TopText姫とナイトとウィザードと ~ナイトの章~

第3話 日常と非日常
01 慣れない生活



 城井と手を組んでから、三日。
 昼休みに突入した直後から、俺はぐったりと机に突っ伏していた。腹は減ってんだけど、食べるのが面倒くさい。指一本だって動かしたくねーよ、今。

「井澄ー?」
「なんか、井澄死んでね? なに、なんかあったのか?」

 真嶋の声に、石橋の声。呼びかけに返答する気力もなく、俺は二人の声を黙殺することにした。そうしていると、今度は御端が声も耳に入ってくる。

「い、井澄くん……今日、朝練、遅刻して……」
「カントクにすっげーに怒られてたな!」
「珍しい、よね」
「な!」

 もー真嶋うるさい、お前声でけーんだよ、ちょっと黙れ。そう口にすることも面倒くさい。なんつーか、いろいろと、限界っぽい。

「ここんところ晴れ間も全然ないしなー」
「え? なに、それ関係あんの?」
「晴れてないと体だりぃじゃん!」
「お、俺も……」
「ああー、なるほどなー……。でも、言われてみればたしかに、ここんところ天気悪いよな。雨降るってわけじゃないんだけど」

 あー、そういやそうだなぁ。
 真嶋と石橋のやりとり(御端もいるけど)に、俺も半分寝ぼけた頭で考える。もともとそれほど晴れの日が続くような季節でもないだろうけれど、最近ずーっと曇りが続いている。太陽も月も星も、まともに見ていない。もう二週間ぐらいそんな調子だ。
 ……あれ? 二週間前って、俺が城井に会った頃じゃねーか?

「はろーん」

 九組の教室に入ってきて、俺の席の横に立った城井。
 ……城井。お前その気の抜けるような挨拶はやめろ。

「……だめだこりゃ」

 視線だけで気持ちを訴えたら、ものすごい呆れたような顔をされた。
 しかたねーだろ、今すっげー体だるいんだよ。
 俺が突っ伏している席の前の席に腰を下ろし、城井が苦笑した様子で話しかけてくる。

「今日監督さんに怒られちゃったんだって? 大丈夫?」
「おー……」

 体を起こす気力もなく、なんとか短い返事をした俺に、城井が少し顔を近づけて、声を潜めて言った。

「やっぱさ、帰るのもうちょっと早くしなよ。十二時まではキツイっしょ」
「……でもなぁ……」
「私は平気だからさ。時間短くするとか、頻度減らすとかしてくれていいよ。井澄くんがいてくれたおかげでここんとこすっごい楽だったし。とりあえず今晩は休んだら?」
「う~……」

 やめろ、と言わないのは城井なりの優しさだろう。戦うと決めた俺の意志を尊重してくれているのだ。
 情けない話……すっげー情けない話だけど。俺の体はだいぶ限界に来ていた。なにが限界って、眠くて限界。正直、睡眠時間が足りない。朝と放課後の濃厚でハードな練習(午後五時半まで)をこなして、その上城井と一緒に夜十二時まで見回り、必ず《ゴル・ウルフ》との戦闘つき。ただでさえ、《力》の解放後は結構な疲労感に襲われる。これでぐったりしないほうがおかしいだろ。
 城井の提案は魅力的だ。
 でも、奪われたくないって思ったのは俺だし、守りたいって思ったのも俺だし、そのために戦うって決めたのも俺だ。
 重たい体をなんとか動かし、顔を上げる。

「……問題ねーよ……そのうち、体も慣れてくるだろうし」
「……そう? ならいいけど……無理はしないほうがいいよ。御端くんが心配するじゃん」
「……お前、御端引き合いに出すの好きだな」
「だって御端くん、今もすっごい心配そうな顔してるし。ああいうの見ちゃうとねー。井澄くんだって、御端くんを心配させるのは本意じゃないでしょ?」
「……まあ、そうだけど」

 城井はことあるごとに御端の名前を出してくる。なんなんだ、お前、まさか御端に気があるのか。こいつは手強いぞ。なんせ投球馬鹿だからな。……まあ男として欠陥があるわけじゃないけど。

