第4話 願いと魂
02 緊急事態
城井からメールを受け取った。いわく、《あっち》と《こっち》を繋ぐ《道》を見つけた、というのだ。
《道》は移動しないのか、と俺が尋ねてから三日が経っていた。
「『しばらく学校休むかもしんないからあとよろしく』……って言われたってなぁ」
冬休みはあっという間に終了し、すでに一昨日から通常授業が開始してはいる。
よろしく、と言われても、なにをどうすればいいのかわからない。てゆーか、見回りはどうすんだよ……。あ、城井が《道》の側にいるなら心配ねーのか。
しばらく学校休むかもしれないってのは、《道》を閉じる作業のためだろう。この間、時間がかかるって言ってたし。後で返信して、どこなのか場所を聞き出して、俺も現場に行くか。突然どばっとそこから《ゴル・ウルフ》が何体も出てきたりしたら、いくら城井でも厳しいだろうからな。
ふと、メールに続きがあることに気付いた。ぐにぐにと画面をスクロールさせてみる、と。
『追伸:施設の先生には友達ん家で勉強合宿するって言って井澄くんの連絡先教えちゃったからなんか連絡いったら適当に頼みます』
だ、そうだ。
「って、おいこら」
それを俺に言うのか。俺に頼むのか! 女に頼めよ! って無理か。女友達にどう説明すんだって話だよな。しかもあいつ仲のいい女友達いねーし。でもマジで俺に連絡きたらどうすんだよ、男の俺ん家に泊まってるなんて言い訳していいのかよ、なあ!
ここは高坂に協力頼むか? いやだから高坂に頼むにしたってなんて説明するんだよって話なんだって。
くっそ、あの馬鹿ほんっとどうにかしてくれ、誰か!
「井澄ー、どしたのー? 変なメールでもきたんかー?」
「……なんでもねー」
本日、日曜日。これから練習。ただいま着替え直前。
メールなんかチェックするんじゃなかったかもしれない。
仲町に声をかけられて、俺はぱくんと二つ折りのケータイを閉じた。
もう知らね。覚えのない番号の電話はとらねぇ。これで解決だ、文句は言わせねーぞ。俺に頼んだあいつが悪い。
ふと隣を見ると、御端が制服のボタンに手をかけた状態で静止している。
「……御端?」
「…………」
反応なし。
「御端ー?」
「…………」
再チャレンジしてみたが、やっぱり反応なし。どうしたんだ、一体。
御端の逆隣にいた真嶋が、微妙な顔でこっちを見た。きっと俺も似たような顔してるんじゃないだろうか。
「御端、最近こういうこと多いんだよなー」
「そうなのか?」
「うん。で、こういうときはだな……」
真嶋は御端の耳たぶを軽くつかんで、
「わっ!!」
「ひゃうぅぅぅ!?」
真嶋が遠慮ゼロの大声を出し、耳元でそんな声を出された御端は飛び上がるくらいびっくりしてバランスを崩して倒れそうになったが、そこは俺が手を伸ばしてなんとか支えた。ここで御端がすっ転んだとかなると、間壁が心底うざいことになりそうだからな。間に合ってよかった。
御端は耳を手でカバーして、隠しようもなく涙目だ。
「ま、まじま、く……み、耳っ……」
「御端、またボーっとしてたぞ!」
「あ、あう……ごめ……」
「いーけど! 井澄も心配してたぞ」
「うぇ!? ご、ごごご、ごめ……!」
「まあ、体調悪いわけじゃないならいいけどな。なんか悩み事か?」
「……う、うぅ……」
尋ねてみたものの、御端は呻くばかりで意味のある言葉を発する気配がない。しかもものすごく辛そう。うーん、これはこれ以上聞くのはやめておいたほうがよさそうだな。こっちにそのつもりがなくても、追い詰められてマジ泣きしそうだ。
「あー、いい、いい。言わなくていいから」
「ご、ご、め……」
「気にしなくていいから。ほら、泣くなって。泣いてる暇あったら着替えて部活すっぞ」
「うっ……うん!」
部活の一言で、御端の涙はぴたっと止まった。ちょっと悪かった顔色も、すぐに興奮したように頬に赤みがさす。肌の色が、俺とか他のやつらよりずっと白いからか、その赤みがよく映える。もうちょっと日に焼けててもいいと思うんだけど……日に焼けにくい体質なんかな。
