第２話 ナイトとウィザード
０９ 孝弘の選択
家を飛び出して、まず城井がどこにいるのか探そうと思った。なんとなくこっちにいる気がする、というなんとも頼りない勘を頼って夜の町を駆け抜け、その先で《魔獣》二体に挟み撃ちにされている城井を見つけ、考えるより先に体が動いた。
剣を握り締めてまず手前の一体を斬る。斬った一体を踏み台にして高く跳び、もう一体の頭の斬りかかる。
重厚な音とともに倒れた《魔獣》。その横に立った俺の姿を認めて、城井がぽかんとした表情を浮かべた。相当驚いているらしい。
とにかくこの場を移動したほうがいいだろう。城井にそれを提案しようとした直後、城井の背後で闇が動いた。一体目を倒し損ねたのか。反射的に体が強張るが――
「《ザキ・クレスタ》」
俺が声を上げる前に、城井が体の向きは変えず、肩越しにちらりとだけ振り返って冷静な声で唱え、それに呼応して現れた氷の槍が《魔獣》の頭部を容赦なく串刺しにする。
……こう言っちまうのはなんだけど、えげつねーな、結構。
まだ来るか、と倒れる《魔獣》を見続けたが、結局《魔獣》はもうぴくりとも動かず、氷が刺さったところから黒い煙が吹き出し、存在が薄れていく。視線を自分の脇に移動させると、さっき俺が斬り倒した《魔獣》も、同じように傷口から黒い煙を吹きだしていて、夜に溶けるように姿を消した。
なるほど。ファーストコンタクトの際、気がつくと《魔獣》の姿は影も形もなかったのは、こういうことか。
「……とりあえず、ありがとう。助かったよ」
「どーいたしまして。って、お前怪我！」
「ん？ ああ、これね。なんともないよ、こんな程度。……ん、もう血も止まってるし」
左頬にできていた裂傷は、十中八九さっきの《魔獣》の爪によるものだろう。
怪我をした本人は、ずいぶんけろっとしているが……痛くないのか？ いや、たしかに血は止まってるみたいだけど。
「このくらいなら、一晩で治るかな」
「……え、なにその超人発言」
「井澄くんだって治るよ」
「うそ！？」
「ほんと。ただし、《力》を解放していれば、だけどね」
城井は、俺が握っている剣を軽い動作で指差した。《力》の解放って……これ出してる状態のことか？
剣を軽く持ち上げて、城井を見返す。
「……そうなのか？」
「《力》を解放している間だけね。治癒はハイスピードだし、痛みもあんまり感じない。その代わりと言っちゃあれだけど、後の疲労感が半端ないんだけどね」
「へぇー」
なんだそれ、すげーな。
言われてみれば、一週間ちょっと前の戦いで城井は相当ひどい怪我を負っていた。普通に考えて、一週間なんて短いスパンで回復できるとは思えない。だって、腕貫通してたんだぞ？ その驚異的な治癒スピードはこの《力》ありきってわけか。どうなってんだろうな、これ。
素直に感心する俺に、城井はじとっとした視線を向ける。
「ていうか、なんでここにいるの？ 散歩？ 危ないって、私ちゃんと言っといたのに、感心しないなぁ」
「……だから来たんだよ」
短い言葉だったが、それで俺の気持ちは伝わったらしい。城井は心底不思議そうな顔をして俺を見上げている。
「……関わらないんじゃなかったの？」
「……そう思ってたんだけどな。最終的な結論は、お前の答えを聞いてから出すことにした。さっきのはとりあえず、条件反射だ」
「……遅くなるとお家の人が心配するんじゃない？」
「そこは問題ねーよ。窓から出てきたから」
「……窓？」
「おう。便利だな、《ナイト》の力は」
おふくろは俺の外出を知らないはずだ。一度、一階に下りてお茶飲んで、その後玄関から靴を持ち出して部屋に戻った。パジャマ代わりの長袖Ｔシャツとジャージズボンから外出しても問題ない格好に着替え、しっかりコートを着込み、靴と剣をそれぞれ片手に持って、窓から飛び出した。
城井曰く《力》を解放している状態だと、なんだかめちゃくちゃ体が軽い。二階から飛び降りたってのに、らくらく地面に着地できてしまった。
「ってことで、城井、今話せるか？」
「はぁ……ちょっと待って。もう一体近くにいるみたいだから、それ片づけたら」
「オッケー。じゃあ付き合う」
「別に一人でも大丈夫だよ」
「そのままどっか行かれたら困るからな」
「行かないって」
