、すぐそこにあるごみ箱にあんまんを包んでいた紙を放り込み、それから西のほうを向いて、両手の指を組んで目を閉じた。

「御端? なにしてんだ?」
「え、え、っと……おいのり……」
「あ、そっか。そだよな」
「……悪い御端、もーちょっと詳しく頼む」

 納得顔して頷く真嶋にはちろりとだけ視線をやって、御端に続きを促す。
 御端は全体的に言葉が足りない。足りないままで完璧に理解できちまうのは、部内でもクラス内でも真嶋だけだ。なんで真嶋はわかるのか、一度部員一同で真剣に考えてみたことがあったけど、結局のところ「真嶋だからな」で片付いてしまった。

「し、死んだ、ひとが……つぎ、生まれて、きて、幸せになれるように、お祈りするんだ、って……おばあちゃん、が」
「……ああ。なるほど」

 つまり、御端は、先ほど俺と真嶋で話していた猟奇殺人事件の被害者の冥福と来世の幸福をお祈りしていたわけだ。ここまで言葉が出てくれば俺にもわかる。
 真嶋がごみ箱に近づき、俺もそれに続く。

「俺もしよーっと!」
「俺も」
「い、いっしょ、に!」
「おお、一緒一緒」

 真嶋に続いてごみを捨ててから、ちょっと興奮気味の御端に頷いてやれば、御端はものすごく嬉しそうに笑った。
 御端は全体的に色素が薄い。特に髪の毛の色素が標準日本人より薄い。肌の色も俺たちよりずっと白いし、瞳の色もよく見れば茶に緑色が薄っすら混じっている。それが原因で、昔からあまり仲のいい友達ができなかったらしい。中学時代には、運の悪いことに非常に意地の悪いやつと同じクラスになったがために、イジメの標的になったこともあったとか。詳しく聞いたわけじゃないけど。だからか、誰かとなにかを一緒にするということを、とても大切にするところがある。俺や真嶋にとっては何気ないことでも、御端にとってはものすごーく大切なことだったりする、らしい。
 いい加減慣れればいいのに、と思わなくもない。けど、無理に慣れることはないんじゃないかと思うんだ。何度も何度もこういうことを繰り返していけばそのうち、こういうことも当たり前なんだって、そう思えるようになるだろう。急がせなくたって、いつかその日は来る。だから俺らは、いつもどおりにしてればいい。
 御端を急がせたって、どっかで躓くのが目に見えてるしな。
 三人並んで、西の方向……被害者が発見されたという町のほうに向かって、手を合わせてしっかり祈った。
 来世があるかなんてのはわかんねーけど。
 もしそんなのがあるんだったら、次こそはこんな悲惨な死に方じゃなく、普通に、幸せに生きて、終われますように。



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