第2話 ナイトとウィザード
04 異世界の話
一瞬思考がフリーズ状態になったが、でかいため息をついて目の前の現実に立ち戻る。
まあ、そもそもだ。
こいつのやることなすこと言うこと、最初からかなりファンタジー要素を含んでいるわけだから、こいつが言う分にはその単語はなにもおかしくない。
……ということになるのか? それでいいのか? ……いいや、考えたってわかんねーし。
「……この世には不思議なものが存在したんだな……」
「いや、この世界のものじゃないんだけどね」
「……は?」
「あれ、《異世界》のものだから」
「……《異世界》?」
「イエス。《異世界》」
あまり聞き覚えのない単語が示す意味を、混乱する頭の中から引っ張り出す。
え、っと。それって、あれか? この世界とは別の世界がもう一つあるとかっていうやつだよ、な?
え、あんの? そんなのマジであんの!?
困惑する俺とは反対に、城井は納得顔で一人頷く。
「そうだな……やっぱそこからだよね。井澄くん、異世界の存在って考えたことある?」
「ない」
「うん、だよね。じゃあまず異世界が存在するっていう前提を頭の中に用意して」
「強制かよ」
「じゃなきゃ話が始まんないんだよ。用意できた? できたら、その異世界では魔術とかそういう不思議な力が一般的に存在するファンタジーな世界だって設定を書き加えてね。これ大前提ね」
「……はいはい、と」
反抗しても仕方がないので、言われるままに脳内のイメージに情報を書き足していく。
「私も井澄くんも、自分の魂の内側に、その異世界のひとの魂を包有してるんだよ」
「……は?」
「包有っていうか、融合に近いかなぁ。とにかく、私たちの中には、もうひとり分、別のひとの魂が眠ってるの」
突飛すぎだ。なんで一つの体に魂が二つあるんだ。しかも異世界の人間の魂って。
疑問ばかりが出てきて、それをまとめることもできず言葉なく立ち尽くしていると、城井はそのまま勝手に話を続ける。
「今から十一年くらい前、になるのかな。その異世界から《こっち》にやってきた一人の魔術師がいてね。その魔術師は二つの魂をこの世界に持ち込んだの。で、その二つの魂を波長があった二人の人間にそれぞれ融合させて、最後には魔術師自身も波長の合う人間と融合した。その融合した人間っていうのが、一人は私ね」
「……《ウィザード》か」
「そ。……元は人間だから当然ちゃんと名前があるけど、もう私の一部だからね。なんかさ、その名前で呼ぶと、一つの体を二つの魂が共有してるみたいだなって思って、なんとなく落ち着かなくって。私と融合した魂は魔術師のものだから《ウィザード》。で、井澄くんと融合してる魂は騎士……正確には見習いなんだけど……まあ、だから私は《ナイト》って呼ばせてもらってる」
「なるほどな。じゃあ俺もそれで呼ぶことにする」
別の人間の魂だって言葉にするのは面倒だが、なにか固定で呼び名があれば少しはそれも軽減する。俺は、俺と融合したっていう魂の元の名前を知らないし、別にそれを知りたいとも思わないから、城井の案に乗っかろうと思った。城井は「お好きにどうぞ」と笑った。
「で、『融合しました』……だけで話が済めばよかったんだけど、そうもいかなくなったの。どうも《ウィザード》たちがいた世界から《こっち》に追っ手が来ちゃってさ。井澄くんが遭遇した狼みたいなのはそれなんだよ」
「追っ手、って……《ウィザード》たちは犯罪者かなにかだったのか?」
魂となって、別の世界に逃げ込んでも、追っ手がつくほどに悪いやつだったのだろうか。でも、俺の中にある魂は《ナイト》、騎士(見習いらしいけど)だった人間の魂だって話だ。なんだか違和感のある仮説だった。騎士と呼ばれる人間が全員善人かっつーとそれも違う気がするが。もっと単純に、自分の中にあるっていう魂が悪人のものだったとは思いたくないだけなのかもしれない。
