第4話 調査任務
03 報告
* * *
騎士団の宿舎を出て、城壁には向かわず、先生の住まいへと向かった。現在、すでに日が暮れかかっているので、おそらくはもう王城からお帰りになっているだろうとあたりをつけたのだ。
案の定、屋敷の窓から明かりがもれているのが見えた。ここしばらくは王城にある仕事部屋にばかりお邪魔していたので、こちらを尋ねるのは久々だ。久しぶりとはいえ、何年かは私自身も住んでいた場所だ。先生の書斎の窓がどれなのか、外からだってわかる。
先生の屋敷に住み込みで働いている使用人の方たちと挨拶を交わし、手土産にと持ってきた自作のお菓子を渡すと私ともども歓迎された。
現在、先生のところには客人が来ているということで、私はかつて自室として利用していた部屋で待たせていただくことにした。
三年ぶりに足を踏み入れたかつての自室は、驚くくらい記憶のままだった。すでに誰も使用していない部屋のはずなのに、清掃が見事に行き届いている。お茶を持ってきてくださった使用人の女性が、驚いている私に楽しそうに教えてくれた。先生は、私がいつ戻ってきてもいいように、常にこの部屋の状態を維持するよう使用人に言いつけられているのだそうだ。じん、と胸が熱くなった。
ふと、廊下が騒がしくなった。先生の声が聞こえる。大きな声でなにかを言ってらっしゃるようだが、その内容まではドアと壁に阻まれて聞き取れない。
使用人の女性と顔を見合わせて、揃って首を傾げた。先生が大声を出すというのは、珍しいというか、私は聞いたことがない気がする。反応からして、おそらく使用人の女性としても大差ないのだろう。
部屋のドアが外から開けられた。
姿を現したのは先生ではなかった。
「……ジェラルド様?」
「おお、久しぶりだな、リデル!」
「あ、お、お久しぶりです」
皺の刻まれた顔で穏やかに笑み、私へと歩み寄ってくる男性。名をジェラルド・ベックという。城壁前の広場にある教会の司祭様だ。詳しいことは知らないのだが、度々王城に出入りされており、先生とも交流があるため、私がここで暮らしている間に何度か顔を合わせたことがある。彼には私より五つほど年下のご息女がいらっしゃり、彼女の勉強を見たこともある。しかし、個人的に特に親しいわけではないし、私はあまり教会へは行かないため、独り立ちしてから会うのは初めてだった。
ジェラルド様の後から、追いかけてきたように先生が部屋へと入ってきた。なにやら不安そうな顔をされていた。なにかあったのかと尋ねてみようとしたが、それはジェラルド様に阻まれてしまう。
「聞いたぞ、リデル。シルヴィア姫とともにウディエールの森の調査に向かうのだろう?」
「……情報がお早いですね」
「シルヴィア姫が同行者として君の名前を申請したと、王城ではこの話で持ちきりだ。もう一人くらい増えるかもしれないとも聞いているが……?」
「ええ、剣を扱える者に同行していただくことになっています」
「そうか。しかし……いや、君は城仕えではないが、城内でも聞こえがいいからな。文句を言う者はさすがにおらんだろう」
「……最悪の場合も、覚悟の上です」
私は、ジェラルド様から距離をとって立ち尽くしている様子の先生に視線を移した。ジェラルド様の耳に入っているということ、そしてこの場でこの話をしていて先生がなにもおっしゃらないということは、先生もすでにご存知なのだろう。
ジェラルド様が言いよどんだ内容はジェラルド様の口の中に消えてしまったので想像するしかないが、おそらくは姫のご兄姉によって魔術師資格を剥奪されるのではないかという不安だろう。
先生が心配そうなのも、顔色があまりよくないように見えるのも、このことが原因なのかもしれない。いくら先生が王族の顧問魔術師とはいえ、先生の意見がすべて肯定的に受け入れられるということにはならない。意見はあくまで意見でしかないのだ。
ジェラルド様が、察したように私の前から体をずらされ、先生からも私がよく見えるようになった。
「……すみません、先生。私は、先生からの忠告を聞くことができませんでした」
「リデル……」
「けれど私は、たとえ魔術師でいられなくなっても、シルヴィア姫が望むことすべて、叶えてさしあげたいのです」
魔術師になったのは、先生のためだった。捨てられた私を拾い、育ててくれた先生に恩返しをするためだった。それが私のすべてだった。