制服から着替えて、部室を飛び出す。ちょうどクラブ棟の横を通りがかった高坂が目に入った。
「こーさかー」
「はいはーい」
「悪いな、いつも」
「ううん。練習がんばってね!」
「おう」
練習が始まる前に、高坂に頼んでケータイを預かってもらう。いつもはストラップとしてつけてある魔晶石は取り外し、ズボンのポケットの中だ。
城井と手を組んで以降、緊急事態が発生したら連絡し合う、という約束をしたのだが、部活中は基本的にケータイには触れない。かといって、休憩時間の度に部室に戻るわけにもいかない。だから、マネージャーである高坂に頼んで預かっておいてもらうことにした。最初の最初はもちろん渋られたけど、真剣に頭を下げて頼んだら、「しょうがないな」と笑って言って引き受けてくれた。感謝だ。さすが高坂。
もっとも、見回り時間以外でこれまでに城井から連絡なんてほとんど受けたことないし、俺も連絡したことなんてないけど。
とりあえず《道》を塞ぐことができれば、しばらくは時間が稼げる。結局は黒幕とやらをどうにかしないといけないんだけどな。その方法については、どうやら城井のほうにも具体的な案はないらしい。
あー、くっそ、どうすりゃその黒幕とやらを引きずり出せんだよ。
もやもやとしたものを抱えながらも、今はとにかくどうにか練習に集中することにした。
* * *
城井は、北上里駅の裏方面にある森の中に足を踏み入れていた。彼女の胸中には、懐かしさと愛しさと苦さが渦巻いている。
幼少の頃、城井は両親とともによくこの森を散策していた。
そして、城井が《ウィザード》と呼ぶ魔術師が異世界よりこの世界へ足を踏み入れた場所も、この森だった。つまり、ここは、かつて《ウィザード》が《あっち》から《こっち》へと《道》をつくった場所なのだ。
さすがの城井も、その明確な位置までは思い出せない。しかし、《あっち》から再び《道》をつなげられたと言うのなら、取っ掛かりになったのは絶対にこの場所だったはずだ。この場所以外に、《あっち》と縁のある場所はないのだから。
井澄に《道》が移動する可能性を示されてから三日、城井はこの森の中をくまなく捜索し続けた。一度見た場所でも、何度も繰り返し見て回った。
そして今日、とうとうそれを見つけたのだ。
冬にあっても森は緑を失ってはいないが、ここしばらくまともに太陽の恩恵を受けることができていないせいか、どことなく生気がない。……いや、それだけではないのかもしれない。
今のこの森は、《ウィザード》の記憶の中にある森の状態に近い。
おそらくこの森は、《ゴル・ウルフ》の襲撃が連続的に発生する前から……もしかしたら、城井が両親を殺されるよりも前から、《道》から発生する《闇の瘴気》にさらされていたのだろう。いくら《こっち》では影響力が少ないとはいえ、ゼロではないのだ。むしろ、この程度で済んでいることが奇跡的なのかもしれない。
城井は視線を斜め上へと投げかけた。
夜が明けてからずいぶん経っているはずなのに、薄暗い森の中、不自然な黒く丸いものが、そこに在った。
間違いなく、それが探し求めた《道》だ。
あの先に、黒幕がいる。
しかし、迂闊にあの中に飛び込むことはできない。あの先は未知の領域だ。黒幕が誰なのかもわからない。なにが起こるのかもわからない。
かつて、《ウィザード》はあの《道》を通り抜け、そして消えた。城井が《あっち》へ出て、同じようにならないとも限らない。
城井は静かに、杖の先端を《道》へと向けた。
状況に大きな変化は発生しなかったが、今はとにかく、目の前の《道》を閉じることにする。閉じたところで、城井は夜の見回りをやめることはないだろう。一度、《ウィザード》が閉じた《道》とほとんど変わらないような場所に再度繋げられたということは、今城井が閉じたところで再び繋げられる可能性がある、ということだ。
だが、閉じることができれば、時間稼ぎにはなる。再び繋がるまでの間、井澄には休んでいてもらえる。それは、城井からすると大きな成果に思えた。
……この日までに、黒幕が《姫》に気づいたのなら、また他にやりようもあったかもしれないが。
