TopText姫とナイトとウィザードと ~ナイトの章~

第4話 願いと魂
14 反撃



「《アーム》!!」

 城井が杖の先端を前方に向け、呪文を飛ばす。直後、大地がわずかに揺れ、地面が不自然に隆起し、屋上の高さまで背を伸ばしてくる。そして、屋上よりいくらか高い位置でひっそり浮かんでいる《道》へと続く通路となった。通路と表現はできるものの、手すりのようなものは一切なく、その幅はさほど広くない。
 二人並んで通ることは考慮されていないものになっているが、そもそもその必要性がないのだ。《道》に届く必要があるのは御端ひとりで、城井は護衛役でしかない。後ろを追いかけることができれば、それで充分だ。
 術の発動から完成までのわずかなタイムラグの間に、二人は屋上の外周に張り巡らされているフェンスを乗り越え、人ひとりがようやく立っていられるような狭い外縁に降り立つ。
 目の前の光景に、御端はくらりとめまいを覚える。校舎は三階建て。屋上はようするに四階の高さにある。相当な高度だ。頭では理解していても、実際に目の前にすると落下した場合の恐怖がむくむくと膨れ上がってくる。
 足が竦みそうになったが、

「行って!」
「う、うん!」

 城井の声に背中を押され、目の前の即席通路へと足を踏み出した。
 あとは簡単だ。ただ通路の延長線上に存在する《道》だけを見て駆け抜ければいい。下さえ見なければ、恐怖は簡単に忘れられた。
 下方からみんなの声が聞こえる。落下の恐怖は忘れられたが、もうひとつの恐怖は忘れられない。みんなが怪我でもしたら……最悪の事態になってしまったら……。御端にとって、それがなによりの恐怖だった。その恐怖が御端の背中を更に押す。急げ、急げと焦らせる。
 視界の中央で、丸い闇がその形を崩した。いや、正確には崩れたわけではなく、《道》から出てきた魔獣の輪郭と《道》の輪郭が混じってしまい、形が崩れたように見えただけだ。
 御端の接近に気づいたのだろう。飛んで火に入る夏の虫と言わんばかりに、にたにたと笑ってこちらに向かってくる。相手は見知った《ゴル・ウルフ》ではなく、カエルのような姿をした魔獣だった。べろん、と舌が御端に向かって伸ばされる。
 捕まる、と思って足を止めた瞬間、

「《ザキ・クレスタ》!」

 後方から声が飛び、それと同時に鋭利な氷の刃が御端を追い越してカエルのような魔獣に突き刺さった。魔獣は聞くに堪えないような金きり声をあげてのた打ち回り、そのまま通路ををはずれた。それを追うように、さらに三本の氷の刃が飛ぶ。

「止まらない! 振り向かない! 走って!」

 三つの指示に、御端は黙って従った。
 大丈夫だ、と震えて折れそうになる自分の足に言い聞かせる。魔獣が襲ってきても、城井が助けてくれる。御端はただ、御端のすべきことをすればいい。
 焦点を《道》に合わせてしまえば、周囲のことは気にならなくなった。
 ――それでいい。
 城井は胸中でそう呟きながら、ひたすら走る御端の後ろを、置いていかれないように追いかけた。
 カエルに似た魔獣が性懲りもなく現れるが、城井はそれを難なく排除し、御端は止まることなく走り続ける。
 地上の井澄たちの相手をしていた《ゴル・イーグル》も向かってくるが、そのすべてを唱え慣れた氷の魔術一つで撃退していく。
 御端は止まらない。そもそも、気づいてすらいない。それでいいのだ。御端はなにも気にしなくていい。そのために、城井がついているのだから。
 真っ黒な《道》が目前に迫り、御端はラストスパートをかける。
 あと三歩。
 できる限り歩幅を大きくする。
 あと二歩。
 丸い闇の中にきらりと光るものを見た。
 あと一歩。

