第3話 日常と非日常
02 ハプニング
三人目の犠牲者が出てこないことで、正体不明の猟奇的殺人鬼に対する恐怖が若干薄らいできたのか、地域には穏やかな空気が戻り始めてきていた。俺もなんとか昼時にダウンしないで飯が食えるようになった。
そんな中、石橋が一冊の雑誌を教室に持ち込んできた。
「なぁなぁ、これ知ってっか?」
「あ? なんだよこれ。週刊誌?」
一年九組所属野球馬鹿三人は、基本的にニュースに疎い。テレビのニュース番組も新聞も意識して見てはいないからだ。野球関連についてだけは例外だけどな。なんせ野球馬鹿だから。当然、週刊誌なんて嘘かほんとかもよくわからないゴシップだらけの雑誌なんて手を伸ばすこともない。
真嶋、御端、俺の三人で昼飯を食っているところに、週刊誌が無造作に置かれる。机の上に投げ出された表紙を見て、俺は心臓が凍るかと思った。
「なになに~? 『××市にモンスター現る!? 連続猟奇殺人事件の犯人はこいつか!?』……? なんじゃこりゃ」
真嶋が、表紙の中でも一際でかい見出しを読みあげ、顔をしかめて首をかしげた。
「なんか、例の事件で市内に張ってたカメラマンがさ、モンスターとしか言えないようなもん目撃して、それを激写したんだと。夜だったらしいから、写真もよくわかんねんだけどさ。でも目があんの、光っての。ちょーこえーよこれ」
石橋が説明しながら、ぺらりと週刊誌のページをめくっていく。該当ページに掲載された写真には、夜の中でより濃い闇色を纏った異形が浮かび上がっていた。カラーじゃないし、輪郭はぼんやりしていてよくわからないが、ぎらぎらとした瞳の光はこの写真からも十分伝わってきた。
「ゴーセーってやつじゃねーの?」
「……合成な。真嶋、こんくらいは漢字変換しとけ。まあたしかに出版側の自作自演が一番可能性あるけどさ。あの事件の真相も、人間がなんか道具使ったっていうより、なんつーか、ロマンあるじゃん。もしかしたら地球外生命体かも……!」
「殺人事件にロマンなんて求めてんじゃねーよ」
なんか妙に楽しそうな石橋にツッコミを入れつつ、週刊誌の記事を黙読する。要約するとこういう内容だ。
記者が激写したのは五日前。連続殺人事件についての取材が一段落した後に公園にて休憩していたところ、大きな足音を立てて写真のものが公園の前に姿を見せたのだという。慌ててベンチに隠れた記者は、決死の思いでそのなにかを撮影。この行為により居場所が知れる可能性もあったが、記者が撮影した直後、そのなにかは倒れてしまったらしい。ベンチの陰から音を立てないようにそうっと様子をうかがうと、透明で大きな棘のようなものが突き刺さっているように見えた。その様子を撮影したものも小さく掲載されているが、やっぱり鮮明には写っていない。しばらく待ってみてもそのなにかは動かず、新たになにかが現れる様子もない。ベンチの陰から這い出て確認してみると、そこには記者以外誰も、なにもいなかった、という。
……おいおいおい!?
「石橋、ちょっとこれ借りるぞ」
「え、あ、ちょ、井澄!?」
石橋の了承を得ることなく、雑誌を手に教室を飛び出した。
廊下を走り抜け、一年一組の教室に飛び込む。
「城井灯子いるかー!?」
言いながら、城井の姿を探すが、見つからない。
だいたい、やつは昼休みには高確率で九組まで来ていた。その訪問が今日はないところを見ると、なにか用事があって出払っているか、はたまたその用事を済ませて九組に向かっている最中、つまり行き違いの可能性が考えられる。
周囲の驚いたような視線をまるっと無視して、一度九組に戻ってみるかと考えていると、窓際にいた林田と葉狩が寄ってきた。
「どうしたの、井澄」
「城井知んね?」
「あー……うん、ちょっと待って」
林田が近くに座っていた女子になにやら声をかける。待っている間に、葉狩が不思議そうに尋ねてきた。
「城井がどうかしたのか?」
「や、ちょっと話したいことがあってな」
「井澄ー。城井さん、保健室だって」
……は? 保健室?
