第2話 ナイトとウィザード
07 夜
「とっとと着替えて出ろよー」
「寺本オカンみてー」
「誰がだ!」
放課後の練習を切り上げて、みんなで部室で着替える。キャプテンの寺本がキャプテンらしくみんなを促すけど、真嶋にからかわれて威厳ゼロ。いつものことだ。
「でもさ、びっくりだよなー、猟奇殺人なんて」
「だな」
「被害者男だったし、犯人やっぱ男かなー。女じゃバラバラ死体作んの難しいよねー」
「工夫すりゃ不可能じゃねーだろ」
「あー、それもそっかー」
「ひと殺して、バラバラにして、なにが楽しいんだろうね」
「異常者の思考回路なんざ知るか」
「そりゃそーだ」
着替えながら、やっぱりいつものごとく、とりとめない会話を繰り広げ笑い合うチームメイトたちを見回して、静かにため息をつく。まあ、普通はこうなるだろう。俺だっていつもならあの輪の中に入って一緒に笑っただろう。……もうそんな気分にはなれないけどな。
ふと、御端を見る。顔が青い。見るからに青い。真っ青だ。しかも指がブルブル震えてる。そのせいか、着替えがなかなか進まない。
「……御端、怖いのか?」
「こ、こわく、ない、よ?」
バレバレの嘘をつく御端。顔はますます青くなり、指どころか体全部がぶるぶると震え出した。このビビリめ。
まあ、このくらいビビってくれてるほうがやりやすいから助かるけど。
「おい、へらへら笑ってないでさっさと着替えろよ。んで、とっとと帰ろうぜ!」
「なんだよ井澄ー、そんな怖い顔してせかすなってー」
「井澄怖いのかー!」
「あー、そーだよこえーよ。だからとっとと帰るぞ」
不満そうな仲町に茶化す真嶋。俺は開き直った様子を見せるようにして切り返した。そして続けざまにカードを切る。
「そんなゆっくり帰りたいんなら勝手にゆっくり帰れ。俺は御端と一緒に先帰るから」
「うぇ……!?」
「あ、御端も怖いんかー!」
途端、真嶋を筆頭に、部室の中が「じゃーしょうがねーな」といった空気に変わる。
御端効果って凄まじいな。俺が「怖い」って言っても全然説得力ないみたいなのに、御端が「怖い」って言ってるとなると、みんなそれに納得する。まあ、実際怖がってんの、俺じゃなくて御端だしな。
とにかく、誘導成功だ。
着替えを終えて、携帯電話の時計を確認する。コンビニに寄らずに帰るのは難しいだろうけど……。時間が短くなってるとは言え、やっぱ疲れてるからな。家に帰るためのエネルギー補給が必要だろう、俺含め。それもとっとと買ってとっとと食って家を目指せば、まあ全員八時までには余裕で家に帰りつけるだろう。
一番着替えるのが遅い御端の帰り支度を少しだけ手伝って、みんなして部室を出れば、すぐそこで高坂が待っていた。コバセンと監督からの厳命で、高坂が五時半前に帰れない時は必ず俺たち男子部員と一緒に帰ることになった。同じ方面の間壁や林田、それに仲町が送ってやることになっている。やっぱ、女子に対する心配は、男子より比重がでかいからな。
真嶋が時折御端をあっちこっち連れまわしているらしいので、御端が少し心配かとも思ったが、よくよく考えれば真嶋は御端が本気で嫌がることはやらない。だから、御端のこの様子なら、ちゃんとまっすぐ帰らせるはずだ。真嶋は天然で凄まじいまでのゴーイングマイウェイな男だが、野球と御端については信頼できる男だ。
みんな考えることは大差ないのか、買い食いはいつもに比べて素早くすませて、まず上り組と下り組に別れる。下り組は駅方面、上り組はその逆方向だ。別れ際、仲町たちに「こーさかちゃんと家まで送ってやれよ」と言ってやれば、仲町から「わかってるよー」との答えが返ってきた。仲町は能天気なやつだけど、女子への気配りっつーか思いやりっつーか、そういうのを俺らの中で一番心得ている。必要のない言葉だったかもしれないが、まあこんな風にからかうのも立派なコミュニケーション方法だ。
俺たちもそれぞれ家を目指していく。
御端、真嶋と道が分かれる際に、真嶋に言ってやる。
「真嶋、御端ちゃんと送れよ」
「わかってるって!」
「じゃーいい」
あれ、なんか御端の扱いが高坂並み……? まあいいか、心配なのは事実だし。
「い、井澄くん、は、だ、だいっ……?」
「俺は平気だから。御端はまっすぐ家に帰ることだけ考えな。家帰っても怖かったら、俺とか真嶋とか……誰でもいいや。電話でもしろ」
「わ、わかった!」
「じゃあなー、井澄ー!」
「ま、またね!」
「おー」