苦笑する城井に、半ば無理矢理ついていって、城井が《魔獣》を倒すところをすぐ傍で見届けた。さっきと同じように、頭を串刺しにする。なんか、慣れている感じだ。この間、俺が見ている前で苦戦してたのは、俺の存在に気を取られていたせいなのかもしれない。
相対する《魔獣》ってのが危険だってのはわかってるつもりだけど、頭部串刺しは、やっぱえぐい。それを平然とした顔で実行する城井は相当えげつないと思う。
「……そりゃあ頭潰せば終わりだけどさ」
「そうだけど、それだけじゃなくてね。急所なんだよ。覚えてる？ 頭と胸の真ん中。ここにダメージ与えないと倒せないんだよ。腕もぎ取ってもすぐ再生しちゃうの」
「もぐとか言うな！ ……ん？ だとして、なんで胸じゃなくて頭狙うんだ？ 頭のが的としちゃ小さくて、狙いにくいんじゃないのか？」
……ってな感じの話を、漫画かなんかで見たことある気がするんだけど。俺の疑問に、城井は苦笑した。
「それはそうなんだけどね……胸狙うと、腕でカバーされちゃうことが圧倒的に多くて……」
「……なるほど」
経験的に、頭を狙ったほうが早く片付けられる、ということになったらしい。まあ、城井の狙いは正確みたいだから問題ないんだろうけど。
「さて、話って？」
「ん。もう大丈夫なのか？」
「うん、とりあえずは、ね。アンテナに引っかかってこないし」
「アンテナ？」
「あちこちにね、こういうのを設置してあるんだよ」
城井が取り出して見せたのは、形がきれいに整えられた水晶のような、小さな細長い石だった。大して明かりのない夜の中であっても、それははっきりとわかるくらい白いものだった。
「自分の目だけじゃどうしても足りないからね。これに魔力を込めまくって設置しておいて、付近に《魔獣》がいるようなら私に知らせが届くようにしてあるの……信号みたいなね」
「はー、なるほどな。で、毎晩見回りしてるわけか？」
「…………」
「学校来なかった一週間も、こうやって見回りだけはしてたのか」
「…………」
「……あの狼みたいな《魔獣》は、今話題になってる事件に関係あんのか」
「……井澄くんは理解能力ありすぎて困るわー」
そう言って城井は、本当に困ったように笑った。
立ち話じゃなんだから、と城井が言い、俺たちは近くにあった公園のベンチに並んで腰掛けた。
剣も杖も、必要ないからしまった。《しまった》っていうか、こう、光の塊になって消える、って感じなんだけど。どうも普段は俺たちの内側にあるものらしいから、《しまった》でいいだろう。
途端、あんなに軽いと思った体がものすごく重いように感じられた。これが、城井曰く《半端ない疲労感》ってやつなんだろう。城井は慣れたもので、表情は一切変えない。俺のほうも、驚いた顔は見せてもあからさまに「疲れてます」って顔はしない。夏頃の部活終了後に比べれば全然だ。
「井澄くんのさっきの推測は、全部当たりだよ」
城井は、一番最初にそう言った。
「前二つの質問は、そのままそのとおり。訂正の余地もなし。理由は、まあ《姫》の魂と融合した子を守るためでもあるんだけど……。最後の質問にも関係してる。井澄くんが言うところの、今話題になってるあの事件」
「……やっぱりか」
猟奇殺人事件。
力任せに引きちぎられたような状態らしい死体。人間の二倍以上のでかさがある狼のような《魔獣》の存在。知ってしまった以上、この二つの関係を疑わないほうが無理がある。
顔をしかめた俺の隣で、城井は涼しい顔のまま続ける。
「あの狼みたいな《魔獣》は《ゴル・ウルフ》っていう種類でね。《魔獣》っていうのはそもそも、普通の野生動物とは区別されて、普通の野生動物以上に恐怖の対象なんだ。見た目どおり、あれは狼に近い種だとは思うんだけど」
「サイズがけた違いだな」
「あはは、たしかに！ 人間よかでっかいもんね！」
城井はひとしきり笑うと、静かに続けた。
「……《ゴル・ウルフ》はさ、肉食なんだ」
「…………」
「ていうか、《魔獣》自体が基本的にはそうみたいなんだけど。むしろなんでもこいって感じかな？ ……夜とはいえ、八時半以降なんて、出歩く人は少なくないじゃない。中学生まではそんなにいないかもしれないけど、高校の運動部なんて……井澄くんたちがいい例だよね。遅くまで活動してるところは結構あるし。大学生だってサークルとかバイトとかあるだろうし、社会人になれば九時までに帰らない人なんていっぱいいる」