あのときの《ウィザード》とは違い、今度は他人がつくったのだろう《道》を閉じることになる。《ウィザード》のときは一日弱、だったと思う。それ以上の時間を覚悟したほうがいいだろう。それが終わったら森を出て、それから……。
やるべきことを頭の中にリストアップし終え、心を落ち着かせ、《道》を閉じることに集中しようとした。
そのとき。
ひらり黒いものが城井の目の前を横切って行った。反射的にそのなにかに吸い寄せられるように視線を斜め上へと投げる。
それは蝙蝠のような羽と、ずんぐりした胴体、真ん丸な頭、異様に長く切れた口に、ただ一つ目を持っていた。
「……使い、魔……?」
魔術師は時折、ああいった生物の形をもった無生物を生み出す。形状は人それぞれ、時によっても異なる。主な用途は通信だ。あれに己の音声を詰め込み、伝えたい相手のところへ飛ばして言葉を送る。またある時には術者の目の代わりになることある。様子の知れない遠方の地へと飛ばし、その地の情報を術者に伝達する。もっとも、術者の程度によって飛ばせる距離には限界があるが。
別段珍しくもない。魔術師からすればよくある手法と言える。
しかし、城井はそれから目を離せなかった。
なぜ使い魔などがここにいるのか。あれを作り出し、扱えるのは魔術師のみ。しかし、この世界でたった一人であろう《あちら》の魔術師は自身しかいない。正確には自分自身ではなく自分のうちにいるものだが。そして、その自身は、この世界で使い魔など作り出したことはない。
ならば、あれは《あちら》の魔術師のものだ。
思考が最終回答に行きつくより先に、城井の体は後方へと跳んだ。数秒遅れて、山の地肌を黒く鋭い爪が大きく抉る。《道》から伸びた闇色の太い腕と、《道》の中に浮かぶ光。徐々に闇を大きくしていくそれに、奥歯が軋り、杖を握る右手に力がこもった。
――ハメられた。
これまでの魔獣はすべて囮だったのだ。本当の捜索の担い手は今も城井の頭上をひらひら踊っているような使い魔の方。このサイズで鳥に近い形状をしていれば、城井も誰も気づけない。
そして、今。散々隠れまわっていたはずの《道》が目の前にあり、目印のように舞う使い魔がいる。
眼前の《道》の奥に揺れる濁った光が一対、二対、三対……徐々にその数を増やしていく。
相手は待っていたのだ。城井がここへ来る時を。
……ウィザードを、潰すために。
その形を顕わにした、《ゴル・ウルフ》を始めとする複数の魔獣に向かい、城井は杖を構えなおす。意識的に息を吸い、吐き出す。
「……《ザキ》、」
そして、この場を生き延びるため、大事なものを守るため、呪文を口に乗せた。
* * *
ぴし、となにかが弾ける音がした。タイミングよく小休憩に入ったので、そっとズボンのポケットに手を差し込んだ。
そこに入れてあったものに触れて、ぎくりとした。
「井澄ー、ドリンクいらねーの!?」
「いる! いるに決まってんだろ!」
真嶋に叫び返すが、俺はみんなから少し離れたところで、みんなには背中を向けて、おそるおそるポケットからそれを取り出した。
砕けてただの欠片になった、魔晶石だ。
一瞬、練習中に壊したのかとも思ったが、どうも妙だ。欠片の一つをできるだけ優しくつまみ、じっくりと観察してみる。
色がない。
この魔晶石は白色だったはずだ。なのに、今は掲げたその向こうが透けて見える。
どうなってるのかと考えている間に、欠片は大気に溶けるように消えてしまった。
「……城井……?」
「いーすーみー!! 休憩終わっちまうぞー!?」
「っ、今行く!」
焦れたような真嶋の声に返し、そちらに駆け寄る。その間にも、心臓が嫌な鼓動を鳴らしている。
靴ひもが切れると縁起が悪いなんてことは、普通に昔から言われているし。よくフィクションの世界では、なにか良くないことが起こったときなんかに、不自然になにかが突然壊れるといった描写が使われている。そんなことが都合よく現実に起こることはそうないとは思うのだが、どうしてもそのことが頭を離れない。
……まさか、城井になにかあったのか?
