第3話 日常と非日常
04 学生の本分
城井と夜に見回りするようになって十日が経った。
最初の頃は慣れない二重生活にぐったりしてたもんだけど、十日も経てば授業中や部活中に意識が飛んでいきそうになる回数もだいぶ減った。自分の順応力に乾杯だ。
そうこうしているうちに、あっと言う間に、十一月が終わろうとしていた。
「毎度のことだが、赤点取った奴は補習あるからなー。せいぜいがんばれよー」
担任のざっくばらんな連絡とやる気のわきそうにない声援を聞き流す勢いで、俺は手元のプリントを凝視した。
プリントの大部分はでかい四角に陣取られていて、その四角の中には格子状に線が走り、縦七マス横四マスの表になっている。一番上と一番左は他のマスに比べると細長い。一番上のマスには未来の日付と曜日、一番左のマスには一から六の英数字が入っている。表の下から三マスから四マス分はほとんど斜め線が引かれていて、それより上のマスには教科名が羅列されている。
ホームルームが終了し、担任が教室を出て行った途端、教室の中は高いテンションのわりにあまり明るくはない喧騒に包まれた。当然俺もその中にいる。
「あーやべ! 俺数学とかわっかんねーや!」
「べ、勉強会……」
「だな! 間壁が数学得意だし、教えてもらうか。怒られそうだけど!」
「う、うぅ……」
「……いや、だったら国枝に聞けよ。あいつオールマイティなんだから。お前らどーせわかんねーの数学だけじゃねーだろ」
いつでもテンションの高い真嶋といつも以上に元気のない御端にとりあえずいつもどおりのツッコミだけ入れておく。
が、俺も内心冷や汗だらだらだ。
……期末試験のことなんて、すっかり忘れてたぜ。
* * *
「期末試験?」
「おお」
お互いに魔獣を一体ずつ倒して合流した後だが、俺も城井も息が乱れているということはない。以前、城井は油断しなければ一人でもなんとかなると豪語していたが、それもあながち嘘じゃなさそうだ。俺や城井からしてみれば、《ゴル・ウルフ》自体にそこまで脅威はない。問題は数だ。次から次へとやってこられちゃ、とてもひとりじゃ対応が追いつかない。
今のところ新手がやって来たという気配は感じない。こう言った隙間的時間は、実は結構多かったりする。
城井から貰い受けた魔晶石のおかげで、魔獣がセンサーにひっかかれば俺にも直でそのことが伝わるのだが、結局、基本的には二人一緒に行動している。センサーに複数ひっかかればその時点で分かれてそれぞれ対処、一体片付ければその度にケータイで連絡を取り合い、終われば再び合流する。
最初から別々に行動しててもいいんじゃないかと思うんだけど、城井はあまりその案に乗り気な様子ではなかった。なんでだろう。
まあ、結局のところばらばらに動いていてもそこに魔獣が現れてくれるわけでもなし、最近じゃ以前みたいに三駅も離れた地域に出るということもなかったので、俺が「まあいいけど」とその話を終わらせたのは、記憶に新しい。
時間潰しに俺が出した話題に、城井は「それがどうした」と言わんばかりに不思議そうな顔を俺に向けた。……いや、お前がどうした。
「いや、だから……あるだろ?」
「うん、そろそろだね」
「……あれ、今日日程発表されただろ。来週からだろ!」
「うん、そうだね」
……なんだろう、このいつもとなに一つ変わらないテンションは。この溢れだすような余裕感は。なんか嫌な汗が出てくるんだけど。
「……ちょっと聞いていいか? お前、いつもテスト勉強どうしてんの?」
「あー、私テスト勉強ってあんまりしてないんだよね」
「……は!?」
「とりあえず赤点とらなきゃいいしさ」
こともなげに告げられた内容に、俺は目を丸くした。城井はそんな俺を眺めながらも、相変わらず平然としている。
「……まさかお前、教科書一度見ただけで全部記憶できるとか……」
「そんなわけないじゃん! そこまで化け物じみた特技持ってないよ!」
「でもテスト勉強しねーんだろ!?」
「あ・ん・ま・り、してないんだよ! 前日に教科書読み返すくらいはしてるし」
「そんだけかよ!? ……それで何点くらいとってんだ?」
「平均点くらいかな」
「充分すげーよ!」
前日に教科書読み返すだけで平均点とかありえねー!
