第1話 リデルとシルヴィア
09 騎士団
先生の仕事部屋を出て、一人で王城の回廊を歩く。
基本的に王城内というものは城仕えでもない者が一人で歩き回ることなどできないものだ。本来なら侍従が来訪者の傍につき案内兼監視を行う。しかし、私は以前先生とともに城の敷地内で暮らしていたこともあり、また先生の仕事の手伝いでよく王城内を歩き回ってもいたこともある。もちろん、先生が国王様から直々に許可をいただいてのことだ。そんなことがあったからか、私は独り立ちして城壁の外へ出てからも、王城内を一人で歩くことを許可されていた。本当はあまりよくない例外なのでしょうが、いちいちひとに付きまとわれなくて済むという点がどうしようなく気楽で、その決定に甘んじてしまっている。
ふと、剣戟の音が耳に届いた。普段は聞こえない、もしくは気にならない音がはっきりと耳に届いてきて、考える前に足を音が響く方へと進めた。
進んだ先で、窓から外を真剣に見ている見慣れた、少し懐かしい気もするシルヴィア姫の姿を見つけた。前髪が太陽の光を受け、深い色をしている髪の毛がうっすら輝いて見える。顔色は悪くなさそうだ。少なくとも今、体調を崩されているということはなさそうでほっとした。
しばらく立ち止まって姫の姿を眺めていたが、姫は私に気づかれる様子もない。
甲高い剣戟音はすぐそこから発生しているようだ。
すう、と息を深く吸い込み、止まっていた足を再び動かした。まっすぐ姫の元へ向かう。手を伸ばせばぎりぎり届きそうな距離まで来ても、姫は私に気づかれない。
「シルヴィア姫」
「ひょわ!?」
「……なんて声を出すんですか」
後ろから声をかけると、シルヴィア姫は飛び上がるほど驚いて私を振り返った。そういえば、初めて姫に声をかけた時も、姫はこんな風に驚かれていた。あれからまだ一年も経っていないが、少し懐かしい。
あの時と違うのは、振り返った彼女が嬉しそうな表情ではなく、安心したような顔をされたことだ。
「な、なんだリデルか……」
「お久しぶりです」
「あ、うん、久しぶりー。元気してた、……みたいね」
「ええ。姫も息災のようでなによりです。ぱったりいらっしゃらなくなったので、ご病気でもされたのかと……」
「あ、ごめんね! 心配かけちゃった? でも安心して、私病気したことないから!」
「……それは結構なことですね」
風邪すらもしたことがないのでしょうか。だとしたらすごいことですね。
思うだけで、口には出さなかった。笑みを崩すことなく、鞄の中からもう一つ残っていた甘い香りのする袋を取り出す。
「ああ、そうです。これ、姫のお好きなクッキーです。よろしければどうぞ」
「っ、わ、うれしい! リデル大好き!」
「……光栄です」
満面の笑顔で言われて、一瞬心臓は飛び跳ねた気がした。それがどういうことかわからなくて、私は内心首を傾げながらも、姫には笑顔で返した。姫は大事そうに、両手で袋を包み込んで、幸せそうな顔をされていた。
ふいに、姫が不思議そうに瞬きをされた。
「あれ、そういえばリデル、一人でこんなところでなにしてるの?」
「今更ですか……。先生からの依頼で薬草を届けに来たのです。今はその帰りですよ」
「じゃなくて、普通一人で歩けないはずだと思うんだけど……」
「ああ。昔から先生について歩いて回っていたので、今でも自由に城内を歩けるんですよ、私」
「え、そうだったの!?」
「……ご存知ではなかったんですか」
「う、……いや、昔中に住んでたのは知ってたんだけど……だってほら。それって十二歳くらいの頃まででしょう? 私、あんまりお城の中歩き回ったことってないし……ばあやたちは知ってたかもしれないけど、わざわざ言うことでもないだろうしね」
視線をさまよわせて言いにくそうに続けられた言葉を、私は気にしない風で聞き流した。
姫は、王城を抜け出す以外ではほとんどを自室周辺で過ごされているようだ。今も、昔も。姫の部屋は王城の端のほうに存在し、姫の話をお聞きしている限りではその周辺で働く人々はほとんどが姫に友好的なはずだ。しかし、一歩そのテリトリーを出れば、姫にとって世界は針のむしろのようなものだろう。姫の身内や気位の高い貴族たちは、姫に優しくない。
私は話題を変えるために窓の外に意識を向けた。先ほどまで、姫が真剣に見ていたものについてお聞きする。
「なにを見ていらっしゃったのですか?」
「ん? 騎士団の洗礼風景」
「ああ……そういえば、新しく団員が配属される時期ですね」
花の季節というのは、様々な節目にされる。数々の試験がこの季節の頭に実施され、大抵の結果はすでに発表されている。魔術師試験も、すでに今期の結果が発表されているはずだ。
