第4話 願いと魂
10 束の間の休息
ガラ、と盛大に、遠慮なく、教室のドアがスライドされた。
廊下と繋がったそこから、真っ先に真嶋が、続いて仲町が入ってくる。
「たっだいまー!」
「お待たせー」
話が一段落ついたところで、タイミングよくみんなが教室に戻ってきたようだ。なんと、各自の弁当だけじゃなく、コンビニの袋まで提げている。そういえば、弁当取りに行くだけにしちゃずいぶん時間がかかっていたような……。
俺の視線に気づいた高坂が笑って答える。
「夜までがんばるんなら、きっとまたお腹空くと思ったから、コンビニでいろいろ買ってきたの」
「さすがだなー」
「おだててもここにあるもの以上のものは出ないよー」
いや、そんなつもりはさらさらないんだけど。まあいっか。
高坂が城井に笑顔を向ける。
「城井さんも、なにか食べない?」
「……気持ちだけ、もらっとくよ……。食べたら、眠くなりそうだし……」
「お前、それで夜までもつのかよ」
「もたせる」
ぐっと、杖を握る手に力がこもったのが見て取れた。俺は結局なにも言えなくなって、高坂も顔が曇る。今の俺たちに、城井にしてやれることって、ほとんどないんだって思い知らされる。
高坂はぐっと強く目を閉じて、次に目を開けたときにはまた笑顔だった。
「……食べたくなったら言ってね。城井さんの分、ちゃんと取っておくから」
「うん……。ありがとう、高坂さん……」
あ、城井、高坂の名前覚えてたんだ。
高坂は中二の時の事件後城井が編入した学校でクラスメートになった女子で、度々話しかけていたようなことを高坂が言っていた。今じゃ俺と御端が所属する野球部唯一のマネージャーだということを考えれば、城井が高坂の名前を覚えていることはちっともおかしくないんだけど。
そのことに、なんだかちょっと嬉しくなった。高坂も似たような気持ちらしく、見るからに無理をしていた表情が、少しだけ明るくなった。
「あの、じゃあせめてお水は?」
「ああ、うん……もらって、いいかな」
「うん!」
高坂は水が入ったペットボトルのキャップを軽くひねってからもう一度軽く閉め、城井の傍らに置いた。
半端ない疲労感からぐったりしている今の城井の状態じゃ、もしかしたら新品のペットボトルのキャップを開けることさえ危ういかもしれない。それを見越しての配慮なんだろうが……俺とか他の連中じゃ、そこまで気付けないよなあ、絶対。さすがだ高坂。
「井澄、これお前の」
「おお、サンキュ」
寺本から自分の弁当を受け取って、ちらりと城井を見る。イスにもたれたまま動く気配がない城井の横から、高坂や寺本に続くように立ち上がってみんなの輪の中へと移動した。
不可抗力とはいえ、関係ないはずのみんなを巻き込んじまった手前ほんとは少し気まずいんだけど。食うつもりがないらしい城井の隣でがつがつと弁当を食う気にはなれない。
城井は、俺にはなにも言わなかった。みんなも、なにも言わずに俺を受け入れてくれた。間壁だけは不機嫌そうな顔してたけど、それは見なかったことにする。まあ、間壁は不機嫌そうな顔がデフォルトだしな。気にするだけ損だ。
不測の事態の中にあっても、俺たちはいつも通り元気よく「いただきます!」と声を出してから、弁当を胃の中におさめていく。
「なんというか、変な感じだな」
「葉狩?」
「妙な化け物が襲ってきて、井澄と城井が妙な力で戦って、狙われているという御端は寝こけていて……そして、俺たちは普通に食事をしている、ということが。本当に、さっきまでことは現実なのかと思えてくる」
思うことはみんな同じらしい。みんな頷き、同意の言葉も聞こえてくる。
「……んなもん、俺からすればお前らまだマシだって」
「え?」
「俺なんか、最初の一件のあと、一週間も城井のやつ姿見せなかったんだぜ。事情もなにもわかんねーしさ、夢だったんじゃないかってちょっと思った」
集まるみんなの視線を気にせずに、俺はもくもくと弁当を口に運ぶ。しばらくみんなうずうずしていた。その中で、真嶋が何気なく聞いてきた。
「ちょっとなのか?」
「あちこちに擦り傷残ってたからな。背中にも打ちつけた痕残ってたし」
「そういや井澄、十一月の半ばくらいか、着替えんとき背中隠してたなー。手にも絆創膏貼りまくってたし」
「おー、それそれ」
真嶋はほんと、物怖じしねーな。物怖じなんて単語、こいつの脳内辞書には存在しないんだろうな。だからこそ、こういう場では重要になると思う。試合中でもそうだけど、みんなが無茶苦茶緊張して自分のことでいっぱいいっぱいになってる中で、こいつだけは冷静に、周囲まで見回すことができるんだ。こいつの言動は、その場の空気を変えることが往々にしてある。
「そん時のこと詳しく教えろよ」
「ん? そうだなー……」
さっきはだいたいの流れだけ説明して、詳しいことはちっとも話さなかった。隠すような内容でもないだろうし、ダメだったら城井が止めるだろう、聞こえてるだろうから。だから俺は勝手に頷いて、話した。城井は止めなかった。
話している間、みんな息を止めたように静かに聞き入っていた。話し終えると、「よく無事だったなー」なんて声が上がったりした。まあ、城井がいなかったら、まずかっただろうな。
流れでなんとなく、それから今日までの話をさせられた。みんなから感嘆の声と視線を向けられると、居心地が少し悪く感じる。
