第3話 日常と非日常
07 プレゼント
「メリークリスマース!!」
複数の声が重なり、複数のクラッカーが遠慮なく鳴り響いた。誰かが買って来たらしい赤と白で構成されているサンタ帽子を御端や真嶋、仲町なんかが被っている。
御端家の広いリビングルームのど真ん中に設置されたローテーブルにケーキや料理が並べられ、俺らは奪い合うように、遊ぶように、それを食い散らかしていった。
食べ物は、最初はみんなで金を出し合ってスーパーとかで売られているオードブルでも買おうという話だったのだが、結局はその金を使って材料を買い込み、おふくろや御端のおばさんが色々と料理を作って振舞ってくれた。
まだクリスマス本番じゃねーし、クリスマスってキリスト教徒でもないやつには本来関係のない日らしいけど、そんなの知ったこっちゃない。
たぶん真嶋は、そして俺らも、クリスマスにかこつけて、ただ単に馬鹿騒ぎがしたかっただけなのだ。
「ゲームしようぜゲーム!」
「なにか持ってきたの?」
「トランプとかウノとか! 負けたやつ罰ゲームな!」
「罰ゲームなに?」
「これ!」
「ちょ、そのセーラー服どっから持ってきたんだよ!?」
「にーちゃんから借りてきた!」
「お前の兄貴なにしてんの!?」
「あと、これと、これと、これも!」
「メイドにナースにチャイナ!? しかも全部ミニとか! お前なに考えてんだよ!?」
もー、ぐっちゃぐちゃで誰がなに言ってるのかよくわからない。とりあえず、罰ゲーム用にと宴会用の安っぽいセーラー服とメイド服とナース服とチャイナ服を持ち込んできたのは真嶋だ。やっぱアホだ、あいつ。
誰が着てもあれは辛いなー。いや、でも今テンションおかしーし、やったらやったで笑えっかも。自分が着るのは絶対ゴメンだけどな!
ふと、騒がしい輪の中に御端の姿がないことに気がついた。いつもは真嶋のすぐ近くにいるのに。
視線を動かして探してみると、御端は庭に面した窓の真ん前で膝をついて、じっと、もう真っ暗になっている外を見つめていた。その横顔が妙に真剣っぽく見えて、俺は首をかしげつつ御端に近寄った。
「御端?」
「え、う、あ……い、井澄くん……」
テスト前にちょっと様子のおかしかった御端は、最近ではすっかり元通りで、ちゃんとまた目が合うようになった。いったいなんだったんだろーな。今度真嶋にでも聞いてみっか?
「どーかしたか?」
「う、や、えっと……か、かんちがい……」
「は?」
勘違い。なにが?
とりあえず御端の次なる言葉をじっと待つ。御端は困ったように俯いて、
「だ、だれか……いたような、気が、して……」
「なんだよ、不審者か?」
とは言うものの、現在御端家にうら若い乙女なんてもんは存在しない。下手をしたら遅くなる可能性があったので、高坂は今回参加していないのだ。代わりに、明日も部活はあるから、そのときにみんなでクリスマスプレゼントを渡す予定になっている。高坂にはいっつも世話になってるしな。
もしかしたら、俺らの騒ぐ声がうるさくて何事だと様子を窺っていたのかもしれない。たしかにこんだけうるさかったら、いっくらクリスマスイブだからって迷惑だろうなー。
とはいえ、俺は絶賛大騒ぎ中のやつらを止める気もないんだけど。
いや、だって、やっぱ楽しいじゃん、こういうの。
「か、かんちがい、だから」
「お、そっか」
そういえば、御端は最初にそう言っていたのだ。誰かがいたような気がした。でもそれは勘違いだった。そういうことらしい。
なら、まあ、いっか?