もしかして、もしかしなくても、こいつ、めちゃくちゃ頭いんじゃね……?
「もう、私の成績はいーよ。井澄くんはどうなの?」
「……がんばって勉強してやっと平均だよ!」
悪かったな、馬鹿で! それでも真嶋や御端に比べりゃマシだ!
「そっか。じゃあテスト勉強する?」
城井の提案に、じと目を向ける。
「……言っとくけど、見回り休業とかはしねーからな。意地でも!」
「うん、言うと思った。だから、見回りしながら」
「……は?」
その提案は予想外で、俺は間抜け面を晒して間抜けな声をこぼした。
城井はかまわず続ける。
「暗記ものなら、こういう隙間時間にできるでしょ。どうよ」
「どうよ、って……」
そりゃ、襲撃のないこの時間がもったいねーとは思うけど。見回りに集中しなくていいんだろうか。
疑問が顔に出たのか、城井は笑みを浮かべたままさらに言う。
「アンテナに引っかかればすぐわかるし。そうなれば井澄くんに急行してもらうけどね」
「俺かよ!」
「井澄くんのが速いんだもん」
ああ、そう、それ。それ気になってた。
「なあ、前から思ってたんだけど」
「うん?」
「《力》解放状態とはいえ、俺の速さって尋常じゃなくね?」
「なにを今更」
呆れた顔で返された。
え、なにこれ今更なことなのか!? あ、今更なのか、だってこいつと一緒に戦うようになって結構経ってるわけだし……いやでも、俺前から足は速かったし、尋常じゃないっていうことは城井のスピードと比べて初めて思ったわけだし……。
二の句が継げない俺の目の前で、城井は平然と告げる。
「井澄くんの速さは《風》によるものだよ」
「風……?」
「あーっと、省略しすぎたか。正確には《風》属性の魔力ね。井澄くんは意識してないだろうけど、《風》が常時井澄くんのことをサポートしてるの」
「……俺にも魔力ってやつがあったのか……」
「《風》属性だけだけどね」
「……ちょっと待て。お前だって《風》使えるだろ。なんで俺ばっかり速いんだよ」
たしか、ファーストコンタクトのときに気を失った俺を家まで運んだって言ってよな。その作業に《風》使ってたんだよな。それなら城井も同じくらいのことはできるはずじゃないか?
しかし、城井は軽く首を横に振った。
「私は《風》属性の魔力、あんまりないもん」
「……え?」
驚いて、数回瞬きを繰り返す。その間に、城井はなんでもないことのように説明する。
「風を起こす程度のことはできるし、その風で物を浮かすことも、物理攻撃を防ぐこともできる。ある程度は井澄くん同様動きをサポートもできるんだけどね。井澄くんくらいまでスピード出すには、ぶっちゃけ魔力が足りないの」
「……そう、なのか?」
「そうなんだよ」
なんか、意外だ。城井は魔術を思う存分使いこなしてるみたいだったから、魔術に関して、城井にできないことはないもんだと思っていた。これは勝手な先入観だったってわけか。
まあ、これで疑問が一つ解消されたわけだけど。
しかし、魔術って、よくわかんねーなー……。
「なあ、魔術ってどうやって発動してるもんなんだ? 詠唱と術名が必要ってのは前聞いたけど、それだけってことはないんだろ?」
「うーん……そうだなあ……。まあ話半分で聞いててくれていいんだけどね」
「おう」
俺が頷くのを確認し、一拍置いてから、城井が魔術講義を開始する。
「実を言えば詠唱も術名も、どうしても必要なものじゃないの。魔術はイメージを形にしたものだから、イメージさえしっかりしてればいいんだよ。でも、脳内のイメージを具現化するのって意外と難しいみたいでさ、詠唱や術名はその補佐的要素な感じかな。集中力高めたりとか、そういう役割。だから動きをサポートするくらいのことは無意識にできちゃんだよね」