「んでもさー」
「あ?」
「城井ってすげーよな」
何気なく言った真嶋を、また少し尊敬した。こいつは含みなくこういうことがさらりと言えてしまう。みんなの視線が俺ではなく真嶋に向かう。
「二年もずっと、一人でそうやって戦ってたんだろ? 御端守るためにさ。御端は城井のこと知らねーのに。それってすげーよな」
俺も、そう思う。
誰に知られることもなく、ただひたすら《姫》を、御端を守るために戦って生きていた城井は、すごいと思う。
それと同時に、酷く、寂しいとも思う。
城井が御端を守ろうとするのは、たぶん、御端を守ること以外に、残らなかったからだ。両親を失って、《ウィザード》を知って、城井の中に残ったのが、それだけだったからなんじゃないか、って。そんな気がしていた。ずっと、答えが怖くて聞けなかったけど。
じっと、みんなの視線が城井に向かう。城井は驚いたらしく、大げさなくらいびくりと体を跳ねさせた。まあ、全員から視線向けられたら、悪意はないってわかっててもビビるよな、普通。
「……別にすごくないよ」
話は聞こえていたんだろう、城井はため息混じりに答えた。
「《ウィザード》が起きてから、しばらく……本当に、最近まで、襲撃らしい襲撃は、なかったから……ここ二ヶ月くらい、じゃないかな……」
「でも、ずっと御端の無事は確認してたんだろ?」
「それは……そうだけど……。それ以外にやりたいことが、思いつかなかっただけだから……ほめられるようなことじゃない……」
その言葉に、自分の推測が当たっていたことを知る。けれど俺は、なにも言わなかった。なにかを言えるはずもなかった。
失った時の城井の心境なんて、俺にはわからない。それに、この場にいる俺以外の奴は、城井の両親が死んでることは知ってても、どうして死んだのかまでは知らない。林田や高坂はそういうとこ聡そうだから、もしかしたら気づいてるかもしれないけど、二人もなにも言わない。
「それさ、御端が《姫》だから?」
……真嶋。俺はお前を尊敬するよ。悔しいけど、心底尊敬してる。
でもな、もうちょっとくらい空気読めよお前!
そう思ったのは俺だけではないらしく、寺本なんかも「馬鹿野郎!」と今にも叫びたいのを堪えているような表情でわなわなと震えていた。問われた城井は、きょとんとしてから、小さく笑った。
「御端くんを見つけるまでは、そうだった、かな……。御端くんを探し出したのは、《ウィザード》の気持ちに引っ張られてのことだったから……。でも、そこからは違う……。私が、私の意思で、《この子を守ろう》って、決めたんだよ……。まさか、同じ高校に進学してくるとは思わなかったけど……」
「あ、そっか。御端、高校入学に合わせて引っ越してきたんだもんな」
二年前、といえば中学二年生。御端が通っていた中学校は県外の学校だった。つっても、隣の県だけど。北上里高校は公立だからな。まさか違う県に住んでた御端と同じ高校に通うことになるんなんて、城井も考えなかっただろう。
「じゃーそれまではどうしてたんだ? 電車乗って御端んとこまで行ってたのか?」
「そうだね……そうしょっちゅうは、行けなかったけど。週一くらい?」
十分しょっちゅうだ、と誰かが呟いた。聞こえていたはずだけど、城井はどこ吹く風だった。俺は一つ溜息を落としてから言う。
「ってことは、御端が引っ越してきてその分の労力は軽減されたわけか」
「うん……まあ、目が届きやすいって安心感は、あったけど……おかげで、心労は増えたよ……」
「そうなのか?」
「基本的な狙いは、邪魔者である《ウィザード》の排除、だったみたいだけど……。同じ学校じゃ、なにかの拍子に気づかれるかもしれないって、ずっと冷や冷やしてたり……」
「って、お前まだそんな狙われてたのかよ!?」
「え、うん……。《ウィザード》が起きちゃったからね……。とにかく、《ウィザード》は片付けて、おきたかったんだと、思うよ……なにせ、それまでかなり周到に、事を運んでいたはずなのに、最後の最後で、出し抜かれちゃったんだから……警戒して当然だよね……。まあ、買いかぶりのような気も、するけど……その過大評価に、感謝かな……おかげで今日まで、御端くんは安全に暮らせてたんだから……」
そうか……そうだったんだ。もし《ウィザード》なんかどうでもいいって思われてたら、御端はもっとはやくに見つかっていたかもしれないんだ。敵が《ウィザード》を強く警戒していたからこそ、本当の目的であるはずの《姫》のことは後回しになっていた。そう思えば、敵の《ウィザード》への評価はたしかにありがたいものだ。
けど、狙われ続けた城井にとって、それは本当にいいことなのだろうか。
その評価のために両親を失った城井は、どうしてそれでも《姫》を……御端を守ろうと決めることができたんだろうか。
聞くに、聞けない。それに、聞いたところで、きっとなにも変わらない。
とにかく、御端の平穏な生活は、城井の犠牲の上にあったということだ。それは過去だ。だから、変えることはできない。
もっと早く、俺が一緒に戦えていたら。
そんなことを考えてもどうしようもない。わかっていても、そういうことを考えてしまうのは……きっと、御端を守りたいと思うのと同じくらい、城井の力になりたいと思うからなんだろう。