悪寒に似た不安が頭の先から足の先にまで満ちる。
今すぐ連絡を取りたい。しかし、休憩中とはいえ、今与えられている時間は短い。水分を補給して一息つくので精一杯だ。
それに、高坂はグラウンドを離れているらしく、姿が見えない。今は、城井と連絡を取る手段がない。
「い、すみ、くん……?」
「……ん? なんだ、御端?」
「どうか、した?」
「え……?」
「井澄、すっげー恐い顔してっぞ。体調悪いんか?」
「……や、そういうんじゃねーから」
御端と真嶋に心配かけたくなくて、笑って見せた。二人とも、あんまり納得はしてない様子だったけど、それ以上はなにも聞かないでくれた。休憩時間が終わった、というのもあるが。
練習が再開されたが、俺の調子はぼろぼろだった。集中力が足りないって、監督からは説教くらってしまった。自分でもわかってるもんだから、もうひたすら謝って耐えるしかない。
午前の予定が終了して、昼食タイムに突入した。
「井澄ー、食堂のテーブル使おうぜー!」
「悪い、先行っててくれ!」
急く気持ちのまま、高坂の姿を探す。
ふと、いまだグラウンドにいる御端の姿が目に入った。昼食は、たまに時間がずれる時もあるが、今日はみんな一緒のはずだ。間壁がなんか怒鳴っていて、御端はその目の前で体を小さくしていた。少し離れたところで、監督が微妙な表情でそれを見守っている。ああ、またなんかやったんかな……。
間壁はひとよりちょっとばかし短気なものだから、おどおどしてて自分の言葉に自信が持てない御端とはあんまり相性がよくない。しかし、決して仲が悪いわけじゃない。
間壁は間壁なりに御端のこと大事にしてるっぽいし、多分好かれたいとは思ってる。だからこそ、自分に対しておどおどしがちな御端の態度にさらにイライラしてしまう、という悪循環に陥っているんじゃないだろうか。
一方、御端は御端で、間壁のことをすごく信頼している。間壁だってそのくらいはわかってるだろうけどな。ま、俺や真嶋みたいに慣れてもらうまでには、もうちょっと時間がかかりそうだ。間壁は、とりあえず怒鳴るのをやめたらいいと思う。とはいえ、それはある意味性格だろうし、しかたねーか。
っと、高坂探さねーと!
「井澄くん!」
「うぉ!? お、おー、こーさか……」
探そうとしてた高坂のほうから、俺のほうに駆け寄ってきた。
高坂は、俺がなにかを言うよりも前に、俺が預けたケータイを差し出してくる。
「さっきから、何回も電話鳴ってるの。城井さんから、なんだけど……」
「っ!?」
俺は慌てて高坂からケータイを受け取った。
城井が俺に電話……このタイミングで!
着信履歴を見る。城井から、五件も。愕然としているうちに、また城井からかかってくる。タイミングのいいことで。
俺は受信ボタンを押して、その電話をとった。
「なんだかんだ、井澄って城井とラブラブっぽいよな。本人たち否定してるけど」
「たち?」
「城井も女子から質問受けて、そんなんじゃないよー、て笑ってたんだよ。軽すぎて嘘か本当かわからないけど」
「まあ、ラブラブかどうかはわかんねーけど、仲はいいみたいだな」
林田と寺本が好き勝手言ってる。真嶋と仲町は興味津々で聞き耳を立てている。どこかに移動してから電話をとるべきだったかもしれない。けれど、城井からもらった魔晶石が粉々になって消えた後に、城井からの電話があった、ということ自体が、そんな余裕はないような気にさせてくる。ていうか、お前ら、「先行け」って言ったのになんでまだいんだよ!