「へえ……」
「で、実際に魔術を行使するのに必要だって《あっち》で言われていたのは、さっきも言ったけど魔術に対するイメージ力、魔力のコントロール力、あとは素質。この素質ってのがかなり大雑把なんだけど、私が思うに生まれ持った魔力の量と質のことだろうね」
「ゲームで言う、MPみたいなもんか」
「えむぴー?」
「マジックポイントの略。ファンタジー系のRPGとかでよくあんだよ。魔法とか使うと、魔法ごとに決まった量が減ってさ。そのゲージが空っぽになると、回復するとかしないと魔法使えなくなんの」
「ああ、なるほど……。ごめん、私あんまりゲームしたことないからさ」
そうだろうとは思ってた。
以前、デジカメの存在を知らなかったことから、俺の中では城井はデジタル物にあまり強くないというイメージが定着している。実際、必要最低限の家電はともかく、最近普及しまくっているパソコンも情報の授業以外では触ったことがないそうだ。ケータイも、持ってはいるしそれなりに使用もしているが、ぶっちゃけ電話とメールの機能くらいしか使ってないらしい。取り扱い説明書も必要そうなところしか読まなかったそうで、それ以外の機能についてはさっぱりのようだ。
「うん、たしかに似てるかも。質は関係ないっぽいけど」
「やっぱ、連続して使える魔術は限りあったりすんのか?」
「あるね。でも、それは魔力の量というよりは、気力によるところだと思うけど」
「気力?」
「魔術を行使するには集中力がいるからね。あんまり連続して使うと、疲れるんだよ。集中して勉強し続けるとすごく疲れるでしょ? あれと似たような感じ」
勉強、という単語を聞いて思わず顔をしかめた。そんな俺の顔を見て、城井は面白そうに笑う。
しょーがねーだろ、勉強は好きじゃねーんだよ。ていうか、好きなやつのが少ないんじゃないのか。……城井は苦じゃなさそうだけどさ。
「ただし、魔力の量の上限に触れて魔術を行使できない場合もある」
「どういうときだ?」
「複数魔術を同時に行使する場合だよ。連続の場合は、魔術に使用した魔力がすぐさま戻ってくるイメージなのかな。気力さえ続けば何回でも連続でできるんだけど、同時に発動する場合は、どんなに気力が残っていても魔力量が足りなければ発動できないの。使用する魔術の内容によって消費される魔力の量は違うっぽいんだけど、ちゃんと数値化されてるわけじゃないから、この辺の見極めは結構難しいんだけどね。そういうところがゲームの設定と似てるかな」
「あー、なるほどなー。そんじゃ、質は?」
「質っていうか、言い換えると気配っていうのかな。ある程度魔術が使えるなら魔力の気配を察知できるし、察知した魔力から知ってる相手か知らない相手かくらいは判別できる。そういうのが得意なひとなら、個人の識別までできるよ。ただし、魔術の行使にどういった影響があるかはわかってないんだけどね」
「ふぅん。じゃあ、やろうと思えば俺もちゃんとした魔術使えたりするのか?」
話を聞いている限り、イメージ力だとかコントロール力だとか、がんばればなんとかなる部分って気がする。魔力はとりあえず結構あるらしいし。
使えるもんなら使ってみたい、という軽い好奇心からの問いかけに、城井は笑みを深くした。
一瞬、その笑みに目を奪われる。しかしそれも、直後にはいたずらなものに変わった。
「そういう話は、期末が終わった後にしようか」
「うげ」
「じゃあ、『願望』を英語でなんて言う?」
「いきなりかよ!」
頼りない記憶の引き出しから対応する英単語を引っ張り出そうと懸命になっている俺の視界の端で、城井は妙に楽しげに笑っていた。