第3話 日常と非日常
05 関係
どんだけ早く走れようが、どんだけ魔獣を倒そうが……どんだけ非現実的な世界に片足突っ込んでいようが。
俺の肩書きが高校生であることには変わりがなく、高校生である以上、勉学の義務からは逃れることはできない。
わかりきってることだが、思わずため息をつきたくなる。日中はどこにでもいるような普通の高校生、夜は不思議な力を使って異世界の生き物と戦闘。俺みたいな生活サイクルも、ある意味二重生活って言うんだろうか。
……まあ、部活がない分、体力の消耗は減ってるから、その点はちょっとありがたいけど。
「国枝、ここ、これで合ってっか?」
国枝の成績は、野球部内トップ。しかも苦手教科がないときた。試験勉強のときには、成績底辺組の御端、真嶋の勉強を見るついでに、他の部員の勉強も見てもらっている。
……赤点とると、監督が恐いからな。みんな結構必死だ。
今日は三組の教室の一角を陣取って、野球部恒例試験前勉強会が開催されている。現在参加者は俺、御端、真嶋、国枝、そんで梶。以上五名。他のやつは自宅学習もしくは図書館学習してるはずだ。
なんで場所が三組の教室かっていうと、国枝と梶が三組在籍だから。
「……うん、大丈夫ですよ」
「おしっ」
「井澄、今回は英語調子いいですね。スペルミスもないですし」
「あー……城井がなー……」
見回りの隙間に、「苦手教科は?」って聞かれて「英語」って素直に答えたら、合間の勉強は英語がメインになった。基本は出題された英単語の意味を答えるか、日本語に対する英単語を答えるっていう単語クイズの形式なんだけど。
あいつ、英単語のスペルまで口頭で答えさせるんだよな……。
最初は「できるか!」って抵抗してたんだけど、「書けるなら言えるでしょ」と言い返されてぐうの音も出なかった。……ちくしょー。
まあ、おかげでスペルミスは格段に減ってるんだけどさ。
つーか、テスト範囲の英単語全部覚えてるあいつに脱帽だった。なんで英単語のスペルも意味もばっちりなんだよ、意味わかんねー。
「あのさー、井澄」
「ん? なんだよ、真嶋」
振り返ると、背中を丸めて必死の形相でノートに視線を落としていたはずの真嶋が顔を上げていた。その隣、俺とも角を挟んで隣に座っている御端は、背中を丸めたまま上目遣いで俺と真嶋を見比べている。
「井澄って、城井と付き合ってんの」
「あ?」
「わ、あわっ……」
「おっと」
真嶋の問いかけの直後、御端がなんでか肩を跳ねさせ、その拍子に脇に置いていた御端のペンケースに肘がぶつかり、ペンケースが落ちてしまった。一応俺が手を伸ばして本体は受け止めたけど、ペンケースから予備のシャーペンやらシャー芯ケースやらが落ちていったので、それも手早く拾い上げる。
「ほら、気をつけろよ」
「う、うん……ごめ……ありが、と……」
ペンケースを渡しながら首をかしげる。
なんか知らないけど萎縮しちまっている御端。……まるで入学したばっかの頃みたいに、目が合わない。
「御端? どーかしたか?」
「な、なんでも、ない、です……」
なんでもなくなさそーなんですけど。
かと言って、無理やり聞き出そうとしても御端がかたくなになってしまいそうな気がするので、ここは大人しく引いておこう。こういう御端は、俺が自分でどうこうするよりも、真嶋に任せたほうがたしかだ。
視線を真嶋に戻す。
「んで、突然なんだよ、真嶋」
「や、井澄、最近城井と仲いーから、結局付き合ってのかなって思っただけ。で、付き合ってんの?」
「ねーよ」
そりゃ、俺だって健全な男子高校生ですから、可愛い彼女がほしいと思ったりはする。けど城井はない。ないったらない。
いやまあ、城井も見た目は悪くないんだけどな。けど、なんかこう……そういう風には考えられない。それがなんでなのかはわからない。ただ、城井と付き合ったりとかいうことは、今後もないだろうなー、という気がなんとなくしている。
まあ、どーにも城井に頭上がんねーしな、俺。どうせなら俺がリードできるような関係を築ける相手がいい。ちゃちなプライドかもしれないが、俺としては結構重要だ。
「でも俺らの知らないとこで一緒にベンキョーしたりしてんだろ?」
「は?」
「英語のベンキョー。城井ともしてんだろ?」
……そうでした。
今さっき、俺ぽろっと城井の名前出してたんだ。迂闊な数分前の自分を殴りたい。
ちらと周囲を見ると、国枝と梶も興味ありな様子。御端も、基本ノートに視線を落としてはいるものの、ちらちら俺のほうを気にしている。
まさか夜の見回りの合間に、なんて素直に答えられるわけもない。どうしようか考えて、
「……てか、別にカノジョとかじゃなくても、一緒に勉強したりすんだろ、友達なら」
とりあえず話の軸を少しずらしてみることにした。
「友達なのか? 女子だぜ?」
「女子とだって友達にはなれるだろ」
……まあ、《友達》っていうよりは《相棒》って言葉のほうが俺としてはしっくりくるんだけどな。この辺探られると説明に困りそうだから、真嶋たち相手に口にする分にはこれでいいだろ。
「高坂だって友達だろ。それともなにか、高坂はただマネージャーってだけか」
「そんなつもりはないけどさー」
「私がどうかした?」
「うわ!?」
気がつくと、すぐ傍に高坂が立っていた。高坂は成績普通だから、基本的に野球部恒例の勉強会には参加しない。試験前で部活もないし、もう帰ってるもんだと思ってたから余計にびっくりだ。
「びびったー! 高坂いつからいたんだよ」
「ついさっきだよ。三組の友達とそこで話してたんだけど、真嶋くんたちがいたから。試験勉強、どんな感じかなと思って」
大きな口を開ける真嶋に対して、高坂はできるマネージャー的なそつのない笑顔だ。気にしてない風を装ってはいるが、突然自分の名前が出てきて内心ドッキドキなんだろう。自分がいないはずのところで自分の話されて、それはまあ当然あることなんだけど、そこに居合わせちまうってのはかなり居心地悪いはずだ。
「私の名前出てきたからびっくりしちゃった。なんの話してたの?」
「井澄と一組の城井さんが付き合ってるかどうかって話から、女子とだって友達になれるだろうって言う話に発展してたところですよ」
要約して説明したのは、ここまで聞き役に徹していた国枝だ。中間はすっ飛ばされているけど、前後からなんとなくどうしてそういう流れになったのかは考えられる。
それを聞いた高坂は、心底驚いたという様子で目を丸くして俺を見た。
「え!? 井澄くん、城井さんと付き合ってるの!?」
「だから違うって! 友達!」
「あ、そうなんだ。びっくりしたー」
くっそ、みんなしてこれだ! 男と女が仲良くしてたら付き合ってることになんのか!?
