第1話 リデルとシルヴィア
08 リオール
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家の前を貫く小路から繁華街の大きな通りを抜け、都市の中央を這う大通りに出た。
これから向かう先である、城壁の向こうで頭を突き出している王城を眺めた。贅を尽くしたような華美な姿ではないが、国の中心たる堂々とした威厳をかもし出している。
王城へ向かうために、なにも人の多い大通りに出なければならない必要はない。城壁前の広場へと続く道は、それこそ何通りとある。しかし、そのほとんどは整備の手が届ききっていないような小路を経由しており、それは複雑に絡み合い、リオールに住み慣れた者でもふとした拍子に行くべき道を見失うことがある。それに比べ、この大通りへ出れば道筋は単純明快だ。なにせこの道は王城前の広場まで続いている。道が広いため、見晴らしもいい。整備も行き届いており、非常に歩きやすい。
私は時折、先生から仕事の依頼を受け、王城に出向くことがある。多いのは薬草の注文だ。先生は優秀な薬師としても有名で、その弟子である私ももちろん薬草に精通していると自負している。あまり王城を離れられない師としては、唯一の弟子である私は誰よりも信頼できる依頼先なのだろう。私も先生に頼っていただけることが嬉しく、魔術師の仕事ではないと思いながらも毎回その依頼を受けている。
森で採取してきた注文の薬草と、お菓子を二種類、それぞれ袋に詰め、鞄に詰めてきた。
先日、王城の回廊で、先生同様に城壁の内側で暮らしていらっしゃる、先生と比較的交流のある方、つまりは顔見知りとすれ違い、挨拶と短い世間話を交わした。その時に聞いたのだが、どうも先生は、私が弟子として彼と一緒に暮らしていた頃はいつでも食べられたお菓子が、私が独り立ちしてしまって食べられなくなった、とここ最近ことあるごとに嘆いているらしい。前から口にしてはいたそうだが、どうも最近頻度が増えているとのこと。なので、先生が言い出す前に持参してみることにしたのだ。
大きな荷馬車が大通りを通過していく姿を見かけ、荷馬車がやって来た方向、つまり王城とは反対の方向を眺めた。大通りは大きな壁に向かって延び、リオールと外界を繋ぐ門に続いている。大きな壁に作られている門を、荷馬車や馬を引いて歩く人、旅荷物を背負っている人などが通り抜けてくる。
エタニアールは、王城を有するこの王都リオールと、リオールから延びる街道で繋がるいくつもの《街》や《村》によって構成されている。《街》と呼ばれる集落は商業的な側面が強く、中でも規模が大きいものは《都市》の名を冠する。一方、《村》と呼ばれる集落では農業的な側面が強い。商業生産と農業生産の間ではどうしても貧富の差が生まれてしまっているが、国にとってはどちらもなくてはならない存在だ。
リオールも街道で繋がる街々も、そこを外界から隔てるようにしてぐるりと背の高い壁が囲んでいる。どんなに小さな村でも、最低でも木材で作った壁に囲われた中で人々は暮らしている。壁の外で暮らす人がまったくいないわけではないがとても少ないし、壁から離れたところで暮らす物好きはもっと少ない。
その壁は、野生の獰猛な動物たちを阻むためのものでもあるし、他国に侵略された際の守りとしても機能する。周辺が属国であるこの国では侵略されるということは滅多に発生しない事態なので、それによって活躍する様を実際にこの目にしたことはないのだが、先生からそう教わった。
しかしなにより、《魔獣》という未知の生物を阻むために、壁は存在しているのだ。
《魔獣》の多くは体が大きく、とても獰猛で、人間を食糧としてしまう。特に《ゴル・ウルフ》という呼称がつけられている種は、度々現れては被害を出している。《ゴル・ウルフ》の姿形は狼によく似ているが、体が人間の倍以上の大きさ、しかも二足歩行をするという。野生の狼も十分人間に恐怖を与える存在だが、《ゴル・ウルフ》はそれ以上だ。
人々は《魔獣》を恐れ、《魔獣》から身を守るための術を日々考えている。魔術師ギルドは王族とのつながりが強い。魔術師試験を行い、魔術師を直接管理しているのがギルドだが、一方でギルドの管理魔術師たちは王族の管理を受けている。この体制もその一環だという話だ。国が魔術師を把握していれば、緊急時に優秀な魔術師に《魔獣》討伐の命が下せるからだ、と。これも先生から以前聞いた。
各集落を囲む壁には出入りのための門が取り付けられ、都市などではその左右に門番が立つ。この門番は各所に存在する騎士団の団員が交代で務めている。有事でなければ壁を通り抜けるために厳しいチェックを受けることはないが、門番が怪しいと思えば声をかけられ、質疑応答と荷物の確認を強制される。
門から流入するひとの姿をひとしきり眺めていると、その大半は進行方向から左側の道へと入っていく。
