第2話 ナイトとウィザード
06 過去の事件
金曜日の朝練終了後。部室に男十人が収まって練習着から制服へと着替えている最中に、真嶋が好奇心を隠しもせずに俺に聞いてきた。
「なぁ、城井とどうなった?」
「はあ?」
「コクハクだろ?」
「ちっげーし」
「ち、ちがう、の?」
……御端までそんなこと言う。
ちくしょう、城井め。強制的に巻き込んだりしなかったことには素直に感謝するが、代わりに妙な種を蒔いていきやがった。
これ以上この話を継続させてなるものか、と黙って着替えに専念しようとしたのだが、真嶋が投げ込んだ話題に部内能天気男ナンバーワンの座を欲しいままにしている仲町が乗ってきやがった。
「なになに、なんの話ー?」
「こないださ、井澄に会いにきた女子がいたんだよ。一組の城井っつって、なんか井澄に話あるって言っててさ。そんで昨日、屋上に呼ばれてたんだよな!」
「へぇ! 井澄ってばやるじゃーん! このこのー!」
「だっからそんなんじゃねーっつってんだろ聞けよ!」
無視すればいいものを、仲町の反応が思いの外うざくて、俺は大きな声で否定した。当の仲町は俺の大声なんてあんまり気にしてない様子でへらりと笑っているが、代わりに近くにいた御端がびくぅっ、と体をはねさせた。慌てて「お前に言ったんじゃないから落ち着け」とフォローを入れる羽目になった。こういうところが、御端は少し面倒くさい。
「城井……?」
林田が首を傾げた。
「それって、一組の《城井灯子》さんのこと?」
「ん? おー、そっか。林田同じクラスだっけ」
「ああ、あの変わりと噂の……」
林田と同じく一組の葉狩が口を挟む。その言葉が少しばかりひっかかり、首をかしげて食いついた。
「変わり者?」
「女なのに男物のごつい腕時計をつけていると、クラスメートが騒いでいた。たしか、夏の衣替えのときだったか」
「ああ、でもあれはたしか……」
林田が、なにかを言いかけてから口を噤んだ。やっぱり言わないほうがいいかな、という言葉が表情から聞こえてくる。はっきり言って、その態度は逆効果だ。余計気になるっつーの。
「なんだよ、林田。言いかけてやめんなよ」
「あー……うん。城井の時計はさ、父親のなんだよ、たしか」
「父親?」
そりゃ、父親なら男物のごつい時計してるだろうさ。一組の連中や俺たちが違和感を覚えるのは、城井が間違いなく女だからだ。そりゃ、好き好んでごつい腕時計を身につける女だっているだろうけど。城井とごつい男物の腕時計。この組み合わせはどうにもしっくりこない。
けれど林田は、それが当たり前……というよりは、「仕方がない」と思っているような口ぶりだ。どういうことなんだろう。
「てか、林田なんでそんなこと知ってんのー? もしかして、そのシロイさんに気があったりしてー!」
「違うって! 城井は同中だったんだよ!」
仲町にからかわれて、顔を赤くしてるんだか青くしてるんだかよくわからない色に染めて否定する林田に、俺は「へぇ」と思った。仲町は「え、そうだったの?」と驚き顔だ。
野球部には、林田と同じ中学出身の部員が他にも三人いる。仲町、間壁、そして高坂。つまり、城井はこの三人とも同じ中学だったということになる。
まあどうでもいいけど。世間は意外と狭いもんだよな。
北上里高校は公立なんだから、近隣の中学出身のやつが多いのは当然だ。特別驚くことはない。
同じ中学出身のはずの仲町は首を捻る。
「うーん……だめだ、記憶にないや。まあ俺なんてあの中学は三年生の一年間しかいなかったしねー」
「そっか、仲町、転校してきたんだっけ」
「そだよー。中三になるのと同時にねー」
「まあ、城井って特別目立つ子でもないし……。俺も、同じクラスになったことはなかったけど……時計のこととか、は……なんていうか、結構話題になってたからさ。それも中三になったときにはだいぶ落ち着いてたから。仲町がわかんなくてもしかたないよ」
