第3話 疑問連鎖
05 魔術を使えない王族
* * *
私は先日の予告どおり、シルヴィア姫お気に入りのクッキーを多めに持って、姫のもとを訪ねた。
普段は決して近寄らないが、姫の部屋がどのあたりにあるのかは、だいたいではあるが知っていた。近くまで行けば侍従かローザさんを捕まえられるだろうと思い、そのまま足を進めていく。
読みどおり、ちょうどこちらへ向かってきていたローザさんと会うことができ、簡単に挨拶を交わした後に「お菓子を持ってきました」と告げれば、斜め後方に控えていたひとりの女性に姫を呼びに行くよう指示を出した。
廊下に、私とローザさんの二人が残される。
「……貴女にお聞きしたいことがあるのですが……」
「なんでございましょう」
「シルヴィア姫から私のことを、どの程度聞いているのかと」
直球に、姫の脱走癖について聞くような真似はしない。知らなかった場合、姫の首も私の首も絞めることになる。
ローザさんか賢い方だった。遠まわしな私の質問の意図を正確に汲み取り、その上で優しい笑みを浮かべた。目じりに刻まれた皺が柔らかく歪む。
「……あなたには感謝しています、リデル様。ここしばらく、姫様がより一層楽しそうしてらっしゃるのは、あなたの存在あってこそですから」
真正面からそういうことを言われると、なんとも返しづらい。しかし、自分の存在が姫に少なからず影響を与えることができているということを第三者の口から、しかも姫の母君代わりを務め上げてきたローザさんからたしかにされると、言葉で言い表すなど愚かしいほどの喜びが胸の底から湧き上がってくる。
「……黙認ですか」
「《こちら》よりも《そちら》のほうが、姫様はきっと伸び伸び生きていけるのでしょうね」
王族でさえなければ、シルヴィア姫は本来あるべき場所を逃げ出すような真似をしなくても、心から笑うことができただろう。
しかし、姫が王族であり、この王城という狭くも大きな世界から逃げ出すことにより、カイルと私は姫に出逢うことができた。
なにをよしとすべきなのかはわからない。「もしもこうだったら」と過去を仮定しても、現在が変わるわけでもない。私はただ、姫と出逢えたことを嬉しく思う。姫もそう思ってくれていたなら、それはとても幸せなことだ。
「姫様が『お散歩』の間は、市街の警備を強化しています。門の警備も厳重をお願いしていますので、よほど巧妙に事を運ばねば大事には至らないでしょう」
平然と言ってのけるローザさんに対して苦笑が浮かぶ。門のほうは知らなかったが、市街の警備はたしかに平時より強固だろう。捜索の名目で騎士団員が何人もうろうろしているのだから。
「『お散歩』、ですか」
「姫様には息抜きが不可欠だと思いますので。……最近は控えていらっしゃるようですが。いえ、手段を変更されただけなのかもしれませんね」
道理で、姫が何度も何度も脱走してきている割には、私のところまで捜索の手が伸びないとわけだ。彼女は姫の行き先を理解したうえで、それを秘匿してきたのだ。
どうやら彼女は、知らぬところで私の共犯者となってくれていたらしい。
後半の言葉は、おそらく騎士団の訓練風景の観察……正しくはカイルの観察を指しているのだろう。もともと、姫にとって脱走は息抜きではなく、カイルを探すための手段だった。カイルとの関係の糸を手繰り寄せることが姫にとっての息抜きになっていたのであれば、ローザさんの見解はどこも間違っていない。
護衛はつけないのか、と続けて尋ねようとした。しかし、ちょうどそこへ姫と侍女の方々がいらっしゃったので、聞くに聞けなくなってしまった。
姫と、そして侍女の方々と挨拶を交わして、私たちは外へ向かった。
「今日は天気がいいから、外でお茶にしましょう!」
提案者はもちろんシルヴィア姫だった。
王城の敷地内において隅のほうにある庭園のガーデンテーブル。席に着くのは私と姫の二人だけ。ローザさんや侍女の方々は、同じ空気の中にはいるものの、傍らに立っているだけの状態だ。先日の様子から、シルヴィア姫はローザさんたちの同席を望んでいたようだったが、主従関係という壁がある以上それは難しいことだろう。
座ればいいのに、といまだに不満そうな姫に、ローザさんたちは苦笑を返すしかなかった。その気持ちはよくわかる。