「と、じろぉぉぉ!!」

 足元の大地を蹴り、飛び込むように跳んで右手を伸ばす。
 次なる魔獣が出てくる暇など与えない。《姫》の開閉能力は、それが開いているものであるならどんなものだって瞬時に閉じることができるのだ。
 御端の視界の中、異世界に繋がる《道》は音もなく閉じていった。
 そのことにほっと安堵したのも束の間、御端の体は重力にしたがって下方へと落ちる。急いでいたため先のことは考えずに飛び出したが、御端の跳んだ先には足場がもうなかったのだ。
 落下は必然だった。
 命綱なしのバンジージャンプ、とどのつまりは飛び降りだ。生まれて初めて経験するそれは否応なく恐怖をかきたて、無意識に溢れた涙は空に取り残されていく。それを気に留めることすらできず、御端は叫んだ。

「う、うえぇぇえぇぇえぇ!? お、おおお、おち、落ちてっ!!」
「気持ちはわかるけど落ち着いて!」

 気がつくと、自分のすぐ後を追いかけるように城井もまた落下していた。御端と違い、彼女は異常なほど冷静だ。
 城井としては、最初から地上までの移動方法はこれしかないと思っていたので、御端とは構えが違う。御端を突き飛ばしてでも実行するつもりだったので、手間がひとつ減ったくらいだ。
 涙目の御端がどうにか後方を振り返ると、強くて安心感のある光を宿した城井の瞳とかち合う。

「大丈夫、着地は補助するから!」

 ぐるぐると混乱している脳みそは、城井の「大丈夫」という言葉だけを受け取り、信じることにした。


 * * *


「うひゃあぁぁぁっ!!」
「ひええぇぇええっ!!」

 情けない声がグラウンド中に響き渡る。発信源は、部の中でもさほど豪胆な神経をしていない仲町と梶だった。情けない、と思わないわけじゃないがしかたがない反応だとも思う。だけど、監督はともかく高坂だってそんな弱そうな声上げてねーぞ、と叱咤したくもなる。
 相手をしていた目の前の一体を切り伏せ、念のためのとどめを近くにいた葉狩に任せて地面を蹴飛ばす。
 比較的近い場所にいた梶の元まで跳び、梶を狙っていた魔獣との間に入り込む。
 見慣れた《ゴル・ウルフ》とは違い、こいつは猫に似ている。ここに来て、見たことのない魔獣のオンパレードだ。名前は知らないが、とりあえずは知らなくても問題はない。やるべきことは、ひとつなのだから。
 鋭い爪を持ったその右腕を斬りおとし、そのまま勢いを落とさずに左腕も落とす。それから一旦地面に足をつけて方向を調整し、飛び上がり、頭を叩き割る。骨が砕けるような音は、聞こえなかった。
 片膝をつく形で着地し、声を張り上げる。