「話題?」
「うん……」
林田は少しだけ表情を曇らせて、
「……ご両親が殺されたって。学校中で話題になってた」
トーンを落とした声で、言った。
連鎖反応のように、いつもはうるさい真嶋や仲町を含め、部室の中がしんとなった。
一瞬、思考が停止した。それは多分、俺だけじゃなく半分以上のやつがそうだっただろう。その中で、一番早く復活したのは結局俺だった。
「……事故死とかじゃなくて? 殺人だったのか?」
「うん。ね、間壁」
「……あったな、そういう話」
林田から話を振られた間壁が顔をしかめた。めんどくさそうにも見えるが、あれは単純に不機嫌な顔だ。詳細はあまり思い出したくない、と顔に書いてある。
けれど、詳細を聞きたい、と俺は思った。それがどうしてなのかは自分でもわからなかったが、好奇心なんかじゃないということだけは断言できた。
間壁は眉間に皺を刻んだまま、こっちを見た。
「……朝っぱらからする話じゃねーし、俺もあんま詳しいこと知ってるわけでもねーし。当事者だって、もうこんな話を周囲にされんのうんざりなんじゃねーか?」
「それは……」
言葉に詰まった。間壁のそれは間違いなく正論だ。言い返して覆す余地なんてない。
それでも俺は知りたいと……知らなきゃいけないと、思った。
「……いつだ?」
「あ?」
「だから、その……城井の両親の……中学ん時に、か?」
「ああ……中二んときだな。仲町が転校してくるより前だから」
「……そっか」
「もーいいか? さっきも言ったけど、あんま話して気分のいい内容じゃねーし」
「ああ、サンキュ」
「……話が一段落ついたとこでだ。お前らとっとと着替えろ! ホームルーム遅刻すっぞ!」
「うわ、やば!?」
寺本が声を張り上げ、沈んで淀んだ空気を塗り替えた。俺も表面上はみんなと一緒に焦って笑って着替えを進めたけど。
頭の中は別のことでいっぱいだった。
中二のときの事件。つまり、今から約二年前。城井の両親が殺された。
……あいつ、《ウィザード》が起きたの、二年前って言ってなかったか……?
「井澄ー! ぼけっとすんなよ! 置いてくぞ!」
「ち、ちこく……しちゃう……」
「あ、こら待て、真嶋! 『置いてくぞ』とか言いながら置いてくんじゃねえ! 御端、ほら行くぞ!」
「う、うん!」
部室から飛び出すように駆け出す九組三人を、他の部員が見送る。
「あいかわらず騒がしいな~、九組は」
「仲良くていいじゃない」
寺本の呆れた声と林田の笑いを含む声を背中に受けながら、俺と御端は一人先に飛び出していった真嶋を全力で追いかけた。
先を行く真嶋が肩越しに振り返って、楽しげに声を上げる。
「井澄、競争な! 俺が勝ったら購買のスペシャルカツサンドおごり!」
「するか馬鹿! 一人だけ先にスタート切るとか卑怯にもほどがあるだろ!」
「ハンデ!」
「ねーよ!」
「お、お、おれ、がんばる、よ……!」
「頑張んなくていい! 頑張んなくていいから、御端! あとスピード落とせ、真嶋! ひと轢いたらどうする気だ!?」
「轢かねーって!」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら廊下を走る俺たちは、ちょうど教室に向かう途中だった担任に出くわしてしまい、出席簿の分厚い表紙で頭を叩かれる羽目になった。
* * *
昼休み、超特急で昼飯を平らげ、六組の高坂を捕まえた。女子に聞くようなことじゃないってことはわかってる。けど、城井と同中で、俺が知ってるやつで、いろんなこと知ってて聞けば教えてくれそうな相手となると、第一候補は高坂だった。
「城井さん? うん、知ってるよ。中二の時同じクラスだったから」
ドンピシャリだった。同中どころかクラスメイト経験ありかよ。しかも中二で!