もっとも、本当ならば私のような一般の魔術師だって姫君のお茶に同席することが叶うはずがないのだが、姫どころかローザさんも侍女の方々もこの状況になんの疑問を持っていないようになにも言わない。私自身、以前から私の家で姫とよく向かい合ってお茶を飲んでいたので抵抗はないが、本当にいいのだろうかと小さく不安を抱く。少し考えて、周囲がなにも言わないのだからいいのだ、ということにした。
クッキーに対しておいしいと絶賛をいただいて、先生のところで飲むお茶とはまた違う、香りからして高級そうなお茶をいただき、のんびりと穏やかであたたかな時間を過ごした。
私は一度迷ってから、結局言い出すことにした。
「……姫。少々姫にご協力願いたいことがあるのですが」
「うん? いいよ!」
内容をまともに告げないうちに姫から了承をいただいてしまった。いくらなんでもそのまま話を進めることもできず、姫に待ったをかける。
「まだ話の途中です」
「だから、いいって。リデルにとって必要なことならなんだって協力するよ!」
「……とても光栄ですけれど。一応、ちゃんと聞いてください。魔術に関することなんです」
言うと、姫はきょとんとし、次いで首をかしげられた。当然の反応だ。
「私、魔術使えないよ?」
「ええ……だからこそ、お願いしたいことなんです。ご気分を害されるようであれば、この話は忘れてください」
重い空気が立ち込めた。その空気の発生源は、姫本人ではなく、ローザさんや侍女の方々だったが。姫に関して魔術の話題はタブー。暗黙の了解として、彼女らの中にそうあるのだろう。
当の姫はといえば、いつもと変わらずにっこり笑って。
「いいよ。私に出来ることなんだったらね」
改めて実にあっさりと快諾してくださった。ローザさんがくたびれたようにため息をつき、侍女の方々は苦笑した。
私は姫の言葉に感謝してから、テーブルに四つのカードを並べた。《火》、《水》、《土》、《風》。カイルに使った、それぞれの属性の魔力を染み込ませたカードだ。
「一枚ずつ触れてみていただけますか?」
「これに触ったらいいのね」
私の言葉に従い、姫は右から順番にカードに触れられていく。その動作は無造作で、姫の細い指はすぐに四つ目のカードに到達した。
その間、なにも起こらなかった。カードは一枚も反応を示さなかった。
「反応しませんね……」
「え、いやいやリデルさん、これなに?」
「魔術において基本として定められている属性の力を込めたカードです。相性のいい属性のカードに触れれば反応するんですよ」
このように、と《水》のカードに私が触れれば、それがふんわりと光出す。それを見て、姫もローザさんたちも「おお」と感嘆の声を上げられる。
「姫は相性の割り出しをされたことはないんですか?」
「うーん……どうなんだろう。記憶にはないんだけど……もしかしたら生まれてすぐにやったかもしれない」
姫が「知ってる?」とローザさんを振り返られる。ローザさんは「わたくしも存じません」と首を振った。おそらく誰よりも信頼しているだろう乳母の答えを聞き、姫は軽く首を傾げられた。
「でも、私は魔力がないって判定されたんだよね。物心ついた頃から周りにそう言われてたから考えたことなかったけど、どうやって調べたんだろう」
「わかりませんが……似たようなことをされたのかもしれませんね」
「で、リデルはどうしてこれ持ち出してきたの?」
「……私はずっと、魔力を持たないひとはいないのだと思ってきてたんです。けれど、姫は魔術が使えないでしょう。姫の魔力の有無が気になって……。すみません、こんなことをお願いしてしまって」
「あ、いいのいいの。まあ確かに複雑な気分ではあるけど……リデルの役に立てたことは素直に嬉しいから」
ぱくん、と私が持参した菓子を口に運び、いつもと変わらず陰なく笑ってくださる姫に、ほう、と安堵の息を吐き出した。
「それで? リデルの持論は破られちゃったわけだけど、これからどうするの?」
「そうですね……もっと姫のような例があれば考えもまとまりやすいと思うのですけど……」
様々な人の魔力の有無を確かめるのが一番いいが、それは難しいな話だ。通りすがりの人にいちいち協力を頼むのも、限度があるだろう。
姫がクッキーを手に取り、くわえ、ぱきんと音を立てて割った。口側に残った分を口内に招きいれ、もぐもぐと口を動かす。
口の中が空になってから、姫が言った。
「……生きてる例は知らないけど、私みたく魔力がなかっただろうひとはほかにもいたよ」