騎士団の入団試験も花の季節の始めに行われ、入団の可否については概ねその場で決定し、後日国王様が入団許可の書類に押印されることで確定するのだと聞く。結果を本人に通達後、いくらかの準備期間が用意され、ちょうど今くらいの時期に正式に入団するのだったか。
エタニアールでは都市毎に騎士団が存在し、それぞれの都市を守っている。小さな街や村には騎士団は存在しないが、そこに住む青年たちが自警団として自分たちが暮らす土地の治安を守る。それで手に負えなければ、一番近い都市の騎士団に応援を頼むのが普通らしい。
この王都リオールにも当然に騎士団が存在し、彼らは王城の警備や都市の治安維持に務めている。もちろん、他国との戦争でも起これば、彼らが前に出て一般の市民たちや王族を守ることになる。エタニアールの騎士たちが忠誠を誓うのは国そのもの。彼らは国を守るための存在なのだ。
騎士団においては基本的に出自はあまり関係ない。騎士団の団員には、親が騎士であったとか、貴族の子息という立場の者が多いと聞くが、一般階級の者が入団する例も少なくない。私は騎士に対して興味や憧憬を抱くことはなかったが、どうも一般的に少年という生き物は、騎士に憧れを持って育つ者が多いらしい。親が騎士か貴族であれば推薦でもって入団できるが、そうでない者は都市内に存在する国営の武術道場に通い、そこで心身を鍛え、入団試験を受けて合格することで騎士団へと入団することができる。
騎士団には入団後、洗礼というものがあるという話は聞いたことがある。それがなにかと言えば、騎士団中一番の実力者、つまり団長と、新規入団者が一対一で切り結ぶというものだ。もちろん、新参者が団長なんてとんでもないベテランに勝てるわけもない。これは勝負ではなく、訓練の一種であり、団長の強さを体にたたき込んでおくためのものだという話だ。団長の強さ、もしくはそれ以上を目指して日々精進しろ、と言いたいらしい。また、少年の憧れの的である騎士と言っても誰もが人格的に優れているとは限らない。中には扱いづらい曲者だっているだろう。団長の強さを教え込むことで、手綱を上手く握ろうという思惑もあるそうだ。
シルヴィア姫曰く、現在その洗礼の真っ最中なのだという。
私は直接出向いたことはないが、騎士団の訓練場は確かに王城の西側にあり、間に視界を遮るような建築物も存在しないので王城の階上からはよく見えるだろう。
洗礼の風景を実際に見たことがない私は、小さな好奇心から先ほどの姫同様に窓から外を見てみた。ちょうど一人終わったところらしく、「ありがとうござました!」という声が聞こえてくる。次いで、「次!」と鋭い声が飛び、「はい!」と答える声があがった。私は視線を移動させてその姿を確認し、少しばかり驚いた。
「……珍しい。ずいぶんと若い方がいらっしゃるんですね……私たちと同じくらいでしょうか」
「え、もう順番!?」
「ひ、姫?」
シルヴィア姫が私を押し退けんばかりの勢いで窓から身を乗り出された。窓は十代半ばの子ども二人が乗り出せないほど狭いものではなかったので私が押し出されることはなかったが、姫の勢いに驚いて少しばかり身を引いた。おかげで姫とぶつかることもなかった。
窓の向こうの訓練場では、シルヴィア姫や私と同じ年頃の少年が団長相手に剣を構えているところだ。
騎士団の入団試験は厳しいと聞く。なにせ騎士団というものは、国の武力であり盾なのだ。危険な任務もあるので、当然相応の実力がなければ入団試験に合格することは不可能と言える。だから必然的に、騎士団の新規入団者というものは、武道の熟練者でかつ体ができあがっている成人男性であることがほとんどだ。四十歳の半ばを過ぎた者や、彼のような成長途中の子供が入団することはほとんどなかったはずだ。
まったくない、わけではなかったと思う。
現在の騎士団員にも、道場で訓練を受けてきた者は多くいるだろう。それもあってか、騎士団員は時折武術道場に顔を出し、優秀な人材がないかどうかチェックするのだという。場合によっては団長がスカウトしていく、という話もあるとか。そんな風に市民の間では噂として囁かれているらしい。これは事実だ。団長のはからいで、将来有望な者を騎士団に騎士見習いとして所属させることは実際にある話なのだ。以前、現在リオール騎士団の団長を務めているハンスさんに教えてもらったことがあるので、間違いない。
そういえば、雪の季節にハンスさんが傷薬を受け取りに来た時、楽しそうにこんなことを言っていた。
『こないだな、面白いやつを見つけたんで入団試験を勧めてみたんだ。お前と同じ年頃でな。機会があったらそのうち逢わせてやるからな』
……もしや、彼がハンスさんの言っていた面白いやつ、なのでしょうか。