「そういえば、井澄くん、城井さんに告白されたんだって?」
「されてねぇ! その話どっから……いや、いい、わかった。仲町だな」
「わぁ、よくわかったねー」
高坂と同じクラスには、寺本と仲町がいる。話をする可能性が高いのはこの二人で、他人の告白しただのされただのという話を持ち出しそうなのは間壁より仲町だ。
あいつ後でしめる。
今はその些細な怒りは隅に置いて、ストレートに聞きたい話へと繋げる。
「じゃあ、城井の両親のことも?」
それを尋ねれば、篠岡は顔を曇らせた。
「う、ん……新聞にも載ってたし、ニュースでも流れたし」
知らなかった。もっとも、今だって新聞もニュースも見ていないのだから、中学校の時も今も、そういった話題は周囲の友達や親の会話が情報源だ。もしかしたら耳にしたことくらいはあるかもしれなくても、俺には関係ない、とか思って聞き流したかもしれない。大いにありえる。
「……それさ、どういう事件だったんだ? 殺されたって聞いたけど」
「え、うん……でも、その……」
高坂が言いよどむ。きっと、感情は間壁と同じく、それについてはあまり話したくないのだろう。ひとが二人死んだって言う話なんだ。話してていい気分はしないだろうし、かつて城井とクラスメートだったってんなら間壁以上に城井の感情を思いやっている部分もあるだろう。
俺は高坂に対して頭を下げた。
「頼む、高坂。教えてくれ」
「……どうして、そんなに知りたいの?」
「……わかんねえ。でも、知りたいっつーか……いや、それも間違いじゃねーんだけど。たぶん、知らなきゃならないことなんだ」
俺も、どうしてこんなに必死になってるのか、自分のことがよくわからない。……いや、違うな。予感がするんだ。それはすごく重要なことなんだって。ここで知らない振りしたら、いつか俺はものすごく後悔するっていう予感。城井に暗示をかけられそうになったときのような、「それじゃだめだ」っていう根拠のない焦燥感によく似たなにか。
高坂にそれをうまく説明できる自信がないから、俺はとにかく、そう言うしかなかった。
「……中二の……冬だったと思うよ」
「え?」
「城井さんのご両親の事件」
高坂は、痛ましいと言わんばかりに表情を曇らせながら、教えてくれた。
「城井さんはね、一月に転校してきたの」
「転校?」
「うん。冬休み明け直後じゃない、中途半端な時期だったから、最初はそれでちょっと注目浴びてたんだけど、誰も城井さんが転校してきた理由を知らなかったの。先生は頑なに口を閉ざしてたし、城井さんはその話になると笑ってごまかしちゃってたから。でも……そういうの、調べるのが得意な子がクラスにいてね。それで、新聞に載ってた事件の被害者が城井さんのご両親だったんだってわかったの」
やっぱり、城井は両親が殺されたのは中二のときで間違いないらしい。《ウィザード》が起きたのも、城井曰く二年前。
考え込む俺に、高坂は思い出したように言い募る。
「……今、猟奇殺人事件って話題になってるよね」
「ああ」
「そのニュース見て、お母さんとお父さんが『またか』って言ってたの。それで、どういうことなのか聞いてみたのね。それで私も思い出したんだけど……城井さんのご両親の事件も、猟奇殺人事件だったの」
「……え?」
「私ね、そういうの詳しく調べ上げられるの、嫌なんじゃないかなって思ったから、あんまり事件の内容を調べようとはしなかったんだけど……なんていうか、派手な事件だったから。どうしても目に入ってくることもあって。本屋さんやコンビニで見かける週刊誌とか。城井さんが転校してくる前はそんなこと意識してなかったから、新聞やニュース取り扱ってた内容をなんの気なしに見てたし……」
そこまで言って、高坂は一呼吸置いた。
「そういうのの見出しはいつも、『猟奇殺人事件』だったの」
それはしばらく無言で、高坂から得た情報を頭の中に羅列し続けた。高坂が居心地悪そうに見上げてくるので、俺は「サンキュ」と言って、高坂を解放した。
九組の教室に戻りながら、考える。
なんだか、ひどく嫌な感じがした。