第4話 願いと魂
12 ありがとう
城井はイスから離れて、きゅっと左手を握った。右手の杖は床に突き立てるように直立している。淡い光が城井の左手から生まれていく。それがうっすらと魔術陣を描き出し、城井が左手を天井に向けて開く。そこから、複数の魔晶石が生み出され、ふわふわと浮いていく。そして、ふわふわとした動きで、それは真嶋たちの前へと移動した。
「これ、部室棟の前にもあったやつだな」
「魔晶石だよ。それで、みんなの戦う力を、補助する。でも、今試されると、すぐにリミットが来ちゃうから……必要になったら、《アリオ》って唱えて」
「そっから五分だな?」
「そう」
真嶋と城井のやりとりに、ふと首が曲がる。
「城井、その術、《ウィザード》が考えたんだよな。お前じゃなくて」
「うん」
「魔晶石、必要なのか? 《ウィザード》は使ってなかったんだろ?」
「そうだけど……今回は遠隔になるし……別行動直前にかけたら、そっから移動分の時間が、もったいないし。それに……まあ、保険?」
最後が疑問形になった。たぶん、城井自身も確証がない、不安事項があるんだろう。まあ、魔術の専門的な内容になったら俺にはよくわかんねーし、時間が無駄になるって話はわかるから、なんにしても必要だってことは理解した。
「……あとは……」
視線を後ろに投げかける。イスの上で暢気に寝こけている御端が視界に映る。
……なんでだろう。御端はただ静かに眠っているだけなのに。その寝顔が、なんだか今すぐに、泣き出してしまいそうに見えた。
* * *
「ん……お……?」
小さな声を、聞き漏らしたやつはいなかったと思う。
「御端!」
「起きた?」
真っ先に駆け寄ったのは間壁。続いた林田も優しい笑顔で寝起きの御端を迎える。俺は城井の隣でその光景を眺めた。……ていうか、出遅れた。みんなが御端に群がってて、近寄る隙がねえ!
けどとりあえず、無事目が覚めたことにほっと安堵の息が出る。時計を確認すると、今は午後四時十分。まだ日も暮れていない。
「夜までかかんなかったな」
「ん……」
喜ばしいことだ、と俺は思ったけど、城井にとってはそうじゃなかったらしい。どことなく沈んだ表情で、御端たちを見ていた。
御端はぼんやりと周囲に視線を巡らせる。起き抜けで、状況を把握しきれていないのかもしれない。そういや御端って、俺とキスして気絶したんだよな……気絶とは違うのかもしんないけど。できれば忘れててくれるとありがたい。いやでも、謝んなきゃならない身としては覚えててもらわないと「なんで?」って聞かれるだろうし、もしそうなったらちゃんと説明できる自信ないんですけど。
ふと、教室内を巡っていた御端の視線が、俺のところで止まった。それから、目を見たことがないくらい大きく丸くして、ベッドにしてたイスを倒しながら床に降りて、俺に抱きついてきた。
「っ、御端!?」
抱きついてきた、つか、飛び込んできた。あまりに勢いが強くて、俺は御端と自分の重さを支えきれなくなって、そのまま床に倒れ込む。とっさに御端を抱えたけど、御端はそれとは関係なしに、俺の肩胛骨あたりでシャツをぎゅうっと強く握りしめて離さない。触れてる御端の体は、小さく震えている。
「お、おい城井! 御端が変だぜ!?」
「あぁ~……《姫》の感情、残っちゃったんだね……」
「それって平気なのか!?」
「大丈夫だよ、すぐ落ち着くから」
城井は床に座り込んでいる俺と、俺に抱きついたままの御端の横にしゃがみこみ、杖を手ではなく肩で支えてから、御端の肩を指でつついた。それに気づいた御端が城井を振り返って、
――パンッ!
