第1話 リデルとシルヴィア
06 奇跡の力
「……そういえば、私、シルヴィア姫の《力》には少しばかり興味があったんですよ」
「え? そなの? 初耳ー」
「初めて言いましたから。試してみたいことがあるのですが、ご協力願えますか?」
「そりゃもちろん、いいけど……」
「では、申し訳ありませんが少々そのままお待ちください」
「はいはーい」
失礼かとも思ったが、必要なものは二階にあるので席を立たざるを得ない。わざわざ姫に足労願うようなことでもない。
姫を置いて二階に上がり、積みあがった本の山から一冊の本を探し出して一階の応接間へ戻った。姫は洗練された動作でお茶を飲んでいた。そういうところを見ると、やはり蔑まれていても姫君なのだなぁ、と妙に感心してしまう。
「お待たせしました」
「ううん、おかえりー。その本がなにか関係あるの?」
「ええ。ちょっと見ていてください」
私は姫の目の前で一度、その本の表紙をつかんでぐっと力を入れた。鍵などついていないその本はびくともしなかった。そして、それをシルヴィア姫に差し出す。姫は小さく首を傾げながらも、それを受け取られた。
「その本、開いてみてもらえますか?」
「え? こう?」
シルヴィア姫は表紙をつかむと、なんとも無造作に、あっ気なく、その本を開いた。私はその結果に満足して無言で頷いた。
予想も想像もしていましたが、実際にこの目で見ると感動に近いものを覚えますね。
「やはり……。姫の《力》は、そういったものも開くことができるんですね……」
「え? いやいや、リデルさん? 一体なんなの? 試してみたいことってこれ? この本がどうかしたの?」
疑問の羅列に、小さく口元を緩めた。
「先ほど、私が開けようとしても、開かなかったでしょう?」
「えっと……そう、だね。あれ、でも開いたよ?」
「姫はお気づきではなかったでしょうが、実はその本、魔術によって鍵がされているんですよ」
「……え?」
「ある特定の魔術を使うことによってその鍵がはずれ、中身を読むことができるという代物なんです」
「え、えぇ? で、でも私、今普通に開けたよ? 普通に開けられたよ? 私魔術なんて使えないのに!」
「それがつまり、姫の《力》だということですよ。それがどういった代物であれ、《閉じている》ものであれば《開く》ことができるんです。魔術による封印などというものは、姫の前では完全に無意味ということですね」
「ふぇ~……」
自分のことだというのに、姫の反応はどこか他人事のようにも見受けられた。ただ本を開いただけでは、あまり実感も現実味もないのかもしれない。
「では、姫。それを再び《閉じて》みてください」
「えぇ? ……こ、これでいいのかな?」
姫はまたも、無造作に本を閉じた。
「はい。貸していただけますか?」
「う、うん」
姫から差し出された閉じられた本を私が受け取り、表紙に手をかけて本を開こうと試みる。しかし、本はやはりびくともしない。すごい……こんなことが本当に現実にあるんですね。
私の手に力が入るのを見てとったのか、姫は大層驚かれた。
「え、えぇー? うそ、演技とかじゃなくて?」
「はい。本当に開きませんよ。姫の《閉じる力》というのは、おそらく《元に戻す》という意味も含まれるのでしょうね」
「はぁ~……。リデルってすごいね。そんなこと、今までに誰も言わなかったよ。……じゃあね、じゃあね、こういうのはどうかな」
どこかわくわくした様子で、姫は目の前にあるテーブルにつん、と指を立てた。するとそこがぽかん、と丸く切り取られたように穴ができ、私たちの足元でかこん、と硬質ななにかが落ちる音がし、続いてころころ、と丸いなにかが転がる音がした。
「……抜けちゃった」
「抜けましたね」
私は立ち上がって、テーブルの足にぶつかったことで床上移動を止めていた丸く抜けたテーブルの一部を拾い、それを姫に手渡した。姫は手にしたそれを恐る恐る、穴の空いた部分にゆっくりとはめ込まれていく。すると、ぴったりと穴はふさがった。本来あるはずの丸く切り取られた跡すら、もう見えない。もともと存在していないのだから、当然と言えば当然ですが。今度ばかりは私も姫と一緒に「おお」と感嘆の声を上げた。
姫が小さな子供のように顔と瞳を輝かせられる。
「なにこれ! なんかほかにも色々できそう!」
「そうですね」
姫は弾む声を上げ、丸くぽっかり穴が空いたはずのその場所を撫でている。しかし、その指にひっかかるものはなにもない。テーブルは完全に元のままだ。
「……見えましたか?」
「え?」
「《力》を使いこなせるようになった、将来のご自分のイメージ」
「…………」
姫は虚を突かれたような顔をして私を見られた。私は続ける。
