TopText姫とナイトとウィザードと ~ナイトの章~

第2話 ナイトとウィザード
03 ファンタジー



 件の女――城井が俺に再度直接コンタクトを取ってくることはなく、変わったことはひとつもないまま部活のミーティングが終了した。
 もしかして忘れられたのだろうか、とちらりと考えながら、真嶋や御端とともに自転車の元へ向かうと、自転車のかごに張り紙がされていた。「屋上にて待つ」と書かれている。差出人の記載はなし。しかし、こんなことをするやつの心当たりが他にない。タイミングもばっちりだ。
 普通に言いに来いっていうか最初に言え、あの馬鹿。
 にしても、よく俺の自転車覚えてたな、あいつ……。
 脱力しつつも妙に感心して立ち尽くしていると、両脇から真嶋と御端が覗き込んできた。

「あ、昨日の、城井ってやつか!?」
「屋上、だって」
「……ちょっと行ってくるわ。じゃ、また明日な」
「おー! がんばれよー!」
「が、がんば、って……?」

 なにをだよ。
 真嶋の意味がわからないエールと、御端自身よくわかっていないらしいエールを背中に受けながら、屋上を目指す。
 まだ日が暮れていない、うっすら橙色と紫色に染まりつつある校舎の中を歩くと、どういった理由があったのか知らないが居残っていた見覚えのない女子二人とすれ違った。楽しそうに話をして通り過ぎていく彼女らに視線を向けたのは一瞬で、その一瞬にも足が止まることはなかった。
 昼間の喧騒が嘘のような廊下を歩いていると、ふと不思議な気分がじわりと滲み出し、しみこんでくる。こんな時間に校舎の中を一人で歩くのは初めてかもしれない。大抵は外で部活にいそしんでいる時間だし、ミーティングだけの日はそのまま家に帰るし、そもそも校内で一人で行動することが少ない。いつも過ごしている空間なはずなのに、まったく別の場所にいるような錯覚がどこからか湧き上がってくる。
 どこかふわふわとした心地で階段を上りきり、屋上へと繋がるドアの前で立ち止まる。
 隔てるものはドア一つ。だというのに、気持ちは一転、妙に引き締まる。
 この向こうは、別の世界だ。さっきまでの錯覚なんて目じゃない。夢だったんじゃないかと思うような出来事。なのに、あの記憶の中の登場人物が昨日、俺の目の前に改めて現れた。そいつは、「話をしよう」と俺を誘った。その話の内容は、やっぱり一週間前の出来事についてなのだろう。それ以外に、俺とあいつに間には、なにもないんだから。
 ここで、屋上のドアに背を向けて、その権利を放棄することもできる。城井灯子と名乗った女は、「話をしよう」とは言ったけれど、そこに強制の響きはなかった。「絶対来い」とは言われなかった。あの夜、大怪我をしながらも俺に「逃げろ」と言ったあいつは、多分、俺が誘いに乗らなくても構わないと思っている。あいつの「話をしよう」っていうのはつまり、話を聞きたいなら話す、聞きたくないなら聞かなくていい……そういうことなんだと思う。
 選択権は俺の手にある。
 右手を開いて、見つめて、拳を握る。なにもない手のひらに、あの日握った剣の感触がよみがえる。そして、城井が俺に杖を向けて言葉を紡いでいた間、誰かがなにかを言っていたような気がした、ということを思い出した。あれはいったい誰なのか。なにを言っていたのか。俺に、なにを伝えたかったのか。

