TopText姫とナイトとウィザードと ~ナイトの章~

第2話 ナイトとウィザード
05 届かない言葉



 ふいに、一際強く冷たい風が俺たちを巻き込むように通り過ぎた。俺と城井は揃って体を小さくし、互いに改めて顔を見合わせる。
 無言の状態が十秒ほど続き、やがて小さく城井の口が動いた。

「……とりあえずのところは話したし、お開きにしよっか」
「だな……」

 なにはともかく、寒ぃ! コートをしっかり着込んでいるとはいえ、長時間じっとしているには、屋上は寒すぎだ。
 城井が「よっせ」という声とともに腰を上げる。その動きは、どこかぎこちない。日常生活に支障がないレベルまで回復したとはいえ、まだ完全回復には至ってないだろうに。それでも城井は学校に来ていて。そんな怪我をしてまで《姫》を守ろうとする。
 ひとりで。

「……なあ。俺、ほんとになんもしなくていいのか?」

 思わず問いかけると、城井は心底不思議だと言わんばかりに目を丸くした。……なんかその反応、ちょっと腹立つ。俺がそういうこと言うのが意外だと言いたげに見える。
 しかし、城井はすぐに表情を変えた。ふんわりと、優しい笑みを浮かべた。

「……井澄くんは優しいね」
「馬鹿、そういう問題じゃ……」
「井澄くんはそのままでいて。今のままで、いいんだよ」

 言われている意味が、よくわからない。けれど、なんて返していいかもわからない。困っていると、ふふ、と城井が楽しげに笑った。なにが楽しいのか、俺にはわからない。

「そりゃ、協力してくれるっていうんなら助かるけどね。でも、この件について体と命を張れるほどの理由がないでしょ、井澄くんは」
「ずっぱり言うじゃん……」

 あんまりな言い草にひくりと頬が引きつる。
 でもたしかに、城井の言うとおりかもしれない。顔も名前も知らない相手のために戦ってやるなんて、俺には言えない。たとえ俺の中に《ナイト》の魂があるって言われたって、たとえ《ナイト》にとって《姫》が大事な存在だとしたって、それは《ナイト》の問題であって俺には関係がない。《ナイト》の想いは、俺にはわからない。《ナイト》は俺に伝えようとしているのかもしれないけど、それでも現状として、俺にはなにも届いていないんだ。
 我ながら冷たい選択だとは思う。けれど、俺には俺の大事なものがある。
 俺にとって今の日常はある意味《特別》なんだ。野球部の活動が楽しい。クラスメートの御端や真嶋と一緒にいると楽しい。第三者からしてみれば、大したことのない、取るに足りないただの日常かもしれない。でも俺にとって、大事なのは《姫》よりもそっちなんだ。
 そんな俺の内心を見透かしたように、城井は強気そうに笑った。

「わかってるよ。だから気にすんな!」

 俺の答えは決まっていて、それがなんだか居心地が悪い。答えが決まっている以上、先に立ち去るべきは俺なのに、その居心地の悪さから動けない。
 それに気づいてか、城井のほうが先に動いた。

「時間、とらせてごめんね!」

 城井は笑顔のまま、屋上のドアに向かう。だが、その足がふと止まり、俺を振り返った。

「あ、運動部の練習、終わるの早くなったって聞いたけど、野球部はどうなの?」
「あー、みたいだな。今日のミーティングで五時半までにするって言われた」

 一週間ほど前に発生した猟奇殺人事件の、二人目の犠牲者が出たのだ。死体が発見されたのは二日前。犯人に繋がるような手がかりは現時点ではなにもないらしいが、死体の悲惨な有様から同一犯の所業であるというのが世間の見方だ。
 二人目の犠牲者は、北上里駅の西方向一駅分離れた地域から出た。今回も目撃者はゼロ。犯人の目星はついていない。被害者の体のパーツはばらばらになっていて、教室の中で聞いた話じゃ足りないパーツもあるらしい、とのことだ。
 一件目ではまだ他人事だったここらの地域も、現場がすぐそこまで近づいたことで緊迫感が這い上がってきたのか、各運動部には学校側からしばらく部活を早めに切り上げるように通達があったらしい。その制限が、午後五時半まで。六時だともうとっくに暗くなっちまうような季節だから、それも仕方ないことだと思う。真嶋は相変わらず不満そうだった。御端は……うん、まあ、なんだ。あいつ基本ビビリだからな。