それに応えるように、城井はふるり、と首を横に振った。
「《ウィザード》の記憶を検証してみたりもしたけど、どうにもそうじゃないみたいなんだよね。むしろ追ってくるのが悪い奴かな、みたいな感じ」
「じゃあ、俺たちのほうが正義なのか?」
「正義なんて言葉じゃ魂は計れないよ。ただ、《ウィザード》たちは積極的に、追われるようなことをしたわけじゃないってだけ。……あ、いや、《ウィザード》はしたかな」
「したのかよ! なにしたんだ一体!」
「《あっち》の法律違反をちょいとね。よくて投獄、最悪死刑って程度には犯罪したんだよ」
「ちょっとじゃねーだろそれ!」
城井は笑って視線を俺からずらし、空を見上げた。
「でも多分、追っ手がついた理由は、《ウィザード》じゃないよ。だって、法律違反程度で異世界まで追っかけてくるわけないもん。《ナイト》でもないよ。まー、こう言っちゃうのはなんだけど、ぶっちゃけた話、《ナイト》はこの件に関しては完全に純粋に巻き込まれただけの存在だから」
「……あー……そういや、《ウィザード》がこっちに持ち込んだ魂は二つなんだったか。一つが《ナイト》……ってことは、他にもう一つあるわけだな」
「そう。あいつらはそのもう一つの魂を探してるはずなの。つまりだ、一週間前の狼みたいなのは、追っ手は追っ手でも、探索用に放たれたものなんだよ」
「探索用、ね……。それにしちゃずいぶん凶暴そうだったけど。んで、なんでそのもう一つの魂は狙われてんだ?」
「《特別な魂》だから、かな」
狙われているらしい魂のことを、「特別」と城井は説明した。その特別がどう特別なのか、どのくらい特別なのかわからなくて、俺は続きをじっと待つ。城井も俺の態度をよしとし、閉じた口を再度開いた。
「《ウィザード》たちが住んでた《あっち》の国には、そこを統べる王様がいるの。その国と王様の一族は、《神に愛されてる》って言われてて、世界中のひとが王様を崇めてる……って言うと大げさかな。《ウィザード》はそうでもなかったし。でも、国と王様の一族を神聖視する人はたしかにいたよ。そういう国教だしね。で、その王様の一族っていうのは、魔術師じゃできないような不思議なことを実現する《力》があってね。……例えば、そうだな……王様だったら、この学校をもう一つ作ることができる、かな」
「……は?」
「ゼロから作るんじゃなくて、コピーするってことなんだけどね。そっくりそのままコピーできちゃうの。そんなこと、最高位の魔術師にだってできないよ。コピーすること自体は可能だけど、それはあくまで幻の一種でしかない。王様がコピーしたものは幻じゃなく、現実になるんだ。……こんなんでわかるかなー。説明って案外難しい」
「えーっと、つまり魔術師がコピーしたものはほっときゃいずれ消えるけど、王様がコピーしたものは物理的に壊さない限りなくならないって感じか?」
「そうそう! やー、井澄くんは理解能力高くて助かるわー。御端くんの保護者やってるだけあるね!」
「御端は関係ねーだろ!」
ようやく俺に視線を戻した城井の口から無関係の御端の名前が出たことで、俺が顔をゆがめても、城井は楽しげに笑うだけだった。
……そりゃまあたしかに、御端は話す内容が前後してたり単語になったり足りてなかったりして普通よりなに言ってるかわかりづらいこともあるけど、御端の言いたいこと理解するために勉強よりもよっぽど頭つかったりもするけど、この場にはあんまり関係ないと思う。あと、それ言うなら真嶋のがずっと理解能力高いと思う。
「で、だ。王様の一族ってのはみんな例外なく、そんな感じで魔術師では実現できないことができちゃう不思議な力……《奇跡の力》を持ってるの。その内容はひとそれぞれ違うんだけどね。……だから、王様の一族の魂は特別視されてるの」
