第1話 リデルとシルヴィア
07 友達
* * *
友達宣言をされてからというもの、姫は私に、嫌だと思われた出来事もぽつぽつと話されるようになった。
家族の話を、されるようになった。
兄君がこんなことを言っただとか、姉君がこんなことをしただとか、母君がこんな態度を取っただとか、その他色々。さすがに父君の話題はほとんどなかったが……。
それまでに比べて、私と姫は、もう少しお互いの内面にに踏み込むような話もするようになっていった。
「ひとってさ、やっぱり、落ち込んだり迷ったりするものなんだね」
「そうですね」
「お兄様でもお姉様でもお母様でもお父様でも、そういう時ってあるのかな」
「あるのではないでしょうか」
「……それって、ひとはみんな、弱いってことなのかな」
「そう言う方もいらっしゃるでしょうが、そうとも限らないと私は思いますよ」
「え?」
「落ち込むことや迷うことは、強い弱いとは関係ないのではないでしょうか。落ち込んで、迷って、その先をどうするか……それが重要だと思うのです。まあ、これはあくまで私個人の意見ですけれど」
「……目からウロコ」
ぱか、と開いた姫の口から、ぽろりと声がこぼれた。突然なにを、と私は緩く首をかしげた。
「……はい?」
「そっか、そういう考え方もできるんだ、うん。なんかそっちのほうがあったかくていいね!」
「そう、ですか?」
「うん! 私も今からそうやって考えていくことにする!」
落ち込んでもいいのだ、と姫が自らを許すことを決められた。それはきっと、長年強がり続けた姫にとっては大きな変化だろう。そのきっかけを与えたのが、恐れ多くも私である、とは……。
なんとも表現しがたい気持ちを、カップに注いだあたたかいお茶とともに体の奥に押しやった。
いつものごとく、私が作ったクッキーをおいしそうにかじっていらっしゃった姫が、思い出した様子で控えめに身を乗り出す。
「そうそう、一昨日リデルがクッキーをおみやげに持たせてくれたでしょ? あれ、お城の料理長のところに持って行って、同じの作れないか聞いてみたんだけどね」
「はあ……それで、ご返答は?」
「……ダメって言われた。下級階層のひとが食べるもので、仮にも王族が食べるものじゃないって」
「……クッキーを普段お食べにならない、というわけではないですよね?」
「うん。材料の問題みたい」
なるほど、と声には出さずにお茶をもう一口流し込む。
王城の料理長となれば、料理に関する腕や目は超一級と表現してもかまわないだろう。私の作るクッキーは趣味の範囲のものなので、形は不揃いだし、使用する材料も高級なものは使っていない。商店街の比較的低価格で品物を扱っている店で手に入るようなものばかりだ。王族や貴族にお出しするには少々失礼なものだという自覚はある。料理長はなにも間違っていない。
「でね、持って行ったクッキーは没収されちゃったんだけど」
「でしょうね」
「今日の朝食のデザートにクッキーが出たの」
「……はい?」
「形はリデルのより綺麗だったし、味もなんかちょっと違ったんだけどね。あれ、絶対リデルのクッキーを真似して作ったんだよ」
「…………」
「そのあと、ばあやを通して料理長が質問してきたんだよね。あのクッキーはどこで手に入れたんですかって」
「……それで、ご回答されたのですか?」
「当然、ごまかしたよ! リデルにもらったなんて言ったら、私がお城抜け出して行く先がリデルのところだってばれちゃうじゃない!」
「……そうですか。王城の料理長が作ってくださるなら、私は別のお菓子に挑戦してみましょうか」
「えぇ!? やだ! 別のお菓子も興味あるけど、あのクッキーはリデルが作ったやつのほうがおいしいもん!」
「光栄です。ですが、それ、料理長には言われないほうがいいと思いますよ」
「うん!」
踏み込んだ話をするようになった、とは言っても、結局主に繰り広げられるのは他愛のない話のままだ。
私は、以前よりも自然に楽しそうに話すシルヴィア姫の姿を嬉しく思いながら、彼女の話に付き合い続けた。
* * *
「なにかいいことがありましたか? リデル」
「え……」
先生にお茶に誘われて、彼の住まいの一室で向かい合ってお茶を飲んでいたら、先生が楽しそうな声で言った。言われた私はきょとんとして、自分の師を見つめた。先生は穏やかに、けれどもやはり楽しそうに微笑んでいた。先生の、どうかすると白色にも見えそうなほど色素の薄い髪を室内に差し込む太陽の光が照らし、きらきらと輝いている。
「表情がずいぶん柔らかくなってますよ」
「そ、そうですか……?」
そう言われ、戸惑ってしまう。そんな自覚はまるでなかった。それ以前に、これまで自分の表情のことなど気にしたこと自体がなかった。けれど、先生がそう言うのなら、きっとそれは正しいのだろう。
「いいことがありましたか?」
二度目の問いに、私の口元がうっすら緩む。
「……はい。友達が、できました」
「おや、それはいい。なにかお祝いをしなくては……」
「い、いえ、そこまでは……」
その《友達》の名前や身分は明かさなかったし、先生も聞かなかった。けれど、先生に告げることで、静かに再確認した。
私はどうも、シルヴィア姫が《友達》だと呼んでくださったことが、とても嬉しかったらしい。
* * *
いつの間にか花の季節が終わろうとしていた。
雪の季節とは比べるべくもないが、この季節もそれなりに思い入れの深い季節だ。私が魔術師になったのが、四年前の花の季節だった。
