TopText姫とナイトとウィザードと ~ナイトの章~

第1話 黒い獣と謎の少女
03 黒い獣



 三人で祈った後も、寒い空の下だっていうのにまったく気にせずくだらない話を繰り広げて、気がつくと八時を十五分ほど過ぎていた。
 同じクラスで、同じ部活。一緒にいる時間は家族よりも長いはずなのに、いったいなにをそんなに話すことがあるのかと自分でも思う。でも案外、くだらなくって、記憶にもあんまり残らないような、そういうどうでいい話で盛り上がれちまうもんだろう。実際俺は、ついさっきまで笑って話していた内容の半分くらいは思い出せない状態だ。
 真嶋、御端とは、ついさっきそこの十字路で分かれた。
 俺だけ違う方向……ってわけじゃないんだな、実は。真嶋の自宅は学校の真裏だから、本当はコンビニに寄るより、裏門から出て自宅に直行したほうが速いんだよ。それでも真嶋は俺らと一緒に正門から出て、コンビニに寄ったりなんかする。それは真嶋なりの友達付き合い、というか、単に一緒のほうが楽しいと思っているからなんだろう。つまらないんなら、自由奔放を地でいくあの真嶋が、俺らと一緒に行動するとは思えないからな。特に御端とは妙に波長が合っているらしく、別行動するほうが珍しいくらいだ。
 周りの連中は、同じクラスだからか俺たち三人をワンセットと見なしてくることが多いんだけど、俺からしてみりゃ、本当のワンセットは真嶋と御端で、俺はプラスワンって感じだ。たしかにあいつらと一緒にはいるけど、保護者的ポジションだもんなー、俺。あいつらが羽目はずしすぎないように見てる役。……楽しそうだと思ったら俺も乗っちまうんだけどな。うん、大事にならなきゃいいんだよ、ようするに。
 ……脱線した。
 とにかく、俺は別方向に進む二人を見送って、自転車に跨った。
 ここから自宅までは自転車で十五分程度。ずいぶん長話していたけど、それでも家に着くのは昨日より早くなる。しょーがないってのはわかるんだけど、やっぱ違和感あるなぁ。
 ふいに、スラックスのポケットに突っ込んであった携帯電話が振動した。それは数秒で途切れたので、電話ではなくメールの着信であることがわかる。
 誰からだろうと思いながらコートの裾をどかして携帯電話を取り出し、二つ折りのそれをぱかっと片手で開く。
 差出人はおふくろだった。なんだろう、と本文を読む。

『できれば牛乳買ってきて』

 その内容に、俺は無言でしばらく悩んでから、短い了承の返事を打ち込んだ。
 正直に言えば、面倒くさい。コンビニに戻るには今来た道を戻らなければならないし、近所のスーパーに寄るにしても少し回り道になる。しかし、それでも昨日よりは少し早い時間には家にたどり着ける。一応、市内で猟奇殺人事件なんてものがあったばかりだ。そんな中、おふくろに夜道を一人出歩かせるのはどうしたって気が引ける。
 ……息子の俺への心配は、とちらっと考えてしまったが、気にしないことにする。いや、ほら、俺は自転車があるし。一応鍛えてる鍛えてるから、万が一猟奇殺人事件の犯人と出くわしても、相手が自動車とかに乗っていなければ逃げ切れる可能性がある。それに対して、おふくろは自分用の自転車なんて持ってないし、運転免許も持っていない。持っていたとしても、我が家に一台きりの自動車は父親が仕事先まで乗っていってまだ帰ってきていないはずなので、どっちにしろ不在だろう。
 もうちょっとメールが早ければ、さっきのコンビニで買ったんだけどな。
 俺はため息をついて送信ボタンを押し、二つ折りにした携帯電話をスラックスのポケットではなくかばんの前面ポケットに放り込んだ。コートの裾をどけるという動作が邪魔くさかったからだ。あ、コートのポケットに入れてもよかったのか。けど、あったかいポケットの中に手を突っ込んだりしたら出したくなくなりそうだしな。やっぱかばんでいーや。
 ポケットのファスナーを閉めてから、スーパーを目指して自転車を漕ぎ出した。頭の中でコンビニに戻って改めて帰路につくパターンとスーパーに寄って帰路につくパターンの所要時間をそれぞれ計算して、スーパーのほうが早いだろうと判断した。と言っても、五分も違わないんだけどな。
 閉店時間にはまだ遠く、煌々と明かりを灯しているスーパーに足を踏み入れ、多くもないが少なくもない客の中にまぎれてさっさと牛乳パックを一本購入した。本数についてはメールになかったけど、まあ一本あればとりあえずいいだろう。
 ビニール袋に入った牛乳パックとかばんを自転車のかごに放り込み、自転車にまたがって改めて家を目指すことにする。
 さて、と。今は何時だ?
 携帯電話を引っ張り出して時間を確認すると、デジタル表示で二十時三十八分という情報が表示される。ここからさらに自転車で十分ちょっと。
 あくびを一つしてから携帯電話をしまい、ペダルを踏む足に力を入れ、スーパーから離れる。
 放課後の練習は短くなったけれど、朝練は相変わらずあるのだ。早いとこメシ食って風呂に入って寝ないと、明日がきつくなるのは目に見えている。練習時間が短くなって物足りない感はあるが、せっかくだから少しでも早く眠って休もう、と前向きに考える。
 少しでも時間を短縮しようと、足にさらに力を加えようと、
 ――した。
 車輪が不安定によろけて横転しそうになり、咄嗟に左足を地面につけた。そのままの姿勢で、驚きから瞬きを数回繰り返す。
 ……今、揺れなかったか?
 無言であたりを窺う。揺れたような、気がする。けど、揺れらしきものを感じたのはほんの一瞬で、揺れたのだという確信がいまいち持てない。
 ……俺の気のせいか?
 視界に映るのは夜の住宅街。時刻は夜八時半過ぎ。等間隔に路上に配置された街灯が薄明るく周辺を照らし、民家の窓からもほのかな明かりが漏れている。夜特有の静けさの中、騒ぎ立てているような家は一つもない。
 ……やっぱ気のせいだったかな。
 練習時間がいつもより短いとはいえ、その短時間もやっぱしごかれてたわけだから、それなりに疲れてるし。気付かないうちにうとうとしちまってたのかもしれない。あ、なんかそれあり得る気がしてきた。あっぶねー。こりゃマジでとっとと帰って寝ないと、気がついたら道端に転がってました、とかなっちまいそうだ。そうなったら笑えねーぞ。
 気を取り直してもう一度自転車を漕ぎ出そうとした。
 その瞬間、まるでこのタイミングを見計らっていたかのように、再び地面が揺れたような気がした。
 ……寝てない。今は寝てないぞ、俺。
 再び周辺に視線を巡らせて見ても、目に見える変化は一つとしてなかった。
 今のは、確かに揺れた。今度は間違いない。地面につけている足の裏から振動が伝わってきたのだ。
 ……いや、伝わってきている。現在進行形で。断絶的に、けれど確実に連続して。
 地震、か?
 地面が揺れた、ということで真っ先にそう浮かんだが、しっくりこない。それにしては揺れ方が妙なのだ。最初の一揺れが錯覚じゃなかったとして、あれが一番大きかった。あれを本震だと仮定して、それについては違和感を訴えられるほどなにかを感じたわけじゃない。けど、今感じている連続性のある揺れを余震だと言う仮定は、どうにもしっくりこない。地震っつったら横揺れがメインだろ、普通。しかし、今俺が感じている振動は、俺の感覚が狂っているのでなければ、縦方向だ。