大通りの左側には商店街や繁華街、公園などの施設があり、朝から晩まで人でにぎわっている。その向こうには青い海が広がり、大型船でも停泊できる大きな港がある。商店街の店は、陸路から仕入れられる商品もあるが、船で運び込まれてきた商品を仕入れてくることも多いので、自然とその近くに 商店街が形成されたのだろう。
右手側には、住宅街や工場が並んでいる。貴族たちは王城の近くの土地を好むので、そちらに富裕層が集まり、離れるにつれて一般市民の家が立ち並ぶようになる。工場等は、都市の景観を損ねないよう、門から離れた壁際に建てられている。
エタニアールの中でもっとも住民が多く、また商業の中心となっている。それが私の暮らす都市、王都リオールの姿だ。
視線を、反対方向の先にある王城へ向け、道なりに歩いていく。
そのまま大通りを真っ直ぐ奥へと進むと、また大きな壁が都市内の敷地を区切っている。その壁は城壁であり、その向こう側は王城の敷地、つまりは王族のテリトリーだ。城壁の手前が広場になっており、教会や図書館等の公共施設が周辺に集中している。城壁に取り付けられた門のところには門番が配備され、基本的に一般階級の市民はその門をくぐることができない。国王様に忠誠を誓った騎士団の団員や侍従を除けば、入城できるのは貴族と許可を得た一握りの例外だけ。
私は、その例外に含まれている。
見知った顔の門番と軽い挨拶を交わし、通交証を提示する。《魔術師リデル》なんて、ほとんど顔パスのようなところもあるのだからそんなに丁寧でなくてもいいのに、と時折笑われるが、規則は規則だ。
門をくぐってすぐに整えられた庭園が広がり、左右には侍女たちや官吏のための住まいがある。正面にのびる道の先に、王族が住まい、政務を執り行う城が悠然とそびえている。その背後は山を切り崩したような崖になっており、そこから奇襲をかけられることはない。
私はまっすぐに伸びる道を辿った。先生の住まい自体は、右手側にある小さな、しかし一般市民の平均的な家屋に比べて幾分大きな建物のうちの一つなのだが、日中は基本的に城内で仕事をしている。
城内にある先生の仕事部屋にたどり着き、扉をノックをして中からの応答を待った。
「どなたですか?」
「リデルです、先生」
すると、ぱたぱたと小さく足音が扉の向こうから聞こえてきて、扉の前で止まった。ぎい、と鈍い音がして扉が内側へと開き、先生が笑顔で私を招き入れた。
「いつもすみません、リデル」
「いいえ。これ、ご依頼の薬草です」
私が薬草を渡すと、先生は報酬を入れた袋を代わりに差し出してきた。
先生の頼みなら、薬草くらい無償で届けるのに。そう言っても、先生はきちんと仕事として私に依頼してくる。報酬を渡すことも譲らない。律儀というか、頑固な人だ。
とっくに諦めている私は、先生から報酬を袋を受け取った。受け取った際に、ちゃり、と金属質な音がする。中の硬貨と硬貨がぶつかった音だ。それを鞄に放り込み、代わりに甘い匂いがもれだしている袋を取り出して、差し出した。
「……それから、これはあなたの弟子であるリデルから」
「え……? おや、おやおや」
元々笑顔だった先生は、さらに嬉しそうな顔をして、お菓子の入った袋を受け取った。漂う匂いで中身がわかったのだろう。
……好きなのは知ってました、けど……こんなに喜ぶとは思いませんでした。もっとはやく持ってきてさしあげたらよかった、と小さく後悔。
「ありがとうございます、リデル。ふふ、リデルのお菓子はおいしいですからね~。そうです、これからはいっそお菓子の注文もしてしまいましょうか」
「いいですよ」
先生が冗談混じりに言ったのを受け、私は本気で返した。先生は驚いた様子で私を見ていたが、私の本気を悟ってかふわりと笑った。
「でしたらまた、七日後に同じお菓子をお願いできますか?」
「はい、わかりました、先生」
先生からのお願いに、私は一つ頷いた。
お菓子作りは私にとって趣味のようなものだ。先生と暮らしている間に、甘いものが好きな先生のために、魔術の勉強の合間に覚えたことだった。これで商売をする気はない。材料の計量もそこまできっちりとはしていないので、見ず知らずの方からお金をいただくには申し訳なくなる作り方だ。けれど、先生が喜んでくれるのならそれもいいかもしれない、と少しだけ思った。少しだけ、ですけど。
ふと、以前シルヴィア姫に、お菓子職人でもやっていけそうだと言われて、やんわり否定したことがあったと思い出す。
……姫がこの場にいたら、拗ねてしまわれたかもしれませんね。いなくてよかった。
「値段はいくらにします?」
「別にいりませんよ」
「リデル」
「…………。考えておきます」
「ちゃんと考えてくださいね。ふふ、七日後が楽しみです」
自分が作ったお菓子につける値段など考えたこともなかった。本当に律儀な人だ。そして頑固な人だ。言い出したら聞かないのだと、一緒に暮らしていた弟子はよく知っている。
仕方がないので、材料費程度にいただくことにでもしましょう。