魔術師になるためには、《魔術師ギルド》によって行われる魔術師試験に合格しなくてはならない。試験のレベルは非常に高く、何年も合格者が出なかったことも過去にはあったそうだ。
その難関を突破した者が《魔術師》の資格を有することができ、魔術師を統括する魔術師ギルドに所属することを許され、そのギルドを通して仕事の依頼を受けるのだ。
ギルドでは依頼内容、達成度から実力を評価される仕組みになっている。しかし、すべてがすべてギルドを通ってくるわけではない。ギルドを通した依頼には、相応の手数料が掛かる。探し物や探し人などの軽い依頼であれば、ギルドを通さずに直接魔術師のもとへ依頼が来る場合が多い。依頼内容に対して手数料と依頼料の合計が割に合わないからだ。逆に、盗賊団退治のような大事の場合にギルドを通さずに依頼すると、危険を理由に依頼料をぼったくろうとする魔術師もいるので要注意だ。この場合は、素直にギルドを通したほうが、ギルドが内容に見合うだけの腕に信頼のある魔術師を選んで依頼を出すので、失敗率は大幅に低くなる。ギルドを通さずに受けた仕事については、後でギルドに報告すれば、ギルドを経由した依頼と総合して、魔術師としてのレベルを評価してもらえる。
ギルドから高い評価を得ることができれば、ギルド内での立場が向上し、ただギルドに所属する魔術師ではなくギルドに所属する魔術師を管理する側へと移行していく。ギルドの運営は魔術師が行っているが、その更に後ろには王族の姿があるので、地位が向上すれば、自然王族とのつながりが強くなる。特に優秀であれば、ギルド内部に留まらず、王家の顧問魔術師に就任する場合もある。……先生のように。
ちなみに、魔術師の資格の有無に関係なく魔術を扱うことができる者に対して《魔術使い》という総称を用いるのが辞書的だが、世間一般的には魔術師ではないが魔術を扱える者を《魔術使い》と呼ぶことが多い。
魔術は大変有用な能力だが、一歩間違えば大惨事になりかねない代物だ。基本的に、魔術師以外が魔術による仕事を請け負うことは法で禁止されている。しかし、よほどのことがない限り死罪を言い渡されるようなことはないので、違法者がなかなかいなくならない、という話だ。残念ながらと言うべきか、幸いにと言うべきか、私の知り合いにそういった者はいない。
法による規制がなかったとしても、魔術師と魔術使いでは信頼性と安心感に雲泥の差がある。魔術とともに生きていこうと思うと、魔術師試験への合格は必須条件なのだ。
私が初めて魔術師試験を受けたのは十二の頃。合格したのもその年だ。
魔術師試験の合格者の平均年齢は二十歳前後。最年少記録は、その時までは十六歳だった。
先生は魔術師試験のことについてはほとんど教えてくれなかったので後になって知ったのだが、この十六歳で試験に合格したというのが先生だったらしい。まさか先生の記録を塗り替えてしまっただなんて思いもしなかったので、当時の私は思い切りうろたえたのだが、当の先生は「リデルはすごいですね~」なんて暢気にほやほや笑っていた。自分の記録を弟子に破られた悔しさなど少しも見せず、むしろ自慢げに見えたのは……私の自意識過剰でしょうか……。
あの頃は、自分はもうなんでもできるようになったのだと過信したところも出てきた。先生の記録を塗り替えたという事実が、戸惑いとともに妙な自信を抱かせたのだろう。しかし、人付き合いという、思いもよらない壁が立ちはだかったことで、その自信はあっさりとかすんでしまったのだった。
懐かしい。
ぱたん、と本を閉じた。シルヴィア姫がいらっしゃるようになって、シルヴィア姫のお相手をすることで、本を読む時間が以前に比べて格段に減少していた。購入しては読まずに積みあがっていた本が増え続けていたのだが、ここしばらく読書時間が以前のように戻っており、未読だった書籍の数は当初の半分よりも少なくなった。
ベッドに腰かけた状態で、膝の上に載せた分厚い本を、既読の本の山の上に重ねた。
一息つきながら上を見上げても、そこにはなんの変哲もない自室の天井が広がるだけだった。気晴らしにもならない。
花の季節の半ばを過ぎた頃から、途端にシルヴィア姫の訪問がなくなった。
不思議に思い、少しばかり心配になりもしたが、ご病気になられた等の噂は聞こえてこない。おそらくはお元気でいらっしゃるのだろうが、突然来訪が途切れた理由はわからないままだ。
数日前に仕事で王城へ出向いたが、姫の姿を見つけることはできなかった。
どうされたのだろうと消化不良の疑問を抱え、自分から姫に連絡を取る方法は確保していなかったことに胸が重くなる。
姫は私を友人だと言ってくださった。私はそれを嬉しいと思った。それ以上のことを、私はなにもしなかったのだ。それを今、間違いなく後悔している。
もともと、姫は私のところへ来なくてはならない理由などなかったのだから、いつ来なくなってもおかしくはなかった。いつも城を抜け出してきていたというのだから、私のところへいらっしゃらない状態こそが普通なのだ。騎士団の方々も捜索に駆りだされることがなく、街は平和だろう。
……苦い言い訳ですね。
苦笑することもできず、ベッドから立ち上がって一階に下りる。
この家にいるのは私だけ。私は一人暮らしで、来客もないのだから当然だ。
不思議だ、と思った。
この家はたいして広くないはずなのに、改めて見るとなんだかとても広く見えるような気がした。