「……食べるのか」
人間を、とは口にしなかった。そんなの、もう、仮説を立てた時点でわかりきっていたことだったけれど、確認せずにはいられなかった。
城井の表情が、苦しげなものに変わる。
「食べる」
回答はひどく簡潔だった。
それから数秒の間をおいて、更に続ける。
「《ゴル･ウルフ》は、《あっち》でも特に目撃例が多い《魔獣》だった。目撃件数、イコール被害件数だよ。ただし、集落単位のね。畑を荒らし、ひとを食らう。それが《魔獣》なんだ」
無意識のうちに、俺はごくりと喉を鳴らした。集落単位の被害。つまり、被害件数、イコール死者数じゃない。一件の被害の中で、複数人の被害者が出ているということだ。
「正直なところ、《魔獣》についてはわかっていないことのほうが多いんだ。……さっき、見てたよね。《魔獣》は死んだら消えてしまうから、調査するにも研究するにも限界がある。わかっているのは、体から有害な物質かなにかを放出してることと、人間を含む様々なものを食べること。……あいつらを放つっていうのは、おそらく獲物を見つけたら食べてもいいっていう前提のもとで行われることなんだと思う。目の前の獲物を狩って食べる。……動物として、その本能は間違ってないんだろうけどね。追手として送り込まれてきてる以上、野生じゃないんだろうけど……特定の標的がいるってこと以外、野生のものとなんにも変らないんじゃないかってのが、今のところの私の見解」
「……事件の、犠牲者は、……」
「……《ゴル・ウルフ》が連夜襲撃をしてくるようになったのはつい最近のことでさ。油断もあったかもしれない……事態を甘く見ていたところがあったかもしれない。……一件目は、《ゴル・ウルフ》三体がほぼ同時に、違う地点に出現して……近いところから順に片付けていって……駆けつけた時には、もう遅かったよ……。二件目は、六体くらい連続で襲ってきて、その隙に……」
ぎゅう、と城井の手に力がこもって、指が白くなっていった。きっとその手のひらには爪が食い込んでる。自分のせい（正確には、融合している魂のせいだけど）でまったく関係のない誰かが犠牲になってしまったんだ。城井の胸中は、まだ渦中にいない俺には計り知れない。
無残に四肢を引きちぎられて死んだという、猟奇殺人の犠牲者。バラバラにされたパーツ。足りないパーツ。
それじゃ、つまり。バラバラなのは、食べやすいように引きちぎられたからか。足りないところがあるのは、食われたからか。獣に食われて、死んだのか。
獣に、食われて。
「……城井。間違ってたら悪い。でも、聞かせてくれ」
「なに？」
「城井の両親も、そうやって、殺されたのか」
「…………」
城井はしらばく沈黙して、小さな声で、肯定の返事をした。
ああ、やっぱり。
間違ってたら悪い、なんて言ったけど……間違っていてほしかった。親が死んだときのことなんて、思い出さずにすむなら思い出したくないもんだろう。それも、事故や病気じゃない、猟奇殺人だなんて言われるような事件なのに。
そして、それの事件を引き起こした原因になるものが、城井の中にあるってのに……。
「……黒幕は、《ウィザード》を警戒してたんじゃないかと思うんだ。《姫》を探すにあたって、一番邪魔になるのは《ウィザード》だろうからね。《ウィザード》さえ片づけてしまえれば、あとはゆっくり《姫》を探せばいいだけ。……結局それが、《ウィザード》が起きるきっかけになっちゃったんだけどさ」
城井の声は、案外しっかりしていた。城井にとって、聞かれたくないことなんじゃないかと思ったから、その反応は少し意外だった。隣に視線を向ければ、城井には表情がなかった。それは逆に、必死で繕っているようにも見えた。
「……お前、戦う理由、《姫》を守るためだけじゃない、みたいなこと言ってたな」
「うん、言った」
「……仇討ち、ってやつか？」
「そんなんじゃないよ。……あの日、両親を殺した《ゴル・ウルフ》は、その場で倒しちゃってるし。まあ、黒幕を引っ張りだしてこてんぱんにしてやりたい気持ちは、たしかにあるんだけどさ」
でも、それ以上に、と城井は小さく呟いて続ける。