……そういや俺もそういう見方してたな。過去の自分を殴ってやりたい、三発くらい。
「城井さんにいきなり彼氏ができたなんて、ちょっと信じられなかったし」
「え? そういうのって、唐突にできることもあるんじゃないですか?」
「うん、そうなんだけど。城井さんの場合はちょっと特殊っていうか……」
首をかしげた国枝。俺も、高坂がなにを言いたいのかよくわからないので、黙って高坂の言葉を待つ。
「その、城井さんって、特に仲のいい子とかいないみたいだから……」
高坂は少し言いくそうに言いよどんだ後、小さな声で言った。
「中学校でもね、私も何度か城井さんに話しかけてみたんだけど。邪険にされたってことはなかったんだよ。でも、なんていうのかな……手ごたえ、っていうのがなくて。暖簾に腕押しって言うのかな。仲良くなろうとしても、するってかわされちゃう感じで……」
「…………」
「高校入学してからも、時々見かけたりしてるんだけど、見た感じだとやっぱりそういう感じみたいなんだよね。だから、城井さんに彼氏……っていうのは、なんだか違和感あるんだよ」
困ったように微笑みながら聞かされた内容に、俺は、なにも言うことができなかった。
* * *
「お前さ、友達いんの?」
見回りの合間。英語の勉強が開始される前に、城井に尋ねてみた。城井はきょとんとした。それから、俺のほうに右手の人差し指を向けてくる。
「いるじゃん。まさか友達と思ってんの私だけ?」
「そーじゃなくて! 俺以外! 特に女友達!」
そこまで言って、城井はようやく俺の言いたいことを理解したらしく、得心顔で「ああ」と呟いて。
「いないよ」
拍子抜けするくらい、あっさりと、答えた。
「……『いない』って、お前な……」
「だって、友達に割ける時間あんまりないし。下手に近寄って、不用意に踏み込まれる事態になっても困るしね」
何気ない調子で告げられた理由は、何気ないままに受け止めるには、少し重すぎた。
「……まあそうだけどよ」
「でしょう?」
城井の言いたいことは、俺にも充分理解できる。
俺だって、夜な夜な自分がなにをやってるのかなんて、高校生活の中で一番仲がいいと言える真嶋や御端に言いたくないと思っている。
それは、あいつらに奇異の目で見られて距離を置かれるのが嫌だからでもあるし、受け入れてもらえても巻き込んで怪我でもさせたらと思うとたまらないからでもある。
特に城井は、自分の中の《ウィザード》が原因で両親を巻き込み、死なせてしまっている。関われば、また誰かを巻き込み、傷つけるかもしれない。その可能性は、城井にとって、俺が考えている以上の不安であり、恐怖なのかもしれない。
友達がいなくても、城井はこれまでそれなりにやってきている。高坂は、城井に声をかけた結果を、暖簾に腕押しだと表現した。邪険にされてはいない。けれど、距離を縮めることができない。明確に突き放さずに、ただ深く踏み込まれることは拒否して、角が立たないように接することが、城井にはできる。
中学時代の、両親を失ってからの城井を想像する。話しかけられれば答える。状況に応じて笑う。けれど、用件なしに自分から声をかけることはなく、ひとりで過ごしている姿。
……それは……、
「はいはい、馬鹿なこと気にかけてないでべんきょ……おっと」
「……来たか」
「ご丁寧に、二体別々ね。遠いほう頼んでいい?」
「おう」
そろそろ、直接脳に信号を叩き込まれる違和感にも慣れてきた。
じゃあまた後で、なんて確認もなしに、別々の方向へ急行する。肌を切り裂くんじゃないかと思うほど冷たい風を切り裂きながら、思う。
城井は強い。
俺にできないことがたくさんできるし、俺の知らないことをたくさん知っている。
――けれど。
それは少し、寂しい強さだ。
俺が城井に抱く感情は、恋愛感情じゃない。付き合いたいとかも相変わらず思わない。
同情か、と問われると否定しきれない。自分の中にある他人の魂のせいで家族を失ったあいつを、可哀想だと思う。
好きか嫌いか、その二択なら、「好き」だ。そこに含みなんて一切ない。それが周囲からは不思議なものに見えるのかもしれない。けれど、そんなのはどうでもいいんだ。
俺はただ、願う。
俺でもいい。他の誰かでもいい。友情でも、恋でも、なんでもいい。
いつか、あいつの心の中の寂しさが、もっといいもので埋められる日が来ることを。