 ――どしん……どしん……どしん……

 ……ちょっと待て。
 なんか揺れと音がだんだんでかくなってきてるような気がすんだけど。気のせい? 俺の気のせいか?
 しかも、揺れの感覚がほぼ一定だ。まるで巨大ななにかが歩いているみたいな……。

 ――どしん、どしん、どしん、

 気のせい、なんかじゃ、ない。
 どんどん、近づいてきている。
 数十メートルほど先の街灯の光を、黒いなにかが遮った。それがなんなのか、わからなかった。俺は別に目が悪いわけじゃない。街灯がそれを照らしたのはほんの一瞬だったけど、たしかにその姿をとらえたんだ。けれど、わからなかった。理解できなかった。
 つまり、それは理解の範疇を超えていた。
 狼、のように、見えた。頭だけ見て、瞬間的に狼だと思った。犬という線も一瞬浮かんだけれど、街灯に照らし出された凶暴そうな顔つきが狼だと思わせた。けれど、すぐにそれはあり得ないと打ち消す。その頭部が、軽く民家の塀の高さを超えていたからだ。塀のてっぺんよりもむしろ街灯の照明部分とのほうが差が小さかった気がする。……そんな狼がいてたまるか。

 ――どしん、どしん、どしん、……

 大体、狼の足音にしちゃおかしいだろ、これ。狼は四足歩行だ。しかし、この音の鳴り方はどう考えても二足歩行。さらにある程度の重量がなくちゃおかしい。
 おかしいんだ。

 ――どしん。

 足音が止んだ。
 俺の数メートル先で。
 そこに立っている《なにか》を、見上げる。街灯の頼りない光が、それを照らしている。
 ……あるわけが、ないんだ。
 人間の倍以上でかくて、二足歩行する狼なんて、いるわけない。

「……いつの間に寝ちまったんだろうな、俺」

 呟いた声は、自覚できるくらい不安定になっていた。
 笑おうとして失敗した。
 あるわけがない、これは夢だ。何度そう繰り返しても、目の前のものは霧散しない。低い唸り声と反響するような息遣いを聞くほどに、現実味が地面から足を伝って這いあがる。
 それを認めたくない。目の前にあるものはあるはずがないものだ。こんなものが、こんなことが現実にあるはずがない。理性がそれを知っている。けれども、じゃあ目の前にあるものはなんなのだと脳裡で囁く声がする。だから夢なんだって、と理性が言い返す。
 狼のようで狼ではありえない《なにか》が、腕(いや、前足か?)を振り上げる。
 そうだ、夢だ。多分どっかで意識が夢の中に落ちてしまったんだ。今頃俺の本体は道の隅かど真ん中にぶっ倒れてすやすや寝息をたてているに違いない。
 獰猛な口が細く開く。その隙間から蒸気のように溢れ出す白い息。眼が細く歪む。ニタァと笑っているように見えた。
 夢なんだ。……夢なんだろ?

 ――だから、早く覚めてくれよ……!



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