城井は、御端の目の前で、両手を強く叩きあわせた。大きな音がして、御端だけじゃなく、俺も驚いて体をびくつかせた。
城井の姿を認めた御端は、再度目を丸くし、口を開く。けれど、そこから音が出てくるより前に、城井がそれを人差し指で制した。
「呼ばないで。それは、私の名前じゃないから」
言われて、御端は一度口を閉じ、もう一度開いた。今度は城井も止めなかった。
「し、城井、さん……」
「うん、そうだよ。おはよう、御端くん」
それから御端は、俺を見上げた。
「井澄、くん……」
「おう」
しばらくの間、じっと俺から視線をはずさずにいた御端が、自分がしていることに気づき、大慌てでぱっと俺のシャツから手を離した。
「ご、ごめっ……お、おれっ、ぅあ!? 」
「落ち着けって! 別に気にしてねーから、な?」
慌てて俺の上から退こうとして、そのまま後ろに倒れそうだった御端の腕をつかんでとっさに引き留めることに成功する。御端に怪我させると、間壁がうるせーしなー……今もなんか睨んでっし。いや、俺もそりゃできるだけ怪我してほしくないとは思ってるけど。間壁はうるさすぎだろ。
「しかたないよ、御端くん。さっきまで、《姫》の視点で《姫》の記憶、見てたんだから……《姫》の感情が残っちゃうのは、当然だよ」
「う……」
「御端」
「う?」
「お前、御端だよな?」
「う、うん。そ、だよ」
こくこくと頷く御端。
御端だ。さっきの行動にはビビったけど、ちゃんと御端のままだ。そんな程度でわかるのかと誰かは言うかもしれないけど、このぎこちない動作としゃべり方を自然にできるのは、御端くらいだ。
「……だな」
「でしょ?」
「疑って悪かったな」
「しかたないよ、井澄くんは知らないんだから……」
御端の腕を放せば、今度はちゃんと落ち着いて俺の上から退いた。ああびっくりした、と誰かがこぼした。俺だってびっくりしたっての。
「御端くん」
「は、はい!」
御端は床に座ったまま、しゃがみこんだままの城井に向き合った。御端はなぜか正座して、背筋を伸ばす。
「聞きたかったものは、聞けた?」
「う、うん! 聞けたよ!」
御端がすう、と息を吸って、
「『あいたかった』、と、『ごめんね』、だった!」
「……そっか」
告げた言葉を飲み込んで、城井は悲しそうな笑みを浮かべた。けれどそれは一瞬で、きっと俺と御端にしか見えていなかった。
城井はすぐにきゅっと表情を引き締めた。
「事情は、だいたい理解できた?」
今度は御端は、一度頷くだけだった。
「私が君に、なにをしてほしいかは、わかる?」
「え、えっと……閉じるん、だよね? 《あっち》と繋がってる、の」
「そう」
おお、御端がちゃんと答えてる。《姫》の記憶を見てちょっと賢くなったんだろうか。……いや、それは御端にだいぶ失礼か。
城井が顔を上げて、全員の顔に視線を巡らせ、言う。
「学校に、他の人がいなくなったら、《あっち》から繋げられた《道》を、ここまで移動させる」
「できんのか?」
前、その《道》の移動について「盲点だった」とか言ってなかったけ。
「《道》を移動させるっていう、その発想がなかっただけ。できることがもうわかってるんだから、可能だよ」
「なるほどな」
ここで納得するのは、もしかするとおかしいのかもしれない。けど、もうそうやって納得するしかない。城井が《ウィザード》の力を使いこなしてんのは、今に始まったことじゃねーんだから。
「ここに《道》を移せば、市街地に被害が出ることはないし、五分以内に目的を達成することも、可能になる」
「ご、ふん……?」
「御端が寝てる間に、色々話したんだ。で、ほかの奴らも付き合ってくれるって」
「みんな、も……?」
代表するように、御端の視線を受けた真嶋がにひっと明るく笑う。
「みんなで絶対、御端のこと守ってやっからな!」
「……っ……」
ぶわ、と御端の目尻に涙が浮かび、ぽろぽろとそこからこぼれている。俺もみんなもぎょっとする(城井だけが冷静に見えた、ていうか疲れすぎて反応できないだけかも)が、御端はそれに気づかないで、深く深く、頭を下げた。
そして、搾り出すように言う。
「ありが、とっ……!」
俺も、みんなに礼は言ったけど。どうしてだろう。城井と御端の「ありがとう」は、俺のとは重みが違うような気がした。