「存在が特別視されんのはわかるけど、魂がってのはよくわかんねーな。具体的には?」
「王族の者の魂を食らえば、その能力を手に入れ、寿命が百年延びる、とかって伝説があるみたいね」
「…………」
「それが真実かはわかんないんだけどさ。《ウィザード》はその伝説に興味ないみたいで、調べようともしなかったみたいだから」
「……ちょっと、ちょっと待て。魂って食えるもんなのか?」
「食べれるみたいだよ。《ウィザード》もちゃんとした方法は知らなかったけど。もちろん魔術的な方法になるから、《こっち》の人間には無理なんだけどね。魂を取り出せて、魂を捕獲できて、魂を保管できて、食べることもできる。《あっち》はそういう世界ってことだね」
「うげー……」
考えれば考えるほど、気持ちの悪い世界だ。魂だなんだと言われても、見たこともないのだから現実味はない。それでも、城井が最初に言ったとおり、これはただの前提の話だ。前提であることを認めなければ、話は進まない。俺は仕方なく、それを前提として飲み込んでいく。
「で、《ウィザード》が持ち込んだもう一つの魂が、その王族のものだったのか」
話の筋からすれば、そういうことだろう。
確認をとると、城井はにっこり笑った。
「当時の国王様の末娘。《ウィザード》は《姫》って呼んでた。だから私も、その魂のことを《姫》って呼んでる」
「《姫》だけ英語じゃねぇんだな」
「だって、《ウィザード》はずっとそう呼んでたんだもん。今更《プリンセス》って呼ぶのもなんかね。長くなるし」
「おい、それ言ったら《ナイト》はどーなんだよ」
《騎士》より《ナイト》のが一文字多い気がすんだけど。
「ん? 《騎士》って呼んだほうがいい?」
「……や、《ナイト》でいい」
城井から目を逸らして答える。
思いつきでツッコミを入れてはみたものの、実際呼ばれてみると激しく微妙だった。《ウィザード》も、《魔術師》よりか言いやすいしな。
《ウィザード》、《ナイト》、そして《姫》。問題の魂の呼び方はこれで固定してしまうのがいいだろう。
「……一応確認させてくれ。城井は《姫》じゃねーんだよな?」
「私は《ウィザード》だって言ったじゃん。なによ、《姫》のがよかった?」
「いや、もし城井が《姫》だったら間違いなく俺のプライドが潰れる」
「あー……」
だって俺、よくわかんねーけど、とりあえず《ナイト》だってんだぜ?
《ナイト》が《姫》に守られるだなんて、笑い話にしかなんねーし、当事者としては情けなさマックスだ。ただでさえ女に守られてがっくりきてんのに。城井が《ウィザード》だってことで、ちょっと救われた気分だ。……いや、女に守られた事実は変わんねーんだけどさ。
話を元に戻そう。城井が一週間前戦ってたあの狼みたいなのは《姫》の魂を探している、らしい。城井があの狼みたいなのと戦っている、ということは、だ。
「……じゃあ城井がああやって戦ってんのは、その《姫》を守るためか?」
「んー、まあそれだけじゃないんけど。でも、とりあえずそれが一番の理由かな」
「そいつ、知り合いなのか?」
「二年前に一回だけ会って話はしたけどね。向こうは覚えてないはずだよ」
「なんで」
「忘れるように暗示かけたから」
「……なんで」
「知らないほうがいいことってのが世の中にはあるのですよ。そうは思わない? 井澄くん」
「……思う」
今、まさに、実感してるさこのやろー。
「でも、最近また顔を合わせたから、名前と顔くらいは覚えてくれたんじゃないかなーと小さく期待してる」
「……なのに、怪我してまで、戦うのか?」
問いかければ、俺の胸のうちを理解したようで、城井は苦笑した。……いや、違う。寂しげに、笑った。
