第4話 願いと魂
07 姫
「それで……」
監督が緩めた表情をきゅっと引き締める。
「《ゴル・ウルフ》やら《ゴル・イーグル》やらは《姫》を探していた、という解釈でいいのよね?」
「はい」
「今までは夜にしか活動していなかったのが、どうして突然こんな日中に出てきたの?」
「……城井は、《姫》に気づいたんだ、って言ってました。俺も、そう思います。なんで日中に出てきたのかは俺もよくわかってないんですけど……城井は、『目的が達成できればいいんじゃないか』みたいなことを言ってました。『魔獣は夜行性ってわけじゃなくて、太陽の光が苦手なんじゃないか』とも。たぶん……昼間は長い時間動けないだけなんだと思います」
「……なるほど、ね」
呟いた監督は、細長い呼気を吐き出して、ちらりと視線を後ろへ向けた。並ぶみんなを見ているのか……いや、正確には、そのうちの一人。
監督はもう、気づいてんだろうな。俺は一度も名指ししたりしてないけど、監督は《ゴル・イーグル》がグラウンドを襲撃した瞬間をばっちり目撃している。ここまで事情を聞けば、選択肢は二つ。鋭い監督なら、もうわかっていても全然おかしくない。
《姫》が誰なのか。
監督の視線の先を確認した俺は、ぐしゃりと前髪を右手で乱した。
……ここまではいい。この後の説明を、どうすっか……。
唐突に、がらりと音を立てて、閉めてあった教室のドアが開いた。そこからコバセンがぐったりした様子の城井を背負って入ってくる。思わず席を立つと、同時にイスが揺れて結構でかい音がする。
「城井!?」
「急に倒れちゃってね。意識はあるみたいだけど、歩く力がないみたいなんだよ」
コバセンは教室の中を見回した後、躊躇なく俺のそばまで来て城井を丁寧に床におろした。コバセンの言葉通り、意識を失っているわけではないらしく、城井はよろよろと近くにあったイスを引き寄せ、上体を預ける。俺は床に膝をついて、目線を城井のものに近付けた。
「だ、大丈夫か?」
「う、ん……さすがに、結界、三つ同時、展開は、きつい、な……」
声にも覇気がない。完全に疲労困憊状態だ。へろっへろだ。こんな城井は初めて見る。
「三つ?」
「学校の、周りと、校舎、と……《道》、に」
「……《道》、か」
そういや、城井は《道》を発見できて、それを閉じるための作業に入っていたはずだ。ぼろぼろ具合を見るに、完全に不意をつかれたんだろう。城井だって、これまでの経験上、まさか白昼堂々襲ってくるとは思わなかっただろうし。襲ってきたのも、きっと一体や二体じゃなかっただろう。
目の前の敵をすべて倒したが、《ゴル・イーグル》が一体城井の攻撃をすり抜けた。負傷した体で、俺たちを守るための壁を作り、どこからかは知らないけど自転車走らせて学校まで駆けつけてくれた。そっから更に《ゴル・イーグル》との戦闘、グラウンドの復元、そして結界……いくら《力》を解放しているからって、無茶苦茶だ。実際、少し前には解放状態にも関わらず立てなかった。回復が追いついていない。それほど疲労困憊しているのだ。
杖をしまった後を考えると……ひでーことになりそうだな……。
「そっちは、気休め、だけどね、ほんと。本気出されたら、たぶん、すぐ破られ、ちゃう……」
「……少し寝るか?」
「だめ……寝たら、結界、解けちゃう、から」
「そっか……」
俺は城井を休ませることを諦める。
気持ちとしては、やっぱり休ませてやりたい。でも、現状じゃ城井を休ませることはイコールで俺たち全員どころか今校内にいる全員が危険にさらされる可能性が出てくるってことだ。俺だけならともかく、他のみんながいるんじゃどうにもできない。せめて半分でも、俺が肩代わりしてやれたらいいのにと思うのに、それもできない。
