第4話 願いと魂
01 道
現在夜の十一時。今日も今日とて魔獣退治に精を出し、ついさっきも一体倒したところだ。
ぐるりと周囲に気を配り、第三者の気配がないことを確認する。一時期は週刊誌の影響でぼちぼち出没していた目撃者も、最近ではまったく見なくなった。新しい情報も入らないもんだから、以前城井が言ったとおり、みんな飽きたのだろう。……城井の精神攻撃が効果あったかどうかは、考えないことにする。
城井と合流するまでの間に、時折空を見上げた。何度見ても、星が一つも見えない。ここしばらくずっとこんな状態だ。昼間でも、空は曇ってばかり。最後に晴れ間を見たのはいつだったかな。……城井と初めて会った日の前後くらいな気がする。
最初は気にしていなかった。だいぶ前に真嶋や石田が「ずっと曇りだ」と話しているのを、眠りに落ちかけていた頭で聞いたけれど……あの時は二人もそれほど気にしていなかっただろう。
最近、おふくろがテレビの天気予報を眺めながら首をかしげるようになった。天気予報を見る限りでは晴れなはずなのに、ずーっと曇りだ、と。
こないだ、家の用事で市外に出たという梶が、市外もうっすら曇ってはいたけど、このあたりほどどんよりはしていなかった、と証言した。
なんとなく嫌な予感が、してはいた。
「なー、城井」
「うん?」
「このあたりが最近全然晴れねーのって、もしかして《ゴル・ウルフ》と関係あったりすんのか?」
「お、よく気づいたね。井澄くんは勘がいいなぁ」
いや、きっかけは周囲の発言だったから、そんなふうに誉められても素直に喜べない。
そしてやっぱり関係あるのか!
「って言っても、私も確証持ってるわけじゃないんだけどね。でも十中八九、《闇の瘴気》のせいなんだと思う」
「……? なんだそれ」
聞き慣れないワードで説明されてもよくわからんっつの。
城井は考えるように首をかしげた。
「うーん、説明しろと言われて説明できるもんでもないんだけど。まあ簡単に言っちゃえば、《いや~な感じの空気》かな」
「簡単すぎだろそれ!」
思わずツッコミを入れるが、城井はどこ吹く風だ。もういつものことなのでいちいち気にしていられない。
「《あっち》じゃあね、《闇の瘴気》ってほんと危険なものなんだよ。浴び続けて生き残るものはない、ってくらいにね。実際、それでダメになった森や畑があるはずなの」
「へぇ……で、《闇の瘴気》? ってのが今このあたり一帯に充満してるってのか?」
「うん、まあそんなに濃いものじゃないと思うんだけどね。井澄くんさ、周りの人が『なんかだるい』とか言ってるの聞かない?」
「ああ、あるある」
真嶋も御端もどっか元気ねーし、仲町とかうざいくらいにだるいだるい言ってるし。でもそれを否定できるほど元気なやつも、いないんだよなぁ。なんていうか、今地域全体に閉塞感があって、みんなして疲れたような顔をしている気がする。
「それも《闇の瘴気》の影響なんだよ。魔獣ってね、魔術師の間では《闇の眷属》って別称もあったりしてね。それ自体が《闇》を孕んでて、《瘴気》を振りまいちゃうらしいの」
「へぇ。そういや、あいつらって有害なもの振りまくんだっけ。あ、もしかして、いつも傷口から吹き出てくる黒い煙がそれか?」
「そうかもしれないね。検証できるような技術が私にはないし、おまけにあれは空に向かっていって消えちゃうから、実際のところはわかんないんだけど。可能性としては高いと思う」「あいまいなんだな」
「魔獣についてはわからないことのほうが多いからね」
つまり不思議生物ってやつか。
まあ、《こっち》の現代社会だって、生態がはっきりしてない生物がないわけじゃないだろうし。詳しくは知らねーけど。
急所にダメージ与えたら消えて、急所以外のダメージじゃすぐ回復しちまうっていうんじゃ、倒した後にとっ捕まえて研究するってわけにもなかなかいかないだろうしな。生け捕りは危なすぎるだろうし。それじゃ無理もないか。
「……ん? 城井、さっき『《あっち》では危険』って言ったか?」
「うん」
「じゃあ《こっち》では?」
そもそも、聞いてる感じだと、もっと周囲に影響が出ていてもおかしくなさそうだ。《あっち》じゃ森や畑がダメになってるって言うんなら、《こっち》でもそういった現象が起こらないってのはおかしいだろう。なのに今のところ認識できる影響は、曇り続きの天気と、体の軽い不調くらい。
城井は困ったように笑った。
「……それが謎なんだよね。なんかどうも、《こっち》ではあまり瘴気の影響って出ないみたい」
「……なんで?」
「だから、謎なんだって。まあ、こっちは排気ガスとかでとっくに環境汚染ってやつが進んでるからね。そのせいかも」
「……つまり、あれか? 基本空気が汚れてるからそれにまぎれちまってる、ってことか?」