「つかお前、いい加減教えろよ、《姫》」
「だーかーらー、《姫》探しゲームだって言ってるじゃん。とりあえず誰かの名前挙げてみなよ。『違う』って言ってあげるから」
「間違うこと前提かよ……」

 俺は知る必要はない、と突っぱねられた《姫》と魂が融合している人物については、「教えろ」と食い下がってみた。だって気になるだろ、ここまでくると。そしたら城井は、「じゃあゲームにしよう。井澄くん、ゲーム嫌いじゃないよね?」と言われて、誰が《姫》か探し出すことになってしまった。……食い下がったのは間違いだったか。

「んなこと言われたって、わかんねーよ……。ヒントくれ、ヒント」

 間違いだったかとは思うけれど、ゲームと言われてしまうとちょっと燃えてしまう。馬鹿なんじゃないか、俺。単純すぎるだろ、俺。

「そうだなー、ノーヒントだったもんね。じゃあ一つだけ」

 ぴん、と城井が右手の人差し指を立て、にっと楽しげに笑った。

「井澄くんのすぐ近くにいるんだよ、実は」
「……まさか城井……」
「私は《ウィザード》だっつの。なに言い出すか、寝ぼけてんのか」
「……そーかも……」
「……はあ。私、もう戻るね。井澄くんはちゃんとご飯食べて寝ておくこと。オーケー?」
「おー……」
「……ほんっと大丈夫?」
「んー……」
「……あとでちゃんとご飯食べなよ」
「んー……」

 ああ、もう無理だ。眠い。寝る。ぽんぽんと頭を叩かれたが、文句を言うのも面倒だ。おやすみ。


 * * *


 完全に睡魔に身をゆだねた井澄の姿を見つめる。
 相当疲れているようだ。それも当然のことのように思える。早朝から部活の朝練があり、そのまま授業に出て、放課後もやはり部活の練習が五時半まである。そこから一旦帰宅して夕飯や入浴、余裕があれば課題を済ませてから、家族にばれないように家を抜け出して、城井とともに魔獣退治を日付が変わるまで行う。このスケジュールでまったく疲れないと言うなら、それこそ化け物並みの体力だ。
 城井はといえば、部活動には参加していないので井澄に比べて朝はずっと遅くていい。学校が終わった後にはアルバイトをしているが、それも毎日ではないし、運動部のハードな練習に比べれば軽いものだ。アルバイトの後は、現在お世話になっている施設で夕飯を取って、やはりばれないように抜け出して魔獣退治に励んでいる。城井の場合、これは午前三時もしくは四時まで続くのだが、やはり日々野球部の練習に励んでいる井澄に比べれば楽なのだろう。
 そもそも、城井は二年前から睡眠時間がそれまでより短い生活を送っている。最近になってそれがますます短くなったが、それを辛いと思ったことはない。短い睡眠時間での生活に、体がすっかり慣れてしまったのだ。一方井澄は、あったはずの睡眠時間を急に削り取られているのだから、体力的に参ってしまってもしかたがない。
 井澄の新たな生活サイクルは始まって今日で三日。まだまだ体がついてこないのだろう。
 ぐったり机に伏してまったく動かない井澄の席の後ろから興味津々な様子で城井を見ている人物が三人。御端と、真嶋と、石橋。御端と真嶋は井澄と同じ野球部の所属。石橋は野球部には所属していないが、出席番号が井澄と前後したことがきっかけにでもなったのか、井澄たち野球部トリオとよく話している。

「石橋くん、真嶋くん、御端くん」
「は、はい!」

 石橋と御端が同時に返事をした。真嶋はじっと城井を見つめている。その視線に妙なプレッシャーを感じた。
 城井は真嶋に少し苦手意識を持っている。人間として真嶋を嫌っているわけではない。真嶋と直接相対するようになったのはここ最近だが、真嶋はいいやつだ、と思う。井澄に比べて幾分子供っぽいが、いつでも全力で生きているというのが見ているだけでも伝わってくる。大きな声を出して笑わない日は一日だってない。少しうらやましいと思うが、純粋な子供のような真嶋には好感を覚えている。
 ただ、その目で見られるのが、苦手だ。
 大きくて、子供のような、純粋な目。とても澄んだ、穢れない宝石のような瞳。まるで自分の汚い部分を見透かされてしまっているような錯覚をして、怖くて、逃げたくなる。
 そんなことはありえないのだとわかっているから、静かに一呼吸して、その衝動を押さえ込む。