……くそっ。
「小林先生、事情は……」
「うん、城井さんに道々聞いたよ」
コバセンが監督からの遠まわしな問いに頷く。その態度は、本当に聞いたのかと思わず疑ってしまいたくなるほど、すべてがすべていつもどおりだった。もしかしたら野球部において最強なのは何気にコバセンなのかもしれない……と、どうでもいいことを考える。
イスに突っ伏していた城井が、顔を俺に向ける。
「説明、は……どんなあんばい、ですかー」
「《ゴル・イーグル》が《姫》を攫いに来たんだろうってとこまで言った」
「おー……充分。なら、次の段階にいける、ね」
起きているだけでも辛そうなのに、城井はかまわず話す。俺はもう、それを止めない。それは、話をしないことには、先に進めないのだとわかっているからだ。そして、どうあっても先に進まなければいけないのだと、わかっているからだ。
「ちょっと待てよ! そりゃ確かに井澄から話は聞いたけどな。んな無茶苦茶な話、どうして信じられるってんだよ! ありえねーだろ、普通に考えて!」
反感を持ったらしい間壁が、その背中に御端をかばいながら噛み付いてくる。魔獣とそれを相手に戦った俺らをその目で見ながらまだ言うか。……と思ったが、ここで間壁にとって大事なのは証拠云々じゃないんだろうということに思い至る。
俺が話した内容がどれだけ非現実なものなのか、俺もわかってるつもりだ。俺だって、城井に話を聞いた時には「そんな馬鹿な」と心底思った。
非現実的な現実を受け入れるのは難しいことだ。受け入れれば、これまで自分をとりまいていた当たり前の世界ががらっと変わってしまう。崩れてしまう。だから、たとえその証拠が目の前にあったとしても、咄嗟に現実を拒絶してしまう。
……わかるんだけどよ。
そんなこと言われたってこっちだって困る。現実に非現実なことが起こった。俺はそれについて説明した。これ以上どうしろって言うんだ。
吐き出したいため息を懸命に押さえ込んでいると、監督が俺たちに代わって間壁に投げかける。
「それは子供の言い分だね、間壁くん。否定したい気持ちはわからなくもないよ。けど、実際に《ゴル・イーグル》は私たちの目の前に現れたし、井澄くんたちは戦って退けた。たとえどんなにそれが信じがたいことだったとしても、目の前で起こったことを否定したってどうにもならない。……というか、君は信じられないだけじゃないでしょ。信じたくないんでしょ。井澄くんの言ったことが本当なら、今一番危険な場所に立たされているのは誰なのか……君も、もう気づいてるんじゃないの? だからそうやって隠すんでしょう?」
射抜くような視線が、間壁に突きつけられる。間壁は肩を震わせて目を丸くした。
……馬鹿、それじゃ肯定してるようなもんだろーが。
「え、じゃあ……」
「それって……」
意外そうな声があがる。
意外、かな、やっぱ。俺は案外違和感なく受け入れられたんだけど。
まあ、《姫》って単語のせいですっかり騙されてたわけだが。
みんなの視線が間壁の後ろに集中する。間壁はそれでも隠そうと必死になる。守ろうと、必死になる。その背後で、色素の薄い髪の毛が戸惑ったようにひょこひょこ揺れている。
真嶋が動いた。間壁に詰め寄り、その背後に手を伸ばすと、さまよう様に浮いていた白い腕を掴み、引っ張り出す。
ひよ、柔らかい髪の毛が跳ねた。びっくりした御端が顔を見せる。
御端は驚くだけで、特に抵抗らしい抵抗は見せなかった。むしろ間壁のほうが抵抗したそうな感じに見える。真嶋の行動が早かったから、なにもできなかったみたいだけど。
真嶋が御端の手を引いて、みんなより一歩前に出てくる。