その回答に驚いていると、林田に城井の行方を聞かれた女子が口を開いた。
「三時間目の後、気分が悪いからって先生に断って保健室に行って、まだ戻ってきてないの」
「…………」
「見た目からはそうは見えないけど、結構体弱いよ、カノジョ」
「……そうか、わかった、サンキュ」
女子の最後の一言に込められた意味はきれいさっぱり無視して、礼を言って走り出す。
そうとわかれば保健室に一直線だ。さすがに乱暴にドアを開けて飛び込むことはせず、ドアの前で一呼吸置いてから「しつれいしまーす」と言って入室した。
「一年一組の城井灯子、いますか?」
「ええ、そこのベッドで寝てるわよ」
保健室を本拠地とする養護の先生に教えてもらったベッドに近づき、隠すように引かれていたカーテンを容赦なく開く。
カーテンを開く音で意識が浮上したらしく、城井は眠そうに目をこすりながら起き上がる。
「ふ、あぁ~……あり? 井澄くん?」
「よお」
ベッドの脇に立ち、少し腰を曲げて顔を近づけ、声を潜めて言ってやる。
「だーれが体弱いって……?」
「あ、あははははー……なに、クラスの子にでも聞いた?」
「あたり」
「……てへ」
「『てへ』じゃねーよ。めちゃくちゃ元気じゃねーか」
「まあまあ。にしても、君のほうから私に会いに来るなんて珍しいじゃん。なにかあった?」
「あった。ちょっと時間くれ」
意識して真剣な顔を作ると、城井も表情を引き締めた。
「……わかった。屋上……は、寒いか。屋上前でいい?」
「おう」
城井はベッドを降り、寝ていたためいつもよりぼさぼさしていた髪の毛を手櫛で軽く整え、養護の先生に声をかけてから一緒に保健室を出た。
屋上よりはマシだが、その前の踊り場も充分寒い。暖房なんて親切なものは廊下にはないし、ドアの隙間から外の冷気が忍び込んでくるこの場所は、他の廊下に比べても格段に寒い。だからこそ、好んでここにくる生徒はいない。
「もう慣れちゃいるんだけどね、やっぱりどうしても睡眠時間が足りないからさ。たまにああやって保健室で寝てるの」
「大丈夫なのかよ、授業」
「へーきへーき。日数足りるようにちゃんと計算してるから」
カラカラと笑う城井に脱力する。……もうなにも言うまい。
「それで、なにがあったの?」
「これ」
石橋から奪ってきた週刊誌を、城井に差し出した。最初は不思議そうにそれを見ていた城井だが、表紙の見出しを黙読した後は困ったように顔をしかめた。
城井が雑誌を受け取り、ページをめくっていく。
「心当たりあるか?」
「そうだね……たしかに五日くらい前に、ひとの気配はあったけど……」
やっぱり。というか、どう考えても、写真に写ってるのは《ゴル・ウルフ》で、それに突き刺さってた透明な棘のようなものは城井が魔術で放った氷柱だ。
記事の内容を検めた城井は、雑誌を閉じて天井に向かってため息をついた。
「うーん……写真はそんなに鮮明じゃないし。出版したほうも、穴埋めと話題づくりのつもりなんだろうね。娯楽の提供っていうか」
「趣味わりーな」
「趣味のいい週刊誌なんて、私は知らないけど」
「……俺も知らね。ていうか週刊誌なんてまともに読まねーし」
「……私もだ」
顔を見合わせて、お互いに苦笑した。
続いて、城井が少しだけ表情を引き締める。
「でも、ちょっと困ったことになったな」
「やっぱ明るみに出るのはまずいか」
「それよりも、この記事で興味引かれて夜に徘徊する馬鹿が続出する可能性が恐いかな」
「……なるほど」
たしかに、オカルトとかSFとかが好きな連中が食いつきそうな記事だ。……あ、石橋ってSF好きだっけ、そういや。だからあんなに楽しそうだったのか。
もしもこの記事に触発されて、カメラ持って夜の町を徘徊する、なんてことになったら……そんで運悪く、《ゴル・ウルフ》と遭遇でもしたら……。
「……目もあてられねーな」
「これまで以上に警戒を強化しないとね。井澄くん、そういうの見つけたら逃がさないで。気絶させていいから」
「どうやってだよ」
「殴れ」
笑顔で無茶を言う城井に、俺は深いため息をつきたくなった。この女、相当乱暴な思考の持ち主のようだ。
「記事はほっといていいのか?」
「出回っちゃったものは仕方ないしね。こんな写真程度じゃ、明るみに出たとは言えないよ。そのうちみんな飽きるでしょ」
「そういうもんか?」
納得しきれず首を傾げると、城井が人の悪そうな笑みを浮かべた。こういう笑みができるあたり、こいつは絶対性格悪いと思う。
