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第2話 リデルとカイル
01 対面



 チリンチリン、と玄関のベルの音が来訪者の存在を伝えてきたので、開いていた分厚い本を閉じた。応接間の壁に寄りかかるように積みあがっている本の山々の中で一番低いものの上にそれを積み重ね、玄関に向かう。

「どなたですか?」

 玄関のドアを閉じたまま、外にいるだろう人物に声をかけた。おそらくは魔術師リデルへの来客だ。そうでないお客様は、ここに引っ越してからというもの、シルヴィア姫しか迎えたことがない。
 当然ながら、訪れる者すべてが善人なわけがない。中には悪意を持って訪れる人もいる。だから、既存のお客様には郵便物の受け入れ口から初回時に渡したカードを入れるよう指示してある。郵便物の受け口になにも入れられていないところを見ると、新規のお客様のようだ。新規のお客様の場合、まずは玄関前で本人の名前と紹介者の名前を述べてもらう。それから、郵便物の受け口に紹介者からの紹介状を入れてもらうのだ。この手順は紹介者が教えることになっている。
 もちろん、絶対というわけではない。しかし今のところ、この決まりを適用していないのはシルヴィア姫のみだ。

「リオール騎士団所属のカイル・デーンという者です。騎士団長、ハンス・オーエンに、魔術師リデルを紹介していただきました」

 それから、ことん、と郵便物の受け口に紹介状が放り込まれた。私は驚きながらそれを手に取り、内容を確認する。
 確かにリオール騎士団の団長であるハンスさんは既存客の一人だ。ハンスさんは気さくな男性で、会えば必ず私の髪の毛をかき回すように撫でていく。少し手つきは乱暴だが、不思議とそれを嫌だと思ったことはない。彼から受ける依頼は大抵が傷薬の注文なので、魔術師の仕事というよりは薬師の仕事と言えるかもしれない。
 紹介状にあるサインは間違いなくハンスさんのものだし、私のカードによって刻み付けられたマークもある。
 そして、外にいる来訪者は、カイルだと名乗っている。
 私はいくらも考えることなく、玄関を開けた。

「どうぞ」

 玄関のドアを開けて、外に立っている来訪者を中へと招いた。私は失礼にならない程度に相手の姿を観察する。
 そこに立っていたのは、つい三日ほど前に、騎士団の訓練場で洗礼を受けていたあの少年だった。
 ということは、やはり彼がシルヴィア姫が探しておられたカイルさんということで間違いないらしい。九年近くのブランクがあるはずだというのに、姫はよくまあわかったものです。

「どういったご用件でしょうか?」
「切り傷によく効く薬を受け取って来い、とのことです。団長の手が空かないようでしたので、俺が使いで来ました」
「ああ、なるほど。まあハンスさんの紹介ならそんなところだろうと思いました」

 応接間へと戻り、作り置きの薬をしまってある棚から、騎士団長御用達の傷薬をいつもと同じだけ用意する。

「……私、薬師ではなく魔術師なんですけどね、一応……」

 もう言うだけ無駄であることをいい加減理解しているし、諦めても居るのだが、ついぼやきが口をついて出た。しかし、大量に作り置きしてある薬を見れば言いたくもなる。私が受ける依頼の半分以上が、なにかしらの薬がほしいという依頼だからだ。
 後ろから少し緊張した様子でついてきていたカイルさんが小さく笑う気配がした。

「《天才少年魔術師リデル》、ですよね。俺も知ってますよ。試験に合格されたのは十二の時でしたよね。俺と同い年なのにもう一人前の魔術師だなんてすごいなぁって思ったんです」

 全然一人前ではないんですけど。
 いまだに先生の元に戻れずにいる自分の不甲斐なさが情けなく思えて、ため息が出そうになったのをぐっとこらえる。
 そして言い返す。

「……すごいのは君のほうでは?」
「え?」
「私と同じ年頃で騎士団に所属というのは、すごいことですよ。団員の平均年齢は、二十代後半だったと思いますが……」
「あ、あはは……」