いつも通り御端と真嶋を見送って、俺は自転車にまたがる前に携帯電話からみんなにメールを送る。怖かったら誰かに電話でもしろって御端に言ったから、もし電話かかってきたら相手してやって。そんな内容だ。真嶋は宛先から除外する。あいつは直に聞いてたんだから必要ないし、御端から突然電話を受けても驚いたりしないだろう。他の奴らはどうかわからないから、一応事前に連絡を回しておく。
メールを送信して、携帯電話をぱくんと閉じて、自転車にまたがって家に向かってペダルを漕ぐ。
家についたら六時十五分。うん、余裕。よし、と呟いて家の中に入る。
「ただいまー」
「お帰りー。お風呂入れるよー」
「おー」
台所のほうから聞こえるおふくろの声に簡単な返事をし、かばんを部屋に放り込んでから風呂場へ向かう。
洗面所でTシャツを脱いだところで、タオル類がしまわれているチェストの上に放り出してあった携帯電話がぶるぶると震えた。手にとって前面ディスプレイを見れば御端の名前、しかもメールの受信ではなく電話の呼び出し。
俺かよ。そりゃ電話しろっつったけど、俺かよ。まあいいけど。
携帯電話の通話ボタンを押して、携帯電話を耳元まで持っていく。
「もしもし、御端?」
『い、井澄、くん!』
「おー。もう家着いたのか?」
『う、うん。井澄くんも、家……?』
「着いてるかって?」
『う、うん』
「着いてる着いてる」
御端の声は少し震えているみたいだけど、着替え中や帰り道よりは多少元気になっているようだ。そのことにほっとする。家に帰り着いて安心したのか、真嶋が上手いこと元気付けたのか。まあ、それはどっちでもいっか。
「真嶋は? ちゃんと家まで送ってったか?」
『う、うん! 家の前まで、一緒で……さっき、帰ったよ!』
「おし。じゃあ後で電話してやれ。ちゃんと家着いたかーって」
『わ、わかった!』
まあ、真嶋ならちょっと遅くなっても大丈夫だろ、たぶん。
……大丈夫、だよな。まだ七時にもなってねーし。城井は、八時半以降は家出るなって言ってたわけだし。……あ、そういやみんなにそれ言うの忘れてたな。さりげなくって、案外難しいよな。真嶋とか仲町あたり、「なんで」って聞いてきそうだし。
『……あ、の……井澄、くん』
「ん、どした?」
『う、えっと……うぅ……っと』
電話口で言葉に困っている御端を、じっと待つ。
電話ってのは、相手の顔が見えないから辛い。普段はそんなこと思わないんだけど、御端の場合、声と表情、仕草、そのすべてが御端の思考のヒントになるから、声以外わからない電話はなかなか難しい。とにかく、今の俺は、御端の言葉を待つしかない。
待つこと十秒以上。ようやく、御端が言葉を発した。
『ごめん、ね』
「え?」
『井澄くんは、こわくなかった、よね……俺が、ビビってた、から……みんなに、言ってくれた、んだよ、ね』
「……あー……」
そうなんだけど。たしかにそうなんだけど。まさか御端が気づいてるとは思わなかった。……とろそうに見えて結構鋭いんだよな、こいつ。
誤魔化しても御端は気にするだろうから、俺は肯定しておくことにした。
「……まあ、気にすんな。事件が気味悪いってのはほんとに思ってるし。高坂もいることだしな。とっとと帰ったほうがいいと思ったんだよ。むしろ、謝るべきは俺のほうだろ。お前のこと勝手に理由に使って、悪かったな」
『お、俺、気にしてないよ?』
「そっか」
『でも、やっぱり、ごめん、ね』
「……だから、」
『あと、あ、ありがとっ』
ごめんね、と謝り倒しそうな御端を止めようと、出かかった言葉が引っ込んだ。
なんだ、言えんじゃん、こういう時にも、「ありがとう」って。出会ったばっかの頃の御端なら、絶対言わなかった一言だ。親切にされたら、むしろ相手に気を使わせたことに恐縮してか、御礼の言葉じゃなく謝罪の言葉ばかりが出てきていた。この変化のことを思うと、なんだか気分がいい。
「おう」
『え、えへへっ……あ、今、へーき、だった? 話してて……』
「ああ。でも、そろそろ真嶋にも電話してみてやったら? もう着いてるころだろ」
『う、あ! そ、そうだね!』
「真嶋が出なかったらまた俺にかけてきていいから。じゃな」
『う、うん! あの、ありがと、井澄くん!』
その言葉を最後に、通話が切れる。携帯電話をぱくんと閉じれば現在時刻が目に入る。六時半ジャスト。
きっとこの後、御端はそのまま真嶋に電話をかけるだろう。俺が言った通り。
そういや御端から電話かかってきたのって、これが初めてだ。できればこんな話題じゃなくて、もっと普通に、友達同士のくだらない話ができればよかったんだけどな。場合が場合だからしかたない。