「……うっし」

 覚悟は数秒で決まった。
 俺は拳をほどき、手を前方のドアノブへと伸ばし、軽く捻る。屋上のドアはなんの抵抗もなく開いた。途端、冷えた風が隙間から流れ出てきた。それでもドアを閉めることなく、完全に開け切ってしまう。
 屋上への出入りを禁止する学校も多いらしいが、うちの学校では基本的に開放されている。落下防止に背の高いフェンスが外周に沿って隙間なく並んでいて、ベンチも四つほど設置されている。昼休みなんかはここで弁当を食べる生徒で結構にぎわっていて、俺も御端や真嶋と一緒に、時折だがその中に混じることがあった。寒くなってきてからは近寄ってもなかったけどな。
 そういえば、放課後の屋上に足を踏み入れたのは初めてだ。
 屋上は見晴らしがよく、風も非常に気持ちいいのだが、屋外だ。当然夏は暑くて冬は寒い。演劇部なんかが時折ここで発声練習したりしているらしいが、ここ数日で急激に秋から冬へと移り変わってきたため、好き好んで屋上に来る生徒の数は激減したことだろう。
 屋上に出てすぐに、城井の姿を発見できた。城井は校庭とは反対方面のフェンスに背中を預けて座り込んでいて、俺に気づくと、「や」と簡単な挨拶をしてきた。俺はそれに答えず、城井に近づいて、その真正面に立った。そんな俺の態度に、城井は気を悪くした様子を少しも見せず、へらりと笑って見せた。

「いやー、悪いね、こんなに遅くなって。本当はもっと早く話ができたらよかったんだけど。昨日やっとこさ普通に学校に来れるくらいに回復してさ。その後、怪我の具合はどう?」
「もうほとんど平気だ。……そっちこそ、あの時の怪我、もういいのか?」

 城井が回復だなんだと言っているのは、おそらく……どころか確実に一週間ほど前の事件で負った傷についてだ。
 あの後、俺に意識はなかったんだから、こいつは一人であの場の後始末をして帰宅したことになる。戦闘の痕跡を消し、俺と俺の自転車を俺の自宅まで運んだ。どうやってかは知らないが、少なくともそれだけのことはしたはずだ。それを考えると、ものすごく申し訳ない気持ちになる。怪我人(しかも重傷の女)になにさせてんだよ、俺。
 沈む俺とは裏腹に、城井はなんてことないように言う。

「《ウィザード》の力を使ってる間は回復が早くなるからね。もう日常生活にはなんの支障もないよ」
「……《ウィザード》?」

 聞きなれない単語を繰り返してみる。

「うん、暫定的にね、そう呼んでるの。《魔術師》だから、《ウィザード》」
「……魔術師ときたかよ」

 ため息をついた俺に、城井はきょとんとした。ものすごく不思議そうだけど、お前の言ってることのほうが俺には不思議だ。

「え。なにその反応」
「なにって。突然魔術師だなんだって言われてもわけわかんねーよ、普通に。だいたい、こないだのあれはなんなんだよ。ちゃんと説明してくれんだろーな?」
「……え、あれ? ちょ、ちょっと待ってよ? あの……あの、さ……《ナイト》の記憶、見てない?」
「なに言ってるかさっぱりなんだけど。なんだよ、《ナイト》って」

 言い返せば城井はますます困惑した顔をする。記憶って言われたって、なんのことかさっぱりわからない。
 ……ん、待てよ?

「……そういや、変な夢は見た気がするな」
「どんな!?」
「なんか、女の子がいて……えーっと、なんか守ってやる、みたいな決意した気がする。そんだけ」
「あちゃー……そうきたかー」

 俺の問いに対する答えを聞き、城井は頭を抱えた。
 なんだってんだ、いったい。

「ってことは一から私が説明しなきゃなのか。うーん、どっから話したもんかなぁ」

 なにやら考えているようなので、城井から言葉が出るのを待とうかとも考えた。けど、迷ってるならまず俺の疑問に答えてほしい。一週間前からずっと、もやもやしたものが頭の中をぐるぐる回ってて、少し気持ち悪いし、どうにも落ち着かない。なんていうか、魚の小骨が喉に引っかかったまんまとれない感じ。

「なあ、じゃあとりあえず俺の質問に答えてくんね?」
「内容による」
「俺、あの晩家に帰った記憶ねーんだけど。もしかしなくても俺のこと家まで運んだのか?」
「うん」