けれど、考えてみれば、恩返しをするために魔術師にならなければならない理由はなかったのだ。魔術師でなくても、先生の手伝いはできる。魔術師の資格を失ったとしても、先生に喜んでもらうことはできる。先生にとって必要な薬草を採取してきたり、先生の大好きなお菓子を作ったり。一つ一つは恩返しには足りないが、積もり積もれば大きななにかになるかもしれない。
今に至る選択が間違っていたとは思わない。私は、魔術師であることを誇りに思い、ありがたく思う。
停滞していた私に変化を与えてくださったシルヴィア姫。彼女の願いに応えるために、《魔術師リデル》は必要なものだ。
だが、私が勝手なことをしたのは事実だ。縁を切られる覚悟で、先生に報告するために、ここへ来た。
先生の唇が動いた。
「すばらしい!」
声を発したのはジェラルド様だった。筋を無理やり曲げられたような気がして、驚いて横に立っていたジェラルド様を見上げた。
「すばらしいぞ、リデル! その身を挺してまでシルヴィア姫をお守りしようとする心意気! 私は感動した!」
「……いえ、あの……別に死地に赴くわけではないのですから……」
「なにを言う! 危険などどこに転がっているかわからんのだぞ!」
それはもっともだ。しかし、感涙しかねない勢いのジェラルド様への対応に困り、私は「はあ」と曖昧に返すしかなかった。
「かなうならば私も同行させていただきたいところだが、しかし私のような剣もたいして使えない者が同行してもかえって足手まといになりかねん。道中、気をつけるのだぞ、リデル」
「は、はい……」
どうにかまともに返事をすると、ジェラルド様は満足そうな笑みで頷き、右手の人差し指を私の額に押し当てた。その指がなにかを描くように滑り、そして離れる。
「君に、神のご加護がありますように……。簡易ですまんがな。君の無事を、祈っているよ」
「……ありがとうございます」
ちらりと、先生を見た。先生は俯いていらっしゃったので、表情はわからなかった。しかし、動いた唇からこぼれた音に、ほっと緊張していた頬が緩む。
「……気をつけて、リデル」
「……はい、先生」
先生はまだ、私を心配してくださっている。ひとまずのところ、お叱りの言葉もない。ほうっと息を吐き出すと、胸に詰まっていたものがすべて抜け落ちていったような気がした。
「さて、もう外も暗い。今日は泊まっていくのかい?」
「いえ、街へ戻ります」
「そうか。ああ、そうだ。グレイスが君に会いたがっていたよ。戻ってきてからでも構わないから、会いに行ってやってくれるかい? 日中なら教会にいるから」
「あ、はい。わかりました」
グレイス嬢は、ジェラルド様のご息女だ。彼女と話をするのは少々苦手だが……頼まれて断るほどの理由ではない。
「ジェラルド様は……?」
「私はもう少し、ウォーレンと話をしていくよ。君が来ているというので、思わず話の途中で飛び出してきてしまったのでね」
「そうでしたか……お邪魔してしまい、申し訳ありません」
「いやいや、むしろよかったよ。どうせ君のことだから、旅の無事を祈りに教会に出向いたりはしないだろうからな」
「…………。では、失礼します」
教会の関係者である相手に向かって素直に肯定の返事をすることは憚られ、無言で逃げることにした。
先生に挨拶をして、部屋を出て行こうとした瞬間、先生に手を掴まれた。
「……先生?」
呼びかけると、俯いていた先生は顔を上げて、いやに真剣な顔をしていたので、私の表情も自然と引き締まる。
先生の口が開き、閉ざされ、再び開かれた。
「……リデルはリデルの思うまま生きてください。あなたの望みを形にしてください。私は、それ以上のことは望みません」
「先生……」
「気をつけて……。おやすみなさい、リデル。一段落してからでいいので、グレイス嬢だけでなく、私にも顔を見せてくださいね」
「……はい。もちろんです」
先生の手が私から離れた。私は今度こそ部屋を出て、使用人の方たちに挨拶をして屋敷を出る。その際に、火を灯したランタンを渡された。道々に街灯は立っているが、街灯の明かりは夜道を歩くには少々頼りない。使用人の方たちの心遣いも含め、ありがたく受け取った。
外に出ると、もう真っ暗だった。夜空に瞬く星を少しばかり眺め上げてから、城壁に向かって歩き出す。何人か同じようにランタンを手に夜道を歩くひととすれちがい、門を抜け、街に出て、ふと背にしたばかりの城壁の向こうを眺める。
先生とジェラルド様は、いったいなんの話をしていらしたのでしょうか。