「《姫》の融合者が私のこと知ってるか知らないか、覚えてるか覚えてないかは重要じゃないよ。私がただ、《あの子》を守りたいの。《あの子》には、笑っていてほしいの。……私にとってはね、《あの子》を守る理由なんて、それだけで事足りるんだよ」
正直なところ、城井がそこにどんな想いを込めてるのかなんてこと、俺にはさっぱりわからない。嘘か本当か、それすらもわからない。
ただ、それは、その答えは……今城井が浮かべている笑顔と同じで、すごく寂しいものなんじゃないだろうか、と思うだけだった。
「あと、一応言っておくとね。私は別に井澄くんに『一緒に戦って欲しい』なんて言うつもりはないから」
それは、改めて言われてなくてもわかっていたことだ。強要するつもりがあるなら、城井は最初から、俺に逃げ道なんて用意したりしなかっただろう。
俺が黙っていると、城井はそのまま続けた。
「井澄くんには井澄くんの生活があるもんね。部活も大変そうだし。あの狼みたいなのは、油断さえしなければ私ひとりでも大丈夫だし。……あー……この間のは、なんというか……井澄くんには目撃されちゃうわ、私は思いっきり負傷しちゃうわで、まあ、うっかり井澄くんの中の《ナイト》をたたき起こしちゃったんだよ。うっかり」
ものすごく「うっかり」を強調された。言い訳がましいとも感じられるが、城井としては本気でそう思っているのだろう。それでも、今更だ。その気持ちが顔に出たのか、城井の表情が苦笑へと変わる。
「こうなっちゃうと、本当に今更なんだけどね。私はさ、《ナイト》を起こすつもりなんて、なかったんだよ」
それを嘘だとは言わない。
しかし、城井は《ナイト》を起こしてしまった。不測の事態が重なった結果とはいえ、それは事実に変わりない。
自分の中にもうひとり誰かがいる。……いや、魂だけが、俺の中でひっそりと息づいているのだ。そう考えても実感はちっとも湧いてこないのに、小さな納得があった。あの時、なにを言っているかはわからなかったが、たしかになにかを言っていたと思われる声は、きっと《ナイト》のものだったんだろう。
なにを、言っていたのだろう。俺になにかを伝えたかったんだろうか。それとも、ただ、意味なく声を上げていただけなのか。それすら定かにはならない。どんなに耳を澄ませても、言葉なんて聞き取れやしないのだ。
「あのさ、城井……《ウィザード》はお前に、なんか言ったりしたか? お前には、内側の、《ウィザード》の声が、聞こえるのか?」
尋ねると、城井はきょとんとしてこっちを見上げてきた。もういくつか言葉を重ねるべきかと思ったときには、城井は答えを出していた。
「声……は、聞こえないなぁ。井澄くんは聞こえるの?」
「……わかんね。なんか言ってたような気がすんだけど……なに言ってんのかは、全然聞こえなかったんだ」
素直に答えれば、城井は腕を組んで数秒考え込み、そのままのポーズで言う。
「未練、かもね」
「未練?」
「あんま、いい死に方じゃなかったからね。……《ナイト》に限らず、だけど」
「……そうなのか?」
「ん。《ナイト》は《魔獣》に殺されて、《姫》は自殺だったよ」
端的に死に様を告げられて、それ以上追求する気にはなれなかった。この件については、あんまり深く聞いても、気分が悪くなるだけって予感がした。
……あれ、ちょっと待て。今ふと気づいたんだけど。
俺、知らなかっただけで、最初から関係者だったんじゃねーの、これ。
「……おい、城井」
「あれ? 声が低くなってるよ井澄くん」
「お前が最初から俺の名前知ってたのも、俺の所属知ってたのも、俺の家と俺の部屋の位置を知ってたのも……」
「…………」
「最初から《ナイト》と融合した俺のことマークしてたからか!?」
「マークだなんて人聞きの悪い。勝手に変なことに巻き込まれてないか、時々確認してただけだよ」
心底心外そうな返答に、俺はがっくりと肩を落とした。