第3話 日常と非日常
06 クリスマス
いつもどおり国枝の協力のもと、また城井のおかげもあり、期末試験を無事に乗り切ることができ(特に英語は過去最高の得点だった)、日々の授業時間は短縮された。このため部活動の時間が再び長くなったが、これは喜ばしいこと、ということにしておく。相変わらず体作りのための基礎練習ばっかだけど、これはシーズンオフだからしょうがない。たとえ基礎練のみでも、ここんとこ元気のなかった御端がちょっと浮上したみたいだから、やっぱり喜ばしいことだ。
御端が落ち込んでると部内の空気が悪くなるからな。間壁あたりがイラついて。
返却されたテストの結果も、成績底辺二人を含めて全員が全教科赤点を回避できていたことで、気持ちも表情も以前より晴れやかになったようだ。空は相変わらずの曇り模様だが。
そうして、冬休み目前になったころ。練習が終わって部室で着替え始めたところに、真嶋がでかい声で言った。
「パーティーしようぜ! クリスマスパーティー!」
最初はみんなきょとんとしていたが、すでにノリがクリスマス仕様になっている真嶋のテンションに結局乗せられる形になった。
中でも、
「ぱ、パーティー……!」
御端がものすごーくやりたそうに目を輝かせたので、反対意見は最初から最後まで出ることはなかった。
まあ、これまであまり仲のいい友達ができなかった御端としては、「みんなでクリスマスを過ごす」っていうのはやっぱり魅力的な誘いだろう。楽しそうな御端を見ていると真嶋以上につられるというか……うん、この顔曇らすのは間壁の機嫌関係なしに気分が悪いな。
場所は、御端がその日のうちに家族から許可をとり、御端家で、ということになった。そもそも最初から、育ち盛りの高校生十人が一気に入れて騒げるところって言うと、三人家族のわりにでかい一戸建ての家に住んでいる御端家くらいしか思い浮かばないんだけどな。
食い物は分担して持ち寄ることになった。
学校は相変わらず六時半頃に閉門となるが、もう一ヶ月ほど例の猟奇殺人事件の犠牲者が出ていないことで、地域の緊張感はすっかり緩んでいた。人間は忘れる生き物なんだってことを改めて実感。
まあ、沈んでいるよりは少々お気楽なくらいのほうがほっとするから、いいだろう。俺の場合は気を緩めすぎることはできないが。
おふくろに野球部クリスマスパーティーのことを話したら、「クリスマスイブに家に一人とか寂しい」とか言い出した。兄貴は大学の友達と過ごす予定らしいし、親父は普通に仕事だ。十二月二十四日は祝日じゃないからな。
真嶋に相談して、親も参加可ということになった。
……終了時間は、特に決まっていない。
「ほお、クリスマスパーティー」
夜一番、合流した城井に言ってみると、城井は楽しそうに笑った。自分のことじゃないってのに。悪い反応じゃ、決してないんだけど……その顔を向けられたこっちは少しばかり居心地の悪い思いがした。
「いいじゃない、楽しんできなよ」
「いや、でももしかしたら八時半までに来れないかも……」
「なーに気にしてるの」
俺が言い募ろうとしても、城井はからからと笑うだけだった。
「クリスマスくらいゆっくりしなよ。その日、井澄くんはお休み。けってーい」
「イブだけどな。あとなに勝手に決めてんだよ」
「細かいことは気にしなーい。そもそも、井澄くんは井澄くんの《日常》を守るために戦ってるんでしょう? 《日常》を守るために《日常》を犠牲にしちゃだめでしょ」
「……なんかそれ、屁理屈っぽくね?」
「細かいことは気にしなーい!」
いや、「気にしない」って言われてもだな!
そりゃ、クリスマスパーティーは参加するつもりだ。欠席はありえない。御端が落ち込むのが目に見えてるからな。けど、こっちのこともやっぱり気にかかる。もうみんな忘れ始めている、猟奇殺人事件。その犯人である《ゴル・ウルフ》の襲撃は、いまだに続いているのだ。
「……お前、クリスマス予定は?」
「え、なに、デートのお誘い? 悪いけど私そういうのはちょっと……」
「ちっげーし!」
「あははは!」
わざと勘違いしたような反応を選んだ城井は、俺の真剣な否定に思いっきり笑いやがった。
……こいつ、絶対俺の反応で遊んでるだろ!