「井澄と城井が言う《姫》って、御端のことか?」
試合をしているときのような、真剣な目をした真嶋。真剣すぎて怖いと思ったが、不思議と体は震えなかった。ただ真正面からそのまなざしを受け止める。
俺は確認の意を込めて城井に視線を送った。城井はそれを受けて、みんなに向かって、ゆるく、けれどはっきりと頷いた。
「御端も、井澄や城井みたいに、戦わなきゃなんねーのか?」
「いや、それは……」
「そのこと、なんだけど」
御端を戦わせる気は俺にはなかったし、城井も《姫》の魂を起こす気はないって言ってた。それを伝えようとしたら、城井がひどく申し訳なさそうに口を挿んだ。城井に視線を移すと、やはり城井は申し訳なさそうな顔をしていた。
「……ごめん。予定、変更する。《姫》を、起こす」
「っ、はぁ!?」
一番驚いたのは、たぶん俺だ。俺の驚いた様子に、ほかのみんなは驚いただろう。
俺はかまわず、城井のほうへと身を乗り出す。
「なに言い出すんだよお前! 御端まで巻き込むつもりか!?」
「……結論として、そういう、ことになる……」
「馬鹿言うな! 俺は反対だぜ! 御端まで危険な目にあわせる気かよ!? てか御端が一番危険なんだろ? お前が一番よく知ってんじゃねーのか!?」
「っ……、井澄くんの気持ちはわかる、よ……。でも、今は、井澄くんの意向も、御端くんの意向も、聞く気はない……。《姫》を、起こす。これは決定事項だ」
「ふざけんな! そんなの許すわけねーだろ!」
「だから、君の意見は聞いてない!」
「っ、てめ!」
「ストップ、ストップ! 井澄も城井も落ちつけって!」
ヒートアップしていく俺と城井のやりとりに、水を差したのは林田だった。俺も城井も林田を見る。林田は困ったように笑った。その手は「どうどう」と宥めるように動いている。
「俺たちにわかんないとこで話進めないでくれよ、頼むから」
「あ……悪ぃ」
そりゃ、あんな当事者以外にはわからない話、聞いててもどうしていいかわかんねーよな。
「よくわからないけど、とにかく今はケンカなんかしてる場合じゃないんだろ? なら、一つずつ解決していくしかないよ」
「……ひとつ、ずつ……」
「そう。……とりあえず聞かせてほしいのは、どうして城井が、《姫》を起こすことを決めたのか、ってことかな」
「……そう、だな。城井、なんかあったのか?」
思考が冷静さを取り戻して、動き出す。城井は以前、《姫》を起こす気はない、と言っていた。《ナイト》ですら起こす気がなかったとも言っていたし、事実として城井は俺に力を貸してくれなんて言わなかった。城井が言ったことは、すべて本心だったはずだ。それをこんなに急にその発言をくつがえしたのは、なぜだ。
城井は居心地悪そうに視線を逃がしてから、小さく答える。
「……《姫》の力が、必要だから……」
「それはどうして?」
「…………」
俺が口をはさむまでもなく、林田が問いただす。城井は少し困ったようで、向けられるすべての視線から隠れるようにイスに突っ伏した。そして、そのままの体勢のまま、言う。
「……黒幕の正体に、見当がついた」
予想外だった。今まで、尻尾の先っぽすら掴めていなかったのに。
……いや、待て。黒幕に見当がついたんなら、そいつ引っ張り出して叩いて終わり、にはならないのか? たとえ終わりにするのは無理でも、なんか対策を立てることはできるはずだろう。
その思考を切り裂くように、城井が重苦しい声で続ける。
「考え得る中で、きっと最悪の敵だ。正直、真っ向勝負して、勝てる相手じゃない、と思う。《こっち》に引きずり出すなんてのは、絶対無理。私たちにできることは、《あっち》から繋げられてる《道》をとにかく閉じていくことだけ……」
