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第2話 リデルとカイル
06 カイルの理由



 * * *


 一生分泣いたのではないかというくらい泣いた。
 次の日、まぶたはぼったりしていて、とてもひとさまにお見せできる顔ではなかったが、私は意外とすっきりした気持ちで朝を迎え、そして押し寄せてくる日々を過ごしていた。あれほどまでにカイルに対してもやもやとした気持ちを抱いていたのが嘘のようだ。
 認める。たったそれだけのことで、気持ちはこんなにも晴れやかになった。どうにもならないことに変わりはないのに、私はまた、笑うことができるようになっていた。
 薬草を届けに行った際に、先生にも言われた。

「なんだかすっきりした顔をしていますね」
「そう、ですか?」
「少し前は、なんだかもやもや~としているような顔をしていましたけど。悩み事は解消できましたか?」

 私は先生に対してなにも相談しなかったが、私がなにかしら悩みを抱えていることには気づかれていたらしい。前回先生に会った時は、私は己の感情を自覚すらしていなかったはずなのだが、それでも先生は気づいていたらしい。
 先生に安心していただけるよう微笑んだ。先生は「よかったですね」と嬉しそうに微笑んだ。
 敵いませんね、まったく。
 シルヴィア姫への気持ちを自覚しても、私の日常は大して変わらなかった。依頼のあった薬を調合したり、リオール周辺の森の調査に出かけたり、気になった事柄について勉強したり、書店で目にとまった本を購入して読みふけったり、お菓子を作ったり。自分でも呆れるほど以前のままだ。
 ただ、あれから毎日のように、夕方になるとカイルが家を訪れるようになった。

「よくまあ毎日飽きもせず来ますね」

 見慣れた顔の客人にお茶を用意しながら、遠慮なく本音をぶつけてみた。カイルは楽しそうにそれを受け取った。

「いーじゃねえか。リデルの入れるお茶、うまいし」
「そうはどうも」

 あれからというもの、カイルと話をしていても、胸にわけのわからないもやもやが溜まることはなくなった。それは、もちろん、シルヴィア姫に想われているカイルのことを妬ましく思うところは少なからずある。しかし、それまで私の胸に居座っていた居心地の悪さはきれいさっぱり姿を消していた。あれさえなくなったなら、私にとってもカイルは素直に好感を持てる相手だ。感情表現がストレートで、物怖じしない。だから、私が少々きついかもしれない言葉を投げかけても気にせずやってきては私と話をしようとする。時折鬱陶しくも思うが、自分とはまったく違うカイルのことを、嫌いだとは思わなかった。むしろ羨ましいと素直に思うようになった。
 そう。私はカイルが羨ましいのだ。父がいて、母がいて、家族仲が良くて、騎士団の中でもうまくやっている様子で、シルヴィア姫に想いを寄せられている彼が羨ましい。認めてしまえば、なんてことはなかった。カイルは、私が持っていない多くのものを持っている。それが羨ましくないわけがない。私が抱いている感情は、至極当然のものだ。しかし、そのためにカイルを厭うなどということはなかった。なぜそうなのかまで、私にもわからないのだが。
 光に焦がれる。そんな気分だ。

「なあリデル、あれなんだ? 初めて見るんだけど」

 お茶を一口飲んだカイルが、窓際に飾るように置いてあるごつごつした手のひらほどのサイズの緑色の石を指差して尋ねてきた。

「あれは《魔鉱石》です」
「魔鉱石?」
「魔力と非常に相性のいい鉱石なんです。西の方で採掘できるんですよ。以前ギルドを通して受けた仕事の報酬の一部として、昨日届けられたんです」

 《魔鉱石》は、そのままでは魔術を使わない者からしてみればただの石にすぎない。かつ、この鉱石は採掘されたそのすべて一旦西一番の都市《ヘクタナ》に集約し、ヘクタナを通して王に献上することになっている。商人が法外な値をつけて問題なったり、貴重な魔鉱石を巡って魔術師が争いを繰り広げたりした過去があるため、それを防ぐ方策として国が一元管理することになったと先生から聞いている。なので、店頭に並ぶことはなく、ギルドからの依頼を受けることでしか手に入れられない。

「なんに使うんだ? これ」
「ひとそれぞれですけど、一般的には補助道具、といったところですか。一度に大量の魔力を利用しようとするとコントロールを逸して暴走する危険性が高まるので、魔鉱石に魔力をいくらか込めておき、魔力を分散しておくんです」
「暴走って、どういうことだ?」
「原理はよくわかっていませんけど……どーんと大きい音がして地面が抉れてましたね、私の時は」
「やったことあんのか!?」
「昔、一度だけ」

 魔術の勉強を始めてすぐの頃の話だ。先生が傍についていてくださったので大事には至らなかったが、私が立っていたはずの場所が深く抉れているのを見て、心底ぞっとしたものだ。
 私が魔力を暴走させたのは、その一度きりだった。