「普通、こういう非現実的な写真を見た場合、ひとはどんな反応をすると思う?」
その問いに、教室での真嶋の感想を思い出した。そして、それをそのまま口にする。
「……合成?」
「正解。魔獣は《こっち》の常識から逸脱してる存在だからね。どんな国でも、どんな世界でも、常識から逸脱したものは真に受けないのが常識的な反応だよ。一部の、そういうものが好きな人は動いても、国一つが動くには至らない」
「それもそうか……」
城井の言い分に納得。たしかに、現代にモンスター出現なんて、誰も信じやしないだろう。俺みたいに、この目でしっかり見ない限りは。
「……なあ、城井。いっそわざと明るみ出して、大人に助けてもらうってのはだめなのか?」
この件では、すでに犠牲者が出ている。不特定多数のひとの命もかかっているのだ。もしかしたら、俺たちみたいな子供だけじゃ手に余る事態で、しかるべきところに協力を求めたほうがいいんじゃないか、という考えがちらりと浮かんだ。戦闘は危険だから、基本的に俺たちが担当すればいいし。警察や自衛隊なんかに防衛を頼むとか。
「井澄くんがやりたいならやってみてもいいよ。私はやらないけど」
城井の声は、ひどく冷めたものだった。怒っているわけではなく、俺の提案を他人事のように受け止めているようだ。
「……なんで?」
「明るみに出して、いろんな人の協力が得られるなら、たしかにそれはいいことだよ。けど、結果として協力を得られるかはわからないから」
城井は一拍おいて、言った。
「もし国が動いたら、《姫》は見捨てられる可能性が高いと思う」
目を見開く。言葉を出すことも忘れてしまった俺を見ないまま、城井は続ける。
「《姫》のため、言い換えればひとりの命のために、この数週間で二人、二年前に私の両親二人……すでに四人分の命が失われてる。国を挙げて立ち向かうってなれば、《あっち》も容赦なく魔獣を送り込んでくるだろうから、戦力は私と井澄くんだけじゃ絶対足りなくなる。犠牲者の数が一気に跳ね上がるかもしれない。……ぶっちゃけ、割に合わないんだよ。《姫》は《こっち》にとって、失われてはならないほどの重要な価値はないのに。たとえ《姫》に価値を見いだせても、それじゃ《姫》は普通に生きていけなくなる。それじゃだめなの」
「…………」
「どっちにしても、多くの人は《姫》を差し出せって言うだろうね。《姫》ひとりの犠牲で、他のひとは助かるんだから、犠牲としては安いよ」
「城井、それは……!」
城井の言葉を止めようと声を上げる。けれど、俺を振り向いた城井の静かな瞳に、言葉が喉奥で押し止められてしまう。
「……政治っていうのは手段で、その目的は自国を豊かにすることだって、私は思ってる。実際のところがどうなのかは知らないし、興味もないけど。概念としてはそういうものだと思ってる。《姫》を守ることは、この国の利益にはならない。一を見捨てて百を救う。……その決断は、政治的な面から考えれば、なにも間違ってないと思うよ」
「…………」
「けど、私は政治家じゃない。私は私の守りたいものを守るために戦うって決めた。もしこの世界が《姫》を見捨てるというなら、私はこの世界とだって戦うよ」
城井の決意の深さを見た気がした。どんだけの覚悟があればそんな言葉を口に出せるのか、俺には想像もつかない。
「……悪かった」
「いや、別に。井澄くん的にその方法も有効だと思うんならやってもいいんだよ。私は敵に回るけど」
「お前が敵とか、最悪すぎるからやめとく」
「そう?」
たしかに、俺は城井ほど《姫》に思い入れとかはないが、城井のことはそれなりに知ってるつもりだ。《姫》を守るために一生懸命だってのもわかってる。その反面、関係のないやつをできるだけ巻き込みたくないと思ってることも知ってる。
第一、俺は一度、城井に命を救われているのだ。その城井から大事なもんを奪う気は、俺にはない。
「ま、どっちにしろやめといたほうがいいとは思うけどね。私たちのことが知れたら、人権剥奪して人体実験とか生態兵器化とかいう可能性がなきにしもあらずだから」
「…………それはさすがに考えすぎじゃね?」
「可能性の話。ゼロでないことは考慮に入れておかないと。どんな行動でも、時にとんでもない結果を引き起こしかねないからね」
けろりとそんなことを言い放つこいつの頭の中はいったいどうなってんだと、放課後の部活が始まるまで俺は延々考えてしまい、その後の授業の内容がまったく頭に入って来なかった。……恨むぞ城井。