TopText姫とナイトとウィザードと ~ナイトの章~

第2話 ナイトとウィザード
08 灯子の選択



「《ザキ・クレスタ》!」

 城井は最も唱え慣れた呪文をなぞった。とても簡単な氷の魔術。氷柱を出現させ、敵に向けて放つ。先端が鋭く尖ったそれは殺傷能力抜群だ。
 城井が放った氷の刃は敵の鼻頭を潰し、目を潰し、眉間を貫いた。たったそれだけ。たったそれだけで、敵の生命は断たれる。
 頭か、胸の真ん中。そんなところを貫かれれば、どんな生物だって死に至る。普通なら、それ以外の箇所でも、急所でなくても、血を流しすぎれば死ぬ。けれど、城井の前に立ちはだかる敵には、その常識がいまひとつ通用しない。
 頭か、胸の真ん中。彼らにとって、そこ以外への攻撃は意味を持たない。痛覚はあるらしく痛がる様子は見せるが、それだけだ。緊急時に隙を作る手段にはなっても、攻撃としてはまったくの無意味。その傷はすぐに癒えてなかったことになってしまう。
 城井はそれを、生物という枠にはめこんでいいものかどうか、度々考えていた。特に、その終焉を見届けるときにはその思考にとらわれやすい。
 今もそうだ。負傷箇所から噴き出て行く黒い煙のようなものを眺めながら考える。頭と胸の真ん中以外の攻撃が致命傷にならない。倒せばまるで幻のように消えてしまう。それらの事実は一体、なにを指し示しているのか。

「……三体目、か」

 道幅が広い住宅地の中で、城井は呟く。真っ白な吐息が同時にこぼれた。
 本当は人気のないところで交戦するのがベストなのだが、偶然この場所で一体目を見かけてしまったのだ。周辺を軽く探ってみたが、犠牲者は今のところいないらしい。幸いだ。
 次はどのあたりに出るだろう。きっとこの町の中だ、と城井は考えた。
 ここは井澄の住んでいる町。一週間ほど前から、時折この町中に《敵》が現れるようになった。おそらく、井澄を探しているのだろう。排除すべきものとして。
 わけのわからない世界だ、と城井は思う。《あっち》の常識は、《こっち》の常識から逸脱しすぎている。《ウィザード》の記憶がなければ、とてもではないがこうして生きていられなかっただろう。
 だからこそ。
 城井は井澄に、防衛線を引いてやった。
 これは馬鹿げたことだと、城井自身もよく理解していた。馬鹿げた事態だ。馬鹿げた襲撃に馬鹿げた迎撃。そうは思っても、城井には選択肢がなかった。
 本当に他に選択肢はなかったのか、ここまですることはなかったのではないかと、頭の奥で囁く声。
 本来ならば、城井にはなんら関係のない事象だったのだ。関係あるのは城井ではなく、城井の中にある《ウィザード》の魂なのだから。城井自身がこうしてわざわざ足を突っ込む必要性は、なかった。
 忘れてしまえばよかった。全て。