「……とはいえ、魔鉱石を石の状態のまま使用する魔術師はあまりいないはずです。基本的には杖に加工して使われますね」
「杖?」
「ええ。魔術師の杖には、魔鉱石が混ざっているんですよ。魔鉱石が入っていない杖は魔術師にとって意味がありません」
「なんでだ?」
「一つは、先ほどの話に繋がります。ひとの身では魔術のコントロールに限界があります。精神状態が強く影響するのだそうです。しかし、魔鉱石を通せば魔鉱石が余分な魔力を預かってくれるんです」

 カイルが困った様子で眉間を寄せた。

「……すまん、難しくてよくわからん。つまり?」
「魔鉱石は魔力のコントロールに関して非常に有用だということです。つまり、魔鉱石を含んでいない杖を使うと、魔力暴走率が高くなるんです」
「ああ、なるほど」

 理解できたらしく、カイルは軽く頷いた。私は続ける。

「魔鉱石を材料に杖を作る理由はほかにもあります。魔鉱石の質にもよりますが、魔力増幅作用のあるものもあります。魔力を高めるんですね。さらに、魔術を使った際に自分自身にまで影響が降りかからないよう、防護する作用もあります。強力な攻撃系の魔術を使用すると、術者自身も怪我を負う可能性がありますから、この点も重要視されますね」
「……その魔鉱石が魔術師にとって重要なもんだってのはわかった。でもさ……なんかそれ、杖である必要性が、俺にはよくわかんねんだけど……」
「ですね。私もわかりません」

 カイルの不安そうな言葉に、私はあっさりと頷いて見せた。すると、カイルは目を丸くして驚愕を見せた。

「リデルも?」
「ええ。確かに、魔鉱石のそういった特性を有効利用しようと思うとあのサイズの石一つでは足りませんから、加工するにしても結局は杖のように大き目のものになるでしょうけれど。一つの常識として、魔術師は杖を持つようになっているだけなのではないかと思います。これは例えばの話ですが、昔、足腰の少々弱い魔術師がいたとして、その魔術師はおそらく歩行補助のために杖を持ち歩いたでしょう。魔術を使う際、集中力の補助として対象物にその杖を向けたりもしたかもしれません。それを見た誰かが、《魔術師は杖を使って魔術を使うのだ》と考えても、おかしくはないでしょう?」
「……そうかもしんないけどさ……なんか、すげぇ極端な話だな」
「だから、例えばの話です。魔術を使う者が杖を利用する理由は、はっきりとはわからないんですよ。それについて書かれている文書は読んだことがないですし、歴史的に有名な魔術師の肖像は大抵本人と杖がセットになっています。相当昔から、魔術師は杖を使ってきたのだと思いますよ。魔術師というのは、基本的に様々な知識を師から受け継ぎ、後世へと伝えていくものです。だから、杖もその一環として根付いているだけなのだと思います」
「はあ……魔術師って奥が深いなあ」

 カイルは素直に感心していたが、私はむしろ、底が浅いのではないかと思わなくもない。知的好奇心は旺盛なくせに、「師がやっていたから自分もやる」といった安易な意識で杖を持ち続けているのなら、決して「奥が深い」などとは言えないと思う。魔鉱石を利用するというのなら、別に形状が杖でなくてはならない理由はないのだ。かと言って、では杖以外のなににするかと問われると、私も答えられない。結局杖が一番しっくりくるというのだから、笑い話にしかならない。

「リデルも杖持ってんの?」
「ええ、持ってますよ」
「見たことないけど。二階か?」
「いいえ、ここにあります」

 私は左手を持ち上げ、手首を見せた。しゃりん、と細い高音が控えめに鳴る。細い銀色のリングが二本、絡み合うように手首にはまっている。

「……ブレスレット?」
「見た目はそうですね。魔術で形を変えているんです。杖は大きくて、持ち運ぶには少々不便ですから」
「へぇ……そんなことできんのか」

 別に、ブレスレットである必要性はない。ひとによってはペンダントだとか指輪だとか、それ以外のものに変化させているようだ。私の場合、手に近いほうがなんとなく安心感があるということ、しかし指輪では薬やお菓子を作る際に邪魔になるという理由から、ブレスレットに落ち着いただけだ。

「そういやさあ、リデルはなんで魔術師になったんだ?」
「は? どうしました、急に」
「いや、なんとなく? 魔術師の話してたから。それに、どうしたらこんな勤勉で真面目な同い年が育つのかなあとか」
「……はあ。しかし、なんでと言われましても……」

 困ってしまった。なにせ、理由など深く考えたこともなかったのだ。
 気がつけば魔術師になることを考えていた。それ以外の道など考えていなかった。魔術師になって、先生の仕事を助けられるようになりたいと思い続け、ここまできた。おそらくシルヴィア姫と出逢うまでは、それが私のすべてだったと言える。
 ……あれ、ということは……。

「……ああ、先生が魔術師だったから、でしょうか」
「あー、なるほどなぁ。父親の背中を追っかけたってやつか」
「先生は父ではありませんよ」
「ああ、まあ実の父親じゃないけどさ。その先生ってのは、リデルにとって育ての親なんだろ? だからさ」