「無理すんな! とにかく自分守ることだけ考えろ!」

 あちこちから「おお!」だの「それも充分無茶!」だのといった応えが上がる。俺は大きな吐息をひとつこぼして、再び立ち上がった。

「へーきか、梶?」
「う、うんっ……!」

 涙目の梶は、ぶるぶると震える手で細身の剣を握り、がちがちと揺れる足で立ち上がった。

「……とにかく、逃げ回れ。城井たちが降りてくるまで持ちこたえられりゃいいんだ」
「が、がんばる……!」

 手にした武器を難なく扱えているやつは限られている。物怖じしない真嶋、真嶋にちょっとばかし対抗心を刺激された寺本、あとは間壁に葉狩……それに、監督。コバセンや林田、国枝なんかは、自分たちがグラウンドにいる目的を最初から理解しきっていて、無理に剣を振ることはなく逃げられるだけ逃げている。
 御端の影武者として、御端の髪の毛の瓶詰めを持っている高坂に武器はない。城井の言いつけ通りに「アリオ」と唱えた瞬間、高坂を守るように半球の壁ができあがっていた。結界だ。最初から、高坂を戦わせるつもりはなかったらしい。城井らしい気遣いだとは思うが、一言くらい言っとけ馬鹿。
 ぼたぼたと、汗が輪郭を伝って零れていく。痛覚はある程度麻痺していても、そういった触覚は健在らしく、真冬だっていうのに流れる汗の感触が少し気持ち悪い。
 さすがに息も上がってきた。真嶋などの一部がある程度まともに動けているとはいえ、俺みたいに魔獣の頭の高さまで跳べるわけでもないからどうしても決定打に欠ける。基本的には自分の身を守らせて、俺の届くところから順に俺が倒していっている状態だ。文句を言うつもりはないが、どうしても負担は俺に集中してくる。
 しかし、梶のほかにもうひとり、ぎゃーぎゃー喚いてる馬鹿を放っておくわけにもいかない。
 ひとりくらい魔術が使えるやつがいればもう少し違ったのかもしれないが、残念ながら魔術の素質があるやつはいなかったらしい。その事実を心底残念に思いながら、再度仲町が喚いている方向へと跳び、助けに入る。
 異変が発生したのは、ちょうどその一体を倒した直後だった。
 いまだほとんど無傷で立っている魔獣たちの動きから統制という言葉が消えた。というよりも、こっちに襲い掛かることさえしてこない。視線が宙をさまよい始めた。その様子は、なにかを探しているように見える。なにを探しているのか……。
 疑問に対して思考が働きそうになったところで、衝突の音とともにグラウンドが軽く揺れた。ある一点を中心に薄く砂埃がたつ。
 その向こうに、城井と御端の姿があった。

「城井……っ!」

 城井と御端がグラウンドに降りてきたということは、《道》を閉じることには成功したのだろう。
 喜びに上がった声は、その直後にぎくりと硬直する。
 城井の目は鋭く、俺たちのことなど見ていない。右手に握り締めた杖を地面に突き立てるようにし、わずかながらもせわしなく動く瞳は、魔獣たちの頭を数えているようだ。

「……"どうかどうか我が願いお聞き届けください、凍てつく氷の星々の輝きを彼の者たちにお与えください"!」

 砂埃に咳き込んでいた御端が、はっと顔を上げて声を張り上げた。

「み、みんな、ふせてー!!」

 全員の体が反射的に動く。
 直後、城井が杖を高く掲げた。

「《ステル・アジロ・クレスタ》!!」

 凶悪なまでの大きさの氷の塊が杖の延長線上から発生し、生き残っていた魔獣たちの頭めがけて飛んでいく。大きさもさることながら、ところ狭しと塊に生えているごつごつした棘からして見るからに殴り潰すことを目的とした攻撃だ。しかも一体に一つではなく、複数のそれが襲い掛かる。襲われるほうはたまったものじゃないだろう。
 ……なんか、なかったっけ、こんな武器。飛び道具じゃなかったとは思うけど。あれだ、柄と鉄球の間が鎖で繋がってて、鉄球はとげとげしてるやつ。
 そして、その攻撃はただの打撃ではなかった。衝突を果たしたものから順に、まるで花火のように大きな音を立て、目がくらむほどの光を放って爆発していくのだ。

「《バラム・クレスタ》!!」

 しかもそこに更に追い討ちをかける。
 城井の頭上に出現したかなり面積のある氷の板が、滑るように魔獣に向かって飛翔していき……結果は、言わずもがな。もう言葉で表現する意味を見出せない。