 けれど城井は、無視することなどできなかった。知ってしまえば、知らなかった頃には戻れない。たとえ記憶を失おうと、過去はついて回る。なにかのメディア作品でそんなことを言っていなかったか。一瞬、どんな作品だったか思い出そうとしたが、すぐにどうでもいいことだと気づく。
 城井は知ってしまった。知りすぎた。共感を覚えた。逃げ道はあったかもしれないが、それは城井の意思で閉ざされた。
 そうして城井は、戦うことを決めた。
 けれど、井澄は違うのだ。
 城井は星の見えない夜空を見上げる。どんよりした雲が空を覆っていて、月の明かりすらほのかにしか確認できない。
 一週間と少し前。張り巡らせたアンテナによって《敵》の存在を感知し、それを辿った先にいた《敵》をすぐさま排除した。しかし、無用心に足を止めている姿を見て嫌な予感がしてはいた。《敵》が倒れ、開けた視界に姿を見せた井澄に、「最悪だ」と心の中で呟いたことを、今も忘れていない。
 できれば誰も巻き込みたくはなかった。特に、《ナイト》と《姫》は。自分と同じ道と辿らせたくなかった。たとえそれがどれほど無茶で無謀な願いだったとしても、城井は願わずにはいられなかった。自分はすでに大切なものを二つ失っている。だからせめて、あの二人には、自分には叶わなかった平穏無事な日々を過ごしてほしいと祈らずにはいられなかった。
 なのに、巻き込んでしまった。あのままもう一体が襲ってきさえしなければ、井澄をこんなことに巻き込まなくて済んだのに、と思う。同時に、すぐに襲撃に気付かなかった自分に憎しみが湧く。そして、井澄の言葉に負けて《ナイト》を起こしてしまった自分の弱さに憤りを感じる。
 もっとも、まったくの無関係な人間に犠牲が出てしまっている以上、《ナイト》と《姫》を巻き込みたくないなど、身勝手な願いでしかないだろう。そう自覚できても、願わずにはいられない。今もなお。
 幸いだったのは、井澄が《ナイト》の記憶を見ていないことだ。
 城井は井澄に一つとして嘘は言っていない。しかし、城井が話した事情はあくまで城井の言葉。言葉は人間にとって非常に便利な道具だ。言葉にすれば、どんなことでもある程度は伝わる。だが、言葉は経験と想いをそのまま他者に伝達する能力は持っていない。これは言葉が悪いのではなく、人間という生物の特性だろう。
 同じ経験をした二人の人間が存在したとする。彼らはそこで、同じ感想を持つだろうか。持つこともあるかもしれない。けれど、人間は育つ環境によって価値観を左右される生き物だ。たとえ兄弟であったとしても、そこには必ず差異が生じる。十人十色、という言葉が日本にはある。まさしく、人間とは個々の価値観と感性を抱く生き物なのだ。大きな括りで見れば同じ感想であっても、深く掘り下げればずれを発見できるのが当然と言える。
 城井は事情を簡単に、大まかに井澄に話した。そこに想いは込めなかったつもりだし、井澄には経験の記憶が存在しない。
 だから、城井の気持ちも、この事態の根っこのところも、井澄にはほとんど伝わらなかっただろう。
 それでいいのだ。