「え?」
「王族とそれに連なる血筋の家には、時折魔術がまったく使えない者が生まれるって、リデルも知ってるでしょ? なら、そこらへんの歴史を紐解いてみれば、多少は参考になるかもしれないよ」
* * *
「リーデールー!」
「っ、お、あ……カイル、来てたんですか」
「……お前な。俺、今五回は呼んだぜ、お前のこと」
「……すみません」
開いていた本を閉じて、カイルに向き直る。いつものようにお茶を用意しようと立ち上がると、それを阻むようにカイルが目の前に立った。
カイルはしばらく難しそうな顔をしていたが、やがて口を開き、言った。
「お前さ、あんま一人で考え込むなよ」
「…………なにを」
「悩んでんのバレバレだっての。ちょっと前からなんかぐるぐる考え込んでるだろ」
「…………」
言い返す言葉がなかった。カイルとの付き合いはそれほど長くないが、そんな相手にもわかってしまうほど、私は深刻な顔をしていたのだろうか。
私の複雑な心境を無視して、カイルは続ける。
「一人で考えたって、ロクな答え出ないだろ? まあ、俺じゃあんま力になれないかもしんないけどさ……お前の先生とか、ちゃんと相談しとけよ」
「……それができれば苦労はしませんよ」
はあ、とため息を一緒にこぼす。聞き届けたカイルがきょとんとした。
「どういうことだ?」
「ちょっと聞きづらい状況なんですよ。それも考えごとの一つではあるんですが」
「……あのさ。聞くだけでいいなら俺、聞くぜ?」
「……カイルがですか?」
うっかり無意識に顔がゆがんだ。カイルが心外そうに表情を変える。
「なんだよその不満そうな顔!」
「不満というか……君に言ってもさらに面倒なことになりそうな気がするんですよね……」
「言ってみなきゃわかんねえだろ!?」
力一杯訴えてくるカイルに、それもそうかもしれない、と思ってしまった。よほど頭が煮詰まっていたらしい、と思うのは後になってからだ。
私はカイルに椅子をすすめた。話を聞いてもらう立場なのに、相手を立たせたままにしておくわけにはいかない。カイルは私のすすめのまま、空いていた椅子に腰を落ち着けた。
「……シルヴィア姫のことなんです」
「姫様の?」
「以前先生から、姫とはあまり交流しないほうがいいと言われてしまって……相談しにくくなってしまったんですよ」
「リデルの先生が? なんでだよ?」
「それがわからないんです。先生は、私の交流の少なさを気にすることはあっても、特定の誰かとの交流について口を出すことはほとんどありませんでしたし……あったとしても、そんなあからさまな言い方はしたことがありません」
たとえば、あまり交流するのに好ましくない相手の話をする場合、先生は「この人にはこういった話があるのですが、リデルはどう思いますか」と尋ねてくる。先生は自分が持っている限りの情報を私に与えて、判断は私に任せてくれるのだ。
だからこそ、姫とは交流を持たないほうがいいかもしれないと、「かもしれない」なんて言葉で濁したとしても私にそういうことを言ったのはそれが初めてのことだった。しかも……、
「……姫のことについては、理由もなにも、教えてくれませんでした」
それが解せない。
妙な違和感が、消化されないまま残っている。
「……話の腰折るみたいで悪いんだけどさ、一つだけ言わせてくれ」
「はい?」
「お前シルヴィア姫様と交流あんの!?」
言われてはたと気がついた。そういえば、カイルにはシルヴィア姫に関する話は伏せていたのだった。だからカイルはいまだに、以前頻繁にこの家に遊びに来た女の子というのがシルヴィア姫だとは気づいていない。私が失恋した相手がシルヴィア姫だといことは知らない。
……すっかり失念していました。
「……言ってませんでしたっけ」
「聞いてね0よ! なんだよそれ! あ、お前、俺のこと姫様に話したりしてねーだろうな!?」
カイルが席を立って、興奮した様子で身を乗り出してくる。
「してませんよ……それは君が姫に言うべきことでしょう」
「……よし、なら、まあいい」
カイルが体を引き、再びどかりと椅子に腰を下ろした。
本当は、何度か話そうかと思ったことはある。ただその度に、意地悪な自分が顔を出してくるのだ。もちろん、カイルの意思を確認してからでないと、という意識も少なからず働いてはいたが。それ以上に、このまま通じ合われるのはつまらないと思う自分がいた。多少罪悪感を抱くが、結果としてカイルの意思に沿うものになっているというのであれば、多少は許されるだろうか。