城井はこれまで、見回り中の連絡手段としてしか俺に電話をかけてきたことがない。その城井が、今日すでに五回、これで六回、俺に連絡を取ろうとしている。なにかが起こったんだ。そうとしか思えない。
『い、すみくっ……ごめ、……ドジ、った!』
途切れ途切れの声。苦しそうな、涙混じりの声。
「どうしたんだよ、なにが、」
『今、どこ……!?』
なにが起こったのか、尋ねようとした言葉をさえぎられた。その声の必死さに、俺は戸惑いながら答える。
「え……どこって……グラウンド……」
『グラウンド、ね! ……っ!』
「……お前、まさか怪我してんか?」
『っ……』
「なあ、なにがあったんだよ! お前が電話してくるなんて、よっぽどの、」
『一体、逃した!』
「……は?」
『《ゴル・イーグル》っていう、飛行能力を持った魔獣! 一体逃したの! っ、学校に、向かってるみたい!』
その言葉に、愕然とした。
「ちょ、待てよおい! 今真っ昼間だぞ! なんであいつらが……!?」
『目的を達成できれば、いいんだと……! たぶん、もともと、《ゴル・ウルフ》も夜行性ってわけじゃなくて、太陽の光が苦手なだけなんだと思う! それが魔獣全般に当てはまるとしたら……《ゴル・イーグル》は鳥型の魔獣だから、空を飛んでれば、昼間でもあまり目立たないし! 《ゴル・イーグル》もサイズが人間の倍以上あるし、鳥の足想像してみてよ……! 奇襲をかけて人間をさらうにはうってつけの魔獣なの!』
「っ……ちょっと待てよ、それってまさか……」
『……《姫》に、気づいたんだと思う! 私も、今学校に向かってる、けどっ……《ゴル・イーグル》には追いつけない! 鳥型だから、井澄くんには厳しい相手だと思うけど、私が着くまでなんとか持ちこたえて!』
「っ、ちょ、待て待て! それは《姫》を守っといてくれってことだろ!? 俺は《姫》が誰か知らねーぞ!?」
周りに人がいることを忘れて大きな声で言い返す。なんの話だろう、とか林田や寺本が言っているような気がするがうまく耳に届かない。城井の声、ケータイの向こうから流れ込んでくるノイズばかりが、大きく聞こえる。
たしかに、緊急事態には連絡をとるって話だったけど、こんな危機的状況ありか!? しかも守れって誰だよ《姫》は!? どこにいんだよ!? まさかここで戦うのか!? 冗談じゃねーぞ!!
『いいの! 《姫》を守るなんて、考えなくていい!』
「は……?」
『井澄くんが一番守りたいひとを守って!』
「考えなくていい、って、ちょ、おい、城井……!?」
なに、言ってんだ。狙われてんのは《姫》だろ。城井はずっと、《姫》を守ってきたんじゃないか。それを見捨てろって言うのか。
言い返そうとして、ふいにぞわりと背中に冷たいものが走った。
直感的に上空を見た。一羽、曇り空を背景に見える鳥の姿に、魂が警鐘を鳴らす。
俺が、一番、守りたいひと。
反射的に、その姿が視界に入る。なにも考えられなくなる。
『文句は後で全部聞くっ……だから、持ちこたえてっ……絶対、死んだりしないで!!』
城井の言葉は、もう聞こえてなかった。
俺はケータイを放り出して走り出す。
《ヤツ》は目標を見つけたのか、だんだんその姿がはっきりしてくる。普通の鳥じゃあり得ない大きさになりつつあるそれから意識をそらさず、俺は走る。
「井澄!?」
真嶋の声が聞こえる。いつもなら振り返るところだが、今はその声も右から左へとすり抜けていくだけだ。
俺の脳はただ自分の足に向けて緊急の命令を送り続ける。
――動け、走れ、間に合え!
《力》を解放しない状態での、最大速度。跳ぶように、飛ぶように。
そして手を伸ばす。
――間に合え!