第3話 日常と非日常
03 悪夢
前方から四足で駆けてくる《ゴル・ウルフ》。やつらは二足歩行も四足歩行も可能らしい。どっちかにすればいいのに、と思わなくもないが、今はどうでもいい。
やつに向かって、俺のほうからも駆けて行く。通常では有り得ないスピードですれ違い、その瞬間に相手の前足を一本斬り落とす。四本で体を支えていた《ゴル・ウルフ》は、支柱が一本欠けたためにバランスを崩す。その隙を逃すことはしない。素早く体を反転させ、アスファルトを蹴った。《ゴル・ウルフ》の頭上まで跳び、その頭を叩き斬る。
頭部を潰された《ゴル・ウルフ》は、もう動かない。傷口から黒い煙を出し始めたのを確認して、喉の奥に詰まっていた息を吐き出した。
「お見事」
背中のほうから声と手を叩く音が聞こえてきた。肩越しに視線を向けると、城井が自転車にまたがって、俺に向かって拍手をしていた。
城井はあの日と同じキャスケットを被っている。俺も持っていたキャップを被っている。万が一無関係のやつに遭遇しても誤魔化しがきくように……つまり顔を見られないためにだ。
「合格か?」
「うん。そろそろ本格的に別行動で対応していこうか。はい、これ」
そう言って、城井は白色の結晶の俺に差し出してきた。
言葉で表現するなら、さっきまでの俺は仮免、もしくは研修中のようなもんだ。城井曰く、俺の攻撃力は相当なもんらしいんだけど、動きそのものには危なっかしさを感じたらしく、慣れるまでは基本は一緒に行動する、ということになっていた。
左手を差し出すと、白色の結晶がその手のひらに落とされる。これを持ってれば、城井のように俺もアンテナにひっかかった魔獣の居場所が感知できるようになるらしい。
「……てかさ、これ、なんか名前ないのか? 『これ』とか『それ』とか、なに指してんのかわかんなくならねえ?」
白色の結晶を掲げながら尋ねてみると、城井は考え込むように首をかしげた。おーい?
「そうだねー……うん、じゃあ、《魔晶石》ってことにしようか」
「なんだよ、その『ってことにしようか』ってのは!」
「魔力の結晶だからね。《あっち》には《魔鉱石》ってものがあるから、それとかけてみた」
「由来を聞いたわけじゃ……いや待て。まさかこれ、《あっち》にはねーのか!?」
「もしかしたらあるかもしれないけど、私は知らないなー」
「お前のオリジナルかよ!?」
事もなげに言う城井に、開いた口がふさがらなくなる。どんだけ《ウィザード》の力を使いこなしてんだ、こいつ。ほんと呆れる。
「……まーいいや。《魔晶石》な」
「うん、けってーい」
魔晶石、と命名された結晶を握りこむ。俺の手のひらに余裕で収まるくらい小さい。なくさねーようにしねーと。
「……ん?」
「あ、次が来たね」
「……ああ、これが信号ってやつか」
「そういうこと」
唐突に脳内に閃いた違和感に首を傾げたが、どうやらこの感覚が、城井曰くアンテナに魔獣が引っかかった際に送られてくる信号らしい。その信号に、意識を集中してみる。
「方向はあっち、で合ってるな?」
「合ってるよ」
「じゃあ行ってくる」
「終わったら電話してねー」
ひらひらと手を振る城井に背を向けて、アスファルトを蹴る。風と同化するように夜の町を駆け抜け、《ゴル・ウルフ》を探す。
ある公園の近くをのっしのっしと二本足で歩いている姿を見つけ、スピードを上げた。《ゴル・ウルフ》も俺に気づき、俺を見るが、もう遅い。
足を斬り落としてバランスを崩させるなんて遠回りはせず、その頭部を直接叩く。《ゴル・ウルフ》は低いうめき声を上げて、音ともに倒れる。もともとの攻撃力、プラス突進のスピードもあって、破壊力は上がっていた。倒れきる前から黒い煙を上げている。
俺が地面に足をつけた、その瞬間。
不自然な光が瞬いた。
思考停止は一瞬。すばやく光の出所を探ると公園の中へ逃げ込もうとする人影を発見した。
――カメラか!
瞬時にそう判断し、咄嗟に俺は地面を蹴り飛ばし、逃げる人影に体当たりを食らわせた。その勢いのまま二人揃って地面に倒れ、必然的に俺は人影を下敷きにすることになった。ぐえ、とつぶれたカエルのようなうめきが上がる。
……やりすぎたか?