「予鈴鳴ったら、井澄くん、起こしてあげてね。あと、五時間目終わったら無理矢理にでもなにか食べさせて」
「らじゃッス!」
「そんじゃ、私は戻るね。あとよろしくー」

 三人に井澄を任せて立ち上がり、そのまま教室を出る。

「甲斐甲斐しいなぁ~。くそ、井澄、この幸せ者めっ」
「い、石橋くんっ、叩くのは、ダメ!」
「はは、わりー」
「しっかしよく寝てんなー、井澄」

 教室を出たところで聞こえてきた応酬に、ほんの少し好奇心を刺激されて足を止めた。壁に背中を預け、周囲が不審に思わないよう、ポケットから携帯電話を引っ張り出して、二つ折りタイプのそれをぱくんと開き、弄っているふりをして耳を澄ます。

「爆睡モードだな」
「井澄くん、こないだから、ずっとこう、だね……」
「なんだよ御端、落ち込んでんのか? あ、井澄がかまってくんないからか?」
「う、ぇ!? ち、ちが、そうじゃなく、て……!」
「そうだよなー。井澄のやつ、ちょっと前までは御端のことすっげー構ってたけど、最近は全然……。ま、彼女もできたことだし、しょーがね、い!?」
「御端、飯食っちまおーぜ!」
「う、うん……」
「ちょ、真嶋!? なんだよ突然、いてーだろ!?」
「なにが?」
「『なにが』じゃねーよ! 足、足踏んだろ今!」
「気のせいじゃね?」
「気のせいじゃねーよ!」

 三人の、というよりは真嶋と石橋のコントのようなやりとりを聞いて、城井は苦笑した。
 勘違いされている。
 それは彼ら――より正確にはどうやら石橋のみの中だけにあるものではなく、知る人ぞ知るような情報になりつつあった。理由は簡単、城井が毎日昼休みに井澄の様子を見に行っているからだ。
 どうにかしてその認識を改めさせようと考えた瞬間もあったが、結局実行はしていない。今は、勘違いされているほうが井澄に接触を持ちやすい。

(……誤魔化すのは、そろそろ限界かな)