「もしかしたら、だけどね」
あっちこっちで環境汚染だの破壊だのと議論が交わされている世界のある一点。俺はこの世界が汚れていることに感謝した。自然界のやつらには非常に申し訳ないことだけど、おかげで《闇の瘴気》とやらによってもたらされる被害が小さくなっているのだから。もし《あっち》と同じくらいの被害が出るようなら、ここら一体の自然はとっくにダメになっていたかもしれない。そしたらもう、《姫》どころの話じゃないよなぁ。
そういや、《姫》については気になってることがあったんだ。
「話変わるけどさ。《姫》って、自分のこと知ってんのか?」
「それは、《姫》と融合したひとが、そのことを自覚してるのか、っていう質問?」
「そうそう」
俺は、《姫》と融合している誰かを知らない。だから暫定的に融合している人物を指すときに、《姫》の名称を使うようになった。城井も俺に合わせてそうしているらしい。
気になったのは、部活の休憩時間なんかに誰が《姫》なのか考えていたときだった。
城井からもらったヒントは、俺のすぐ近くにいる、というもの。そこから、俺が顔と名前を知っている女を挙げてみた。
おふくろ。ないない。あったら困る。
高坂。は、ありそう。だけどなんかしっくりこない。根拠はないが、ここは自分の勘を信じてみることにする。
監督。……は、ぶっちゃけ護衛いらねーだろ。自分でなんとかしちまうだろ。つかそもそも《姫》ってガラじゃねーし。あの人は、あれだ、女帝だ。俺らみんな頭上がんねーもん。
そんなことを考えていたら、ふと、そういや《姫》には、俺や城井のような力の、特殊な力の表面化はあったりするのだろうか、と思ったのだ。
城井は軽い動作で首を横に振った。
「ないよ。《姫》の融合者は、なにも知らないまま普通に生活してる」
「ふぅん。起こす予定は?」
「それもない。最初にも言ったけど、私は《ナイト》だって起こすつもりはなかったんだよ。なおさら、《姫》は起こしたくない。これ以上は、巻き込まないで済むなら巻き込みたくないもんね」
「城井らしいな」
城井は優しい。お人好しってやつなんだ。あと、どうやらやっぱり責任感も強いらしい。そのせいもあって、自分一人の力でなんとかできるようならなんとかしたい、とずっと思ってきたんだろう。《ナイト》を起こしてもその考えは健在、というよりも、《姫》についてはますます強くなったみたいだった。
「じゃあさ、《姫》の力ってどんなの?」
「え?」
「たしか、王家の人間は、魔術師じゃできないことができるんだろ? じゃあ、《姫》にはどんな力があったんだ?」
「あー……案外記憶力いいね、井澄くん」
それはほめられてるのか、それとも馬鹿にしているのか。
じと、と睨む俺の視線は気にせずに、城井は笑った。
「《姫》の力はね、《開いて》《閉じる》んだよ」
「は……?」
「《開いて》、《閉じる》の」
「いや、それはわかるけど……」
「なんでも《開いて》《閉じる》んだよ」
「堂々巡り!? それじゃ漠然とし過ぎててわかんねーよ! もっと具体的に言ってくれ」
城井は一秒だけ考えて、くて、と首を横に倒した。
「えぐい話でもいい?」
「できればやめてくれ」
「うーん……じゃあ、そうだな……たとえば、ドアの鍵が壊れて開かなくなった、とするね。《姫》の力を使えば、鍵部分の表面を開いて中を見て修理しちゃうこともできるし、それを閉じることもできる。最悪、鍵部分を完全に切り離してとりあえずドアを開けて、その後で元通りにすることもできるよ」
「……なんとなく、わかったけどよ。なんでその話するまえにえぐい話が出てくんだよ、お前は」
「だってわかりやすかったんだもん。説明してみよっか? 体の表面をねー、」
「だからやめろって説明しなくていーって!」
なんだか恐ろしげな話を始めそうな城井を止め、ため息をつく。別にそういうえぐい話が聞けないわけじゃないけど、できれば聞きたくない、ひととして。
「もっとなんか、他にわかりやすい例はねーのかよ」
「うーん……あ、じゃあこれならどう? 封印が施されている本があります。その本はある呪文を唱えれば開くことができます。で、《姫》の力はその本を普通に開くことができるし、元通りに閉じることもできる、つまり封印がされている状態に戻せるのね。これに呪文は一切必要なし」
「……おー、そっちのほうがわかりやすい気がすんな」
そんな非現実的な話で納得できてしまう俺もだいぶおかしくなってる気がするが。もうそんなことを言っていても仕方がないような気もしている。そもそもこの手に握っている剣がまず非現実的な要素の固まりだ。
「あとは、空間の《孔》を閉じることもできるね」
「《孔》?」