「え、えげつなー……」

 仲町が頭を両手で庇いながら青い顔で呻いた。まったく同感だ。
 視界の端で、ずるりと城井の体が傾いた。結界を例に考えても、広範囲に及ぶ魔術は、それだけ消耗が激しいらしい。体力を削られるわけではないようなことを言ってはいたが、それもゼロではないだろう。城井は午前中から魔術を使い続けているだけでなく、力も解放しっぱなし状態だ。疲労具合は想像を絶するだろう。
 けれど、ここまでは予定通りだ。
 城井と御端が《道》を閉じるまでの間、敵を俺たちに引きつける。この時点で倒せるだけ倒しておくのは当然だったが、決定打を成せるのが俺ひとりじゃ倒しきるのは無理だし、《道》が繋がっている以上はいくらでも敵は増える。だからこの段階で重要なのは、ただひたすら持ちこたえることだった。
 御端が《道》を閉じ終え、二人がグラウンドに降り立った後は、城井の魔術で魔獣を一掃することになっていた。
 城井はおそらく、それですべてを決める心積もりだっただろう。しかし、魔獣だってそう甘くはない。
 ぐっと右手の中の剣を握りなおし、爆発によって塵が舞う世界に対して目を凝らした。力なく崩れていく黒い影の群れ。その中に、確実に意志を持って動くものを発見した瞬間、俺は地面を蹴っていた。
 風を追い越す勢いで跳び、剣を両手で握って左後方へと引きつける。だんだん姿がはっきりしてくる。相手は見慣れた《ゴル・ウルフ》だった。
 迫る俺に気づいたらしく、《ゴル・ウルフ》が前足を大きく振り上げるが、俺の体はその爪を難なくすり抜ける。
 懐に入ってしまえばこっちのものだ。
 もう一度地面を蹴り、胸の中央に剣を加減なく突き立てた。ずぶりと柔らかいなにかに埋まる手応えをたしかに感じ取り、そのまま上方へと刃を推し進める。苦痛による絶叫をあげる闇の塊から剣を引き抜く。
 同時に、まったく別の方向から飛んできた雄叫びに振り向く。
 もう一体いやがった……!
 こちらも《ゴル・ウルフ》だ。城井から、《ゴル・ウルフ》の特徴はその俊敏さだと聞いてはいたが……なるほど、たしかにほかの魔獣に比べて素早いらしい。
 問題は、やつの位置が俺よりも御端と城井に近い、ということだ。
 城井が杖を構え直したことを認識しつつ、また地面を蹴る。
 城井はすでに疲れきっている。これ以上魔術を使わせたくはない。
 ――間に合うか……!?
 焦りが頭を出しかけたそのとき、《ゴル・ウルフ》の体が不自然に傾いた。なにが起こったのかとその足元に意識を向けると、右側に真嶋と葉狩が、左側に寺本と間壁がいる。そして、《ゴル・ウルフ》の両脚は本体から切り離されていた。

「させるかぁ!」
「やれ、井澄!」

 間壁と真嶋の声が届く。
 魔獣は、急所以外の損傷はすぐに回復してしまう。しかし、それはなにも一瞬で行われるわけじゃない。数秒のタイムロスが必ず発生する。
 それだけあれば充分だ。

「うおおおぉぉぉっ!!」

 相手が回復しきる前に体が届き、高く跳んで振り上げた剣を、気合の声をともに振り下ろした。



 グラウンドに存在するものは、俺たちと、俺たちの息遣いと、無感情に吹く冬の風だけになった。
 真嶋たちに与えられた戦力は魔晶石の姿に戻り、その直後に砕けて消え去ってしまった。
 五分経ったのだ。
 ……濃い五分だった。

「……おわった……の?」

 誰かが呟いた。みんながみんな、それぞれ近い場所にいる仲間と顔を見合わせる。不自然に隆起した地面。穴ぼこだらけになっているグラウンド。さっきまでそこを闊歩していた闇の塊は一体として見えない。空に浮かんでいた《道》も、もう跡形もない。

「……《レクティーオ》」

 ぽつり、と城井が唱えた。波のように広がる光とともに、見る間に校庭が元通りになっていく。
 それはつまり――

「ぃやったー!!」
「勝った、勝ったー!!」
「御端も無事だな!」
「よかったー!!」

 真嶋の歓声を皮切りに、みんながみんな、まるで強豪校との試合で白星を勝ち取ったかのように心の底からの喜びを声を上げていく。
 その光景に、口許が緩む。ずるずると、緊張感とともに力が抜けていくような感覚に抗わないで、へたりとグラウンドの上に座り込んだ。
 両足を投げ出して、両腕を少しばかり後ろにして体重をかける。首を倒して空を見上げた。長期間に渡る《闇の瘴気》とやらの影響は、当然ながら魔獣を一掃してもすぐに払えるものじゃない。相変わらず空に星は見えないが、曇った夜空ですらあるべき姿のように思えてくる。
 ――やったんだ。
 御端は無事だし、他のやつらも怪我はしているものの、命を手放したようなやつはいない。
 俺たちは、あるべき日常を勝ち取ったんだ。

「し、城井、さん!?」

 御端の驚愕に焦燥をプラスしたような声を聞き、慌てて振り返る。
 視界に映ったのは、御端のそばで、四肢を投げ出す形で倒れている城井の姿だった。



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