 先生は私にとって、誰よりも身近な大人だった。魔術は当然ながら、物事の善悪、生活する術、生きていくために必要なことも不要なことも、すべては彼が教えてくれた。それが私の基本になっている。
 なるほど、それを考えると確かに私にとって先生は親同然なのかもしれません。親にしては少々若いでしょうけれど。まだ三十代にも入っていないはずですから。

「そうですね……そうだったのかもしれません」

 もっとも、最高の魔術師と言われる彼を《父》と呼ぶのはあまりにおこがましい気がするので、呼びませんけど。
 彼が私を育ててくれた。その事実だけで十分過ぎるくらいだ。

「そういえば、カイルはなぜ騎士に? どうも先を急いでいるようにも見えますが」
「あれ、話したことなかったっけ?」
「ええ」
「あー、そっか。団長とかには話したから、なんかリデルにももう話したつもりでいたなー」

 カイルはカップをテーブルにおいて、懐かしそうに笑った。

「俺さ、ガキの頃に約束したんだよ。いや、まあ、つっても、今も十分ガキなんだけどな……。もっとガキの頃。んーっと、七歳くらいん時だったかな。改めて思い返すと、馬鹿な約束だなあってちょっと思うんだけど。でも、どうしても、その約束破りたくなくて、……」
「約束、ですか?」
「おお」

 椅子の背に体重を乗せ、ギッと音をさせて、カイルは目を細める。

「人攫いにあいそうになってた女の子を助けたことがあるんだよ。その女の子とさ、約束したんだ。騎士になって、お前のこと守ってやるって」
「……へぇ」
「馬鹿な約束だろ?」

 反応に困って、曖昧な返事しかできなかった私をどう解釈したのか、カイルは苦く笑った。
 ああ……。

「……その女の子とは、その後は?」
「会ってねえ。あれ一回きりだ」

 なんだ。

「てか、会おうと思っても会えねえんだな」
「それはどうしてですか?」
「……聞いて驚くなよ?」

 カイルは視線を私に向け、にぃ、と企むような笑みを浮かべた。
 驚きなどしない。続きなどわかりきっていた。

「なんと、その女の子、シルヴィア姫様だったんだ!」
「……へー、ほー、そーなんですかー」
「って、なんだよその反応!」

 驚くなと言ったくせに、カイルは私の反応が面白くなさそうだった。
 まあ、「驚くな」と前置きする話は大抵、相手に驚いてほしくてする話ですからね。逆にわざとらしいくらい驚いてあげたらよかったでしょうか。それはそれで腹立たしいと思うのですが。
 私はそ知らぬ素振りで話をあわせる。

「……その子、本当にシルヴィア姫だったんですか?」
「ああ。そう名乗ってたし。あ、いや、姫だとは行ってなかったからそん時はわかんなかったんだけどな。その後にあった王様の在位何周年だとかの祭りで見てさ……ああ、あの子だ、って」
「それはまた……妙な偶然があったものですね」

 両想いなんじゃないですか。馬鹿らしい。
 私は自作のクッキーを一口分かじった。
 ふむ……これはちょっと砂糖が足りませんでしたね。今の私にはちょうどいいですが。シルヴィア姫にお届けする分を作る時には気をつけましょう。

「それで。どんな流れで君は騎士になることにしたんですか」
「いや、まあ……あー、なんだったかな。その辺、そんな詳しく覚えてるわけじゃねえんだけどよ。シルヴィア姫様が、騎士はかっこいい、みたいなこと言ってたんだよ。王子様はお姫様のことだけを守ってはいられないけど、騎士様はお姫様だけを守ってくれるから……だったかな」
「それがエタニアールの騎士に当てはまるかはわからないですけどね。基本的に、忠誠を誓う相手は国であり、国王様なわけですし」
「わかってっけど! ……そう言ってた時のシルヴィア姫様の、なんか、なんつーか、さびしそうっていうか……とにかく、その時の顔が忘れらんなくてさ……。ほら、騎士って手柄あげたら一個願い聞いてもらえんじゃん。それで、シルヴィア姫様の護衛とかになれねえかなぁって」
「ああ、なるほど。意外と考えてるんですね」
「……意外とってなんだよ」

 憮然とするカイルへの返答に、静かな笑みを向けた。カイルは馬鹿にされていると思い、ますます不満そうにする。
 まあ、確かにちょっと馬鹿にしてましたが。
 確かにカイルの言うとおり、騎士はなにかしら武勲を立てれば褒美が望める。もちろん限度はあるはずだが……。手柄の内容によっては、カイルの望み通り、姫の護衛を担当することも可能だろう。姫の護衛になれば、忠誠を誓った相手は国王だとしても、守るべき対象は姫ということになる。
 正真正銘、姫のことを想い、姫を守るために存在する、ナイトになれるのだ。

「……騎士団に入ってから、姫には会われました?」
「っ、だから、会ってねえって! 会えるわけねえだろ! 向こうはお姫様で、俺はしがない騎士見習いだぞ!?」
「まあそうですね。失礼しました」

 ここに姫がいらっしゃったらさぞ面白いことになるでしょうねー。
 ふざけた偶然の奇跡を少しだけ期待してみたが、結局それが現実になることはなかった。



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