「にしても……確かに聞いた感じ、ちょっと妙だな」
「ええ……思い過ごしならいいんですけど」
「それで、姫について気になる点って、なんだ?」
「…………」
「リデル?」
「やっぱりやめときます」
「はぁ!?」
「だって君、絶対騒ぎますもん」
「お前、今更やめますとか、気になるだろ! 俺を不眠症にしたいのか!?」
気になって眠れなくなるとでも言うのでしょうか。
……それもそうですよね。シルヴィア姫について気になることがある、と私が言ったとなれば、姫を守りたい一心で騎士見習いになったカイルが気にしないわけがない。やはりカイルに相談するという選択は、間違っていたような気がする。
だが、姫を守りたいと本当に思うのであれば、知っておいたほうがいいような気もする。
少しだけ悩んで、結局口を開いた。
「姫の護衛って、見たことや聞いたこと、ありますか?」
「え?」
もしカイルがなにか知っていれば、これは私の杞憂で終わる。私が知らないだけで、姫の護衛はちゃんと存在する。なら、この件は解決だ。
だが、カイルはしばらく考えた後、首を横に振った。カイルもなにも知らないのだ。淡い期待はあっさりと打ち砕かれる結果となった。
「……私も知らないんです」
「それが?」
「つまり、姫には護衛がついていないのかもしれない、ということです」
「……?」
事情がよくわからないらしいカイルに向けて、言葉を重ねる。
「……姫の兄君も姉君も、以前お会いした時には護衛を二人連れていらっしゃいました。それなのに、魔術が一切使えない姫には一人も護衛がついていない……これはまだ可能性の話ですが」
「……そっか。魔術が使えないシルヴィア姫様は、他の方々に比べて、狙われた際に自ら取れる抵抗手段が少なくなる……なのに護衛がいないっていうのは……」
「たしかめていはいないので、まだ断定はできません。けれど、もしそうなのであれば、異常な扱いです」
杞憂であればいい。なのに、気持ち悪いくらいに不安要素が積み上げられていく。
「……カイル、姫の護衛になれないかもしれませんね」
「って、そこにつながるのかよ!?」
重く圧し掛かるような空気を、茶化すことで誤魔化した。
カイルには、言えない。最大の不安要素。
カイルの来訪に気づく前まで読んでいた本は、一般的に出回っている王族を中心とした歴史のもの。私はそこに数枚の紙を挟んでいた。王族の系図だ。図書館にしかない本に載っていたもので、おまけに図書館からの持ち出しも禁止されていたものだから、仕方なく書き写してきてきたのだ。
系図の中の、魔術が使えなかったとされている人物を調べて、その名前に印をつけて、気がついた。
彼らは総じて、生年から没年までの間が短い。例外なく、王族の血の者で魔術が使えない者は早世なのだ。
系図の中では彼ら以外に何人もの人物が早世している。だから私のように印でもつけていかなければ、関係のない情報にまぎれてしまって気がつかないだろう。
原因はわからない。調べた限り、死因も様々だ。自殺した者、事故に遭った者、暗殺、病気。けれど確実に、魔術が使えなかった者たちは、早世している。
なら、シルヴィア姫はどうなる……?
口にすることが怖くて、それだけは、カイルにもどうしても言えなかった。
「……話したら少しすっきりしました」
「そうかよ……俺は気が滅入ってきた」
「だからやめますって言ったのに」
「うるせえ……あれで聞かないってのも気になってしかたないだろ、どーせ」
「まあそうかもしれませんが」
早世、と言っても詳細な時期はばらばらだった。十にも満たない頃に亡くなられた方もいれば、二十近くまで生きていらっしゃった方もいる。もっとも、二十を越えて生きていらっしゃった方は一人もいない。
姫は今十五歳。もってあと五年ということか……。
考えて、緩く首を振った。
「どした?」
「……なんでもありません」
例外なく早世した、姫と同じ立場だった方々。護衛がついていない姫。姫との交流を控えるように言った先生。
もしもこれらが一本の糸で繋がっていたとしたら、なんて考えが浮かんで、つう、と背中に冷たいものが走る。まだ結論は出せないと思っても、振り払えないほど重い暗雲が、まとわりついているような気がした。