 開いていた携帯電話をぱくんと折りたたみ、ポケットの中に戻す。そして、一年一組に戻るため、歩き出す。
 そろそろ次の手を打たなければ、と常々考えていた。考えるだけで、一つとして実行できていない。というよりも、正直なところ、なにをどうすれば効果的なのかという点が、城井にもわからなかった。
 《姫》を守らなくてはならない。《姫》はなにも知らないのだ。井澄は巻き込んでしまったが、だからこそ、なおさら《姫》を巻き込みたくはない。そのためにすべきことはなにか。それはもちろん、一刻も早く事の黒幕を引きずり出し、叩くことだ。しかし、現状それはできないこと。なぜなら、黒幕は《あっち》にいるだろうからだ。
 ならば《こっち》に引きずり出せばいいという話になるのだが、これも難しい。《あっち》の者が《こっち》にやってきた場合にどうなるのか、黒幕も知っている可能性がある。たしかなことではないが、少なくとも《ウィザード》は、《こっち》にやってきて一日程度しかもたなかった。
 ……わかっているような気がする。少なくとも、なんらかの危険性があることは理解しているはずだ。だからこそ、黒幕は《ゴル・ウルフ》のような魔獣ばかりを送り込んできているのではないか。
 たとえどれほどの人手を有していようと、それを《こっち》へ送り込めば、大量の行方不明者または死者が発生する可能性が高い。それを考えれば、魔獣というのは非常に都合のいい駒だと言えるだろう。
 魔獣の絶対数を把握している者など、《あっち》にだっていないはず。少なくとも、《ウィザード》が存命していた当時はいなかったはずだ。どれだけの魔獣がひそかに消えようが、死のうが、誰に報告をしなくてはならないこともない。誰も気づかない。むしろみんな喜ぶのではないだろうか。《あっち》の人間にとってなによりも恐ろしいのは《魔獣》の存在なのだから、少しでも数が減ってくれるというのなら喜んで当たり前だろう。
 ――恐ろしいのは、魔獣か、人間か。
 城井からしてみれば、魔獣よりも人間のほうが恐ろしい。なぜなら、異世界にいるはずの城井たちに魔獣をけしかけてきているのは、間違いなく人間だからだ。
 元々、魔獣は魔術で使役できるものらしい。魔術による遠隔地からの召喚も可能だという話だ。《ウィザード》を含め、《あっち》の魔術師はそれに疑問を抱いたりはしていない……少なくとも《当時》はそういったことはなかったようだが、城井にはそれが不思議でならなかった。
 魔獣を魔術で使役できるのなら、専用の魔術師グループをつくり、発見した魔獣を片っ端から使役してしまえばいいのだ。そうすれば、魔術を使えない一般市民の安全は飛躍的に向上する。それをしないのはなぜだ。なぜ誰も思い至らないのか。
 そうできない理由が、なにかあるはずなのだ。それがなんなのかは、城井にはわからない。魔獣が非常に危険なものだからなのか。いや、そもそも魔獣の生息地を誰も知らないからなのかもしれない。少なくとも、《ウィザード》の記憶の中にその情報は存在しない。
 それもまた、不思議だと思っていた。今日までで一体どれだけの数の《ゴル・ウルフ》を相手にしてきたことか。ここ数週間だけですでに二十を越えている。それだけの数の魔獣が存在していたにも関わらず、《あっち》では魔獣の目立った目撃情報というのは一年に数件というレベルでしかなく、魔獣の巣についての情報は一切なかった。ある程度調査はしているだろうという前提に立って考えてみれば、それは異常ではないかと思えてくる。もし調査していないというなら、それはもっと異常だ。
 《召喚魔術》で召喚できるとは言っても、そのためには魔獣について深く知っていなければならないという条件が付随する。《あっち》に、それほどまでに魔獣に詳しい人物が果たして存在しているのか。いや、こうして使役されていると思われる《ゴル・ウルフ》が送り込まれているということは、間違いなく存在はするのだろう。
 そういった研究を大々的に行っていたとすれば、国内で名前が通らないはずがない。とすれば、ひっそりと行われていたか、または国によって隠されているのかのどちらからだ。関係者が一人か、二人か、それ以上か……それすらわからないが、とにかく魔獣を使役できる人物が間違いなく存在している。
 《あっち》の人間は、その脅威に気づいていない。
 ここまでの経緯を顧みるに、黒幕はひどく慎重で、その上に狡猾だ。明確な結果が残っていないのなら、自らリスクを背負って《こっち》にやってくることはないだろう。
 《姫》を隠し続けている限り、黒幕は《ゴル・ウルフ》を送り込んでくるだろう。それ以上の行動は見せないはずだ。
 この膠着状態はうれしくない。
 二年前の事件以来、最低限のつながり以外を断ってきた城井はともかく、井澄には家族もいるし、友人も大勢いる。彼らとの日常を過ごすために、井澄にはやらなければならないことが多くある。部活の練習はその筆頭だろう。
 ……このままでは、井澄の体がもたない。
 なんとか状況を進展させたい。けれどその糸口が見つからない。
 このままでは。

(……気乗りしないなぁ)

 憂鬱なもやが脳内にかかるが、なんにしろ、いつまでもこのままではいられないのだ。襲撃がいつまで続くかわからない。死ぬまで続くかもしれない。だとしたらまずい。それは非常にまずいことになる。
 最低でも死ぬまでには……いや、体が自由に動くうちにケリをつけなければ、その時点で城井たちの敗北は決定する。《姫》が死んでしまう。
 絶対に守るのだと、城井は決めているのだ。《姫》の魂は渡さないと、誓ったのだ。

「……腹、括るか」

 このままの状態を続けて、再び犠牲者を出すというのも避けたい。
 事態の中心から《姫》は遠ざけておきたかったが、しかたがない。とにかく、黒幕の正体だけでも掴まなければ、今後の対策を練ろうにも練れない。
 危険は承知だ。しかし、やるしかない。
 城井は、一つの決断を下した。



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