「井澄ー! 御端ー! 勝負すっぞー!」
「おー! ほら、行こうぜ御端」
「う、うん」
「あ、負けたらあの辺の着ることになるみてーだから、頑張れよ」
「ふぇ……? うえぇ!?」
放り出された衣装を見て、御端の顔が赤いんだか青いんだかよくわからない状態になった。その様子が面白くて、思わず「ぶはっ!」と噴出してしまう。
ふいに、壁にかかっている時計が目に入った。
八時、四十二分、だった。
* * *
「楽しそうだったなー」
小さくくつくつと笑った声は、強く吹いた風の音にまぎれてしまう。自転車のペダルを踏みながら、城井は先ほど通りすがった一軒の住宅家屋から聞こえた楽しげな声を思い出す。笑みが引っ込まない。
うらやましい、と思わないわけではない。
ただ、それを守りたいと、より強く思うだけなのだ。
「……さて、と」
公園にたどり着き、自転車を隅に停めた。
その公園のぽっかり開いているスペースのど真ん中に立ち、城井は目を閉じた。
「《アリオ》」
唱えると、右手に熱が集中する。一瞬後には慣れ親しんだ重みが生まれ、右手でそれをぎゅうっと握り締めた。
脳に直接叩き込まれるかのような信号を意識で追い、その位置を確認する。
間違いなく、それらは城井が今いる公園へと迫ってきていた。
目を開け、苦笑する。
「なんのサービスだろうねー。ま、こっちは助かるんだけどさ」
十一月。やつらは城井を翻弄するようにあちこちに出没した。一体を倒しては自転車でできる限りのスピードで移動し、次の一体を撃退する。しかし、城井の移動スピードでは間に合わず、二人の犠牲者を出すことになってしまった。
状況が変化したのは、井澄の中の《ナイト》を起こしてからだ。それまでは完全にばらばらだった出没ポイントが、城井が行動しやすい範囲内に偏り始めた。井澄が参戦するようになってからは、やつらは他の人間になど目もくれず、城井や井澄を狙うようになった。
井澄は、気づいていないかもしれないが。
顔も知らない黒幕の思惑など、城井にはわからない。時折、遊んでいるような雰囲気を相対する魔獣を通して感じてはいるが、それも確証はない。
やつらは《ウィザード》と《ナイト》を狙ってくる。今は、それがわかっているだけで充分だ。
ぞわぞわと、悪寒らしきものが背筋を駆け抜けた。
瞬間、風を切る音ともに闇の獣が五体同時に姿を見せた。その数に、城井の表情が皮肉に歪む。
「……舐めるな」
呟いた声は低く、それを聞く者は誰もいなかった。
* * *
「ぐあー! 負けたー!!」
「寺本ー、ばっつゲーム、ばっつゲーム!」
「ちょ、やめろ、やめて! マジ勘弁!」
「あきらめも肝心だよ、寺本」
「てめ、林田! 見捨てんな!」
「負けたんだししょーがねーだろ」
「間壁!?」
「そーだぜ寺本ー!」
「ふざけんなー!!」
ウノ第一回戦。見事に寺本がビリッケツになり、真嶋は心底楽しそうにセーラー服をその手に持って寺本に迫っていく。寺本は全力拒否の態勢だが、他の連中は自分がとりあえず助かったということで、すでに傍観態勢だ。寺本に勝ち目はないな。
意識的に時計を見る。アナログ時計なので正確な数字はわからないが、だいたい九時三分ってところか。
「あらー、あっという間に九時ねー。長居しちゃってるけど、大丈夫?」
「へーきよぉ。なんならみんな泊まってっちゃえばいいんじゃない? 雑魚寝でよければ、だけど」
「そこまでは悪いわよぉ」
「そんなことないってば。うちの尚も楽しそうだしー」
……ダイニングテーブルを陣取ってた大人組も、いつの間にやらアルコールが入ったらしく、顔が赤くなって会話が怪しくなっている。なんか、このままだと冗談じゃなく御端ん家で夜を明かすことになりそうだな。まあしかし、むしろそのほうが安全かもしんねーけど。……そうだな、俺は御端家に泊り込み大賛成だ。おばさんには迷惑かけるけど。御端は喜ぶだろうし。
ちなみに尚っていうのは御端のことだ。フルネーム、御端尚。
その御端は、俺の隣で腰を下ろして、おろおろと目の前で繰り広げられている馬鹿騒ぎを見ている。どうしていいかわからないらしいが、特にこれといってどうするべきというセオリーもないので放っておく。
基本がとろくさい御端がビリになるんじゃないか、という危惧があったりもしたのだが、これに関しては問題なかった。意外と、こういうゲームは強いらしい。トップではなかったものの、結構上位であがっていた。
再び時計を見る。……九時五分。