「姫はまるで、精神的にでも強くならなければご自分に価値はないかのように思っているようですけれど、そんなことはないと思います。姫の力はとてもすばらしいですよ。私のような一介の魔術師では到底できないことが、あなたにはできるんです」
「……でも、……」
「……姫。姫はまるで、私のことを強い人間のように言ってくださいましたけれど、そんなことはまったくないんです。私だって、本当はとても弱い。姫の目に私が強く映るのであれば、それはすべて先生のおかげです。先生がいてくれたから、寂しくないし、悲しくもなかった……。ですが、先生と離れて暮らし始めると、自分が独りだと思うことが増えてました。はやく一人前の魔術師になりたいと思いながら、ちっとも成長しない自分に憂鬱になることも少なくありません」
姫を励ますために紡いでいる言葉だが、嘘は一片も含まれていない。
先生に拾われてから、私のそばには常に先生がいてくれた。だからこそ、両親に捨てられた寂しさや悲しさがどんどん色あせていったわけだが、こうして先生と離れて暮らしてみると、私の世界は本当に、私と先生だけしかいなかったのだと思い知らされる。今なら、なぜ先生があんなに申し訳なさそうな顔をしたのかわかる。先生がいないと、私は独りぼっちになってしまう。忘れたはずの寂しさや悲しさが胸の奥からじわじわと染み出してくるような気分がする。
先生と離れて暮らしているのは、人付き合いの修行のためにと思って選んだことだったというのに、まったくもって私は変わらない。仕事のお客様は、あくまでお客様。うわべだけの言葉ですべてが済んでしまうことばかりだった。
はやく一人前になりたい。
一人前になって、先生の仕事を手助けしたい。ここまで育ててくれた先生に、恩返しがしたい。
そう考えて、必死に魔術の勉強をした。ハードルはとても高かった。なにせ先生は、ただの魔術師ではなかった。私を拾ったその当時から、国一番の魔術師と謳われるくらい、とてもすごい魔術師だったのだ。その先生の手助けをしようと思うなら、並みの魔術師レベルでは話にならない。隣に立つ必要はなくても、すぐ後ろを追いかけていけるくらいにならなくてはならないのだ。
魔術師になってすでに三年以上の時間が経過している。気持ちがどうしても急いてしまう。どうすれば先生に近付けるのか。ああしたらいいのか、こうしたらどうだ、どうしたらいいんだ、と袋小路にでもはまってしまった気分がしていた。
だと、言うのに。
先生に近付きたいという気持ちは、今だって少しも変わっていないというのに。
「けれど、最近は結構、平気だったりするんですよ。笑うことができるんです。それは姫がこうして話し相手をしてくださるおかげだと、私は思うんです」
「……私?」
「はい」
「……私、リデルの役に、立ってたの?」
「はい、とても」
私がしっかり頷くと、姫は気恥ずかしそうに頬を赤く染め、うつむいた。
「は、初めて聞いたな、リデルの弱音!」
「そうですね。私も、こんなことを誰かに言ったのは初めてです」
「……初めてなの?」
「はい。なんだかすこしすっきりしました。……申し訳ありません、情けないことを言ってしまって。ご気分を害されましたよね」
「え、あ、う!? そ、そんなことない!」
「しかし……」
「そうだ! 私も弱音、リデルに言う! それでお相子! ね!」
「お相子、ですか? しかし、私には分不相応では……」
なんせ相手は国を統べる国王様の娘、正真正銘の姫君だ。対して私は少々名が知れているとはいえ一介の魔術師でしかない。本来ならこうしてお茶を一緒にすることだって奇跡に近い出来事のはずなのだ。そのくらいの差が、私と姫の間にはある。お相子などという言葉、姫から貰い受けるにはどう考えても分不相応だ。
しかし、姫は音を立てて立ち上がり、テーブルを挟んで相対する私に対して身を乗り出してきた。
「そんなことない! だって、……リデルは《友達》だもん!」
「……友達?」
「そう、そうだよ! 私、友達っていたことないけど! でも、リデルみたいに、一緒にお茶したりおしゃべりする相手のことでしょう? なら、リデルは私の友達で間違いないじゃない! 友達は対等なものだってなにかに書いてあったもん! だから、お相子でちょうどいいの!」
「……はあ」
一国の姫君と一介の魔術師が友達になるなどと、本当なら許されることではないかもしれない。いや、許されるはずがない。けれど私は、気のないような返事をしながらも、姫のその言葉を強く否定するようなことはできなかった。姫のほうも撤回される気はさらさらなさそうだ。
姫が嬉しそうなので、まあいいか、ということにしておこう。