 私は間違いなく誉めたというのに、どういうわけか、カイルさんは苦笑を返してきた。不思議に思って振り向くと、彼は情けなさそうに頭をかいていた。

「団員っていっても、俺、まだ見習い扱いで……。団長に唆されてダメもとで入団試験受けたら、なんか……お前は騎士見習いな、って言われちゃって」

 なるほど……。まあそんなところだろう。しかし、弱冠十五歳にして騎士見習いというだけでも十分、というかすごすぎるくらいのはずなのだが。どうも本人はそう考えていないようだ。

「まだまだ……がんばんないと!」

 強く言葉を吐き出して、笑う。まだ足りないのだと、望む。
 ……よほど騎士になりたいのでしょう。見習いなどではなく、本物の騎士に。

「……がんばってください。はい、これ、ハンスさんお気に入りの薬です」
「ありがとうございます。これ、代金です」
「確かに。……それと、これを」
「え……」

 薬のほかに差し出したのは、お客様に渡す特製のカードだった。ハンスさんにでも見せてもらっていたのだろう。カイルさんは目を丸くして、慌てて首を振る。

「いえ、俺はただの使いで、客ではっ……!」
「たとえそうでも、一度この家に足を入れたからには、あなたはお客様です。受け取ってください。次は紹介状では入れませんよ」
「…………」

 入れませんよ、とは言ったものの、入れてしまうんですけどね。言いませんけど。言わなければわからないものです。
 カイルさんはしばらく悩んでいた。見ていてわかるほどに、おもしろいくらいに悩んでいた。私はひたすらそれをじっと観察して、カードを右手に持ったまま待っていた。
 背は私より大きい。先生よりも背が高いかもしれない。しっかり食事を取り、しっかり運動し、しっかり睡眠を取ることで身長は伸びるという。きっとそういう生活をしてきたのだろう。私は、運動は人並み程度にしかしなかったし、本を読みふけっていて夜更かししてしまうことも多々あった。今もある。
 ……羨ましいとか……思います。自業自得だとわかっていても、背が高い男性という存在には憧れを抱きます。
 無造作に切られたのだろう短めの髪の毛は、無造作なままになっている。ぼさぼさとまとまりはないが、妙に似合っていると思える。精悍な、しかしまだ幼さが残る顔立ちと相まって、活発な印象を抱かせているようだ。着崩された騎士団の制服がよりいっそう、彼の活発さを強めているような気がする。

「……いただきます」
「はい、どうぞ。名前を言ってください。そうすればカードに名前が刻まれます」

 悩んだ結果、彼はカードをきちんと受け取った。
 受け取らなくていざという時困るのは私ではなく彼のほうなので、私としてはどちらでもよかったのですが。

「はい。……"カイル・デーン"」

 カイルさんが自分のフルネームを音にすると、すう、とカードにカイルの名前が浮かび上がった。薄らしたそれを見て、カイルは小さく「おお」と感嘆の声を上げた。

「……"カイル・デーンを客人として認める"」

 私が唱えればカードに浮かび上がった名前は色を濃くした。これでこのカードはカイル・デーンのためだけのカードになった。
 他者を紹介する際には、用意した紹介状の上にそのカードを重ね、自分の名前、相手の名前、紹介するという旨を唱えるよう説明すると、彼は神妙に頷いた。

「それじゃあ、おじゃましました」
「はい、またどうぞ」

 カイルさんを送り出した後、応接間に戻り、読みかけだった本を手に取って再度開く。騎士団の歴史について書かれている本だ。文字の羅列を視線だけで追いかけ、ページをめくっていく。
 やはり、十五、六歳での入団テスト合格記録はどこにもない。ということは、彼は最年少の入団試験合格者になる。見習いとはいえ、その事実は変わらない。私と同じだ。
 今後、彼には否応なしに注目が集まるでしょう。
 本を読み終わり、改めて閉じてから、ふと改めて気付いた。
 同じなのだ。
 周囲に「すごい」と誉められても、「天才だ」と持て囃されても、そんなことはないと首を振る。目指すものはもっと先にあるのだと返す。
 それは、私も同じだった。

「……そういえば、姫とのこと、聞き忘れましたね」

 今さらになって気になっていたことを思い出したが、急いで知らなければならないことでもない。少なくとも半分は確実にただ好奇心だ。
 まあ、いいか。また機会があったら尋ねてみましょう。
 そうして私は、そのことを再び忘れることにした。



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