城井は一度言葉を止めて、顔を上げて俺を見た。
こんなに悔しさを前面に出した表情は、初めて見た。
「ひたすら。何度も、何度でも。今は、それ以外の対処法が思いつかない。私じゃ、時間がかかりすぎる。時間をかけずに《道》を閉じることができるのは、《姫》だけだ……」
真剣で、切実な瞳が、涙を堪えて揺れる。
俺はため息をついた。
……そういうことは最初に言えよ、馬鹿。なんだってこいつは、そうやって一人で抱え込もうとするんだ。そんなだから、事態が変な方向に転がってくんだ。しなくていい言い争いをする羽目になったりとか。
「……《姫》を起こしたい、って理由はわかった。でも、御端が嫌がるなら、俺は賛成できない」
「……起こさなきゃ、御端くんの身が、危ないんだよ?」
城井の言うことは、わかるんだ。わかってるつもりだ。でも、納得できない。気持ちが納得しないんだ。
だって俺は、御端をこれ以上、巻き込みたくないんだ。危険な目になんてあわせたくない。怖い思いなんてさせたくない。こんなこととは関係のない場所で、ずっと、笑っててほしいだけなんだよ。
「……あのさ、ちょっと聞いていいかなー? 井澄たちが戦ってる相手が狙ってるのは、御端じゃなくて御端の中にある《姫》の魂なんだよね? 《姫》の魂だけ分離とかできないのー?」
ぽつん、と仲町が言った。そりゃ当然の発想だけどな。俺はあえてそれを城井に聞いたことはない。だって、無理だろ、たぶん。
「……できんなら城井がとっくにやってるだろ」
「……うん、まあ……」
「う、そっか……」
しょぼんと肩を落とす仲町を、梶と国枝が慰める。
それ以外に方法がないっていうのは、わかってるんだ。ちゃんとわかってる。わかってるんだけど、頷けない。
「……わかった。御端くんが嫌がるなら、他の手段をどうにか考える。それでいい?」
城井がため息をついて、妥協した。それからすいっと、御端に視線を向ける。城井だけじゃなく、俺も、みんなも、視線が御端に集まる。御端はそれに驚いて、慌てて、きょどった。
こいつ、今の話の中心が自分だってこと、理解してねーな。
「御端くんは、どうしたい?」
「お、おれ、は……」
「遠慮する必要ねーぞ御端! 嫌だって言ってやれ!」
ぴし、と頭のどっかで弾ける音がしたような気がした。
だから、俺も城井も御端に聞いてんだっての。間壁はちょっと黙っててくれ。
ぎゃーぎゃーと騒ぐ間壁に、監督から「黙って」と命令が飛ぶ。俺の考えが伝わったのか、それとも監督自身そう思ったのかは定かじゃない。
みんな黙って、御端の答えを待つ。御端がぎゅうっと胸の辺りをつかんで、俯いて、静かに喉を震わせた。
「……さっき、から。ここが……おく、が、痛い、んだ……」
「御端……?」
「なにか、言ってるみたい、なんだけ、ど……俺、聞こえ、なくて……でも、もし、その人が起きたら、聞こえる、かな……」
御端がそおっと顔を上げて、俺と城井を見た。
……御端のその感覚が、俺にはちょっとだけ、わかる。《ナイト》が起きた時に、俺はすでに似たような感覚を経験している。
なにか言っている。それに間違いはない。伝えようとしているのか、ただ声を上げているだけなのかもわからない。
その言葉を聞く方法はないとわかっていても、俺は何度か俺の中に問いかけた。
――なあ、なんて言ってるんだ?
御端の中で上がっているのだろう声は、俺には聞こえない。なんて言っているのかなんて、知らない。どうすれば聞けるのかも、知らない。
城井を見た。城井はしばらくじっと御端と視線を合わせて、頷いた。
そして、御端が決断する。
「俺、知りたい! だから、いいよ!」