「クリスマスね。二十四日は予定ないけど、二十五日は施設でクリスマス会があるよ」
それを聞いて、俺は少しほっとした。
両親が死んで以来、友達という関係性を断ってきたこいつが、クリスマスという日本中がお祭りのような日にまでひとりだったら、と思うと妙に切ない気分になったからだ。
……ん?
「……施設?」
「うん。……あれ、ひょっとして、私言ってなかった?」
首をかしげた俺に、城井も首をかしげる。
「今、養護施設でお世話になってるって」
初耳だ!
いや、この事態になっても今の今までこいつの住んでる場所聞いてなかった俺が悪いんだろうけど!
「うち、お父さんもお母さんも実家っていうものと縁の薄い人たちでさ。どっちも兄弟いないし、運の悪いことにと言うかなんと言うか、おじいちゃんおばあちゃんも私が小学生のうちにみんな他界してんだよね」
「……ってことはお前、天涯孤独ってやつか……?」
「まあね」
城井の応答は軽い。しかし、そんな軽い調子で言う内容じゃないぞ、それ、絶対。
呆気に取られる俺に苦笑して、城井は「一応ね」と付け足す。
「お父さんの親友ってひとが、『引き取る』とは言ってくれてたんだよ。でもまあ、私はこんな状況だし、きっとすごく迷惑かけたり心配かけたりするだろうなー、と思って。それは施設の先生も同じなんだけど。施設にはさ、私の他にも問題抱えてる子はいっぱいいるじゃない。私の奇行までは目が届ききらないんじゃないかな、と思ったのよ」
「……とりあえず、奇行とか言うなっつの」
「だって、夜な夜なこっそり抜け出して明け方こっそり帰って来るんだよ? 充分奇行じゃない」
みもふたもない、とはこのことか。返す言葉が思いつかず、俺は左手で顔面を覆った。
もう、いい。とにかく城井は今、養護施設で生活している、ということだ。
「……ああ、じゃあお前が事件後に高坂たちと同じ中学に転校したのって……」
「うん、施設の住所から、地区的にね。それまでは南栄町に住んでたんだよ」
「うちの隣町じゃねーか! うわ、知らなかった!」
「そう。まあ、小学校も中学校も地区は別だったわけだから、どっちにしろ高校に上がるまでは接点なんて持ちようがなかったけど」
「そうだなー。あ、じゃあお前のケータイって、自腹?」
城井はケータイを持っている。俺も持っているが、これは両親が高校入学祝にと親が買ってくれたものだ。当然利用料も親持ち。しかし、城井には買ってくれるやつも利用料を払ってくれるやつも、もういないはずじゃないか? それともそういうことも養護施設でやってくれるんだろうか。
「……利用料はバイト代から出してるけど……」
困ったような表情をする城井に、納得を示すために小さく頷く。城井は週に三、四日ほどバイトに勤しんでいる。うちの高校の校則じゃバイトは原則禁止だけど、なにか理由があって、教師から許可が出ていたら問題はない。
「でも、買ってくれたのは、おじさん」
「……お前、親戚いないってさっき言ってたじゃねーか」
「だから、お父さんの親友ってひと! 養子の話断ったら、『じゃあせめて時々連絡ちょうだいね、こっちからも連絡するけど』って笑顔つきで言われて、さすがに断れなかったの!」
「……そのおっさんつえーな」
「最初は『利用料も出す』って言われたんだけど、さすがにそれは悪いから……」
「そうだな」
自分の親相手ならともかく、親戚でもない相手に携帯電話にかかる料金全額負担させるなんて、俺だってできない。ていうか、一般常識持ってたら普通頷けない。そうなったら俺もバイトするだろうな、きっと。
「まあ、あとは施設にもお世話になりっぱなしはなんていうか、落ち着かないから。残ったバイト代の半分は施設に投資してる」
「いや、そこは気にすんなよ! それ向こうにとっては仕事だから!」
「仕方ないじゃん、気になるんだもん!」
「いちいちそんなん気にしてたら身がもたねーだろーが!」
「もつよ! じゃなきゃ私とっくに倒れてるよ!」
ぎゃいのぎゃいのと、あまり実のないと思われるその話は数分ほど続き、そしていつもどおり《ゴル・ウルフ》の襲撃によって幕を閉じた。