 あっさり肯定が返ってきた。
 じっと城井を観察する。どう見ても標準以上に筋肉がついているようには見えない。今は城井が座り込んでいるのでわからないが、あの夜の記憶がたしかなら背は俺より低いはずだし、上半身は制服やコートに隠れて見えないがスカートから伸びる足は明らかに華奢としか言えない。隠れている腕も似たようなものだろう。俺や自転車を担いで運んだと考えるのは、かなり無理がある。

「《魔術》ってやつでか?」
「お、魔法とは言わないんだね」
「《魔術師》なんだろ?」
「うん。まあ、その辺の明確な定義はないから、同義と考えてもらってもいいんだけどね」

 城井はそう言うが、《魔術師》の業なんだから、《魔術》って言うほうがしっくりくる。

「やっぱそうか。具体的には、どうやったんだ?」
「ちょっと《風》を使ってね、君の部屋の窓の鍵をちょいと開けて、直接放り込ませていただきました」
「……待て。お前なんで俺の部屋の位置知ってんだよ」
「秘密!」
「おいこら!」
「冗談だって。後で教えてあげるから、今は置いといてよ」

 先日の一件からわかっていることだが、こいつは相当頑固だ。「言わない」と言ったらマジで言わない。今はこの件についてはこれ以上追及しても無駄だろうな。
 ため息をついて、次の質問へ移ることにする。

「……じゃあ、おふくろの記憶は? おふくろ、俺は帰ってきてそのまま部屋行っちまったって記憶してたんだけど。しかも俺が買った牛乳受け取ったことになってっし。……まさか、記憶いじったのか?」
「そんな複雑なことしないよー。ちょっと暗示をかけただけ」
「暗示……?」

 そういや、俺に対しても最初はなんかそんなよーなこと言ってたな。

「そそ。実際は違うのに、まるでそうであったかのように錯覚させるの。……催眠術みたいなもんだね。わざわざそこまでするべきかどうかは迷ったんだけど…………」
「なんだよ?」
「……顔、見られちゃって」
「…………」
「自転車とかさ、やっぱ音するじゃん。それで、井澄くんのおばさんが出てきちゃったんだよね。『孝弘ー、牛乳買えたー?』って。いやさすがに焦ったわー」
「そうかよ……」

 そうは言うが、緊張感の類はまるで感じられない。本人は「迷った」なんて言っているが、もしかしたら最初からいくらかはそのつもりでいた可能性もある。暗示かけなきゃ、おふくろが知らない間に俺が帰って部屋に戻ったことになっちまうからな。靴も俺の部屋にあったし。
 自転車といえば……。

「そういや、俺の自転車、壊れてたはずだと思ったけど。俺の記憶違いか?」
「曲がってるのは直したよ」

 ストレートな返答じゃなかったけど、つまり壊れてたんだな、やっぱ。で、直してくれたんだな、やっぱ。

「そっか。サンキュ」
「いえいえー。……物は直せるんだけどねー。体の傷は無理だったから。背中とか、まだ痛いんじゃない? ごめんね」
「いや、こんくらいはどーってことない。ま、着替えには気を遣ってるけどな。ばれた時の言いわけめんどうだし」
「そっか……いやでも、背中は確実に私のせいだしね。ほんとごめんね」
「もーいいって。じゃ、次な。……あの狼みたいなのはなんだったんだ?」

 城井が一瞬目を瞠って、くしゃりと苦笑した。

「……ずいぶん遠回りしたねー」
「でかいの先に聞くと、ちっさいのは聞くの忘れちまいそうだしな」
「なるほど、正論だね」

 城井は暢気に笑って頷いて、

「あれは《魔獣》ってやつ」

 ファンタジーな単語を飛ばした。
 ……いや、《魔術師》とか《魔術》とか出てきた時点で充分ファンタジーだったけどな!



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