「私はもう、なにも奪われたくないんだ。守れないのは嫌なんだ。だから、戦おうって決めたの」
「……そっか」
奪われていない俺には、城井の気持ちはわからない。わからないけれど、自分が決めるべきことくらいは、理解した。
「……ごめんね。こんな話で。気分悪いでしょ」
「ま、よくはねーな。でも、最初に聞いたの俺だし。城井が謝る必要ねーよ」
俺はベンチから立ち上がって、城井を見下ろした。
……ちっさいな。
女なんだから、男の俺よりちっさいのは当然なんだけど。
城井の体は、そのすべてを抱え込むには、ちっさすぎるんじゃないかと思った。
「十二時まで」
「え？」
「俺も付き合う、見回り」
「はあ！？」
城井が目を丸くして、勢いでベンチから立ち上がる。
なんでそんな驚かれなきゃならないんだ。憮然とした気持ちで、城井を見返す。城井は焦ったように言い募る。
「いや、いーよ！ 井澄くん、部活キツそうだしさ！」
「放課後は時間短くなったし……まあ、朝練は変わらずあるからな。だから、十二時までだ。夜通しはつき合えない。んなことしたら俺死ぬ」
「だ、だから、家で寝てれば……」
「無理言うなよ」
城井の言葉を、苦笑とともに遮る。
「そんな話聞いて、家でおとなしくしてろってほうが、無理だ」
「…………」
「《ゴル・ウルフ》の話聞いて、やっぱさ、関係ないとか言ってる場合じゃねーな、って思ったんだよ。《姫》とか関係ないところで犠牲になるやつが出んのは俺も嫌だし、下手すりゃうちの部員も巻き込まれるかもしんねーだろ」
「……まあ、絶対有り得ない、とはたしかに言えないけど」
なにせ、野球部連中の頭の中は基本お気楽だ。特に真嶋とか仲町とか真嶋とか仲町とか。
今日の帰りに思った。自分の身近にでも犠牲者が出ないと、俺たちはそこに確固として存在しているはずの危険を、危険だってわかりきっているはずなのに、それでも自分にとっての危険だとは認識できない。危機感を持て、と俺が言ったところであいつらには通じないだろう。俺だって、あいつらと同じ立場なら、なんの根拠もなく「大丈夫だ」と思っていたはずだ。
みんなの危機意識の足りなさを責めるつもりはない。
ただ、俺は、誰かが欠けるのは嫌だ。チームメイトとしても、友達としても、みんなの中から誰かが欠けるような事態になるのは、絶対に嫌だ。
「奪われたくねーってんなら、俺も同じだ。俺は今ある日常が大事だから、それを壊されたくない。顔も知らない《姫》とやらのためには戦えないけど、そのためになら戦える。……お前が勝手に戦うって決めたってんなら、俺が決めるのだって勝手だ。だろ？」
俺の宣言を聞いて、城井はぽかんとした顔から、徐々に笑いをこらえるような表情へと変わっていく。おいこら、なんで笑う。
「くっ……くっ……あ、あはははは！ いやー、井澄くんて噂どおりの人だねー！」
「噂？」
「一年九組在籍野球部の井澄孝弘くんは、顔はかわいい系だけど……」
「ちょ、こらかわいいって、」
「性格はむちゃくちゃ男前だ、って」
かわいいって言うな、って、言おうとしたけど飲み込んだ。男前と言われて喜ばない男はいない、普通。……「かわいい」は余計だけどな！
城井の笑いが収まり、勝気な笑みが俺に向けられる。
「守りたいものは違っても、倒すべき相手は共通ってことだね。よし、じゃあ手を組もうか、井澄孝弘くん」
「……望むところだ」
もっとも、俺ひとりじゃ、やつらに対する知識が皆無に等しいから、城井がいてくんなきゃ困るんだけどな。そんなこと、城井だってわかってるだろう。俺にはやつらに対する知識がないが城井にはある。城井にとっては迎撃の手が足りないから一緒に戦う。利害は立派に一致を見せた。それで充分だ。
差し出された城井の右手を握る。
「よろしく、相棒」
「頼むぜ、相棒」
お互いににやりと笑いながら、ふと、城井も結構性格が男前なんじゃないかと、頭の片隅で考えた。
「ところでさ」
「ん？」
「《姫》って誰なんだ？」
「それはー……秘密ってことで！」
「はあ！？」
「だって、《姫》を守るつもりはないんなら知ってる必要ないじゃない。それより、井澄くんにはとりあえず、《あっち》の情報叩き込んであげるからね！」
前言撤回。こいつはかなり性格悪ぃ！