「召喚魔術や異世界へ《道》を繋ぐ魔術は、世界という空間に《孔》をあける行為なんだよ。《姫》の力はそういったものを閉じることができるし……試したことはないはずだけど、もしかしたら開けることもできるかもなぁ」
「……あれ? それって魔術師にできないことなのか?」
例に挙げられた二つはどちらも魔術だっていうんだから、魔術で空間に《孔》を開けることができるなら、王族の能力としての定義に当てはまらないんじゃないか? 王族の能力ってのは魔術じゃできないことのはずだろ。
「お、ちゃんと気がついたね。うん、たしかに魔術師にも可能だよ。でも、《姫》のように一瞬でってわけにはいかないな」
「へぇ……」
「魔術で空間に《孔》を開けるのには、ちょっと時間がかかるんだよね。下準備とかがいる場合もあるし。おまけに、空間に《孔》を開ける行為は、副産物として《闇の瘴気》を発生させちゃうからね。まあ、色々面倒なんだよ」
「……なあ、今更なんだけどさ。つまり、《ゴル・ウルフ》たちもそういう空間の《孔》から《こっち》に来てる、んだよな?」
「正解」
《こっち》には存在せず、《あっち》に生息しているはずの生き物が《こっち》にいる。それはつまり、そのための入口がどこかにあるってことだ。当然のことなんだけど、今更気がついた。
「それ、探して閉じられねーのか?」
「探しては、いるんだけどねー……うまく隠してるみたいで、ちっとも見つからないの」
城井が沈んだ表情をし、ため息をついた。
「まあ、見回りとほぼ同時進行だからね。最近はちょっと時間取れるようになったけど……」
なるほど、捜索時間が足りないってことか。
今は冬休み中だが、それまでは平日の朝から夕方まで、俺たち二人とも学校で授業を受けていた。放課後は、俺はほぼ毎日部活があって、城井はバイトがあったりする。休日もしかり。たっぷり時間がとれるのは基本的に夜だ。
「《道》を閉じることができたら、これは大きいよ。また繋げられる可能性は否めないけど、少なくともその間は《ゴル・ウルフ》の襲撃もないし、《姫》が連れ去られる心配もない」
「連れ去る? 殺すんじゃなくて?」
「《こっち》で殺しても魂が手に入んないからね。《あっち》の黒幕か、もしくは配下の術者の傍で殺す必要があるはずだよ」
「はー……《ゴル・ウルフ》って誘拐までできんのかよ」
「できるわけないじゃん」
これにはあっさり否定が返ってきた。
「《ゴル・ウルフ》にそんなことさせたら《あっち》に戻るまでに《姫》が食い殺されちゃうよ。あいつはあくまで探索用だろうね。しかも私たちへの嫌がらせを兼ねてるね。《ゴル・ウルフ》が視界に入った人間を獲物と認識して捕食するってことは、たしか前に話したよね」
「おお」
「かなり危険な生き物ではあるけど、それでも私たちがいれば、《姫》にその爪が届くことはまずない」
「……うわぁ」
「うわぁ、でしょ。だからあいつら、安心してこっちに《ゴル・ウルフ》放ってきてんだよ。ほんと性質悪いったら」
城井もえげつないと思うけど、その上を行くえげつないのがいた。
つまりだ。俺や城井が守ってるやつらをターゲットとして見りゃいいわけだ。それ以外のやつはどれだけ死のうと知ったこっちゃないってか。なんて気分の悪い。
「たぶん、見つけたらもっと知能があって誘拐に適した魔獣を放ってくるよ。つまりだ、《ゴル・ウルフ》だらけの今は、《姫》がまだ見つかってないって証拠でもあるの」
「なるほどなぁ」
安心はできないけど、とにかく《姫》はまだ安全ってことか。そう思うと少しだけ気は楽になるけど……。
「相当、面倒くさいな」
「そう思うでしょ」
「こりゃ是が非でもその《道》とやらを閉じてやりたいところだな」
「うん。まったく、どこに隠したんだか」
「なあ、それ、移動したりはしないのか?」
「……え?」
城井が驚いた顔で俺を見た。それにつられるように、俺も少し驚いたような心地になる。
「いや、《道》って空間に《孔》開けたものなんだろ? でも、《孔》っつっても地面に掘るわけじゃないだろうし。魔術でつくったもんなら、移動したりできんのかな、と思っただけなんだけど」
「……盲点だった」
「……城井?」
「《ウィザード》の中にはそんな知識ないけど、だからってあり得ないとは言えない……誰かがそんな術を完成させててもおかしくない……!」
「おーい……?」
「ありがとう井澄くん! 明日から一度探したところも洗いなおしてみるよ!」
「お、おお……」
なんだかよくわからないが、俺の疑問は城井に新しい視点を与えてやれたらしい。
「がん、ばる、ぞー!」
役に立てたなら、まあよかった。やる気満々で両手を空に掲げる城井を見て、俺は頷いた。
あれ、そういやなんの話してたっけ、俺ら。