真嶋は御端と電話でそういうやりとり、したことあんのかな。……ありそうだな、あいつらなら。
「……つか、俺、もしかして過保護すぎか……?」
ため息をついて携帯電話を再びチェスとの上に放り出し、服を脱ぎ捨てて風呂に入る。
さっさと体と髪を洗って、湯船に浸かってある程度体があったまってから風呂を出る。着替えて頭を拭きながら携帯電話で時間を確認する。六時四十二分。
喉が渇いたので水を飲もうと台所に向かうと、晩飯の用意はあらかた済んでいた。水をゆっくり飲んでる間に準備は整い、おふくろと二人で晩飯を取る。親父はまだ仕事から帰ってきていないし、兄貴は大学入学と同時に一人暮らしを始めたので、どうしたって晩飯はおふくろと二人になることが多い。
「……なあ、おふくろ。二年前にも、今のと似たような事件あったって聞いたんだけど、覚えてる?」
「似たような……? ああ、あれね……」
ふと尋ねてみた内容への返答には、疲れ切った響きが込められていた。
「あんまり食事中にする話じゃないわねー」
「……悪ぃ。でもさ、そんな似てるのか?」
「そうね……死体の状態は似てるかしら。あの時はニュースなんかで、『獣に食べられたみたいだ』って、ずいぶん騒いでたわ。あれも結局、ちゃんとした解決はしてないのよね……。たしか、あんたと同じ年の女の子がいたはずだと思うけど……どうしてるのかしら」
「…………」
最後のほうは独り言だと判断し、俺はそれに答えることはしなかった。
空になった食器を流し台に出して、部屋に戻る。ベッドにぼすんと横たわり、携帯電話で時刻確認。七時二十九分。
まだこんな時間か。
疲れてはいるが、こんな早くに寝るのはなんだか時間がもったいないような気がして、体を起こす。十秒ほど悩んだ挙句、かばんに詰め込んできた英語のプリントを引っ張り出した。たしか、これは明日提出の課題だったはずだ。以前なら、家に帰って課題をする元気も時間もないもんだから、朝学校に行ってからみんなで急いで仕上げるのが常だった。しかし、今は時間も元気も余っている。あんまりやりたいとは思えないことだけど、せっかく時間があるんだからやってみることにした。
携帯電話は、鳴らない。御端は無事真嶋と連絡が取れたんだろう。
プリントに羅列された日本語に対応する英単語を、辞書を引いて書き込んでいく。こんな風に勉強机に向かうのは、前回のテスト期間以来だなー、と思う。真嶋に至っては、テスト期間ですら勉強机を利用していないはずだ。プリントやら雑誌やらが山になってて、それを片付ける気はあまりないらしい。御端の机は真島ほどの惨状じゃないだろうが、どっちにしてもあまり活用はされていないだろう。あの二人の勉強時間は、基本的にテスト前に部員みんなでやる勉強会だしな。
プリントの解答欄を全部埋め終わって、イスに腰かけたまま背中を伸ばす。勉強机に向かってると、どうしても猫背になってくる。だめな姿勢とわかってても、なかなかなおらないもんだ。
時間を確認すると、ちょうど八時半だった。どうでもいいことを考えながら進めていたせいか、思った以上に時間を使った。
やっぱり寝るにはまだ早い気がして、本棚に詰め込んである漫画を一冊手に取った。中学生の頃に流行ってた漫画で、俺も結構はまって、単行本を買い揃えた。そのページをめくりながら、けれど頭の中を過ぎるのはまったく別のことだった。
八時半。城井は今、戦っているのだろうか。
考え出すと止まらないし、おまけにまとまらない。
ため息をついて漫画を元の位置に戻し、ベッドに背中からダイブする。俺の体重を受けて、ベッドが小さく音を立てたが、気にするほどのことじゃない。
今まで、俺がみんなと苦しくも楽しい部活に励んでいる間も、布団にくるまって爆睡してる間も、城井はひとりで戦ってきたのだろうか。そう考えると、妙に胸のあたりがもやもやしてくる。
俺には戦わなくていいと言った城井。たったひとりで、《魔獣》とやらと戦う城井。
「……《アリオ》」
右手を突き出し、何気なく唱えてみると、屋上で城井が見せてくれたようにどこからか光が集まり、それが俺の手の中で剣になった。
これはきっと《ナイト》の剣だったのだろう。柄を握る感触を懐かしいと思うのは、俺の中のどこかに《ナイト》の記憶が残っているからなのかもしれない。
城井は言った。俺には、体と命を張る理由はないだろう、と。なら、城井にはあるのだろうか。体と命を張るに足る理由が。
俺はすでに、それについてひとつの仮説を立てていた。
――確かめねーと。
決めて、ベッドから起き上がった。