「……あー……また来た」

 新たにアンテナに引っかかる一体の《敵》の存在。頭の中に違和感に顔をしかめる。数日前の失態から、城井はアンテナから発せられる信号を幾分強めた。近くまで《敵》が近づいているのに、考え事や動揺していたら気付けないなど、アンテナを張り巡らせた意味がない。違和感にはそのうち慣れる。
 城井は移動しない。《敵》のほうから城井に近づいてきており、《敵》と城井の周辺には他の人間は存在しないからだ。
 井澄には選択の余地が与えられた。踏み込むか、踏み込まないか。たったの二択だが、この二択の差はは大きい。
 井澄には《ナイト》の記憶がない。井澄はなにも知らない。そして、まだなにも失っていない。だからこそ、選ぶことができる。他でもない井澄本人の気持ち次第で、全てを選ぶことができる。
 井澄が《こちら側》へ来ることはないだろう、と城井は思った。それがほんの少し心細かった。そして同時に嬉しかった。
 ひとりで戦うのは怖いし、とても疲れる。けれど、巻き込むのは嫌なのだ。矛盾した気持ちを抱えていた。
 選ぶ権利を得た井澄は、「一緒に戦う」とは言わなかった。
 それを「よかった」と思えることに、城井は心底安堵した。

「次から次へと……まったく、ほんと趣味が悪いったら」

 ずしん、と重そうな足音が響く。新手がここまで来たのだ。
 親玉の顔が見てみたいものだ。そう思いながら、杖を構え直す。
 ちらりと後方に視線だけ投げかければ、誰もいない。だからと言って安心しきることはできない。人避けの術もしかけてはあるが、万が一ということもある。もっと人が来ないような場所に誘導するべきだろうが、この場はしとめてしまったほうが早い。
 《敵》が城井の視線の先、数メートル手前のところで足を止めた。獣のくせに、背筋が粟立つようないやらしい笑みを浮かべているように見えるその顔には、嫌悪しか感じない。
 目の前の《敵》は俊敏な動きを特性としているが、その割には速攻をかけてくることが少ない。嗜虐的な性格のせいかもしれない。狼のような容貌をしていながら、野生動物ではありえないほど、彼らは狩りという行為を楽しんでいる。傷つけ、破壊し、弄ぶことに愉悦を感じているようなのだ。そんな趣味の悪い生物は人間だけで十分だろうに。
 《敵》は《ウィザード》を確認したのか、一際深く笑みを刻み、脇目も振らず城井に迫ってくる。《敵》の標的は《ウィザード》と《姫》。先日の一件から《ナイト》も含まれるようになったと考えるべきか。ひとたびそのどれかを認識すれば、それだけを追ってくるようだ。まるで、その行動をプログラムでもされているかのように。
 浮かんだ、奇妙とも言える考えに、考えた城井自身が目を丸くした。そんなことはありえない、と打ち消しかけて、どうしてありえないと言えるのかと自分に問いかける。
 ありえない、と言える証拠がない。「ありえない」という証拠がないのであれば、それがどれほど常識から逸脱した事象であれ、いくらかの確率で「ありえる」ということになる。
 生き物になにかしらの行動を意図的にプログラムすることは不可能だ、と城井は瞬時に考えた。しかし、この世界においても『洗脳』という言葉が存在する以上、それに近いことは可能かもしれない。その技術がどの程度なのかは、そういったことに今まで興味を持って来なかった城井にはわからない。
 それに、それはこの世界においての常識的な考え方の範疇でしかなく、《あっち》のことは《こっち》の常識でははかれない。もしかしたら、なにかしらの術を使用すれば、それも可能なのではないか?
 一瞬のうちに広がった思考の波にとらわれ、城井の体は数秒間停止していた。はっと気づいたときには、《敵》は目前まで迫っていた。
 交戦中だったのに、と奥歯を噛み締め、杖を向けて口を開いた。
 瞬間、ぞくり、と背中に悪寒が走った。肩越しに振り向くと、正面から向かってきている一体とは別に、もう一体。風のように疾走し、その勢いのまま城井に飛びかかってくる。
 油断していたつもりはなかった……というのは、虚しい言い訳にしかならない。城井の体にはここ数日の連戦で間違いなく疲労が積み重ねられているし、不覚にも思考の海にはまってしまっていた。ほんの数秒、されど数秒。たった一秒の時間が運命を左右することだってままあることだ。信号をまた強めなければ、と冷静な判断が思考の片隅に浮かぶ。
 対応しきれない。このままではその爪にかかってしまう。
 負傷してもかまうものか、と城井は姿勢を正す。道路の真ん中で挟み撃ちにされた格好だ。それがどうした。城井のすべきことはひとつ。自分以外のだれかにその爪がかかる前に、この闇そのもののような獣を消すことだ。
 さあ来い、と痛みを覚悟する。すでに呪文は間に合わない。ならば、まずはこの身を《敵》に捕らえさせる。やつらの体は大きい。だからこそ、向けてくる爪と爪の間には城井ひとりくらい余裕で挟めそうな空間ができている。そこを上手く見極め、入り込む。上手くすれば二体の獣がお見合いする格好になるはずだ。そうなればやつらの動きは少なくとも数秒停止するだろう。その隙を狙う。
 けれど、ことは城井のシミュレーションどおりにはならなかった。まず後方から迫ってきていた《敵》が不自然に前のめりになった。その光景を驚きいっぱいで横目で確認しているうちに前方から迫ってきた《敵》の爪が左頬を掠った。その直後、銀色の一閃が《敵》の頭部を切り裂いた。
 アスファルトに倒れた二体の《敵》。前方の《敵》のすぐ脇に、

「よっ」

 井澄が、《ナイト》の剣を持って立っていた。



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