咄嗟のことで力加減はほとんどできなかった。勢いをつけすぎたかもしれない。
数秒待って、相手が動かないことを確認し、とりあえず相手の体を、できるだけ乱暴にならないように仰向けにひっくり返した。
「…………はあ」
思わずため息が出た。なんというか、肩から力が抜ける。
スラックスのポケットから携帯電話を取り出し、城井の携帯電話に発信した。そこから待つこと十秒、十一秒……。そういえば、頭の中の違和感がまだ消えていない。ちらりと先ほど倒した《ゴル・ウルフ》の姿を探すが、すでに影も形もない。仕留め損なっていた、ということはなさそうだ。もしかしたら、城井も今《ゴル・ウルフ》と交戦中なのかもしれない。
そう考えているうちに、唐突に違和感が霧散し、その直後に城井が電話に出た。
『もしもーし。そっち終わったの?』
「おお。そっちも?」
『うん』
「じゃあさ、ちょっと来てほしいんだけど」
『ん?』
「目撃者、発生」
『……オーライ、すぐ向かう』
「え、あ、おい、場所……」
『大丈夫、わかるから』
その一言を最後に、通話はぶちっと途切れた。携帯電話を耳から離し、眺める。
「……マジ?」
* * *
五分後、城井はちゃんと俺が立ち尽くす公園までやってきた。城井の言葉に嘘はなかった、ということだが……なんか腑に落ちない。
「……なんで俺のいる場所わかんだよ」
「《ナイト》の気配でわかるよ」
「マジで!?」
城井が呆れた顔をして、なにを今更、と呟く。
「井澄くんだって、この前私のいる場所探し当ててたじゃない」
「……そういやそーだったな」
城井が言っているのは、城井と一緒に戦うことを決意した、あの夜のことだろう。
頼りない勘に頼って突き進んだ結果だ、と俺は思っていたのだが。どうやら無意識のうちに《ウィザード》の気配とやらを辿っていたらしい。
「で、目撃者は?」
「あれ」
自転車のスタンドを立てながら問いかける城井の言葉に、俺はそこで伸びきっている男を指差した。
城井がその男に近づき、顔を覗き込んで、目を丸くした。
「……石橋くん?」
「おお」
カメラを携えた人影の正体は、なんと俺のクラスメートだった。カメラは今、石橋が倒れている数センチ先に転がっている。俺が体当たりしたときに落としたのだろう。
「なんだってまた……」
「こいつSF好きなんだよ。あの週刊誌持ってきたのもこいつだし、話してる間すげー楽しそうだったしな」
「……なるほどねー」
城井を呆れて肩を落とした。その気持ちはよーくわかる。
気を取り直して、城井は地面に膝をつき、杖を右手に握り、地面に立て、左手を石橋の顔に被せた。
「……"どうかどうか、我が願いをお聞き届けください。痛みと恐怖に濡れた夢を、彼の者にお与えください"」
城井がなにか唱え始めると、石橋を中心に円を光が描き出す。読めそうにないし読む気にもならないが、円の内側には色々細々としたなにかが書き出されているようだ。魔法陣、というやつだろうか。いや、城井が使ってるのは魔術なんだから、魔術陣か。
「《ソーニャ》」
魔術陣が一際強く光り、やがて収束していった。
立ち上がり、膝についた砂を払う城井の隣に立つ。
「今のも魔術だよな。なんか唱える内容長くね?」
「魔術を発動する際の呪文はね、詠唱と術名にわかれるの。詠唱で発動したい術の詳細を指定したりできるのね。だから詠唱は省略可能なの。ただ、詠唱もしたほうが、術の威力はあがるんだよ。いつもの氷の術はそんなに複雑じゃないし、悠長に詠唱する時間もないから、いつも短縮発動だけどね」
「へー。で、今の術はなんだ?」
「《幻覚魔術》の一種。夢を見せて相手の精神に影響を与える術だよ」
「……どんな夢を見せたんだ?」
詠唱の内容を思い出す限り、ろくな内容じゃなさそうだけど、一応聞いてみた。
「《ゴル・ウルフ》に襲われる夢」
けろっとした表情で答えた城井になにか言ってやろうかと思ったが、言ったところで堪えないことは目に見えている。
あきらめて、俺は石橋に心底同情した。
「いちいち目撃者全員に夢見せるのは面倒だけど、写真が出回ってる以上はしかたないよね」
「他のやつにもやる気か……」
「当然じゃん」
城井の方針が当然である、というのは理解できる。しかし、夢の内容が悪趣味にも程があると思うのは……俺だけか。
「さて、あとはカメラだね。……ん? なにこれ。カメラ……だよね?」
拾い上げたカメラを手に、城井が不思議そうな顔をする。
「お前、なに言ってんだよ……。立派にカメラだろ。デジカメ」
「……でじかめ……?」
「おい!?」
こてん、と首をかしげた城井に、冷や汗が流れる。
まさかこいつ、デジカメ知らねーのかよ!?
「デジタルカメラだよ! 中にSDカードとかの記憶媒体入れて、写真をデータとして保存すんの!」
「えーっと……あ、携帯電話のカメラ機能みたいな?」
「……もうそれでいい。とりあえず貸せ。データ消せばいいんだろ?」
「よろしくお願いしまーす」
オートで落ちていた電源を入れて、適当に操作し、今回撮られただろう写真データを削除していく。俺だって、デジカメを触ったことなんて数えるくらいしかないけど。
「へえぇー、フィルム取り出してびーってしなくていいんだね。消したい写真だけ消せちゃうんだ、便利ー。あれ、現像は写真屋さんでいいの?」
……このエセ現代人に任せるよりは、はるかにマシだろう。
* * *
翌日、昼休みの一年九組にて。
「石橋ー。昨日の週刊誌、」
「うわー! 聞きたくない、なんにも聞きたくない!!」
青ざめて耳を塞いで教室から逃げ出す石橋を、飯を食いながら眺めて。
「どーしたんだろーな、石橋」
「た、体調、悪いの、かな……大丈夫、かな……」
「夢見が悪かったんじゃないかなー」
なに食わぬ笑顔で真嶋や御端の会話に混じる城井を見て、誓った。
こいつを敵に回すことだけは、絶対にするまい、と。