「井澄、くん?」
「ん?」
呼ばれて、御端を振り返った。御端は、なんだか気遣わしげな瞳を、俺に向けていた。
「あの……なにか、あった?」
「へ?」
「用事……えと、時計、さっきから、見てるから」
一瞬、ドキっとした。陰で蠢いている異世界の生物を、御端が知るわけない。なのに、それを言い当てられたような錯覚がした。心臓に悪い。
「……俺、そんなに時計見てた?」
「うん」
きっぱりだった。御端にしては、そういう返答は結構珍しい。逆に言えば、御端に揺れる余地を与えないほど、俺は度々時計を気にしていた、ということになる。
……気にもなる。なくさないよう、携帯電話にストラップとしてつけてある魔晶石のおかげで、さっきからひっきりなしに、信号が来ていた。
現れては消え、現れては消え。その繰返し。
城井はどうなっているんだろう。信号が消えていくってことは、問題なくやつらを撃退できているんだろうけど。
……目に見えないってことが、こんなに不安になることだったなんて。
「……御端」
「う、ん?」
「俺、ちょっと抜けるわ」
宣言すると、御端は驚いたように目を丸くした。俺たちの前では、まだ馬鹿騒ぎが継続中。寺本、いい加減あきらめろ。真嶋はしつこいぞ。
「……よう、じ?」
「あー、いや……ちょっと、散歩したくなったんだ」
「もう、遅い、よ? 時間……」
「夜の散歩も意外といいもんだぜ」
「……お、おれも……」
「いや、悪い。一人で行きたいんだ」
「…………」
「ちゃんと戻ってくるから。ちょっと遅くなるかもしんねーけど」
なんでだろう。御端の瞳から、不安そうな揺れが消えない。
そりゃ、こんな時間に散歩だなんて、普通ならしないだろうけど。御端のその表情は、なんかまるで……まるで? いや、やっぱわかんねーや。
俺が困っていると、御端が小さく笑った。
「……わか、った。きをつけて、ね……?」
「……おう」
だから、俺も笑って答えた。
立ち上がって、放り出していた上着を引っつかみ、羽織りながら御端家のリビングを出ようとする。
「悪い、俺ちょっと抜ける」
「井澄ー? どこ行くのー?」
「その辺散歩」
「逃げるのか井澄ぃー!」
「頑張れ寺本ー」
不思議そうな仲町に適当に答え、青ざめて泣きそうになっている寺本には心の篭っていないエールを送った。
玄関から外へ出ると、刺すような冷気が体を包み込んだ。一瞬寒さに体が震えたが、構っていられない。
自転車に駆け寄り、ポケットからキーを取り出して自転車のロックをはずす。自由になった自転車にまたがり、駆け出した。
御端家から見えなくなっただろう頃合から、本気でペダルを漕ぐ。追い風が吹いているように、いや、それ以上に、前へ、前へと押しやられる。最近わかったことだが、《力》を解放していない状態でも、魔力はある程度使えるらしい。常に《風》のサポートを受けているらしいのだから、少し考えればわかることだったのかもしれないが……。
それでも足りなくて、左手をハンドルから離す。
「《アリオ》!」
途端、左手に熱が集中し、直後には慣れた重みが生まれた。ぐっとそれを握り、右手だけでハンドルを握り、そのままペダルを漕ぎ続ける。さっきまでとは比べ物にならないスピードで、城井の気配……《ウィザード》の気配を追った。
その地点にたどり着き、滑り込むように自転車の向きを変えて右手のブレーキを引き、それだけじゃ足りなくて足を地面に突き出した。まるで自動車の急ブレーキのような音をたてて止まった自転車にまたがったまま、顔を上げて俺が見たものは、
「《ザキ……》」
蠢く複数の闇。
それに埋もれるように見え隠れする城井。
何十本と空中に出現した、氷の槍。
「《クレスタ》!!」
いつも以上にハリのある城井の声に呼応して、槍がそれぞれの標的へと飛び、《ゴル・ウルフ》の頭部を寸分の狂いなく潰した。標的に逃げられた槍はなかった。すべてがすべて、《ゴル・ウルフ》の頭部を潰すという役目を果たしていた。
ほとんど同時に、城井を囲んでいた闇の獣が、その体から黒い煙を噴出していく。
右手に杖を握っている城井は、その中にあって、悠然と、超然と、立っているのみだった。
その瞳がくるりと俺を向いた。その時点ですでに目が丸くなっていたのは、俺の気配をとっくに感じ取っていたからだろう。
「……なんでいるの?」
驚いてる城井の口から飛び出した第一声は、そんな内容だった。俺は思わず眉間に皺を刻んだ。