「そっか。じゃあできるだけ寄り道しないで、まっすぐ帰って。それから九時……や、八時半以降は外に出ないよう、周りにそれとなーく言っといてくんない?」
「は?」
「あの狼みたいなのって夜行性……とは微妙に違うかもしんないけど。とにかく日中には動かなくてさ。基本的には夜九時過ぎから翌朝三時くらいまで、たまーに九時前からだったりするんだけど、そのあたりが活動時間っぽいんだよね。だから、八時半までには家に入っててくれると、無関係の人巻き込む可能性少なくなんの」
「ふぅん……」
「あと、一応私がなんとかするつもりではいるけど、もしまた襲われるようなら遠慮なく迎撃してね」
「って、あの剣使って、ってことか? あれどうやって出すんだよ?」
「ああ……そっか、わかんないよねそりゃ」

 気が回らなかったことらしく、城井は今気づいた風に呟き、俺に向き直った。

「見ててね。……《アリオ》」

 城井が右手を俺のほうに突き出して短く唱えると同時に、その右手にどこからか光が集まっていき、凝縮し、それが杖の形になる。

「《デリオ》」

 そして、城井の右手に現れたはずの杖は、その言葉によって消失した。思わず「おー」と感嘆の声を上げる。ぱっと城井が両手を開いて俺に見せてきた。

「と、まあ、こんな感じ」
「さっきの、呪文ってやつか?」
「うん。基本的には、イメージすれば唱えなくても出てくるんだけど……慣れてないと逆に時間かかるから、呪文唱えたほうが簡単だよ。呪文にはちゃんと意味があって、力があるから」
「その呪文、どういう意味なんだ?」
「《あっち》の古代語で、《アリオ》は《現れる》、《デリオ》は《消える》って意味。魔術における命名規則でね。術名には古代語を使うの」
「なるほどな。とりあえず、了解」

 俺が頷いたのを確認し、「じゃあね」と言って再びドアに向かう城井の背中に、最後の問いかけをする。

「なあ、なんで城井はそんなに詳しいんだ?」

 常識からかけ離れた内容をすらすらと俺に説明する姿は、少しばかり違和感を抱かせた。まるで、そこにいるのが《ウィザード》本人のような。
 目の前にいるのは誰だろう。本人は城井灯子だと名乗った。けれど、彼女は本当に《城井灯子》なのだろうか。
 城井は振り返らずにそれに答える。

「……《ウィザード》が起きたのは二年くらい前……。その時、《ウィザード》の記憶が私の中に流れ込んできた。だから、《ウィザード》が知ってることは私も知ってることになるの。さすがに《ウィザード》が生まれてきてから見聞きしたこと全部は覚えてないけど」
「へえ……」
「眠ってる魂が起きれば自然にそうなるのかと思ったけど、井澄くんを見てるとそうとは限んないみたいだね。なにか理由があったのか……もしかしたら《ウィザード》がそれを望んだのかもしれない。真実はわかんないけど……《ウィザード》は私の問いかけには答えてくれないから」
「……そっか。悪かったな」

 謝ると、城井はまた俺を振り返った。きょとんとした顔をしていた。

「なんで井澄くんが謝るのさ。謝るのは私のほうだよ……。巻き込んじゃってごめんね」

 笑って、言って、ドアの向こうに消える城井を見送って、城井の言葉に抱いた違和感を、言葉にする。

「……お前だって巻き込まれただけじゃねーのかよ」

 言ったって、城井はもう階段を下りてっただろうから、届くことはないけれど。
 城井の言うことが本当なら、城井も、ただ《ウィザード》の魂と融合してるってだけだ。立場は俺となにも変わらない。わけのわからない異世界のやつの魂のせいで、巻き込まれたのは城井も同じだ。
 城井の言葉が本当なら、いったいなにが、城井に戦う決意をさせたのだろう。



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