「なんでって……さっきから信号が出たり消えたりしてっから……。つーか、お前……あの魔術って氷柱三本出すもんじゃなかったのか?」
「いや、あれは氷柱で攻撃する魔術であって、その本数に規定は……いやいやそうじゃないって! なんでここにいるの!? 野球部のクリスマスパーティーは!?」
「ちょっと抜けてきた。どーせもうしばらくはゲームと罰ゲームに夢中で、みんな動かねーだろ」
「そういう問題!?」
城井は心底驚いた後、盛大なため息をついた。
「もう、ダメじゃない。大事なものほったらかしにしちゃ」
……こないだから、思ってたんだけど。
なんかだんだん腹立ってきたぞ、おい。
俺は城井の右手を掴み、引っ張って、引き寄せて――
「あいた!?」
加減なしでデコピンをおみまいしてやった。
「って、そんな痛くねーだろ。杖出てんだから」
「いや、なんていうか……条件反射?」
俺も城井も、《力》を解放している間は痛覚がひどく鈍くなる。それでも違和感はあるのか、城井はデコピンをくらった額を左手で撫でさすった。ちょっと赤くなっているようだが、不思議なほど罪悪感はない。
「じゃなくて、なんでデコピン?」
「お前が馬鹿だからだ、ばーか」
なぜそんなことを言われているのかわかっていない様子の城井に、ますます腹が立つ。誰もいない公園とはいえ、ここは住宅街。思うまま怒鳴りたい衝動を必死に押さえ込んで、城井の額にもう一発デコピンを贈呈してやった。
「い!? ちょ、だからなに、」
「お前な。前に自分から俺との関係を『友達』っつっといて、それか」
「え……?」
「――お前もとっくに俺の《日常》なんだよ。わかれ」
言うと、城井は、今まで見たことがないほど目を見開いて硬直した。まさか呼吸は止まっていないだろうな、と冷静な状態なら浮かばなかっただろう不安は、口や鼻のあたりに白いもやができたことで解消された。
最初は、城井は俺にとって《非日常》だった。自分の記憶を疑うような出来事の中の登場人物でしかなかった。しかし、一緒に戦うようになって、その認識は変わった。当然だ。昼に会うようになった。夜を一緒に乗り越えるようになった。こんだけ一緒にいれば、ある程度は城井のこともわかってくる。
城井は、一言で表現するなら、性格悪い。これにつきる。あきらかに冗談を駆使して俺の反応を見て面白がってるし、えげつないことも平気な顔でする。頭はたぶん、いい。少なくとも俺よりはずっと頭がいいはずだ。ついでに計算高い。
そして、優しい。馬鹿みたいに。
自分に関わることで誰かが巻き込まれたりしないよう、距離を取り、《ナイト》や《姫》を守ろうとひとりで戦ってきた。責任感も強いのかもしれないな。
これだけ知ってる。全部じゃないかもしれないけど、知っている。
だから、もう、城井のことを《非日常》だなんて、言えるかってーの。
「あっちもそりゃほっとくつもりはねーよ。けど、お前だってほっとけねーんだよ。むしろお前が何体もの《ゴル・ウルフ》相手にひとりで戦ってるのわかってて放置とか、俺は鬼か、鬼畜か」
「…………」
「……って、泣くのかよおい……」
「ご、め……」
ため息混じりに呟くと、城井は慌てて目尻から頬を伝い落ちた涙を拭い出した。
泣かせるほど責めているつもりはなかったが……と思うが、なんだか妙だ。城井は笑っている。この状況で。
「……なんか、嬉しいね」
「え?」
「プレゼント、もらったみたいだ」
そのプレゼントとやらが、なにを指しているのか……いや、たぶん俺が城井も《日常》だと言ったことなんだろうけど、確証がない。
言葉通り、嬉しそうに泣きながら笑う城井に、なんだか急激に照れくさくなってきて、俺はそっぽ向いてしまう。
「……安上がりなやつだな」
「全然安くないよ」
大真面目なその返答に、上手く返せるほど気のきいた国語知識は、残念ながら俺の中にはなかった。
その後は、結局、城井に「大丈夫だから」と押し切られてしまい、しぶしぶ御端家へと戻ることになった。
そして、結局御端家で風呂に入って、御端家にあるだけの布団を出してもらって、みんなでリビングで雑魚寝して、次の日の早朝、各自一旦帰宅して準備を整えてから、部活のため学校に向かった。
冬休みに突入したので、昼休みに城井の姿が混ざることはないけれど。
夜になると、城井との魔獣退治がこれまでと変わらず待ち受けている。
「お疲れ。今日もよろしくね」
「おう」
それすらも《日常》と化しているのかと思うと複雑な気持ちだが、まあ、いいか。